第175話「守るための選択」
エルフェリア大森林。
第三監視地点、第二防衛線。
緑色の結界を挟み、レオたちは黒い侵食を受けた魔物たちと向き合っていた。
牙狼の長を含む三頭の牙狼。
そして、二頭の森猪。
五頭の魔物は結界の外側を歩き回り、時折、苦しそうに身体を震わせている。
「……状況は?」
フェルンが兵士へ尋ねた。
「結界は維持できています。しかし、魔力の消費が予想以上に早く……」
「どのくらい持つ?」
「このままでは、一時間も持ちません」
フェルンは険しい表情になった。
「……そうか」
レオは結界を見つめた。
淡い緑色の光には、すでに黒い筋が浮かび始めている。
「……また侵食されてる」
ガイアが頷いた。
「結界に魔力を供給するほど、黒い力が集まっているようだ」
カイが剣を握り直した。
「……だったら、結界を張り続けるのも危ないんじゃねえか?」
「そうだな」
ガイアは答えた。
「だが、解除すれば魔物たちが集落へ進む可能性がある」
ミナは唇を噛んだ。
「……どちらを選んでも危険ですね」
レオは拳を握った。
「……何か方法があるはずだ」
その時、リュシアが静かに口を開いた。
「……一つ、試したいことがあるの」
フェルンが振り向く。
「何だ?」
「魔物たちを、森の奥へ誘導できないかな」
カイが眉をひそめた。
「……誘導?」
リュシアは頷いた。
「この子たちは、もともと森の奥に住んでいたの。だから、集落とは反対の方向へ進む道を作れば……」
ガイアが考え込む。
「……確かに、結界で閉じ込めるよりは負担が少ないかもしれない」
フェルンは首を振った。
「しかし、誘導するには誰かが近づく必要がある」
「……私がやる」
リュシアが答えた。
「駄目だ」
フェルンは即座に言った。
「危険すぎる」
リュシアは俯いた。
「……でも」
レオが口を開いた。
「リュシア一人でやる必要はない」
全員が彼を見た。
「俺たちで、道を作ろう」
レオは地図を広げた。
「……ここを見て」
彼が指差したのは、第二防衛線の東側にある古い巡回路だった。
「この道は、森の奥へ続いてるんだよな?」
リュシアが頷いた。
「うん。今はほとんど使われてないけど、牙狼たちの縄張りに近い場所へ繋がってる」
「だったら、この道へ誘導する」
カイが尋ねた。
「……どうやって?」
レオは答えた。
「結界を全部解除するんじゃなくて、東側だけ通れるようにするんだ」
ガイアが頷いた。
「……魔物たちに逃げ道を作るわけか」
「そう」
レオは続けた。
「カイとミナには、直接攻撃せずに進路を制限してほしい」
カイが笑った。
「……なるほどな」
ミナも頷いた。
「……分かりました」
フェルンは地図を見つめた。
「……確かに、集落から遠ざけることはできるかもしれない」
しかし、彼は続けた。
「だが、森の奥へ戻せば、侵食をさらに広げる可能性がある」
レオは頷いた。
「……分かっています」
「ならば、どうする?」
レオは少し考えた。
「……誘導先の巡回路に、監視隊の結界を設置する」
フェルンが目を細めた。
「……魔力の流れを抑える結界か」
「はい。完全には止められなくても、広がる速度を落とせるはずです」
ガイアが頷いた。
「……時間を稼ぐ方法としては悪くない」
フェルンは深く息を吐いた。
「……分かった。試してみよう」
しばらくして。
監視隊の兵士たちは、東側の巡回路に結界石を配置した。
魔物たちが通る道を限定するため、左右には薄い結界が張られている。
フェルンが全員を見渡した。
「……準備はいいか?」
カイが剣を構えた。
「いつでも」
ミナも杖を握った。
「大丈夫です」
リュシアは弓を持ち直した。
「……私も」
レオは白き守護者を見た。
「……無理はしなくていい」
彼女は小さく頷いた。
ガイアが静かに口を開く。
「……では、始めよう」
フェルンは通信石を握った。
「第二防衛線、東側の結界を解除せよ」
緑色の光がゆっくりと薄くなっていく。
その先には、森の奥へ続く道が開かれていた。
最初に動いたのは、一頭の森猪だった。
