第173話「迫り来る黒き群れ」
エルフェリア大森林。
第三監視地点。
弱まった結界の前で、フェルンは監視隊の報告を聞いていた。
「……南側の巡回路で、複数の魔物を確認しました」
兵士の言葉に、フェルンの表情が険しくなる。
「数は?」
「少なくとも六頭です。牙狼だけでなく、森猪も混じっています」
「……森猪まで侵食されたのか」
レオは顔を上げた。
「森猪って、どんな魔物なんですか?」
リュシアが答えた。
「森の奥に住む大きな猪だよ。普段は人を避けるけど、興奮すると木を倒すほどの力があるの」
カイが腕を組んだ。
「……そいつまで黒くなってるってことか」
兵士は頷いた。
「はい。身体の一部が黒く変色していました」
ガイアが静かに口を開いた。
「……侵食は、牙狼の群れだけに留まらなくなっている」
フェルンは通信石を握った。
「各監視地点へ通達。南側の防衛線を強化しろ。住民の避難準備も進めるんだ」
『了解しました』
通信石から返答が届いた。
レオは森の奥を見つめた。
「……もう、時間がないな」
昼過ぎ。
第三監視地点の周囲には、監視隊の兵士たちが集まっていた。
地面には新たな結界石が配置され、木々の間には弓兵が待機している。
ミナが周囲を見渡した。
「……かなり大勢いますね」
フェルンが頷いた。
「集落に近い防衛線だからな。ここを突破されるわけにはいかない」
カイが剣を抜いた。
「……俺たちは、どこを守ればいい?」
「中央の巡回路だ」
フェルンは地図を指差した。
「ここは道幅が広い。大型の魔物が通りやすい」
ガイアが尋ねた。
「……両側の森は?」
「弓兵が監視する。異常があればすぐに知らせる」
レオは頷いた。
「……分かりました」
リュシアは弓を握り直した。
「……絶対に、ここで止めよう」
フェルンは彼女を見た。
「無理はするな」
「……分かってる」
やがて、森の奥から重い足音が聞こえ始めた。
カイが顔を上げる。
「……来たな」
木々の間に、赤黒い光が浮かび上がる。
一頭。
二頭。
そして、三頭目。
黒く変色した牙狼たちが姿を現した。
その後方には、巨大な森猪が二頭続いている。
「……五頭」
フェルンが呟いた。
しかし、リュシアが首を振った。
「……まだいる」
さらに奥から、もう一頭の牙狼が現れた。
額には、古い傷跡が残っている。
レオは息を呑んだ。
「……群れの長だ」
カイが剣を握り直した。
「……また会ったな」
牙狼の長は、こちらを見つめた。
その身体からは、以前よりも濃い黒い魔力が溢れている。
ガイアが目を細めた。
「……侵食が進んでいる」
レオは拳を握った。
「……早く助けないと」
「……全員、構え!」
フェルンの指示で、弓兵たちが弓を引いた。
しかし、彼は続けた。
「こちらから攻撃するな! まずは結界で進路を止める!」
結界石が淡い緑色の光を放つ。
木々の間に、薄い壁が広がった。
牙狼たちは足を止めた。
だが、二頭の森猪はそのまま突進してきた。
「……まずい!」
カイが叫んだ。
巨大な身体が結界へ衝突する。
緑色の光が大きく揺れた。
「……持ちこたえろ!」
フェルンが兵士たちへ指示を出す。
しかし、森猪は何度も結界へ身体を押しつけた。
そのたびに、黒い魔力が結界の表面へ広がっていく。
ミナが杖を構えた。
「……このままだと、壊れます!」
ガイアが頷いた。
「……魔力を供給し続ければ、侵食を引き込む危険がある」
レオは結界を見つめた。
「……じゃあ、どうすれば」
カイが前へ出た。
「……俺が止める!」
「カイ、待て!」
レオが叫ぶ。
しかし、カイはすでに剣を構えていた。
「……大丈夫だ。殺すつもりはねえ!」
結界の一部が開かれた。
カイは前へ飛び出した。
