第165話「黒き流れの行方」
エルフェリア大森林。
早朝。
監視隊の連絡所では、エルディンが古い設計図を確認していた。
机の上には、三百年前にヴァルドと共に作った補助石板の記録が広げられている。
「……準備は整ったか?」
エルディンが尋ねた。
フェルンは頷いた。
「はい。観測術式の周囲に、監視隊を配置しました」
「結界に異常が起きた場合は?」
「直ちに調査を中止し、全員を退避させます」
「よろしい」
レオは二人のやり取りを聞きながら、設計図を見つめていた。
四つ目の補助石板。
隔絶の印。
そして、石板から森の奥へ伸びる、もう一本の魔力の流れ。
昨日の調査では、その役割を完全に解明することはできなかった。
「……今日は、どこまで調べるんですか?」
レオが尋ねた。
エルディンは答えた。
「まずは、四つ目の石板から伸びる魔力の行き先を確かめる」
ガイアが口を開く。
「……その先に、侵食の原因がある可能性もあるな」
「ああ。だが、何が見つかっても結界の内側へは入らぬ」
エルディンは全員を見渡した。
「それだけは守ってもらう」
レオは頷いた。
「分かりました」
森の奥へ進むと、以前よりも多くの木々が変色していた。
灰色になった葉が枝に残り、地面には黒い筋が伸びている。
リュシアが立ち止まった。
「……ここまで来てる」
ミナが周囲を見渡す。
「昨日より、広がっていますね」
フェルンは険しい顔で頷いた。
「監視隊からも同じ報告が届いている」
カイが尋ねた。
「森の外までは、まだ広がってないんだよな?」
「今のところはな」
フェルンは答えた。
「だが、このままでは時間の問題かもしれない」
リュシアは唇を噛んだ。
「……早く何とかしないと」
レオは彼女を見た。
「焦る気持ちは分かる。でも、無理に動いたら危険だ」
「……うん」
リュシアは頷いた。
「分かってる」
その言葉とは裏腹に、彼女の表情には強い不安が浮かんでいた。
古い結界の前。
エルディンは石柱に杖を向けた。
「……始めるぞ」
淡い緑色の光が広がり、観測術式が起動する。
空中に四つの補助石板を示す紋様が浮かび上がった。
三つの石板は、弱いながらも安定した光を放っている。
しかし、四つ目の石板だけは黒い筋に覆われていた。
「……昨日より悪くなってる」
レオが呟いた。
ガイアは頷いた。
「……黒い力の流入が増えているようだ」
エルディンは杖を動かした。
「今日は、魔力の流れをさらに詳しく映し出す」
術式図がゆっくりと変化した。
四つ目の石板から伸びる二本の線。
一本は森の中央へ。
もう一本は、封鎖領域のさらに奥へ向かっていた。
「……あれだ」
レオが指差した。
エルディンは頷いた。
「この先を調べる」
緑色の光が、奥へ伸びる線を辿り始めた。
しかし、途中で黒い影が浮かび上がる。
「……何だ?」
カイが眉をひそめた。
ガイアが目を細める。
「……黒い魔力が、流れを覆っている」
エルディンは慎重に術式を調整した。
「無理に押し返す必要はない。今は流れを見るだけだ」
レオは頷いた。
「……はい」
黒い影の中に、細い白い線が見えた。
それは四つ目の石板から、森の奥へ向かって伸びている。
しかし、黒い魔力はその線を逆方向へ辿るように流れていた。
「……おかしい」
レオが呟いた。
リュシアが尋ねる。
「何が?」
「白い力と黒い力が、反対方向に流れてる」
ガイアが頷いた。
「……白い力は奥へ向かい、黒い力は石板へ戻ってきている」
エルディンの表情が変わった。
「……そういうことか」
レオが振り向く。
「何か分かったんですか?」
「四つ目の石板は、奥から来る力を遮断しているだけではない」
老人は術式図を見つめた。
「奥へ向かって、何かを送り続けているのだ」
「……何かを送ってる?」
ミナが尋ねた。
エルディンは頷いた。
「おそらく、境界を維持するための力だろう」
ガイアが口を開く。
「……つまり、石板は外からの侵入を防ぐと同時に、奥にある何かを支えている」
「その可能性がある」
レオは白い線を見つめた。
