第170話「森の評議会」
エルフェリア大森林。
エルフ族の集落。
朝日が巨大な樹木の枝葉を照らす中、七人の評議員が円形の議場に集まっていた。
中央には、エルディンが立っている。
その傍らにはフェルンとリュシア、そしてレオたち五人の姿があった。
「……全員、揃ったな」
エルディンの言葉に、評議員たちが頷いた。
「これより、封鎖領域に関する臨時評議会を始める」
議場に静寂が訪れた。
最初に口を開いたのは、年配の男性評議員だった。
「長老。報告書は確認しました。しかし、状況は想像以上に深刻なようですな」
エルディンは頷いた。
「黒い侵食は、封鎖領域の外側へ広がり始めている」
「原因は判明したのですか?」
「完全には分かっておらぬ」
エルディンは机の上へ地図を広げた。
「だが、四つ目の補助石板が深く関係していることは確かだ」
レオは地図を見つめた。
赤い印が付けられた場所は、以前よりも増えていた。
「……長老」
一人の女性評議員が口を開いた。
「封鎖領域への立ち入りを認めるおつもりですか?」
エルディンは頷いた。
「その必要性を、ここで議論したい」
「私は反対です」
女性評議員は即座に答えた。
「百年前、あの場所で何が起きたか、お忘れではないでしょう」
「忘れてはおらぬ」
「精霊術師たちは声に誘われ、意識を失いました。今は当時よりも危険な状態です」
別の評議員も頷いた。
「侵入者を増やせば、被害が拡大する可能性があります」
フェルンが口を開いた。
「……しかし、現状の封鎖だけでは侵食を止められません」
評議員たちの視線が彼へ集まった。
「監視隊は六か所で結界を設置しました。ですが、魔力の流れが強い場所では、侵食を抑えきれていません」
男性評議員が尋ねた。
「……それほど深刻なのか?」
「はい。このままでは、集落に近い巡回路まで影響が及ぶ可能性があります」
議場に重い沈黙が流れた。
「……発言してもいいですか?」
レオが手を上げた。
エルディンは頷いた。
「構わぬ」
レオは一歩前へ出た。
「俺たちは、四つ目の石板を観測しました」
彼はこれまでの調査結果を説明した。
四つ目の石板から伸びる二本の魔力の流れ。
森の奥へ送り続けられている白い力。
そして、その流れを逆方向へ辿る黒い侵食。
「……つまり、石板が侵食を生み出しているとは限らないんです」
レオは続けた。
「むしろ、何かを防ごうとしている可能性があります」
女性評議員が眉をひそめた。
「……それは推測でしょう?」
「はい」
レオは素直に認めた。
「まだ証拠は足りません」
「ならば、危険を冒してまで調査する理由にはなりません」
レオは首を振った。
「でも、何も調べなければ、森の侵食は止まらないかもしれません」
女性評議員は黙り込んだ。
ガイアが静かに口を開いた。
「……我々も、危険を軽く考えているわけではない」
評議員たちが彼を見た。
「百年前の記録にあった声は、他者の記憶を利用して呼びかけていた」
ガイアは続けた。
「その声に応じれば、何が起こるか分からない。だからこそ、直接接触する前に対策を整える必要がある」
男性評議員が尋ねた。
「……具体的には?」
「調査範囲を限定することだ。まずは四つ目の石板まで。それ以上は進まない」
レオも頷いた。
「俺たちも、その条件で構いません」
「……私は、賛成します」
リュシアが口を開いた。
フェルンが振り向く。
「リュシア……」
彼女は評議員たちを見渡した。
「森の牙狼たちが、黒い侵食に苦しんでいます」
リュシアの声には、強い思いが込められていた。
「本来、あの子たちは私たちを襲うような魔物じゃありません」
女性評議員が尋ねた。
「……だから、危険な場所へ入るというの?」
「はい」
リュシアは頷いた。
「もちろん、危険なのは分かっています。でも、何もしなければ、もっと多くの命が苦しむことになります」
フェルンは黙って彼女を見つめていた。
「私は、この森を守りたいんです」
その言葉に、エルディンは静かに目を閉じた。
しばらくの議論の後。
エルディンが立ち上がった。
「……では、採決を行う」
七人の評議員たちが姿勢を正した。
「議題は、四つ目の補助石板までの限定的な立ち入り許可」
エルディンは続けた。
「条件は三つ」
「第一に、調査範囲は石板周辺に限定する」
「第二に、監視隊の指揮下で行動する」
「第三に、異常が発生した場合は即座に撤退する」
評議員たちは頷いた。
「……賛成する者は、手を上げよ」
一人。
二人。
三人。
四人。
そして、五人目の手が上がった。
「……賛成五、反対二」
エルディンが告げた。
「限定的な立ち入りを認める」
レオは息を吐いた。
「……ありがとうございます」
しかし、エルディンは続けた。
「ただし、明日すぐに入るわけではない」
レオが顔を上げる。
「……え?」
「まずは、百年前の記録を再確認し、必要な準備を整える」
フェルンが頷いた。
「……当然です」
エルディンはレオたちを見た。
「お前たちにも、準備を手伝ってもらう」
「分かりました」
評議会が終わった後。
レオたちは議場の外へ出た。
カイが大きく息を吐いた。
「……ようやく、進めそうだな」
ミナが頷く。
「でも、危険な場所なのは変わりませんね」
ガイアが口を開いた。
「……ああ。慎重に行動する必要がある」
リュシアは森の奥を見つめていた。
レオが声をかける。
「……リュシア?」
「……何?」
「大丈夫か?」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「……うん」
そして、続けた。
「……でも、少し怖い」
レオは頷いた。
「俺もだよ」
リュシアが驚いたように振り向く。
「……レオも?」
「ああ。何が待ってるか分からないからな」
レオは森の奥を見つめた。
「でも、一人じゃない」
リュシアは静かに頷いた。
「……うん」
その夜。
エルディンは一人、古い書庫を訪れていた。
棚の奥から、一冊の記録書を取り出す。
それは、三百年前にヴァルドと交わした約束について記されたものだった。
「……ヴァルド」
エルディンは静かに呟いた。
「お前が残したものを、今度こそ守らねばならぬ」
記録書の最後には、短い文章が残されていた。
『白き守護者が再び森へ戻る時、古き石板へ導け』
エルディンはその文字を見つめた。
そして、ゆっくりとページをめくる。
そこには、さらに一つの言葉が記されていた。
『境界が揺らぐ時、三つの意思を忘れるな』
老人は深く息を吐いた。
「……三つの意思」
その意味を、彼はまだ完全には理解していなかった。
しかし、レオと白き守護者が森へ現れたことは、偶然ではないのかもしれない。
エルディンは記録書を閉じた。
「……明日、もう一度確かめよう」
窓の外では、深い森が静かに広がっていた。
黒い侵食は、今もその奥で広がり続けている。
そして、三百年前に交わされた約束が、再び動き始めようとしていた。
――第170話・完――




