第157話「失われた石板」
エルフェリア大森林、深部。
古代の石碑を囲む四つの補助石板。
そのうち三つは発見されたものの、最後の一つだけが見つかっていなかった。
レオは地面に描いた配置図を見つめていた。
「……やっぱり、あの先にあると思う」
彼が指差したのは、巨大な樹木が密集する森の奥だった。
そこから先は、エルフ族が立ち入りを制限している古い結界の内側。
黒い侵食が最も強く確認されている区域でもあった。
フェルンが腕を組む。
「何度も言うが、そこへ進むことは認められない」
「分かってる。勝手に入るつもりはないよ」
レオは地図を広げた。
「でも、石板の位置だけでも確かめられないかな?」
フェルンは考え込んだ。
「……監視隊の記録を調べる必要があるな」
リュシアが顔を上げる。
「それなら、近くに古い見張り台があるよ」
「見張り台?」
「うん。昔は結界の内側を監視するために使われていたんだって」
フェルンが頷いた。
「確かに、そこなら立入禁止区域の外から様子を確認できる」
カイが剣を背負い直した。
「じゃあ、そこへ行こうぜ」
レオたちは頷き、見張り台へ向かうことになった。
森の中を進むこと、およそ三十分。
一行は、巨大な樹木の幹に組み込まれた古い見張り台へ到着した。
木製の階段は苔に覆われ、一部が傷んでいる。
「……大丈夫なのか、これ?」
カイが階段を見上げた。
リュシアは笑った。
「心配なら、下で待っててもいいよ?」
「誰が心配してるって?」
「今、してたでしょ」
「安全確認だよ!」
ミナが苦笑する。
「二人とも、気をつけて登りましょう」
フェルンが先頭に立った。
「一段ずつ確認しろ。使われなくなって久しい場所だ」
一行は慎重に階段を登った。
見張り台の上からは、森の深部が見渡せた。
遠くには、巨大な樹木の根が複雑に絡み合う場所がある。
その周辺だけ、葉の色が灰色に変わっていた。
リュシアの表情が曇る。
「……あんなところまで」
フェルンも険しい顔になった。
「前回の巡回では、まだ緑が残っていたはずだ」
レオは地図と森の景色を見比べた。
「……ガイア、あそこじゃないか?」
ガイアが隣へ立つ。
「どこだ?」
「大きな根が三本集まってる場所」
レオは地図の一点を指差した。
「石板の配置を考えると、あの辺りに四つ目があるはずなんだ」
ガイアは目を細めた。
「……確かに、位置は一致する」
フェルンは首を振った。
「だが、あの場所は古い結界の内側だ。今は近づけない」
「……分かってる」
レオは遠くの樹木を見つめた。
その時、白き守護者が静かに彼の袖を引いた。
「……どうした?」
彼女は森の奥を指差した。
レオが目を凝らす。
巨大な根の間に、わずかな白い光が見えた。
「……あれは?」
ガイアも気づいた。
「……何かが光っているな」
フェルンが身を乗り出す。
「……まさか」
その光は、黒く染まった樹木の根元で、弱々しく明滅していた。
「……石板が残ってるのかな?」
リュシアが尋ねた。
レオは首を傾げた。
「分からない。でも、白き守護者が反応してる」
守護者は静かに頷いた。
その時、ミナが声を上げた。
「……皆さん、見てください」
彼女が指差したのは、白い光の周囲だった。
黒い線が、樹木の根を伝って集まっている。
まるで白い光を取り囲むように。
ガイアが呟いた。
「……あれは、侵食を受けているというより……」
レオが振り向く。
「……何?」
「白い光を抑え込もうとしているように見える」
フェルンは眉をひそめた。
「……石板が侵食に抵抗しているのか?」
「可能性はある」
ガイアは続けた。
「だが、遠くからでは確かめられない」
レオは拳を握った。
「……あそこまで行ければ」
「レオ」
フェルンが声をかけた。
「焦るな。今、無理に進めば全員が危険にさらされる」
「……分かってる」
レオは頷いた。
「長老に報告しよう」
見張り台を降りた一行は、監視隊の連絡所へ向かった。
そこには、二人のエルフ兵が待機していた。
フェルンは調査結果を伝えた。
