第153話「森への許可」
エルフェリア大森林。
精霊の試練場に、重苦しい空気が漂っていた。
境界の石碑を蝕む黒い侵食が、周囲の樹木にまで広がり始めた。
その報告を受けたエルディンは、険しい表情で伝令を見つめていた。
「被害はどこまで広がっている?」
「現在確認できているのは、石碑から半径二十歩ほどの範囲です」
「精霊たちは?」
「姿を消したままです。呼びかけにも応じません」
エルディンは目を閉じた。
「……そうか」
フェルンが一歩前へ出る。
「長老、監視隊を増員しましょう。侵食が広がる前に周辺を封鎖すべきです」
「封鎖は必要だ。だが、それだけでは止められぬ」
「では、どうすれば……」
エルディンはレオたちへ視線を向けた。
「評議会に、緊急の判断を求める」
レオが顔を上げる。
「俺たちの入森許可ですか?」
「ああ。三つの審査を終えた以上、これ以上待たせる理由はない」
フェルンは口を開きかけたが、何も言わなかった。
エルディンはリュシアを呼んだ。
「リュシア」
「はい、おじいちゃん」
「私が戻るまで、この者たちを頼む」
「分かった」
老人は頷くと、評議会場へ向かって歩き出した。
エルフ評議会場。
七人の評議員たちが、再び席に着いていた。
「長老、緊急の招集とは何事ですか?」
白髪の評議員が尋ねた。
エルディンは広間の中央へ進んだ。
「境界の石碑の侵食が、周囲の樹木にまで及んだ」
評議員たちの表情が変わった。
「……何ですと?」
「精霊たちも姿を消している。このままでは、森全体の結界に影響が出る可能性がある」
若い評議員が立ち上がった。
「精霊術師を増員すべきです!」
「すでに試みた。しかし、通常の術では侵食を止められなかった」
「……そんな」
エルディンは続けた。
「そこで、入森審査を終えた人間たちに調査への協力を求めたい」
広間がざわめいた。
「ネクロマンサーを森の深部へ入れるというのですか?」
「そうだ」
「危険すぎます!」
反対する評議員へ、エルディンは静かに答えた。
「危険なのは承知しておる。だからこそ、三つの審査を行った」
老人は結果を説明した。
精霊との接触。
魔力の適性。
そして、意思の確認。
特にガイアについては、死者自身の自由意思による契約であることが確認されていた。
「……精霊が、ネクロマンサーを受け入れたのですか?」
白髪の評議員が尋ねた。
「ああ。自ら少年へ近づいた」
「それは珍しい……」
エルディンは頷いた。
「さらに、白き守護者が同行している。境界の異変を調べるには、彼女の力が必要になるかもしれぬ」
反対していた評議員は腕を組んだ。
「……しかし、森の掟はどうなるのです?」
「掟を破ることは認めぬ」
エルディンは明確に答えた。
「死者の魂を強制的に使役することも、精霊を傷つけることも禁じたままだ」
「では、条件付きの許可ということですか?」
「そうだ。行動範囲を限定し、監視隊を同行させる」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、白髪の評議員が口を開いた。
「……採決を取りましょう」
精霊の試練場。
カイは大きな樹木の根元に座り込んでいた。
「……また待つのか」
ミナが苦笑する。
「もう少しの辛抱ですよ」
「昨日も同じこと言ってなかったか?」
「言いましたね」
二人の会話を聞きながら、レオは森の奥を見つめていた。
ガイアが隣へ立つ。
「……気になるか?」
「ああ」
「石碑のことか?」
「それもあるけど……」
レオは少し考えた。
「俺たちが森に入ることで、エルフたちの間に争いが起きないか心配なんだ」
ガイアは頷いた。
「意見が分かれるのは当然だろう」
「……そうだよな」
「だが、全員に理解してもらってから行動しようとすれば、何もできなくなる」
レオはガイアを見た。
「……ガイア」
「大切なのは、認めてくれた者たちの信頼を裏切らないことだ」
