第159話「封鎖された領域」
エルフェリア大森林、深部。
翌朝。
レオたちは、古い結界の入口を目指して歩いていた。
先頭にはフェルンとリュシア。
その後ろをエルディンが進み、レオたち五人が続く。
「……昨日より、森が静かですね」
ミナが周囲を見渡した。
木々の間から朝日が差し込んでいる。
しかし、鳥の声も、精霊の気配もほとんど感じられなかった。
「この辺りは、以前なら精霊が集まる場所だったんだよ」
リュシアが答えた。
「朝になると、枝の間が光でいっぱいになって……」
彼女は言葉を止めた。
頭上には、色を失いかけた葉が揺れているだけだった。
カイが静かに口を開く。
「……元に戻せるといいな」
「うん」
リュシアは小さく頷いた。
レオは、そのやり取りを聞きながら森の奥を見つめた。
四つ目の補助石板。
そこに何が起きているのか。
今日、その手がかりを確かめることになる。
しばらくして、一行は巨大な樹木が並ぶ場所へ到着した。
二本の古木の間に、半透明の緑色の光が張られている。
その光の向こうでは、地面の色が明らかに変わっていた。
「……これが、古い結界か」
レオが呟いた。
エルディンが頷く。
「百年前、四つ目の石板周辺を封鎖するために設けたものだ」
カイが光の壁を見つめる。
「向こう側、普通に見えるんだな」
「視界を遮るための結界ではないからな」
フェルンが答えた。
「許可のない者が通過できないようにするためのものだ」
リュシアが結界へ近づいた。
「……おじいちゃん、何か変じゃない?」
エルディンが顔を上げる。
「何がだ?」
「光が弱い」
老人は結界を見つめた。
確かに、緑色の光はところどころ薄くなっていた。
「……侵食の影響か」
フェルンが眉をひそめる。
「結界そのものにも異変が起きているのですね」
「ああ。だが、まだ機能は失われておらぬ」
エルディンは杖を持ち上げた。
「まずは、外側から調べよう」
レオたちは結界の前に集まった。
エルディンが地面へ杖を当てる。
淡い緑色の光が広がり、結界の表面に古代文字が浮かび上がった。
「……これは?」
レオが尋ねた。
「百年前に組み込まれた封鎖術式だ」
エルディンは文字を確認した。
「外からの侵入を防ぐだけでなく、内側の魔力が外へ漏れ出すことも抑えている」
ガイアが口を開く。
「……つまり、黒い侵食もこの結界によって抑えられていたのか?」
「その可能性は高い」
エルディンは頷いた。
「だが、現在はその力が弱まっている」
レオは結界の向こうを見つめた。
黒く染まった樹木の根が、地面を這うように伸びている。
「……もし、この結界が壊れたら?」
エルディンの表情が曇った。
「侵食が一気に広がる危険がある」
ミナが息を呑む。
「……そんな」
フェルンは周囲を確認した。
「長老。調査を急ぎましょう」
「ああ」
エルディンは杖を握り直した。
その時、白き守護者が静かに結界へ近づいた。
彼女は緑色の光を見つめていた。
レオが声をかける。
「……守護者?」
彼女は振り向いた。
そして、結界の向こうを指差した。
レオは頷いた。
「……四つ目の石板が気になるんだな」
守護者は小さく頷いた。
彼女の胸元から、淡い白い光が浮かび上がる。
すると、結界の一部がわずかに明るくなった。
エルディンが驚く。
「……これは」
フェルンも目を見開いた。
「結界が反応している?」
ガイアが静かに呟く。
「……白き守護者の力を認識しているのかもしれない」
エルディンは頷いた。
「この封鎖術式には、古代の境界術が一部使われている」
レオが尋ねる。
「……だったら、守護者なら通れるんですか?」
「可能性はある。だが、試すには危険が大きい」
白き守護者は、レオを見つめた。
そして、そっと彼の手を握った。
レオは微笑んだ。
「……分かってる。無理はしない」
