第182話「灰峰山地の修練場」
宿場町で迎えた朝、レオたちは灰峰山地へ向かう準備を進めていた。
昨日のうちに食料や水を補充し、旅に必要な道具も揃えている。
しかし、肝心の修練場については、まだ詳しい情報を得られていなかった。
「……本当に修練場なんてあるのか?」
カイが地図を覗き込みながら尋ねた。
レオは頷いた。
「古い記録には載っているんだけど、今も使われているかは分からない」
「だったら、町の人に聞いてみようぜ」
「そうだな」
一行は宿を出ると、町の中心にある冒険者向けの案内所へ向かった。
建物の中には、依頼書を確認する冒険者や、旅の情報を交換する商人たちが集まっていた。
受付に座っていた中年の男性が顔を上げる。
「いらっしゃい。何か探しているのか?」
レオが答えた。
「灰峰山地にある修練場について、教えてほしいんです」
その言葉を聞いた男性の表情が変わった。
「……灰峰の修練場か」
「知っているんですか?」
「ああ。昔は有名だったからな」
男性は古い地図を取り出した。
「正式には『灰峰修練院』という。剣士や魔術師、武術家が集まっていた場所だ」
カイが身を乗り出した。
「今も使えるのか?」
「建物自体は残っているはずだ。ただ、昔ほど人は集まっていない」
「どうしてですか?」
ミナが尋ねた。
男性は少し考えた。
「修練院の指導者たちが各地へ散ってしまったんだ。今は一人の老人が管理していると聞く」
ガイアが口を開いた。
「……その老人の名前は?」
「確か、グレン・ヴァルディスだったかな」
カイが首を傾げる。
「強いのか?」
男性は苦笑した。
「さあな。ただ、昔は多くの剣士があの人に挑んで、一度も勝てなかったという噂がある」
「……へえ」
カイの表情が明るくなった。
レオは地図を見つめた。
「そこへ行くには、どの道を通ればいいですか?」
「西の街道から山道へ入るといい。ただし、途中から道が険しくなる」
男性は山の中腹を指差した。
「それと、修練院へ行くなら覚えておけ」
「……何をですか?」
「グレンは、誰でも弟子にするわけじゃないらしい」
レオは頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
情報を得た一行は、町を出発した。
灰峰山地へ続く街道は、最初こそ穏やかな草原に囲まれていたが、進むにつれて岩場が増えていった。
遠くには灰色の山々が連なり、その頂には白い雲がかかっている。
リュシアは山を見上げた。
「……あんなに高い場所まで登るの?」
カイが答えた。
「修練院は中腹らしいから、頂上までは行かねえよ」
「それでも大変そう」
ミナが微笑んだ。
「疲れたら休憩しましょう」
リュシアは頷いた。
「うん!」
山道へ入ってから一時間ほど経った頃、カイが足を止めた。
「……なあ」
レオが振り向く。
「どうした?」
「さっきから、同じような岩ばっかり見てる気がするんだが」
ガイアが周囲を見渡した。
「……確かに、道が分かりにくい」
レオは地図を確認した。
「この先に分かれ道があるはずなんだけど……」
その時、リュシアが声を上げた。
「……待って」
彼女は道の脇にある木へ近づいた。
「この木、誰かが印をつけてる」
幹には小さな矢印が刻まれていた。
ミナが覗き込む。
「……道案内でしょうか?」
「たぶん」
リュシアは周囲の木々を見渡した。
「向こうにも同じ印があるよ」
ガイアが頷いた。
「……修練院へ続く道かもしれないな」
レオは微笑んだ。
「助かったよ、リュシア」
「えへへ。森の中なら、こういうのを見つけるのは得意だから」
カイが笑った。
「頼りになるじゃねえか」
一行は木々に刻まれた印を辿り、さらに山道を進んだ。
やがて、岩壁に囲まれた広い平地へ到着した。
そこには古い石造りの建物が建っていた。
周囲には訓練用の木人形や、使い込まれた武器が並んでいる。
「……ここが」
レオが呟いた。
建物の入口には、風化した文字で『灰峰修練院』と刻まれていた。
「……着いたみたいだな」
カイが笑った。
しかし、敷地内に人の姿は見当たらなかった。
ミナが不安そうに尋ねる。
「……誰もいないんでしょうか?」
ガイアは建物を見つめた。
「……いや」
彼は静かに続けた。
「誰かいる」
その時、建物の奥から一人の老人が姿を現した。
白髪交じりの短い髪。
深い皺が刻まれた顔。
年老いているにもかかわらず、その背筋は真っ直ぐに伸びていた。
老人はレオたちを見渡した。
「……何の用だ?」
レオが一歩前へ出た。
「俺たちは、修行をするためにここへ来ました」
老人は眉を動かした。
「……修行?」
「はい」
「誰に聞いて来た?」
「町の案内所で、グレンさんという方がいると聞きました」
老人は小さく息を吐いた。
「……俺がグレン・ヴァルディスだ」
カイが目を輝かせた。
「じゃあ、あんたがここの師匠か!」
