第184話「剣士の弱点」
灰峰修練院に朝日が差し込んでいた。
レオたちは訓練場の中央に集まり、グレンが現れるのを待っていた。
昨日の試練を突破したことで、六人は正式に修行を受けることを認められた。
しかし、グレンがどのような訓練を用意しているのか、誰も知らなかった。
「……今日は何をするんだろうな」
カイが剣の柄に手を添えながら呟いた。
ミナが微笑んだ。
「昨日、グレンさんはそれぞれの弱点を鍛えると言っていましたね」
「だったら、俺は剣の修行だろうな」
「楽しそうですね」
「当たり前だろ。強くなるために来たんだからな」
カイは笑った。
しかし、その笑顔にはわずかな緊張が混じっていた。
昨日、グレンとの勝負で一撃も当てられなかったことが、まだ頭から離れていなかった。
やがて、建物の扉が開いた。
「……全員揃っているな」
グレンが木剣を二本持って現れた。
レオが頭を下げる。
「おはようございます」
「挨拶はいい。今日は剣士から始める」
グレンはカイを見た。
「……お前だ」
カイは一歩前へ出た。
「待ってたぜ」
「随分と余裕があるな」
「昨日のままじゃ終われねえからな」
グレンは木剣を一本投げ渡した。
「ならば、構えろ」
カイは木剣を受け取り、訓練場の中央へ進んだ。
レオたちは少し離れた場所で見守る。
グレンは木剣を下げたまま立っていた。
「……昨日と同じ条件だ」
カイが尋ねる。
「一本取ればいいんだな?」
「ああ。ただし、今日は俺も攻撃する」
カイの表情が引き締まった。
「……望むところだ」
グレンは静かに頷いた。
「始めろ」
カイはすぐには動かなかった。
昨日、無闇に踏み込んだことで敗北した。
同じ失敗を繰り返すつもりはない。
相手の足元。
肩の動き。
木剣の位置。
それらを慎重に観察する。
「……どうした?」
グレンが尋ねた。
「焦って突っ込むと思ったか?」
「いや」
グレンは答えた。
「少しは考えるようになったと思っただけだ」
カイは眉をひそめた。
「……馬鹿にしてんのか?」
「そう聞こえたなら、お前に心当たりがあるのだろう」
「……言ってくれるじゃねえか」
カイは木剣を構え直した。
その瞬間、グレンが踏み込んだ。
カイは反射的に剣を上げた。
しかし、グレンの攻撃は頭ではなく、脇腹へ向かっていた。
「……っ!」
カイは身体を捻って避ける。
続けて反撃しようとしたが、グレンはすでに間合いの外へ退いていた。
「……遅い」
グレンが呟いた。
カイは歯を食いしばった。
「まだだ!」
今度はカイが踏み込んだ。
木剣を横へ振る。
グレンはその一撃を受け流した。
カイはすぐに剣を返し、二撃目を放つ。
しかし、グレンは一歩だけ後退した。
攻撃は届かない。
「……くそ!」
カイはさらに踏み込んだ。
その瞬間、グレンの木剣がカイの肩へ触れた。
「……一本」
カイは動きを止めた。
「……またかよ」
グレンは木剣を下ろした。
「今の敗因が分かるか?」
カイは黙って考えた。
「……攻撃が読まれた?」
「それもある」
「じゃあ、何だよ」
グレンはカイの足元を指差した。
「……お前は、攻撃する時に必ず右足から踏み込む」
カイは目を見開いた。
「……え?」
「最初の一撃も、二撃目も同じだった」
グレンは続けた。
「お前の剣は速い。だが、動き出す前に次の行動が分かる」
カイは自分の足元を見た。
これまで意識したことがなかった。
「……そんな癖が」
「ああ。さらに、攻撃を外した後の姿勢が崩れている」
グレンは木剣を構えた。
「もう一度来い」
カイは頷いた。
「……分かった」
再び向き合う。
今度は左足から踏み込もうとした。
しかし、普段と違う動きに身体がついてこない。
剣を振る瞬間、わずかに体勢が崩れた。
グレンはその隙を見逃さなかった。
木剣の先端がカイの胸元で止まる。
「……二本目だ」
カイは悔しそうに顔を歪めた。
「……左足からだと、うまく動けねえ」
「当然だ。慣れていない動きを、いきなり実戦で使おうとしたのだからな」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
グレンは答えた。
「基礎からやり直せ」
カイは顔を上げた。
「……基礎?」
「ああ。足運び、重心移動、間合いの取り方。そのすべてだ」
カイは唇を噛んだ。
「……今さら基礎かよ」
その言葉を聞いたグレンの表情が険しくなった。
「……今さら?」
カイは黙り込んだ。
グレンは静かに続けた。
「お前は、自分が基礎を身につけたと思っているのか?」
「……それは」
「ならば、なぜ同じ動きしかできない?」
カイは答えられなかった。
「強い技を覚えることばかり考え、身体の使い方を疎かにしてきたのではないか?」
グレンの言葉が胸に突き刺さる。
カイはこれまで、より速く、より強い斬撃を求めてきた。
《裂空斬》。
そして、その応用技である《裂空斬・弐》。
それらを使いこなせるようになったことで、自分は確実に成長していると思っていた。
しかし、目の前の老人には、どちらの技も使わずに敗北している。