「……じゃあ、石板が壊れたら」
エルディンは静かに答えた。
「奥にあるものも、影響を受けるだろう」
リュシアが不安そうに尋ねる。
「……何があるの?」
「分からぬ」
エルディンは首を振った。
「三百年前、ヴァルドはこの部分について詳しく語らなかった」
白き守護者が、静かに術式図へ近づいた。
彼女は白い線を見つめた。
そして、ゆっくりと手を伸ばした。
レオが声をかける。
「……守護者?」
彼女は振り向かなかった。
ただ、白い線の先を指差した。
その表情には、深い悲しみが浮かんでいた。
ガイアが静かに呟いた。
「……何か、覚えているのかもしれないな」
レオは彼女を見つめた。
「……無理に思い出さなくていい」
守護者はゆっくりと頷いた。
その時。
観測術式の中央に、新たな紋様が浮かび上がった。
三つの円が重なった形。
レオは息を呑んだ。
「……これ、昨日の設計図にあった」
エルディンも目を見開いた。
「……均衡の紋様だ」
ガイアが尋ねる。
「……何を示している?」
エルディンは術式を確認した。
「三つの力が、互いに支え合っていることを示す印だ」
レオは紋様を見つめた。
三つの円のうち、一つは白く輝いている。
もう一つは淡い緑色。
そして、最後の一つだけが黒く染まっていた。
「……三つ目が」
レオが呟いた。
ガイアが頷いた。
「……均衡が崩れかけている」
エルディンは杖を握り直した。
「この状態が続けば、石板の機能はさらに弱まるだろう」
フェルンが尋ねる。
「……修復は可能でしょうか?」
「まだ分からぬ」
エルディンは答えた。
「まずは、黒い力がどこから流れ込んでいるのかを確認せねばならん」
観測術式は、さらに奥の魔力を映し出そうとした。
しかし、その瞬間。
黒い影が急速に広がった。
「……長老!」
フェルンが声を上げた。
エルディンは杖を引いた。
「……観測を中止する!」
緑色の光が弱まり、空中の術式図が消えていく。
その直前。
レオは、黒い影の奥に何かを見た。
「……待って!」
ガイアが振り向く。
「どうした?」
「……今、何か見えた」
「何が?」
レオは結界の向こうを見つめた。
「……石板のさらに奥に、もう一つ光があった」
エルディンが目を細める。
「……光?」
「はい。ほんの一瞬だけですけど」
白き守護者が、レオの袖を握った。
彼女も同じ方向を見つめていた。
ガイアが静かに尋ねる。
「……守護者も見たのか?」
彼女は頷いた。
エルディンは考え込んだ。
「……四つ目の石板とは別の場所に、何かがあるということか」
レオは頷いた。
「……たぶん」
しかし、それが何なのかは分からなかった。
夕方。
連絡所へ戻ったレオたちは、観測結果を整理していた。
エルディンは設計図に新たな線を書き加えた。
「……これで、少しだけ構造が見えてきた」
レオが尋ねる。
「……四つ目の石板は、奥にある何かを支えているんですね」
「ああ」
エルディンは頷いた。
「そして、その奥から黒い力が逆流している」
ガイアが口を開く。
「……ならば、石板だけを修復しても根本的な解決にはならないかもしれない」
「その通りだ」
リュシアは地図を見つめた。
「……じゃあ、奥にあるものを調べないと」
エルディンは静かに頷いた。
「いずれは、そうする必要があるだろう」
フェルンが険しい顔になる。
「……長老。封鎖領域への立ち入りを許可するおつもりですか?」
エルディンは首を振った。
「まだだ」
そして、続けた。
「まずは、観測した光の位置を特定する」
レオは頷いた。
「……分かりました」
森の奥。
四つ目の補助石板から伸びる白い力は、今も何かを支え続けている。
しかし、その先からは黒い侵食が流れ込んでいた。
三百年前、ヴァルドが残した仕組み。
その本当の目的は、まだ明らかになっていない。
ただ一つ、確かなことがあった。
四つ目の石板は、森の奥に存在する何かと繋がっている。
そして、その繋がりこそが、現在の異変を解く鍵になるのかもしれなかった。
――第165話・完――




