第154話「深緑の異変」
エルフェリア大森林。
翌朝、レオたちは境界の石碑を目指して出発した。
同行するのは、エルフ族の弓使いリュシアと、外縁監視隊のフェルン。
二人を含めた七人が、森の深部へ続く細い道を進んでいた。
「……思ったより歩きにくいな」
カイが足元の木の根を避けながら呟いた。
「森の道なんだから、当然でしょ」
先頭を歩くリュシアが振り返る。
「人間の街道とは違うんだよ」
「分かってるって」
「さっきから同じ根っこにつまずいてるけど?」
「二回だけだろ!」
ミナが小さく笑った。
「ちゃんと足元を見てくださいね」
「お前まで言うなよ……」
そんなやり取りを聞きながら、レオは周囲の木々を見つめていた。
森の入口では、無数の精霊が淡い光を放っていた。
しかし、奥へ進むにつれて、その数が減っている。
「……リュシア」
「何?」
「この辺り、精霊が少なくないか?」
リュシアは足を止めた。
「……気づいたんだ」
「ああ。入口とは全然違う」
彼女は近くの枝へ手を伸ばした。
普段なら、小さな精霊が集まってくるはずだった。
だが、何も現れない。
「……昨日までは、ここにもいたんだけど」
リュシアの声が沈んだ。
フェルンが周囲を確認する。
「先を急ぐぞ。石碑に近づくほど、異変は強くなるはずだ」
レオたちは頷き、再び歩き始めた。
しばらく進むと、森の様子が変わり始めた。
鮮やかな緑色だった葉が、ところどころ灰色に変わっている。
地面には、枯れた花が散らばっていた。
ミナが一輪の花を拾い上げる。
「……これ、枯れているんでしょうか?」
リュシアが近づいた。
「……おかしい」
「どうしたんですか?」
「この花は、魔力がある限り枯れない種類なの」
ミナは驚いた。
「それなのに……」
「うん。何かが魔力を奪ってる」
ガイアが周囲を見渡した。
「……確かに、魔力の流れが不自然だ」
レオが尋ねる。
「分かるのか?」
「ああ。森全体から魔力が消えているわけではない」
ガイアは地面を指差した。
「特定の方向へ、吸い寄せられている」
フェルンが眉をひそめる。
「……石碑の方角か?」
「おそらくな」
リュシアは険しい表情になった。
「そんな……」
彼女は枯れた花を見つめた。
「石碑は、森を守るためのものなのに」
レオは静かに答えた。
「……何かが変わってしまったのかもしれない」
さらに進んだところで、白き守護者が突然立ち止まった。
レオが振り向く。
「……守護者?」
彼女は木々の奥を見つめていた。
そして、ゆっくりと右手を上げる。
その指先には、淡い白い光が宿っていた。
ガイアが顔を上げた。
「……何かいるのか?」
守護者は頷いた。
フェルンが弓を構える。
「全員、止まれ」
一行は足を止めた。
木々の間から、弱々しい緑色の光が現れた。
「……精霊?」
ミナが呟く。
しかし、その光は明らかに普通ではなかった。
小さな身体の一部が、黒く染まっている。
リュシアの表情が変わった。
「……そんな」
精霊はふらつきながら飛び、近くの木の根元へ落ちた。
リュシアが駆け寄ろうとする。
「待て!」
フェルンが制した。
「不用意に近づくな!」
「でも、あの子が……!」
「黒い侵食を受けているかもしれない」
リュシアは足を止めた。
レオは精霊を見つめた。
小さな光は、苦しそうに明滅している。
「……助けられないのか?」
フェルンは首を振った。
「分からない。精霊術師でもない者が触れるべきではない」
リュシアは唇を噛んだ。
「……私なら、少しは精霊術を使える」
「リュシア」
「お願い、フェルン。見捨てたくない」
フェルンは迷った。
やがて、静かに頷いた。
「……分かった。ただし、異変があればすぐに離れろ」
「うん」
リュシアは精霊の前へ膝をついた。
そして、両手を差し出した。
「……大丈夫。怖くないよ」
淡い緑色の魔力が、彼女の掌から広がる。
精霊は弱々しく身体を動かした。
しかし、黒く染まった部分は消えなかった。
リュシアの表情が曇る。
「……どうして?」
彼女はさらに魔力を送ろうとした。
その時、レオが声をかけた。
「リュシア、待って」
「……何?」
「その黒い部分、魔力を吸ってる」