「古い結界の内側に、補助石板と思われる反応を確認した」
兵士の一人が驚く。
「……補助石板ですか?」
「ああ。長老へ至急報告してくれ」
「了解しました」
兵士は森の外縁部へ向かって走り出した。
もう一人の兵士が尋ねる。
「……侵食の状況は?」
フェルンは険しい表情で答えた。
「想定以上に進んでいる。周辺の精霊にも影響が出ている」
「……そうですか」
レオは連絡所の壁に掛けられた地図を見つめた。
そこには、古い結界の境界線が描かれている。
しかし、一つ気になることがあった。
「……フェルン」
「何だ?」
「この地図、いつ作られたもの?」
フェルンは地図を確認した。
「……およそ百年前のものだ」
「百年前……」
レオは『魂導秘録』を取り出した。
本に描かれた古代の地図と、連絡所の地図を見比べる。
「……やっぱり違う」
ガイアが近づいた。
「何が違う?」
「古い結界の境界線だよ」
レオは二つの地図を指差した。
「この本では、四つ目の石板が結界の内側にある。でも、百年前の地図では、その場所が立入禁止区域になってる」
リュシアが首を傾げた。
「……それって、普通じゃないの?」
「ううん。昔は、石板のところまで普通に行けたみたいなんだ」
フェルンの表情が変わった。
「……つまり、結界の範囲が変わったということか?」
「そうかもしれない」
ガイアが静かに続けた。
「誰かが意図的に境界線を変更した可能性もあるな」
レオは頷いた。
「……何か理由があったのかもしれない」
その日の夕方。
連絡所へ、エルディンからの返答が届いた。
伝令の兵士が書簡を差し出す。
フェルンは封を開き、内容を確認した。
「……長老からだ」
レオたちは集まった。
「何て書いてある?」
フェルンは書簡を読み上げた。
「『四つ目の補助石板については、古い記録を確認する必要がある』」
彼は続けた。
「『調査隊は現在地で待機し、結界の内側へは進入しないこと』」
カイが肩を落とした。
「……また待機かよ」
ミナが静かに答える。
「仕方ありません。危険な場所ですから」
フェルンは書簡の最後を読んだ。
「『明朝、私が現地へ向かう』」
レオが顔を上げた。
「……長老が?」
「ああ。直接、石板の位置を確認するつもりらしい」
リュシアは少し安心したように微笑んだ。
「おじいちゃんなら、何か知ってるかもしれない」
レオは頷いた。
「……そうだな」
夜。
監視隊の連絡所では、小さな灯りがともされていた。
レオは窓際に座り、『魂導秘録』を開いていた。
隣にはガイアがいる。
「……まだ調べているのか?」
「ああ。気になることがあって」
レオは古代の地図を指差した。
「四つ目の石板だけ、他の三つと少し違うんだ」
ガイアが覗き込む。
「……どこが?」
「ここ」
レオは石板の横に描かれた小さな紋様を指差した。
他の三つには、同じ形の円が描かれている。
しかし、四つ目だけは、円の中央に一本の線が刻まれていた。
ガイアは目を細めた。
「……封印の印か?」
「分からない」
レオは首を振った。
「でも、何か特別な役割があるのかもしれない」
その時。
白き守護者が静かに近づいてきた。
彼女は本に描かれた四つ目の石板を見つめた。
そして、そっと指先を触れた。
淡い白い光が広がる。
レオは顔を上げた。
「……守護者?」
彼女は悲しげな表情を浮かべた。
その瞳には、三百年前の記憶が宿っているようだった。
レオは静かに尋ねた。
「……この石板に、何かあったのか?」
守護者は少し迷った後、頷いた。
そして、レオの手を握った。
その瞬間、彼の脳裏に一つの光景が浮かんだ。
巨大な樹木の根元。
四つ目の石板。
そして、その前に立つ一人の人物。
しかし、顔は見えなかった。
レオは息を呑んだ。
「……今のは」
守護者は静かに目を伏せた。
レオは本を見つめた。
失われた四つ目の石板。
その場所には、三百年前から何かが隠されている。
そして、それを知る者が、まだ存在しているのかもしれなかった。
――第157話・完――