森猪の一頭が、彼へ向かって突進する。
「……来い!」
カイは身体を横へずらした。
森猪の巨体が通り過ぎる。
その直後、カイは剣を地面へ突き立てた。
「《裂空斬・弐》!」
鋭い斬撃が地面を走り、森猪の前方を深く削った。
森猪は足を取られ、体勢を崩した。
「……よし!」
しかし、もう一頭が横から迫っていた。
「カイさん!」
ミナが叫ぶ。
「《フレイム・ランス》!」
炎の槍が森猪の進路へ放たれる。
森猪は炎を避けようと方向を変えた。
その隙にカイが後退する。
「……助かった!」
ミナは頷いた。
「無茶しないでください!」
「分かってるって!」
一方、牙狼たちは結界の周囲を移動していた。
フェルンが眉をひそめる。
「……何をしている?」
リュシアが目を凝らした。
「……結界の弱い場所を探してる?」
ガイアが頷いた。
「……可能性はある」
レオは牙狼の長を見つめた。
他の牙狼たちは、長の動きに合わせて進路を変えている。
「……あいつが指示してるのか?」
ガイアは首を振った。
「……群れとしての習性かもしれない。だが、黒い魔力が同じ方向へ流れている」
レオは息を呑んだ。
「……じゃあ、侵食そのものが」
「……魔物たちを誘導している可能性もある」
その時、牙狼の長が足を止めた。
そして、結界の端へ向かって走り始める。
「……まずい!」
フェルンが叫んだ。
「右側の結界を守れ!」
弓兵たちが移動する。
しかし、牙狼の長はすでに結界の弱い部分へ到達していた。
巨大な前脚が振り下ろされる。
緑色の光に亀裂が走った。
「……破られる!」
レオが叫んだ。
白き守護者が前へ出た。
彼女は両手を広げ、淡い白い光を放った。
結界の亀裂を覆うように、白い膜が広がる。
牙狼の長はその光に触れた瞬間、動きを止めた。
しかし、身体から溢れる黒い魔力が白い光を押し返していく。
「……守護者!」
レオが駆け寄った。
彼女は小さく首を振った。
まるで、近づくなと伝えるように。
ガイアがレオの肩を掴んだ。
「……無理に力を流すな。逆流する危険がある」
レオは歯を食いしばった。
「……分かってる」
リュシアが弓を構えた。
「……私が、長の注意を引く」
フェルンが振り向く。
「危険だ!」
「ここから動かない!」
リュシアは答えた。
そして、牙狼の長へ向かって声を上げた。
「……お願い! こっちを見て!」
牙狼の長の耳がわずかに動いた。
「……あなたの仲間を、傷つけたくないの!」
その言葉に、牙狼の長が一瞬だけ顔を上げた。
しかし、黒い魔力は弱まらなかった。
「……フェルン隊長!」
兵士の声が響いた。
「左側の結界にも異常が!」
フェルンが振り向く。
二頭の森猪が再び動き出し、結界の別の場所へ向かっていた。
「……くそっ」
カイが剣を握り直す。
「……こっちも止めないと」
ミナが頷いた。
「……私が援護します!」
フェルンは状況を確認した。
中央には森猪。
右側には牙狼の長。
そして、残る牙狼たちも結界の周囲を移動している。
「……全員、持ち場を守れ!」
兵士たちが返事をした。
しかし、その直後。
右側の結界に、新たな亀裂が走った。
白き守護者の光が弱まる。
レオは息を呑んだ。
「……まずい」
ガイアが静かに呟いた。
「……このままでは、突破される」
フェルンは剣を抜いた。
「……ならば、ここで迎え撃つしかない」
牙狼の長が再び前脚を振り上げた。
結界の光が大きく揺れる。
そして、次の瞬間。
緑色の結界の一部が崩れ落ちた。
「……突破された!」
兵士の叫びが森に響いた。
牙狼の長は、開いた隙間へ足を踏み入れた。
その背後では、残る牙狼たちも動き始めている。
集落へ続く巡回路。
その防衛線が、ついに破られた。
――第173話・完――