リュシアが目を見開く。
「……え?」
ガイアも頷いた。
「レオの言う通りだ。送った魔力の一部が、黒い侵食へ流れている」
リュシアは慌てて術を止めた。
「……そんな」
精霊は、さらに弱々しくなっていた。
「……どうすればいい?」
リュシアが呟いた。
誰もすぐには答えられなかった。
その時、白き守護者が静かに前へ出た。
彼女はリュシアの隣へ膝をつく。
そして、精霊へ手を伸ばした。
フェルンが口を開く。
「……何をするつもりだ?」
守護者は答えない。
ただ、掌に淡い白い光を灯した。
レオは、その光を見つめた。
「……境界の力か」
白い光は、精霊の身体を優しく包み込んだ。
すると、黒い部分の動きが止まった。
リュシアが驚く。
「……止まった?」
ガイアが目を細めた。
「侵食を消したわけではない。広がるのを抑えているようだ」
守護者は小さく頷いた。
レオは精霊へ視線を向けた。
「……これなら、助けられるかもしれない」
しかし、守護者の表情は険しかった。
白い光を維持する彼女の手が、わずかに震えている。
レオは気づいた。
「……無理してるのか?」
守護者は首を横に振った。
だが、その光は少しずつ弱くなっていた。
ガイアが静かに告げた。
「長くは続けられないだろう」
リュシアは精霊を見つめた。
「……お願い。もう少しだけ」
その時だった。
精霊の身体から、小さな黒い粒が浮かび上がった。
それは白い光の中を漂い、やがて一つの細い線へ変わった。
レオが顔を上げる。
「……何だ?」
黒い線は、森の奥を指し示すように伸びていた。
フェルンの表情が変わる。
「……石碑の方角だ」
白き守護者は、その線を見つめた。
そして、ゆっくりと頷いた。
しばらくして。
守護者は白い光を弱めた。
精霊の身体には、まだ黒い侵食が残っている。
しかし、先ほどよりも光は安定していた。
リュシアは精霊をそっと見つめた。
「……ありがとう」
守護者は静かに微笑んだ。
レオが尋ねる。
「この精霊、どうする?」
フェルンは少し考えた。
「近くに監視隊の連絡所がある。そこへ運ぼう」
リュシアが頷いた。
「私が連れていく」
「待て。お前は案内役だろう」
「でも……」
フェルンは周囲を見渡した。
「ここからなら、連絡所までは遠くない。俺が合図を送る」
彼は腰から小さな笛を取り出した。
しばらくすると、木々の間から二人のエルフ兵が現れた。
フェルンは事情を説明し、精霊を預けた。
「精霊術師に見せろ。ただし、むやみに魔力を注ぐな」
「了解しました」
リュシアは精霊へ声をかけた。
「……絶対に、元気になってね」
小さな光は、かすかに揺れた。
まるで返事をするように。
再び歩き始めた一行。
しかし、先ほどまでの明るい雰囲気は消えていた。
リュシアは黙って先頭を歩いている。
レオが隣へ並んだ。
「……リュシア」
「何?」
「大丈夫か?」
彼女は少し考えた。
「……悔しい」
「……そっか」
「私、精霊を助けられると思ってた」
リュシアは俯いた。
「でも、何もできなかった」
レオは首を振った。
「そんなことない」
「……え?」
「リュシアが助けようとしたから、俺たちも異変に気づけたんだ」
彼女はレオを見た。
「……そうかな」
「ああ」
レオは微笑んだ。
「それに、まだ助からないって決まったわけじゃないだろ?」
リュシアは少しだけ表情を和らげた。
「……うん」
その時、ガイアが足を止めた。
「……レオ」
「どうした?」
「この先、魔力の流れがさらに強くなっている」
フェルンも周囲を確認した。
「……もうすぐ石碑のある区域だ」
カイは剣の柄に手を添えた。
「……何が待ってるんだろうな」
ミナが静かに答えた。
「分かりません。でも、気をつけましょう」
白き守護者は、森の奥を見つめていた。
彼女の胸元に、淡い白い光が浮かび上がる。
その光は、何かを警告するように揺れていた。
レオは静かに呟いた。
「……もうすぐだな」
巨大な樹木の向こう。
そこには、三百年前から森を守り続けてきた境界の石碑がある。
そして今、その石碑を中心に、森の命が少しずつ失われようとしていた。
――第154話・完――