レオは静かに頷いた。
「……分かった」
少し離れた場所では、リュシアが弓の弦を確認していた。
カイが声をかける。
「なあ、リュシア」
「何?」
「お前も石碑のところへ行くのか?」
「まだ決まってない」
「そうなのか?」
「うん。私は外縁監視隊の補助をしてるけど、深部の調査は別の部隊が担当するから」
リュシアは弓を背負い直した。
「でも、できれば行きたいと思ってる」
「どうして?」
「……森が心配だから」
彼女は木々の奥を見た。
「小さい頃から、精霊たちと一緒に暮らしてきたんだよ。その精霊たちが突然いなくなるなんて、放っておけない」
カイは頷いた。
「……そっか」
リュシアは小さく笑った。
「それに、あなたたちだけじゃ森の道も分からないでしょ?」
「まあ、それはそうだな」
「でしょ?」
二人は顔を見合わせ、少し笑った。
それからしばらくして。
森の奥から、エルディンとフェルンが戻ってきた。
レオたちは立ち上がった。
「……長老」
エルディンは全員を見渡した。
「評議会の結論が出た」
広場が静まり返る。
「賛成四、反対三」
レオが息を呑んだ。
エルディンは続けた。
「お前たち五人に、条件付きの入森を許可する」
「……本当ですか?」
「ああ」
ミナの表情が明るくなった。
「良かったですね!」
カイも笑った。
「やっとだな!」
しかし、エルディンは杖を持ち上げた。
「喜ぶのは、条件を聞いてからにしてもらおう」
レオたちは姿勢を正した。
「まず、行動できるのは指定された道と境界の石碑周辺のみ。それ以外の区域への立ち入りは禁止する」
「分かりました」
「次に、精霊や森の生き物へ危害を加えぬこと。死者の魂を強制的に使役する術も認めぬ」
レオは頷いた。
「はい」
「そして、調査には監視隊の者を同行させる」
フェルンが一歩前へ出た。
「俺が同行する」
カイが少し驚いた。
「……お前が?」
「ああ。不満か?」
「いや、別に」
フェルンはレオを見た。
「お前たちが掟を守るか、俺自身の目で確かめる」
レオは頷いた。
「よろしく頼む」
フェルンは短く答えた。
「……ああ」
その時、リュシアが手を上げた。
「おじいちゃん」
エルディンが振り向く。
「どうした?」
「私も同行したい」
フェルンが眉をひそめる。
「リュシア。深部の調査は危険だ」
「分かってる」
「ならば……」
「でも、私も森を守りたい」
リュシアは真剣な表情で続けた。
「それに、この人たちの案内もできる。外縁部から深部へ続く道なら、私も知ってるから」
エルディンは孫娘を見つめた。
「……危険な任務になるぞ」
「覚悟してる」
しばらく考えた後、老人は頷いた。
「……よかろう」
リュシアの表情が明るくなる。
「ありがとう!」
「ただし、フェルンの指示には従うのだ」
「うん!」
フェルンは小さく息を吐いた。
「……まったく」
カイが笑った。
「よろしくな、リュシア!」
「うん。よろしく」
夕暮れ。
レオたちは、翌日の出発に備えて準備を進めていた。
ミナは魔法道具を整理し、カイは剣の手入れをしている。
ガイアは、エルディンから渡された森の地図を確認していた。
「……石碑までは、かなり距離があるな」
レオが覗き込む。
「どれくらい?」
「通常の道を使えば、半日ほどだろう」
「……そうか」
白き守護者は、地図に描かれた一つの印を見つめていた。
それは、境界の石碑を示す場所だった。
レオが声をかける。
「……守護者」
彼女は顔を上げた。
「明日、ようやく行けるな」
守護者は静かに頷いた。
その瞳には、懐かしさと不安が入り混じっていた。
レオは微笑んだ。
「大丈夫。一緒に行こう」
彼女は、そっとレオの手を握った。
森の奥では、黒い侵食が今も広がり続けている。
三百年前に残された約束。
そして、境界の石碑に隠された秘密。
レオたちは、ようやくその真相へ近づこうとしていた。
――第153話・完――




