第156話「三つの紋様」
エルフェリア大森林、深部。
巨大な樹木の根元に立つ古代の石碑。
その表面には、三つの紋様が刻まれていた。
白き守護者。
黒き守護者。
そして、魂導師。
レオは石碑の前に膝をつき、『魂導秘録』を開いていた。
「……やっぱり、同じだ」
隣にいたガイアが覗き込む。
「何が分かった?」
「この三つの紋様、北方の境界で使われた術式にも描かれている」
レオは古い挿絵を指差した。
「ヴァルドが境界を封じた時、白と黒の守護者が力を貸したんだ」
「……ああ」
ガイアは石碑を見つめた。
「だが、黒き守護者は今も北方の境界に残っているはずだ」
「そうなんだよな」
レオは考え込んだ。
石碑に現れた言葉。
『三つの意思が再び交わる時、閉ざされた記憶は目覚める』
それが何を意味するのか、まだ分からなかった。
「……レオ」
ガイアが声をかけた。
「三つの意思とは、必ずしも三人が同じ場所に集まることを意味するとは限らない」
レオが顔を上げる。
「……どういうこと?」
「境界術は、離れた場所にある魔力を繋ぐこともできる」
ガイアは石碑を指差した。
「この紋様自体が、北方の境界と繋がっている可能性もある」
レオは目を見開いた。
「……なるほど」
その時、背後から声がした。
「勝手な推測で術式を動かすなよ」
振り向くと、フェルンが立っていた。
「この石碑は森の結界を支えている。下手に触れれば、侵食がさらに広がるかもしれない」
レオは頷いた。
「分かってる。今は調べてるだけだよ」
フェルンは石碑を見つめた。
「……ならいい」
少し離れた場所では、リュシアとミナが樹木の根を調べていた。
「……ここも黒くなってる」
リュシアが呟く。
根の表面には、細い黒い線が広がっていた。
ミナは地面へ手を近づけた。
「魔力が、奥から流れてきていますね」
「うん。でも、変なの」
「何がですか?」
リュシアは黒い線を指差した。
「普通、森の魔力は根から枝へ流れていくの。精霊たちが、その流れを整えてくれるから」
「……そうなんですね」
「でも、この黒い魔力は逆なんだよ」
ミナが首を傾げる。
「逆?」
「枝や葉から魔力を奪って、根の奥へ引き込んでる」
ミナは表情を曇らせた。
「……だから、周囲の花が枯れていたんですね」
リュシアは頷いた。
「たぶんね」
その時、彼女は根の隙間に小さなものを見つけた。
「……あれ?」
ミナが覗き込む。
「どうしました?」
リュシアは落ち葉を払いのけた。
そこには、石碑と同じ古代文字が刻まれた小さな石板が埋まっていた。
「……こんなもの、前からあったかな」
「レオたちを呼びましょう」
「……これは?」
レオが石板を見つめた。
リュシアは首を振った。
「分からない。でも、石碑と同じ文字が刻まれてる」
ガイアがしゃがみ込んだ。
「……確かに、古代の境界文字だ」
フェルンは石板を確認した。
「この周辺は何度も調査されている。以前から埋まっていたのなら、記録があるはずだが……」
レオは『魂導秘録』を開いた。
「……少し待って」
ページをめくり、境界術の項目を探す。
やがて、ある図に目が留まった。
「……あった」
カイが覗き込む。
「何が?」
「これ、石碑を補助する術式の一部みたいだ」
本には、巨大な石碑を中心として、複数の小さな石板が配置された図が描かれていた。
ガイアが頷く。
「……補助術式か」
レオは説明を読み進めた。
「石碑だけで結界を維持するんじゃなくて、周囲に配置された石板で魔力の流れを調整する仕組みらしい」
フェルンの表情が変わった。
「……つまり、この石板も結界の一部なのか?」
「おそらく」
レオは頷いた。
「でも、ここに書いてある配置と少し違う」
リュシアが尋ねた。
「……どう違うの?」
