第164話「石板に刻まれた役割」
エルフェリア大森林。
監視隊の連絡所。
エルディンは古びた木箱を机の上に置いた。
「……ようやく見つかった」
レオが顔を上げる。
「それは?」
「三百年前、ヴァルドと共に作った補助石板の設計記録だ」
木箱の中には、何枚もの羊皮紙が収められていた。
長い年月によって変色しているものの、文字や紋様は残っている。
ガイアが近づいた。
「……よく保存されていたな」
「森の記録庫には、古い精霊術で保護された文書がある。これもその一つだ」
エルディンは羊皮紙を広げた。
そこには、四つの石板を繋ぐ複雑な術式が描かれていた。
リュシアが覗き込む。
「……昨日見た観測術式と似てる」
「ああ。だが、こちらは本来の設計図だ」
レオは図面を見つめた。
三つの補助石板から伸びる線は、森の中心へ向かっている。
しかし、四つ目だけは違っていた。
一本の線が森の奥へ伸び、もう一本が中央の石碑へ繋がっている。
「……この線は?」
レオが尋ねた。
エルディンは指を止めた。
「それを、これから確かめようと思っておる」
「……長老でも分からないんですか?」
フェルンが驚いた。
エルディンは頷く。
「当時、石板の設計はヴァルドが中心となって進めていた」
「……はい」
「私は森の魔力を安定させる術式を担当したが、境界そのものに関わる部分は彼に任せていた」
ガイアが口を開く。
「……つまり、四つ目の石板には、エルフ族が把握していない仕組みがある可能性がある」
「そういうことだ」
レオは図面を見つめた。
「……でも、ヴァルドなら理由もなく隠したりしないと思う」
白き守護者が静かに頷いた。
エルディンは彼女を見た。
「……お前も、そう思うか」
守護者は再び頷いた。
その表情には、どこか懐かしさが浮かんでいた。
エルディンは小さく息を吐いた。
「……ならば、何か理由があったのだろう」
しばらくして、ミナが羊皮紙の端を指差した。
「……ここにも文字があります」
レオが顔を近づける。
「本当だ」
そこには、古代文字で短い文章が記されていた。
エルディンが読み上げる。
「……『隔絶は、遮断にあらず』」
カイが首を傾げた。
「……どういう意味だ?」
老人は続きを読んだ。
「『流れを断つのみでは、境界は保たれぬ』」
ガイアの表情が変わった。
「……なるほど」
レオが尋ねる。
「何か分かった?」
「……隔絶の印は、単に力を遮断するだけの術式ではないのかもしれない」
エルディンも頷いた。
「境界を維持するためには、何かを通す必要があったということか」
リュシアが考え込む。
「……でも、何を通すの?」
誰も答えられなかった。
レオは『魂導秘録』を取り出した。
「……こっちにも、似たようなことが書いてあった気がする」
ページをめくる。
古代の境界術について記された部分。
そこには、ヴァルドが残した文章があった。
『境界とは、すべてを拒む壁ではない』
『生と死、光と闇。その流れを見極め、通すべきものを通す』
レオは顔を上げた。
「……これだ」
ガイアが頷く。
「……境界の本来の役割だな」
エルディンは二つの記録を見比べた。
「……そうか」
老人はゆっくりと呟いた。
「四つ目の石板は、異質な力を遮断するだけでなく、森に必要な力を通す役割も持っていたのかもしれぬ」
ミナが尋ねる。
「……必要な力?」
「森の精霊たちが生きるために必要な魔力だ」
リュシアが目を見開いた。
「……じゃあ、石板が弱まったせいで、精霊たちにも影響が出てるの?」
「可能性は高い」
エルディンは頷いた。
「黒い侵食だけでなく、森の魔力の流れそのものが乱れているのだろう」
レオは考え込んだ。
「……だから、傷ついた精霊に魔力を与えた時、侵食が強まったのか」
ガイアが答えた。
「……魔力の流れが正常でなければ、与えた力が別のものへ流れる可能性もある」
エルディンは頷いた。
「その仕組みを確かめる必要があるな」
午後。
レオたちは設計図をさらに調べていた。
すると、フェルンがある部分に気づいた。
「……長老。この紋様は何でしょうか?」
彼が指差したのは、四つ目の石板の中央だった。
そこには、三つの円が重なるように描かれている。
エルディンは目を細めた。
「……三界封環に似ておるな」
レオが顔を上げる。
「……ヴァルドの術式ですか?」
「ああ。ただし、完全に同じものではない」
ガイアが口を開いた。
「……三つの領域を繋ぎ、境界を安定させる術式だったな」
レオは頷いた。
「北方の境界でも使われていた」
白き守護者が、ゆっくりと図面へ近づいた。
彼女は三つの円を見つめた。
そして、その中央へ指先を触れた。
淡い白い光が浮かび上がる。
「……守護者?」
レオが尋ねる。
彼女は目を閉じた。
その表情が、わずかに苦しそうに変わった。
レオは慌てて声をかけた。
「……無理しなくていい」
守護者はゆっくりと目を開いた。
そして、図面の中央を指差した。
そこには、古代文字で小さな言葉が記されていた。
エルディンが読み上げる。
「……『均衡』」
ガイアが静かに呟いた。
「……遮断ではなく、均衡を保つための術式か」
エルディンは頷いた。
「……おそらくな」
夕方。
調査を終えたレオたちは、連絡所の外へ出ていた。
森の奥では、黒い侵食が静かに広がり続けている。
カイが腕を組んだ。
「……結局、石板を直すだけじゃ駄目ってことか?」
レオは頷いた。
「たぶん、そうだと思う」
ミナが尋ねる。
「……どうすればいいんでしょう」
「まずは、何が壊れているのかを確かめないと」
ガイアが続けた。
「……間違った方法で修復すれば、かえって侵食を広げる危険もある」
リュシアは森を見つめた。
「……時間は、あまり残されてないのに」
その声には、焦りが滲んでいた。
レオは彼女を見た。
「……大丈夫とは言えないけど、まだ石板は完全に壊れてない」
リュシアが振り向く。
「……うん」
「だから、できることを探そう」
彼女は小さく頷いた。
「……ありがとう」
その時、エルディンが連絡所から出てきた。
「……皆に伝えておきたいことがある」
レオたちは振り向いた。
老人は静かに続けた。
「明日、もう一度観測術式を使う」
フェルンが尋ねる。
「……何を確認するのですか?」
「四つ目の石板に残された、もう一本の魔力の流れだ」
エルディンは森の奥を見つめた。
「もし、あの線が今も機能しているなら……」
レオが尋ねる。
「……何か分かるんですか?」
「隔絶の印が、何と繋がっているのかを確かめられるかもしれぬ」
ガイアが静かに頷いた。
「……それは重要だな」
エルディンは続けた。
「ただし、観測術式を動かす際は、前回以上に慎重にならねばならん」
レオは頷いた。
「……分かりました」
森の奥。
四つ目の補助石板は、今も黒い侵食に晒されている。
しかし、その石板には、まだ知られていない役割が残されていた。
遮断。
均衡。
そして、何かを繋ぐ力。
三百年前、ヴァルドはなぜ、そのような術式を森に残したのか。
その答えは、封鎖された領域のさらに奥に隠されていた。
――第164話・完――