黒く変色した巨体が、開かれた道へ向かって進み始める。
「……よし」
カイが呟いた。
しかし、もう一頭の森猪は集落側へ顔を向けた。
「……そっちは駄目だ!」
カイが前へ出た。
「《裂空斬》!」
斬撃が地面を削り、森猪の進路を塞いだ。
森猪は足を止め、反対方向へ向き直った。
ミナが杖を振る。
「《フレイム・サークル》!」
炎が円を描き、集落側への道を遮った。
森猪は炎を避けながら、東側の巡回路へ進み始めた。
「……いい感じです!」
ミナが声を上げた。
フェルンは頷いた。
「……このまま続けろ」
しかし、牙狼たちは動かなかった。
三頭とも、結界の前で立ち止まっている。
リュシアが静かに声をかけた。
「……ねえ」
牙狼の長が顔を上げた。
「……そっちへ行こう」
リュシアは東側の巡回路を指差した。
「あなたたちの森へ戻れる道だよ」
牙狼の長は彼女を見つめた。
その赤黒い瞳が、わずかに揺れる。
「……お願い」
リュシアは続けた。
「私たちは、あなたたちを傷つけたくない」
レオは黙って見守った。
しばらくして、牙狼の長がゆっくりと歩き始めた。
「……動いた」
ミナが呟いた。
しかし、その直後。
牙狼の長が突然、集落側へ向き直った。
「……まずい!」
フェルンが叫んだ。
巨大な牙狼が地面を蹴る。
レオは咄嗟に右手を伸ばした。
「《死者の鎖》!」
紫色の鎖が近くの木へ巻きつく。
レオはその鎖を引き、倒れかけた幹を牙狼の進路へ移動させた。
牙狼は足を止めた。
その隙にガイアが前へ出る。
「……こちらだ」
ガイアは牙狼の長の視線を引きつけながら、東側へ移動した。
牙狼の長は彼を追い始めた。
「……ガイア!」
レオが叫ぶ。
「大丈夫だ。距離は保っている」
ガイアは答えた。
東側の巡回路。
二頭の森猪は、すでに森の奥へ進んでいた。
残る牙狼たちも、少しずつ移動を始めている。
しかし、牙狼の長だけは何度も足を止め、集落側を振り返っていた。
「……何かに引っ張られてるみたい」
リュシアが呟いた。
ガイアが頷いた。
「……黒い魔力の流れが、集落側へ向かっている」
レオは息を呑んだ。
「……だから、戻ろうとしてるのか」
フェルンが険しい表情になる。
「……結界の魔力に引き寄せられている可能性があるな」
レオは考え込んだ。
「……だったら」
彼はフェルンを見た。
「集落側の結界への魔力供給を、一時的に弱められませんか?」
フェルンは驚いた。
「……何?」
「黒い力が魔力に引き寄せられてるなら、供給を弱めれば」
ガイアが頷いた。
「……誘導しやすくなるかもしれない」
フェルンは少し考えた。
「……分かった。ただし、短時間だけだ」
彼は通信石を握った。
「集落側の結界、魔力供給を半分に落とせ」
『了解しました』
緑色の光が弱まった。
すると、牙狼の長の動きが変わった。
集落側を見つめていた顔が、ゆっくりと東側へ向く。
「……今だ」
リュシアが静かに声をかけた。
「……帰ろう」
牙狼の長は彼女を見つめた。
そして、ゆっくりと森の奥へ歩き始めた。
夕方。
五頭の魔物は、すべて東側の巡回路へ移動した。
監視隊は一定の距離を保ちながら、その動きを追っている。
フェルンは深く息を吐いた。
「……何とか、集落への侵入は防げたな」
カイが剣を収めた。
「……疲れた」
ミナが小さく笑った。
「でも、誰も大きな怪我をしなくてよかったです」
リュシアは森の奥を見つめていた。
「……あの子たち、助かるかな」
レオは隣へ立った。
「……まだ分からない」
彼は正直に答えた。
「でも、助ける方法を探す時間は作れた」
リュシアは頷いた。
「……うん」
ガイアが静かに口を開いた。
「……ただし、これで終わりではない」
フェルンも頷いた。
「……ああ。侵食の原因は、まだ残っている」
レオは森の奥へ視線を向けた。
封鎖領域。
四つ目の補助石板。
そこでは今も、黒い魔力が逆流し続けている。
「……次は、石板を調べよう」
レオが呟いた。
白き守護者は、その言葉に静かに頷いた。
森を守るための戦いは、まだ終わっていなかった。
――第175話・完――