「本では、補助石板は石碑を囲むように置かれている」
レオは周囲を見渡した。
「なのに、これは根の下に埋まってる」
ガイアが静かに答えた。
「……長い年月で地形が変わった可能性もある」
「そうだな」
レオは石板へ視線を戻した。
「でも、確かめる価値はあると思う」
フェルンは少し考えた。
「……石板には触れるな。位置を記録してから調査する」
「分かった」
フェルンの指示で、一行は周辺の補助石板を探し始めた。
しばらくして、三つの石板が見つかった。
一つは樹木の根元。
もう一つは苔に覆われた岩の下。
最後の一つは、枯れた花々の間に埋まっていた。
「……全部で三つか」
カイが呟いた。
レオは地面に簡単な図を描いた。
中央に石碑。
その周囲に、三つの補助石板。
「……おかしいな」
ガイアが尋ねる。
「どうした?」
「本に描かれている補助石板は、四つなんだ」
リュシアが目を見開く。
「……一つ足りない?」
「ああ」
レオは図を見つめた。
「しかも、三つとも黒い侵食を受けてる」
フェルンは険しい表情になった。
「残る一つが、侵食の原因に関係している可能性があるな」
「そうかもしれない」
ガイアは石板の配置を確認した。
「……レオ。この三つの位置を線で結んでみろ」
レオは地面に線を引いた。
三つの石板を結ぶと、中央の石碑を囲む三角形ができた。
「……なるほど」
ガイアは図の一角を指差した。
「本来なら、ここにもう一つあるはずだ」
レオは顔を上げた。
その方角には、巨大な樹木が立ち並んでいた。
そして、その先は黒い侵食が特に強くなっている区域だった。
「……あっちか」
リュシアが呟く。
フェルンは首を振った。
「そこから先は、古い結界の内側だ」
カイが尋ねた。
「入れないのか?」
「許可されている調査区域の外だ。俺の判断では進めない」
レオは頷いた。
「……じゃあ、長老に相談しよう」
その時、白き守護者が静かに石碑へ近づいた。
彼女は三つの紋様を見つめていた。
そして、魂導師の紋様へ手を伸ばす。
レオが声をかけた。
「……守護者?」
彼女は振り向いた。
その瞳には、何かを伝えようとする強い意思が宿っていた。
守護者はレオを指差した。
次に、魂導師の紋様を指差す。
レオは首を傾げた。
「……俺?」
守護者は頷いた。
ガイアが静かに呟いた。
「……魂導師の役割を、レオに担ってほしいということか?」
守護者は再び頷いた。
レオは石碑を見つめた。
「……でも、俺はヴァルドじゃない」
守護者は静かに首を振った。
そして、レオの胸元に手を当てた。
淡い白い光が広がる。
その光の中に、一瞬だけヴァルドの姿が浮かび上がった。
彼は穏やかに微笑んでいた。
しかし、すぐに姿は消えた。
レオは息を呑んだ。
「……ヴァルド」
守護者はレオの手を握った。
彼女が伝えたいことを、レオは少しだけ理解した気がした。
同じ人間になる必要はない。
自分自身の意思で、道を選べばいい。
レオは静かに頷いた。
「……分かった」
その時だった。
石碑の魂導師の紋様が、淡く輝き始めた。
フェルンが振り向く。
「……また反応したのか?」
ガイアも目を細めた。
「……レオの魔力に反応している」
しかし、光はすぐに消えた。
レオは石碑を見つめた。
「……まだ、何か足りないんだな」
白き守護者は頷いた。
そして、森の奥を指差した。
そこには、見つかっていない四つ目の補助石板があるはずだった。
レオは静かに呟いた。
「……まずは、あれを探さないと」
黒い侵食は、今も森の奥から流れ続けている。
三つの紋様。
四つの補助石板。
そして、閉ざされた記憶。
レオたちは、古代の境界術に隠された仕組みへ少しずつ近づいていた。
――第156話・完――




