第150話「エルフ評議会」
エルフェリア大森林の深部。
樹齢数千年を超える巨大な樹木の内部には、エルフ族の重要な決定を下すための評議会場が存在していた。
円形の広間には、七つの席が並んでいる。
その中央に立つのは、長老エルディンだった。
「……以上が、外縁部で確認された異変だ」
報告を終えると、広間に沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、白髪の老エルフだった。
「境界の石碑に黒い侵食が現れたというのか」
「ああ。すでに周囲の精霊にも影響が出始めている」
「原因は?」
「現時点では不明だ」
その答えに、評議員たちの表情が険しくなった。
若い男性の評議員が口を開く。
「長老。石碑は三百年間、森の結界を支えてきた重要な遺物です。異変を放置するわけにはいきません」
「分かっておる」
「ならば、精霊術師を派遣するべきです」
エルディンは頷いた。
「すでに調査を命じている。だが、通常の精霊術では黒い侵食に干渉できなかった」
「……そんな」
「さらに、石碑から何者かの声が聞こえたという報告もある」
広間がざわめいた。
白髪の評議員が尋ねる。
「何と言っていた?」
「『まだ届かない』と」
エルディンは静かに答えた。
「それが何を意味するのかは分からぬ」
その時、別の評議員が口を開いた。
「長老。外縁部にネクロマンサーが現れたという報告も受けています」
エルディンは頷いた。
「レオという少年だ」
「まさか、その者を森へ入れるおつもりですか?」
「可能性として検討している」
「反対です!」
男性の評議員が立ち上がった。
「我々は過去に、死者の魂を利用する者によって森を傷つけられたのです!」
「その歴史を忘れたわけではない」
「ならば、なぜ!」
エルディンは杖を床についた。
「その少年が、ヴァルドの残した『魂導秘録』を持っていたからだ」
評議員たちが言葉を失った。
「……ヴァルド?」
白髪の評議員が身を乗り出す。
「三百年前、あなたと境界術を研究したという、あの人間ですか?」
「ああ」
エルディンは続けた。
「しかも、少年には白き守護者が同行している」
広間の空気が変わった。
「……白き守護者が?」
「間違いないのですか?」
「この目で確認した」
エルディンは静かに答えた。
「彼女は今も、境界を守ろうとしている」
白髪の評議員は深く考え込んだ。
「……ならば、話だけでも聞く価値はあるかもしれませんな」
しかし、反対していた評議員は首を振った。
「危険すぎます。森の掟を曲げることになります」
「掟を曲げるのではない」
エルディンは答えた。
「掟に従って、その者たちの意思を確かめるのだ」
同じ頃。
精霊の試練場では、レオたちが評議会の決定を待っていた。
「……まだ戻ってこないのか?」
カイが退屈そうに呟いた。
ミナは石柱を見つめながら答えた。
「大切な話し合いなんですから、時間がかかるのは仕方ありませんよ」
「それは分かるけどな」
レオは『魂導秘録』を開いていた。
そこには、三百年前に記された境界術の説明が残されている。
ガイアが隣から覗き込んだ。
「何か見つかったか?」
「いや。ただ……」
レオはある一節を指差した。
「ここに、精霊と死者の魂を結びつける術について書かれてる」
ガイアは文章を読んだ。
『異なる魂を無理に繋ぐことは、双方の意思を傷つける。境界を保つには、互いの同意が不可欠である』
「……ヴァルドらしい考え方だな」
「ああ」
レオは本を閉じた。
「森の掟も、きっと同じ理由で作られたんだと思う」
その会話を聞いていたリュシアが近づいてきた。
「……何の話?」
レオは本を見せた。
「ヴァルドが残した記録だよ」
リュシアは古い文字を見つめた。
「……これ、おじいちゃんが昔教えてくれた文字に似てる」
「読めるのか?」
「少しだけ」
彼女は一節を指差した。
「……ここに書いてあるのは、『意思なき契約は束縛に等しい』かな」
ガイアが頷いた。
「その解釈で間違いないだろう」
リュシアはレオを見た。
「あなたたちの契約も、そういう考え方なの?」
「ああ。ガイアが望まなければ、俺は契約を続けない」
ガイアも静かに頷いた。
「私自身が選んでいることだ」
リュシアは少し考えた。
「……だったら、森の掟に反していないのかもしれないね」
その時、背後から声がした。
「それを判断するのは、お前ではない」
振り向くと、フェルンが立っていた。
「……フェルン」
リュシアの表情が曇る。
フェルンはレオたちを見渡した。
「評議会から連絡があった。お前たちに確認したいことがあるそうだ」
レオが立ち上がった。
「……審査の続きですか?」
「そうだ。ただし、通常の審査とは異なる」
フェルンはガイアへ視線を向けた。
「特に、お前の契約について詳しく調べる必要がある」
ガイアは頷いた。
「構わない」
「本当に?」
「ああ。私の意思を確かめたいのだろう」
フェルンは少し驚いた様子だった。
「……そうだ」
「ならば、拒む理由はない」
ガイアは静かに答えた。
「ただし、私の意思を確かめるために、レオへ契約の解除を強制するようなことはしないでもらいたい」
フェルンの表情が変わった。
「……なぜだ?」
「契約を続けるかどうかも、私が決めることだからだ」
その言葉に、フェルンは黙り込んだ。
しばらくして、エルディンが試練場へ戻ってきた。
老人の表情は厳しかった。
「待たせたな」
レオたちは立ち上がった。
「……どうなりましたか?」
エルディンは全員を見渡した。
「評議会は、お前たちの森への立ち入りを認めるかどうか、意見が分かれておる」
カイが眉をひそめる。
「……やっぱりか」
「だが、境界の石碑に起きている異変を考えれば、お前たちの知識を無視することもできぬ」
エルディンはレオを見た。
「そこで、条件付きで調査への同行を認める案が出ている」
レオの表情が明るくなった。
「本当ですか?」
「まだ決定ではない」
老人は続けた。
「まず、残りの審査を受けてもらう。特にレオとガイアの契約については、精霊の前で意思を確認する必要がある」
ガイアが頷いた。
「承知した」
「そして、もう一つ」
エルディンは白き守護者を見た。
「彼女にも、確認したいことがある」
守護者は静かに顔を上げた。
「三百年前、ヴァルドはこの森に一つの約束を残した」
レオが尋ねた。
「……約束?」
エルディンは頷いた。
「境界に異変が起きた時、白き守護者が再び森を訪れるならば、古い石碑へ導くように、と」
レオは驚いた。
「……ヴァルドが?」
「ああ」
エルディンは守護者を見つめた。
「私は長い間、その意味を理解できずにいた」
白き守護者は胸元へ手を当てた。
淡い光が、指の隙間から漏れ出す。
エルディンは静かに続けた。
「だが、今なら分かる。彼は、いつかこの森にも異変が訪れることを恐れていたのだろう」
レオは森の奥を見た。
「……それじゃあ、石碑には」
「おそらく、お前たちが探している答えの一部が眠っている」
エルディンは頷いた。
「しかし、そこへ向かうには、まず森に受け入れられなければならぬ」
老人は杖を持ち上げた。
「明朝、第二審査を行う」
レオは真剣な表情で頷いた。
「……分かりました」
白き守護者は、森の奥を見つめていた。
その瞳には、三百年前の記憶を思い出すような悲しみが浮かんでいる。
レオは彼女の隣へ立った。
「……必ず、石碑まで行こう」
守護者は静かに頷いた。
そして、レオの手をそっと握った。
――第150話・完――




