第176話「禁じられた石板へ」
エルフェリア大森林。
エルフ族の集落。
第三監視地点での戦いから一夜が明けた。
レオたちは長老エルディンの屋敷に集まっていた。
机の上には、封鎖領域の古い地図が広げられている。
「……全員、揃ったな」
エルディンが口を開いた。
レオは頷いた。
「はい」
「昨日の防衛戦については、フェルンから報告を受けた」
エルディンは一同を見渡した。
「魔物たちを殺さずに退けたそうだな」
カイが肩をすくめた。
「……退けたっていうより、森の奥へ帰ってもらっただけだけどな」
「それでも、集落への被害を防いだことに変わりはない」
エルディンは静かに答えた。
リュシアが尋ねた。
「……あの子たちは?」
フェルンが答える。
「東側の巡回路で監視を続けている。今のところ、集落へ戻る動きはない」
「……よかった」
リュシアは胸を撫で下ろした。
しかし、フェルンは続けた。
「ただし、侵食は止まっていない」
部屋に沈黙が広がった。
エルディンは地図へ目を落とした。
「だからこそ、これ以上調査を先延ばしにはできぬ」
レオは顔を上げた。
「……四つ目の補助石板ですね」
「ああ」
エルディンは頷いた。
「評議会の決定に従い、封鎖領域への限定的な立ち入りを認める」
フェルンが地図の一角を指差した。
「ここが封鎖領域の入口だ」
そこには、森の奥へ続く細い道が描かれていた。
「百年前までは、精霊術師たちが管理していた場所だ。しかし、異変が起きてからは封鎖されている」
ミナが尋ねた。
「……以前、聞いた声のことですか?」
フェルンは頷いた。
「そうだ。死んだ家族や知人の声を聞いた者がいた」
ガイアが腕を組んだ。
「……記憶を辿って、声を真似る存在」
レオは静かに頷いた。
「……絶対に返事をしない方がいい」
エルディンが口を開いた。
「その通りだ」
彼は古い記録書を開いた。
「百年前、封鎖領域へ入った精霊術師たちは、声に応じたことで意識を失った」
リュシアが眉をひそめる。
「……どうして?」
「分からぬ」
エルディンは首を振った。
「だが、記録にはこう残されている」
老人はゆっくりと読み上げた。
「『声に応じれば、記憶の道が開かれる。決して、その道を完成させてはならない』」
レオは拳を握った。
「……記憶の道」
ガイアが静かに呟いた。
「……何かを繋ぐための仕組みなのかもしれないな」
エルディンは頷いた。
「可能性はある。しかし、確かめようとして声に応じることは許されぬ」
「……それと、もう一つ」
フェルンが口を開いた。
「今回の調査には、厳しい条件がある」
カイが尋ねた。
「……何だ?」
「四つ目の補助石板より奥へは進まない」
フェルンは全員を見渡した。
「異常が発生した場合は、直ちに撤退する」
レオは頷いた。
「……分かっています」
「そして、調査中の指揮は私が執る」
リュシアが少し驚いた表情を浮かべた。
「……フェルンが?」
「ああ。評議会から正式に任された」
フェルンは答えた。
「お前たちの力を疑っているわけではない。だが、この森で何かが起きれば、責任を負うのは我々だ」
ガイアが頷いた。
「……当然だな」
カイも肩をすくめた。
「……了解」
ミナは静かに答えた。
「私たちも協力します」
フェルンは頷いた。
「頼む」
出発前。
レオは屋敷の庭で、白き守護者と向き合っていた。
彼女は木陰に立ち、遠くの森を見つめている。
「……昨日はありがとう」
レオが声をかけた。
白き守護者は振り向いた。
「結界を守ってくれたおかげで、みんな無事だった」
彼女は小さく首を振った。
レオは苦笑した。
「……でも、無理してただろ?」
白き守護者は何も答えなかった。
「……今日は、危険だと思ったらすぐに教えてほしい」
彼女は静かに頷いた。
レオは続けた。
「ヴァルドのことも、無理に思い出さなくていい」
その言葉に、白き守護者の瞳がわずかに揺れた。
「……俺は、過去を知りたい」
レオは静かに言った。
「でも、それより今、一緒にいる仲間の方が大切だから」
白き守護者はゆっくりと手を伸ばした。
そして、レオの手にそっと触れた。
淡い白い光が二人の間に広がる。
しかし、以前のように記憶が流れ込むことはなかった。
ただ、穏やかな温もりだけが残った。
しばらくして。
レオたちは封鎖領域の入口へ到着した。
そこには、古い石柱が二本立っていた。
石柱の間には、薄い緑色の結界が張られている。
「……ここが」
ミナが呟いた。
リュシアは静かに頷いた。
「……封鎖領域」
フェルンは石柱へ近づいた。
「これより先は、百年間、正式な調査が行われていない」
カイが眉をひそめる。
「……誰も入ってないのか?」
「少なくとも、評議会が許可した調査隊はな」
フェルンは答えた。
ガイアが石柱を見つめた。
「……古い術式だ」
レオも近づいた。
石柱には、三つの円が重なる紋様が刻まれている。
「……これ」
リュシアが頷いた。
「四つ目の石板にあった紋様と似てる」
レオは静かに呟いた。
「……均衡」
その瞬間、白き守護者が顔を上げた。
彼女は石柱へ手を伸ばした。
しかし、触れる直前で動きを止めた。
ガイアが尋ねた。
「……何か感じるのか?」
白き守護者は頷いた。
そして、石柱の奥を指差した。
レオはその方向を見つめた。
「……奥に何かある?」
彼女は再び頷いた。
フェルンは通信石を取り出した。
「……封鎖結界を解除する」
彼が術式を唱えると、石柱の紋様が淡く輝いた。
緑色の結界がゆっくりと薄くなっていく。
やがて、二本の石柱の間に道が現れた。
「……進むぞ」
フェルンが先頭に立った。
その後ろをレオたちが続く。
封鎖領域の内部は、外側の森とは明らかに違っていた。
木々は大きく、地面には古い根が複雑に絡み合っている。
しかし、葉の色は薄く、精霊の気配もほとんど感じられない。
「……何だか、寂しい場所ですね」
ミナが呟いた。
リュシアは頷いた。
「……昔は、もっと綺麗だったって聞いてる」
カイが周囲を見渡した。
「……魔物の気配は?」
ガイアが答えた。
「……今のところない」
フェルンは足を止めた。
「……ここから先は、慎重に進む」
レオは頷いた。
「……はい」
その時。
森の奥から、かすかな声が聞こえた。
『……レオ』
レオは足を止めた。
「……!」
ガイアがすぐに振り向く。
「……聞こえたか?」
レオは頷いた。
「……俺の名前を」
ミナが息を呑んだ。
「……まさか」
フェルンが険しい表情になる。
「……声に応じるな」
レオは拳を握った。
「……分かっています」
しかし、声は再び聞こえた。
『……待っていた』
その声は、どこか懐かしく、優しい響きを持っていた。
レオは目を閉じた。
「……惑わされるな」
自分へ言い聞かせるように呟いた。
ガイアが隣へ立った。
「……俺たちは、ここにいる」
レオは頷いた。
「……ああ」
白き守護者は静かに森の奥を見つめていた。
その瞳には、悲しみに似た感情が浮かんでいた。
フェルンが口を開く。
「……進むぞ」
一行は再び歩き始めた。
その先には、三百年前にヴァルドが設置した四つ目の補助石板が眠っている。
そして、黒い侵食の流れを変えるための手掛かりも、そこにあるかもしれなかった。
――第176話・完――




