第171話「三百年前の約束」
エルフェリア大森林。
エルフ族の集落。
評議会が開かれた翌朝、レオたちは長老エルディンの屋敷へ呼ばれていた。
部屋の中央には、古びた記録書が置かれている。
「……全員、揃ったな」
エルディンが口を開いた。
レオは頷いた。
「はい。それで、話というのは?」
「昨夜、三百年前の記録を読み返していた」
エルディンは記録書を開いた。
「ヴァルドと交わした約束について、改めて話しておきたい」
その名前を聞いた瞬間、白き守護者が顔を上げた。
レオは彼女の様子に気づいた。
「……守護者?」
彼女は何も答えず、記録書を見つめている。
エルディンは静かに続けた。
「三百年前、ヴァルドはこの森を訪れ、四つの補助石板の設置に協力した」
ガイアが頷いた。
「……それは以前、聞いたな」
「ああ。だが、当時の会話には、まだ伝えていない部分がある」
カイが腕を組んだ。
「……何か重要なことか?」
エルディンは頷いた。
「今となっては、そうかもしれぬ」
エルディンは記録書の一節を指差した。
「石板の設置を終えた夜、ヴァルドは私にこう言った」
老人はゆっくりと言葉を読み上げた。
「『境界を守るのは、石でも術式でもない。そこに残された意思だ』」
レオは眉をひそめた。
「……意思?」
「私も同じことを尋ねた」
エルディンは頷いた。
「すると、ヴァルドは三つの意思について語った」
ミナが尋ねた。
「……三つというのは、石板に刻まれていた紋様のことですか?」
「おそらくな」
エルディンは記録書をめくった。
「白き守護者。黒き守護者。そして、魂を導く者」
白き守護者が静かに目を伏せた。
ガイアが口を開く。
「……三つの役割が、境界の維持に必要だったということか」
「そう考えられる」
レオは尋ねた。
「でも、黒き守護者は今、どうなっているんですか?」
エルディンは首を振った。
「分からぬ。私が最後にその存在について聞いたのは、三百年前だ」
レオは白き守護者を見た。
彼女は胸元へ手を当て、何かを思い出そうとしているようだった。
「……無理しなくていい」
レオが声をかける。
彼女は小さく頷いた。
「……ただ、一つ気になることがある」
エルディンが続けた。
「ヴァルドは、三つの意思が揃わなくなった時のことも話していた」
フェルンが尋ねた。
「……何と?」
エルディンは記録書を見つめた。
「『一つが失われれば、残る二つが支える。二つが失われれば、最後の一つが境界を繋ぎ止める』」
部屋に沈黙が広がった。
ガイアが静かに呟いた。
「……最後の一つ」
レオは白き守護者を見た。
「……まさか」
エルディンは首を振った。
「誰が最後まで残ったのか、私には分からぬ」
白き守護者はゆっくりと顔を上げた。
そして、レオへ手を伸ばした。
「……どうした?」
彼女はレオの胸元にある『魂導秘録』を指差した。
レオは本を取り出した。
その瞬間、表紙に刻まれた紋様が淡く輝き始めた。
「……反応してる」
ミナが呟いた。
レオは慎重に本を開いた。
すると、何も書かれていなかったページに文字が浮かび上がった。
『三つの意思は、三つの命にあらず』
レオは息を呑んだ。
「……三つの命じゃない?」
続いて、別の文字が現れた。
『守る者、抗う者、導く者』
『その役割は、意思によって受け継がれる』
ガイアが目を細めた。
「……役割を受け継ぐ?」
エルディンも驚いた表情を浮かべた。
「……この文章は、初めて見る」
レオは本を見つめた。
「……じゃあ、三百年前と同じ三人が揃わなくても」
ガイアが頷いた。
「……境界を守る意思を持つ者が、その役割を担える可能性がある」
しかし、エルディンは慎重に答えた。
「そう読める。だが、誰に何ができるのかまでは分からぬ」
その時、白き守護者が突然、両手で頭を押さえた。
「……守護者!?」
レオが駆け寄った。
彼女の身体を淡い白い光が包む。
そして、その光がレオの手に触れた瞬間。
彼の意識に、断片的な光景が流れ込んできた。
古い石板。
白い光に包まれた森。
そして、黒い外套を纏った人物。
その人物の前には、一人の男が立っていた。
「……ヴァルド?」
レオは思わず呟いた。
男は石板へ手を伸ばしている。
その背後には、白き守護者の姿があった。
『……覚えておけ』
ヴァルドの声が聞こえた。
『境界を守るとは、すべてを閉ざすことではない』
黒い外套の人物が、何かを答えた。
しかし、その声は聞き取れなかった。
ヴァルドは続けた。
『いつか、私たちの知らぬ者がここへ辿り着くだろう』
その言葉と共に、光景が途切れた。
「……レオ!」
カイの声が聞こえた。
レオは我に返った。
目の前には、心配そうな仲間たちがいる。
「……大丈夫か?」
ガイアが尋ねた。
レオはゆっくりと頷いた。
「……ああ」
白き守護者は床に膝をついていた。
ミナが彼女を支えている。
「……今、何が見えた?」
エルディンが尋ねた。
レオは見たものを説明した。
石板の前に立つヴァルド。
黒い外套の人物。
そして、境界について語られた言葉。
エルディンは静かに目を閉じた。
「……やはり、あの時の記憶か」
レオが顔を上げる。
「……知っているんですか?」
「以前、守護者が見せた断片と同じ場面なのだろう」
エルディンは答えた。
「だが、黒い外套の人物が誰なのか、私にも分からぬ」
ガイアが口を開く。
「……敵だったとは限らないな」
「ああ」
エルディンは頷いた。
「ヴァルドがその人物と何を話していたのか。それが重要なのかもしれぬ」
レオは白き守護者を見た。
「……ありがとう」
彼女は小さく首を振った。
まるで、まだ何も伝えられていないと言いたげだった。
しばらくして。
エルディンは記録書を閉じた。
「……今日の話は、ここまでにしよう」
フェルンが尋ねた。
「封鎖領域への調査は?」
「予定通り準備を進める。ただし、守護者には休息が必要だ」
レオも頷いた。
「……そうですね」
エルディンは続けた。
「それと、もう一つ」
全員が老人を見た。
「ヴァルドは、別れ際に私へ一つだけ頼み事をした」
リュシアが尋ねる。
「……何を?」
エルディンは静かに答えた。
「『もし白き守護者が戻ってきたら、彼女が選んだ者を信じてほしい』と」
レオは息を呑んだ。
「……俺のことですか?」
「それは分からぬ」
エルディンは首を振った。
「だが、守護者がお前と共にここへ来たことには、意味があるのかもしれぬ」
白き守護者はレオの隣で静かに頷いた。
レオは彼女を見つめた。
「……分かった」
そして、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、ヴァルドと同じことができるか分からない」
ガイアが静かに彼を見た。
「でも、誰かの意思を奪ってまで境界を守るつもりはない」
レオは続けた。
「守護者も、ガイアも、リュシアたちも。みんなが自分で選べるようにしたい」
エルディンは穏やかに頷いた。
「……それでよい」
窓の外には、深い森が広がっていた。
三百年前に交わされた約束。
白き守護者が守り続けてきた記憶。
そして、まだ正体の分からない黒い外套の人物。
そのすべてが、四つ目の補助石板へ繋がっているのかもしれなかった。
だが、答えを知るためには、封鎖領域の奥へ進まなければならない。
レオは『魂導秘録』を閉じた。
「……必ず、確かめよう」
白き守護者は、その言葉に静かに頷いた。
――第171話・完――




