第183話「最初の試練」
灰峰山地に朝日が昇り始めた頃、レオたちは修練院の入口に立っていた。
昨日、グレン・ヴァルディスという老人から告げられた言葉。
『明日の朝、もう一度来い。ただし、次は全員だ』
その意味を確かめるため、六人は再びこの場所を訪れていた。
「……まだ誰もいねえな」
カイが訓練場を見渡した。
ミナは建物の窓を確認した。
「昨日より早く来てしまったんでしょうか?」
「いや」
ガイアが静かに答えた。
「……誰かがこちらを見ている」
レオが振り向く。
「……どこから?」
ガイアは建物の二階へ視線を向けた。
しかし、そこには誰の姿もなかった。
「……気のせいかもしれんな」
その時、建物の扉が開いた。
「……時間通りだな」
グレンが姿を現した。
昨日と同じ簡素な服装。
腰には古びた木剣を差している。
カイが一歩前へ出た。
「今日は昨日みたいにはいかねえぞ」
グレンはカイを一瞥した。
「……まだ勝負をするとは言っていない」
「……え?」
「まずは、お前たちの実力を確認する」
グレンは訓練場の中央へ歩いていった。
レオたちも後に続く。
そこには六本の木製の杭が立てられていた。
杭の高さはそれぞれ異なり、配置も不規則だった。
「……これは?」
リュシアが尋ねた。
グレンは答えた。
「最初の試練だ」
カイが腕を組んだ。
「杭を壊せばいいのか?」
「違う」
グレンは首を振った。
「この六本の杭には、それぞれ小さな印が刻まれている」
レオが目を凝らす。
確かに、杭の表面には赤い印が描かれていた。
「……見つけました」
ミナが呟いた。
グレンは続けた。
「制限時間は十分。お前たち六人で協力し、すべての印に触れろ」
カイが首を傾げた。
「……それだけ?」
「ああ。ただし、条件がある」
グレンは地面に引かれた白い線を指差した。
「この線の内側に入れるのは、一度に一人だけだ」
レオは眉をひそめた。
「……一人ずつ?」
「そうだ。さらに、一人が触れてよい印は一つだけ」
リュシアが尋ねた。
「じゃあ、六人が一つずつ触ればいいんですね?」
グレンは頷いた。
「その通りだ」
カイが笑った。
「簡単じゃねえか」
しかし、グレンは静かに続けた。
「ただし、杭は動く」
「……動く?」
グレンが地面に埋め込まれた石板へ手を置くと、六本の杭がゆっくりと位置を変え始めた。
それぞれ異なる方向へ移動し、時折高さまで変化する。
ミナが驚いた。
「……魔術式で動いているんですか?」
「古い訓練用の仕掛けだ」
グレンは答えた。
「杭を破壊した場合、その時点で失格とする」
カイは木剣を見つめた。
「……剣で斬れねえのかよ」
「当然だ」
グレンは腕を組んだ。
「力で解決できない状況を、どう乗り越えるか。それを見せてもらう」
レオは六本の杭を見つめた。
「……分かりました」
グレンは頷いた。
「では、始めろ」
最初に動いたのはカイだった。
「俺から行く!」
彼は白い線を越え、最も近い杭へ向かって走った。
しかし、杭は横へ移動した。
「……逃げるなよ!」
カイは素早く方向を変えた。
杭が再び動く。
今度は高さが変わり、印が頭上へ移動した。
カイは地面を蹴って跳び上がった。
指先が印へ近づく。
だが、わずかに届かなかった。
「……くそ!」
グレンが静かに口を開いた。
「……無駄な動きが多い」
カイは振り向いた。
「分かってる!」
「ならば、考えろ」
カイは歯を食いしばった。
しかし、杭の動きは一定ではなかった。
何度追いかけても、印へ触れることができない。
やがて、カイは白い線の外へ戻った。
「……悪い」
レオが首を振った。
「まだ時間はある」
ミナが尋ねた。
「……次は私が行ってもいいですか?」
レオは頷いた。
「頼む」
ミナは白い線の内側へ入った。
そして、右手を伸ばした。
「《フレイム・サークル》」
小さな炎の輪が現れ、杭の周囲を囲む。
しかし、杭は炎を避けるように動いた。
「……やっぱり」
ミナが呟いた。
炎の輪を狭めれば、杭を止められるかもしれない。
だが、それでは木製の杭を傷つける危険があった。
「……無理に使えない」
ミナは炎を消した。
グレンが頷いた。
「……判断は悪くない」
ミナは白い線の外へ戻った。
「すみません」
レオは首を振った。
「大丈夫」
残り時間は、すでに半分を切っていた。
「……このままじゃ間に合わないな」
ガイアが呟いた。
リュシアが杭を見つめた。
「……ねえ、レオ」
「どうした?」
「杭の動き、完全に不規則じゃないかもしれない」
レオは顔を上げた。
「……どういうこと?」
「森で動物を追う時、相手がどこへ逃げるかを考えるの」
リュシアは続けた。
「でも、あの杭は逃げているように見えて、同じ場所を何度も通ってる」
ガイアが頷いた。
「……確かに」
レオは杭の動きを観察した。
右へ動いた杭が、しばらくすると左へ戻る。
高さが変わる杭も、一定の間隔で元の位置へ戻っていた。
「……決まった範囲を動いているんだ」
リュシアが頷いた。
「うん」
レオは考え込んだ。
「だったら、追いかける必要はない」
カイが振り向いた。
「……どういうことだ?」
「杭が来る場所で待てばいい」
ガイアが小さく笑った。
「……ようやく気づいたか」
レオはリュシアを見た。
「次、お願いできる?」
「うん!」
リュシアは白い線を越えた。
彼女は杭を追いかけず、一定の場所で立ち止まった。
一本の杭が右へ移動する。
その後、ゆっくりと左へ戻ってきた。
リュシアは動かなかった。