彼女は静かに頷いた。
調査を続けていると、ガイアがある異変に気づいた。
「……レオ」
「どうした?」
「結界の内側を見てみろ」
レオは目を凝らした。
黒く染まった地面の奥。
そこに、細い白い線が見えた。
「……あれは?」
ガイアが答える。
「おそらく、四つ目の石板から伸びている力だ」
レオは首を傾げた。
「……でも、黒い侵食とは逆方向に伸びてる」
「そうだ」
ガイアは頷いた。
「黒い魔力が石板へ集まっている一方で、白い力は外へ広がろうとしている」
エルディンが近づいた。
「……何か見つけたのか?」
レオは白い線を指差した。
老人は目を細めた。
「……あれは」
しばらくして、エルディンが呟いた。
「……まだ、石板は抵抗しておるのか」
リュシアが尋ねる。
「……どういうこと?」
「四つ目の石板は、完全に機能を失ったわけではない」
エルディンは静かに答えた。
「今も、何かを食い止めようとしている」
レオは拳を握った。
「……だったら、なおさら助けないと」
エルディンは頷いた。
「そうだな」
しかし、その時。
結界の向こうから、かすかな声が聞こえた。
『……たす……け……』
レオが顔を上げた。
「……今の」
カイが振り向く。
「どうした?」
「……声が聞こえた」
ミナが周囲を見渡す。
「声?」
レオは結界を見つめた。
「……誰かが、助けを求めてる」
ガイアの表情が変わった。
「……私にも聞こえた」
フェルンが険しい顔になる。
「……まさか、百年前の記録にあった声か?」
エルディンは目を閉じた。
「……可能性はある」
再び、声が響いた。
『……ここ……に……』
リュシアが息を呑む。
「……誰かいるの?」
フェルンが制した。
「近づくな!」
レオは足を止めた。
声は弱々しく、今にも消えてしまいそうだった。
しかし、その正体は分からない。
ガイアが静かに告げた。
「……レオ。声に応じるな」
「……どうして?」
「魂の声に似ているが、何かが違う」
レオはガイアを見た。
「……違う?」
「ああ。まるで、誰かの言葉を繰り返しているような……」
その瞬間、白き守護者がレオの前へ立った。
彼女は結界を見つめ、静かに首を横に振った。
レオは息を呑んだ。
「……近づくなってことか?」
守護者は頷いた。
声が消えると、森は再び静まり返った。
エルディンは杖を下ろした。
「……今日は、ここまでにしよう」
カイが驚く。
「……え? もう戻るのか?」
「今の声の正体が分からぬ以上、これ以上の調査は危険だ」
フェルンも頷いた。
「長老の判断に従うべきだ」
レオは結界の向こうを見つめた。
「……分かりました」
エルディンは続けた。
「封鎖術式を調べ直し、安全に内側を確認する方法を探す」
「……はい」
リュシアは心配そうに結界を見つめた。
「……あの声、本当に助けを求めてたのかな」
誰も答えられなかった。
白き守護者だけが、静かに目を伏せていた。
夕方。
連絡所へ戻ったレオは、『魂導秘録』を開いていた。
そこには、境界術についての古い記述が残されている。
『境界の向こうより届く声を、すべて真実と思うな』
レオは、その一文を見つめた。
「……ヴァルドも、同じことを経験したのか」
ガイアが隣へ座った。
「……何か分かったか?」
レオは本を見せた。
ガイアは静かに頷いた。
「……声は、相手を誘い込むためのものかもしれない」
「……でも、本当に助けを求めてる誰かがいる可能性もある」
「ああ」
ガイアは否定しなかった。
「だからこそ、確かめる必要がある」
レオは頷いた。
「……そうだな」
窓の外では、森の奥が夜の闇に包まれていた。
封鎖された領域。
四つ目の石板。
そして、結界の向こうから届いた謎の声。
その正体を確かめるには、まだ多くの謎を解かなければならなかった。
――第159話・完――