グレンはカイを見た。
「……師匠と呼ばれる筋合いはない」
「え?」
「俺は、ただこの場所を管理しているだけだ」
レオが尋ねた。
「それでも、修行させてもらうことはできますか?」
グレンは答えなかった。
代わりに、一行を順番に見つめた。
剣を持つカイ。
杖を携えたミナ。
弓を背負うリュシア。
そして、レオとガイア、白き守護者。
「……妙な組み合わせだな」
ガイアが静かに答えた。
「……よく言われる」
グレンはガイアを見つめた。
「……お前、生きた人間ではないな」
その言葉に、レオは驚いた。
「……分かるんですか?」
「長く生きていれば、多少はな」
グレンは再びレオを見た。
「……お前が術者か?」
レオは頷いた。
「はい。ネクロマンサーです」
グレンはしばらく黙っていた。
やがて、口を開いた。
「……何のために強くなりたい?」
レオは答えた。
「大切な人たちを守るためです」
「……それだけか?」
「……え?」
グレンは腕を組んだ。
「守りたいと言う者は多い。だが、何から、どう守るのかを考えている者は少ない」
レオは言葉を詰まらせた。
グレンは続けた。
「強い力を手に入れれば、誰でも守れると思っているのか?」
「……いいえ」
レオは首を振った。
「力だけでは守れないこともあると、今回の旅で知りました」
「……ほう」
「だから、力の使い方を学びたいんです」
グレンはレオを見つめた。
「……なるほどな」
カイが一歩前へ出た。
「俺も修行したい。もっと剣を強くしたいんだ」
グレンはカイの腰にある剣を見た。
「……ならば、少し試してみるか」
カイが笑った。
「望むところだ!」
グレンは近くに置かれていた木剣を一本手に取った。
「真剣は使うな。そこの木剣を持て」
カイは訓練用の木剣を手にした。
レオたちは少し離れた場所へ移動した。
グレンは木剣を片手で構えた。
「……いつでも来い」
カイは真剣な表情になった。
「……後悔するなよ」
彼は地面を蹴り、グレンへ向かって踏み込んだ。
鋭い一撃が老人の肩を狙う。
しかし、グレンはわずかに身体を傾けただけで、その攻撃を避けた。
「……なっ!」
カイが驚く。
次の瞬間、グレンの木剣がカイの胸元で止まっていた。
「……終わりだ」
カイは目を見開いた。
「……今、何をした?」
グレンは木剣を下ろした。
「お前は、攻撃することしか考えていなかった」
「……そんなこと」
「相手の動きを見ず、自分の技を当てることだけを考えていた」
カイは何も言い返せなかった。
グレンは続けた。
「速さも力も悪くない。だが、それだけでは格上の相手には通用せん」
レオは驚いた表情で見つめていた。
カイの剣を、これほど簡単に止める人物は珍しい。
ガイアが静かに呟いた。
「……相当な使い手だな」
グレンは木剣を元の場所へ戻した。
「……今日は帰れ」
レオが顔を上げた。
「……え?」
「お前たちを指導するとは言っていない」
カイが声を上げた。
「ちょっと待てよ!」
「何だ?」
「今の一回だけで終わりかよ!」
グレンは振り向いた。
「……ならば、明日の朝、もう一度来い」
カイは驚いた。
「……明日?」
「ああ。ただし、次は全員だ」
レオが尋ねた。
「……全員で戦うんですか?」
グレンは首を振った。
「戦うだけが修行ではない」
彼は一行を見渡した。
「お前たちが何を学ぶべきなのか、まずは確かめる」
ミナが頷いた。
「……分かりました」
リュシアも真剣な表情を浮かべた。
「私も頑張ります」
グレンは短く答えた。
「……好きにしろ」
そう言い残し、老人は建物の中へ戻っていった。
カイは木剣を見つめたまま立ち尽くしていた。
「……くそ」
レオが声をかける。
「……カイ」
「……分かってる」
カイは顔を上げた。
「俺、完全に負けた」
ガイアが頷いた。
「……だが、学ぶものはあっただろう」
カイは少し考えた。
そして、小さく笑った。
「……ああ」
彼は修練院の建物を見つめた。
「明日は絶対、一本取ってやる」
ミナが苦笑する。
「また同じことにならないといいですけど」
「ならねえよ!」
そのやり取りを聞いて、リュシアが笑った。
レオも微笑んだ。
しかし、胸の奥には緊張があった。
明日、自分は何を試されるのだろうか。
ネクロマンサーとしての力。
仲間との連携。
そして、自分自身の弱さ。
グレンという老人が、何を見ようとしているのかは分からない。
それでも、ここには今の自分たちに必要な何かがある。
レオは静かに拳を握った。
「……明日からが本番だな」
ガイアが頷いた。
「……ああ。まずは自分の限界を知ることだ」
六人は修練院を後にし、山道の途中にある旅人用の休憩小屋へ向かった。
翌朝、彼らを待つ試練が、これからの戦い方を大きく変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
――第182話・完――