そして、杭が目の前を通過する瞬間。
彼女は静かに手を伸ばした。
指先が赤い印へ触れる。
「……できた!」
ミナが微笑んだ。
「すごいです!」
グレンは無言で頷いた。
リュシアは白い線の外へ戻った。
「……次は誰?」
レオは残りの杭を見つめた。
「……俺が行く」
彼は白い線を越えた。
杭の動きを観察する。
しかし、目の前の杭は上下に大きく移動していた。
「……高いな」
レオは右手を伸ばした。
「《死者の鎖》」
紫色の鎖が現れる。
その先端を杭へ向けた。
だが、レオは途中で動きを止めた。
「……待てよ」
昨日、ガイアに言われた言葉を思い出した。
『力を強くすることだけが成長ではない』
レオは鎖を短くした。
そして、杭が下がる瞬間を待った。
「……今だ」
鎖の先端を杭の側面へ軽く引っかける。
杭の動きがわずかに変わった。
レオはその隙に近づき、印へ手を伸ばした。
「……届いた!」
二つ目の印に触れることができた。
しかし、グレンは眉をひそめた。
「……今のは危ういな」
レオが振り向く。
「……え?」
「鎖で杭の動きを変えたな」
「……はい」
「今回は許す。だが、力の制御を誤れば、杭を破壊していた」
レオは頷いた。
「……分かりました」
残り時間は少なかった。
ガイアが白い線の内側へ入る。
彼は杭の動きを静かに観察した。
そして、最も低い位置へ移動する杭の前へ立った。
「……ここだな」
杭が近づく。
ガイアはわずかに身体を動かし、印へ触れた。
「……三つ目」
カイが驚いた。
「……簡単そうにやるな」
ガイアは答えた。
「……相手をよく見れば、動く必要は少ない」
続いて、ミナが再び挑戦した。
彼女は魔術を使わず、杭の移動する範囲を確認した。
そして、印が最も低くなる場所で待ち構える。
「……今です」
四つ目の印に触れた。
「……やりました!」
カイが笑った。
「よし! あと二つ!」
残るのはカイと白き守護者だった。
カイは再び白い線を越えた。
しかし、今度は走らなかった。
「……落ち着け」
彼は小さく呟いた。
杭の動きを見る。
右へ。
左へ。
そして、少しだけ前へ。
「……そこか」
カイは一歩だけ踏み出した。
杭が目の前を通過する。
その瞬間、彼は手を伸ばした。
「……よし!」
五つ目の印に触れた。
カイは満足そうに笑った。
「……どうだ!」
グレンは静かに答えた。
「……最初からそうしていればよかったな」
「……うるせえ」
残る印は一つ。
しかし、制限時間は残りわずかだった。
白き守護者が静かに前へ出た。
レオが声をかける。
「……守護者」
彼女は頷いた。
そして、白い線を越えた。
最後の杭は、他のものより高い位置を移動していた。
さらに、左右への動きも速い。
ミナが不安そうに呟いた。
「……間に合うでしょうか?」
白き守護者は杭を見つめた。
その瞳に、淡い白い光が宿る。
しかし、彼女は力を使わなかった。
ただ、静かに待っていた。
杭が左へ移動する。
次に右へ。
そして、わずかに高度を下げた。
白き守護者は一歩踏み出した。
彼女の指先が赤い印へ触れる。
その瞬間、グレンが声を上げた。
「……そこまでだ」
六本すべての印に触れることができた。
レオたちは安堵の息を吐いた。
「……やったな!」
カイが笑った。
リュシアも嬉しそうに頷いた。
「うん!」
しかし、グレンの表情は変わらなかった。
「……喜ぶのは早い」
レオが顔を上げた。
「……え?」
グレンは六人を見渡した。
「お前たちは、確かに試練を達成した」
彼は続けた。
「だが、最初の数分間、誰も仲間の動きを見ていなかった」
カイは黙り込んだ。
「自分の力だけで何とかしようとした。その結果、無駄な時間を使った」
レオは頷いた。
「……はい」
グレンはリュシアを見た。
「最初に気づいたのは、お前だったな」
リュシアは驚いた。
「……私?」
「ああ。お前は杭を追いかけず、その動きを観察した」
グレンは続けた。
「強さとは、相手を倒す力だけではない」
レオたちは静かに耳を傾けた。
「仲間の得意なことを知り、自分にできないことを任せる。それも立派な強さだ」
ガイアが頷いた。
「……その通りだな」
グレンはレオを見た。
「……特に、お前だ」
「……俺ですか?」
「ああ。お前は仲間を率いているつもりかもしれんが、まだ一人で背負おうとしている」
レオは言葉を失った。
グレンは静かに続けた。
「仲間を信じることと、仲間に任せることは違う」
レオは拳を握った。
「……はい」
グレンは背を向けた。
「……明日から、本格的な修行を始める」
カイが顔を上げた。
「……本当か!?」
「ああ。ただし、甘くはないぞ」
グレンは振り向いた。
「それぞれの弱点を、徹底的に鍛える」
ミナは真剣な表情で頷いた。
「……お願いします」
リュシアも頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
レオは仲間たちを見渡した。
そして、グレンへ向き直った。
「……俺たちを、鍛えてください」
グレンは小さく頷いた。
「……覚悟しておけ」
こうして、レオたち六人の本格的な修行が始まろうとしていた。
しかし、彼らはまだ知らなかった。
グレンが用意している試練は、単なる技術の向上だけを目的としたものではない。
それぞれが抱える弱さ。
過去への後悔。
そして、仲間との絆。
それらすべてと向き合う日々が、これから始まるのだった。
――第183話・完――




