第70話「黒き境界派の残党」
「俺は、どっちも選ぶ」
静かな地下空間に、レオの声が響いた。
消えた黒い守護者の気配は、すでに感じられない。
残されたのは、崩れかけた石床と、奥へ続く暗闇だけだった。
ガイアが小さく息を吐く。
「……簡単なことじゃないよ」
「ああ」
「生者を守れば、死者が犠牲になるかもしれない。死者を救おうとすれば、生者が危険になるかもしれない」
「だからこそ、片方を捨てる答えにはしたくない」
その隣で、守護者が静かにレオを見る。
その視線には、わずかな変化があった。
まるでレオの言葉を確かめているようだった。
「……行こう」
レオが歩き出した。
カイとミナ、ローディン、エレナ、ヴァルド、アシュレイ、そしてセイルたちも続く。
だが、地下聖域を出ようとした瞬間だった。
カツン。
遠くで、石を踏む音がした。
全員が足を止める。
「……誰かいる」
ローディンが剣に手をかける。
セイルも白い仮面を付け直した。
「この地下に残っていた者か」
「境界監視者ではありません」
セイルの声が低くなる。
「なら……」
その瞬間、通路の奥から黒い光が走った。
ドンッ!
壁が吹き飛ぶ。
煙の向こうから、数人の人影が現れた。
黒い外套。
胸元には、あの黒い紋章。
「黒き境界派……」
エレナの表情が強張った。
先頭に立つ男が、ゆっくりと煙の中から姿を現す。
「久しいな、ヴァルド」
ヴァルドの目が細くなる。
「……お前たちか」
「我々を知っているようだな」
「忘れるはずがない」
ヴァルドが一歩前へ出る。
「三百年前、研究を歪めた連中の末裔か」
男は笑った。
「末裔ではない」
黒い紋章に手を触れる。
「我々こそ、三百年前から続く研究を受け継ぐ者だ」
アシュレイが吐き捨てる。
「違う。お前たちは研究を捨てた。死者の声を聞くことも、生者を守ることも忘れて、境界を破壊することしか考えていない」
「黙れ、裏切り者」
黒い魔力が一気に膨れ上がった。
アシュレイの足元にも黒い紋章が浮かぶ。
「その紋章……」
レオが目を向ける。
アシュレイは拳を握った。
「俺が選んだものじゃない。奴らが俺の研究を奪った証だ」
「ならば返してもらおう」
男が手を上げた。
背後にいた黒き境界派の戦士たちが一斉に動く。
「来るぞ!」
ローディンが剣を抜いた。
ガキィン!
最初の一撃を受け止める。
「こいつら、前より強い!」
カイが横から斬り込む。
「だったら押し返す!」
黒装束の戦士が身を沈め、カイの剣をかわす。
次の瞬間、黒い短剣がカイの脇腹へ迫った。
「カイ!」
ミナが魔力弾を放つ。
ドンッ!
戦士が吹き飛ぶ。
「助かった!」
「礼は後!」
ミナの前にも別の敵が迫った。
杖と黒刃がぶつかる。
一撃。
二撃。
三撃。
ミナは後退しながら攻撃を受け流す。
「速い……!」
「お前たちの力は、まだ未完成だ」
敵の黒刃が杖を弾き飛ばした。
「しまっ――」
黒刃が振り下ろされる。
その瞬間。
ガシッ!
死者の鎖が黒刃を絡め取った。
「ミナには触れさせない」
レオの腕に力が入る。
《死者の鎖》
鎖が敵の腕へ巻き付き、動きを止める。
ミナが杖を拾った。
「……助かった」
「今度は自分で倒せ」
「言われなくても!」
ミナの魔法が炸裂する。
ドンッ!
戦士が壁へ叩きつけられた。
その一方で、ローディンは二人を相手にしていた。
「くっ……!」
一人の剣を受け、もう一人の蹴りを避ける。
「ローディン!」
レオが援護しようとする。
「来るな!」
ローディンが叫んだ。
「俺はこいつらを抑える! お前はあの男を見ろ!」
視線の先。
黒き境界派の指揮者が、地下聖域の奥へ向かっている。
その手には、小さな黒い石が握られていた。
レオの顔色が変わる。
「……黒い石の欠片」
男が振り返る。
「そうだ」
「何をするつもりだ」
「門を開けるわけではない」
男は黒い石を掲げた。
「確認するだけだ」
「何を?」
「お前が本当に、境界の鍵なのかをな」
黒い石が脈打つ。
ドクン。
ドクン。
地下全体が揺れ始めた。
守護者がレオの前へ出る。
そして、奥の暗闇を睨みつけた。
「……またか」
ガイアの声が震える。
「レオ、あれ……」
黒い石から、黒い糸のようなものが伸びていく。
それは地面を這い、守護者の足元へ向かっていた。
「俺の守護者を狙ってるのか……!」
レオが走り出す。
だが、指揮者が笑った。
「遅い」
黒い糸が守護者へ届く。
その瞬間。
守護者の身体から強烈な光が放たれた。
バシュッ!
黒い糸が弾き飛ばされる。
「なに……?」
指揮者の表情が初めて崩れた。
守護者はゆっくりと腕を上げる。
そして黒い石へ向けて、境界を閉じる力を放った。
ギギギギ……!
黒い石に亀裂が走る。
「馬鹿な……!」
男が後退する。
レオはその隙を逃さなかった。
「今だ!」
死者の鎖が一直線に伸びる。
男の腕を捕らえる。
「ぐっ!」
レオが引き寄せる。
男の手から黒い石が落ちた。
カラン。
床を転がった石が止まる。
しかし――
その石の奥から、小さな声が響いた。
『……鍵……』
レオが振り向く。
「……!」
『……まだ……見つからない……』
ガイアが息を呑む。
「レオ、あの声……」
「門の向こうの存在……」
黒い石が砕ける。
パリンッ!
同時に、黒き境界派の男が笑い始めた。
「そうだ……それでいい」
レオが鎖を強く引く。
「何がいい!」
「お前はまだ知らない」
男は苦しそうに笑う。
「我々が門を開ける必要など……最初からなかった」
レオの表情が変わる。
「……どういう意味だ」
「門の向こうにいるものが……こちらへ来る方法を探している」
その瞬間。
地下深くから、
ドン……。
巨大な音が響いた。
全員が動きを止める。
もう一度。
ドン……。
今度は明らかに近い。
ヴァルドが青ざめる。
「……地下聖域のさらに下か」
アシュレイが低く呟いた。
「まさか……」
セイルも奥を見つめる。
「境界が動いている」
レオは守護者を見る。
守護者もまた、暗闇を見つめていた。
そして――
地下深くから、巨大な何かが這い上がってくるような音が響いた。
ズ……ズズ……。
黒き境界派の男が笑う。
「始まった」
「何がだ!」
レオが問い詰める。
男は答えなかった。
ただ、暗闇を見つめながら呟く。
「三百年前とは違う」
「……」
「今回は、死者でも生者でもないものが、自分から境界を越えてくる」
レオの手に力が入る。
守護者が一歩前へ出た。
その身体から、かつてないほど強い光が溢れ始める。
「……守護者」
レオが隣に立つ。
「俺も行く」
守護者は何も言わない。
ただ、暗闇の奥へ歩き出した。
レオたちも続く。
その先に何がいるのか。
まだ誰にも分からなかった。
ただ一つだけ。
今までとは違う何かが、確実に動き始めていた。
――第70話・完――