「……確かに」
カイは小さく呟いた。
「俺、強い技を出せれば勝てるって思ってたかもしれねえ」
グレンは頷いた。
「気づけたなら、それでいい」
少し離れた場所で見守っていたレオが口を開いた。
「……カイ、大丈夫かな」
ガイアが答えた。
「……あいつなら大丈夫だ」
「どうして?」
「負けず嫌いだからな」
ガイアは小さく笑った。
「自分の弱さを認めるのは簡単ではない。だが、あいつは逃げていない」
ミナも頷いた。
「……そうですね」
リュシアは真剣な表情でカイを見つめていた。
「……剣って、難しいんだね」
レオは頷いた。
「俺も、まだ知らないことばかりだよ」
その頃、グレンは訓練場の端にある木製の板を持ってきていた。
板には細い線が何本も引かれている。
「……ここに立て」
カイは指定された位置へ移動した。
「これから、俺が指示した方向へ足を動かせ」
「……それだけか?」
「ああ。ただし、上半身を揺らすな」
カイは頷いた。
グレンが声をかける。
「右」
カイは右へ踏み出した。
「左」
今度は左へ。
「後ろ」
カイは一歩下がった。
「前」
再び踏み込む。
最初は簡単だった。
しかし、指示が速くなるにつれて、足の動きが乱れ始めた。
「右、後ろ、左、前」
カイは必死に足を動かす。
だが、右へ移動した直後、後ろへ下がる際に身体が傾いた。
「……止まれ」
グレンが告げた。
カイは息を整えた。
「……これ、意外と難しいな」
「お前は踏み込む力が強すぎる」
グレンは答えた。
「そのせいで、次の動きへ移るまでに時間がかかっている」
カイは頷いた。
「……なるほど」
「敵は、お前の攻撃が終わるまで待ってはくれん」
グレンは続けた。
「一撃を放った後、すぐに次の行動へ移れる身体を作れ」
カイは木剣を握り直した。
「……分かった」
それから、訓練は何度も繰り返された。
前へ。
後ろへ。
右へ。
左へ。
単純な動作のはずだった。
しかし、身体の重心を崩さずに動き続けることは、想像以上に難しかった。
やがて、カイの額には汗が浮かび始めた。
「……まだ続けるのか?」
グレンは答えた。
「嫌ならやめてもいい」
カイは顔を上げた。
「……誰がやめるって言ったよ」
グレンは小さく笑った。
「ならば、続けろ」
昼になり、ようやく休憩が与えられた。
カイは訓練場の端に腰を下ろした。
「……疲れた」
レオが水筒を差し出す。
「お疲れ」
「……ありがとな」
カイは水を飲み、深く息を吐いた。
ミナが尋ねた。
「どうでした?」
「……想像以上にきつい」
リュシアが首を傾げる。
「剣を振ってないのに?」
「ああ。足だけでこんなに疲れるとは思わなかった」
ガイアが静かに口を開いた。
「……だが、収穫はあっただろう」
カイは頷いた。
「……ああ」
彼は自分の足を見つめた。
「俺、今まで攻撃することばっかり考えてた」
レオは黙って耳を傾けた。
「強い技を覚えて、速く振れば、それでいいと思ってたんだ」
カイは続けた。
「でも、あの爺さんには全然通用しねえ」
レオが微笑んだ。
「……だから、ここに来たんだろ?」
カイは顔を上げた。
「……そうだな」
そして、小さく笑った。
「俺、もっと強くなるわ」
レオは頷いた。
「……ああ」
午後になると、グレンは再びカイを呼んだ。
「……今度は木剣を持て」
カイは立ち上がった。
「また勝負か?」
「いや。今度は攻撃を避ける訓練だ」
グレンは木剣を構えた。
「お前は攻撃するな。俺の剣を避け続けろ」
カイは眉をひそめた。
「……避けるだけ?」
「ああ」
「何分だ?」
「まずは三分」
カイは頷いた。
「……分かった」
グレンが一歩踏み込んだ。
カイは横へ移動する。
続く攻撃を後ろへ下がって避けた。
しかし、三撃目で足がもつれた。
木剣が肩の手前で止まる。
「……終わりだ」
カイは悔しそうに顔を歪めた。
「……まだ三十秒も経ってねえぞ」
グレンは答えた。
「だからこそ、鍛える必要がある」
カイは深く息を吸った。
「……もう一回」
グレンは頷いた。
「構えろ」
再び訓練が始まった。
何度も失敗した。
何度も体勢を崩した。
それでも、カイは諦めなかった。
そして、夕方。
最後の挑戦で、カイは一分間だけ攻撃を避け続けることができた。
グレンが木剣を下ろした。
「……今日はここまでだ」
カイは膝に手をついた。
「……一分か」
「最初よりは良くなった」
グレンは答えた。
「だが、まだ三分には遠い」
カイは顔を上げた。
「……明日は三分やってやる」
グレンは静かに笑った。
「期待しておこう」
夕日が訓練場を赤く染めていた。
カイは木剣を見つめた。
今日一日で、新しい技を覚えたわけではない。
剣の威力が増したわけでもない。
しかし、確かに何かが変わり始めていた。
「……強くなるって、こういうことなのかもな」
カイは小さく呟いた。
その言葉を聞いたグレンは、何も答えなかった。
ただ、満足そうに目を細めていた。
剣士カイの修行は、まだ始まったばかりだった。
――第184話・完――




