第146話「エルフの森へ」
地下遺跡を出発してから、三日が経過した。
レオたちは、王国の東部に広がる広大な森林地帯へ向かっていた。
その森の名は、エルフェリア大森林。
人間の王国よりも遥か昔から存在するとされる、エルフ族の領域だった。
森の奥には、数百年を生きる巨木が立ち並び、古代の魔法によって守られた集落が存在するという。
しかし、詳しいことはほとんど知られていない。
なぜなら、エルフ族は外部の人間との交流を避けていたからだ。
「……なあ、ガイア」
街道を歩きながら、カイが口を開いた。
「本当に、この先にエルフが住んでるのか?」
ガイアは手元の地図を確認した。
「ああ。古い文献によれば、この街道を抜けた先にエルフェリア大森林がある」
「古い文献って、どのくらい古いんだ?」
「およそ二百年前だ」
カイは足を止めた。
「……二百年?」
「そうだ」
「そんな昔の地図、信用できるのかよ」
ガイアは平然と答えた。
「森そのものが移動していなければ、問題ない」
「……いや、そういう話じゃねえだろ」
二人の会話を聞いていたミナが笑った。
「でも、エルフの森って少し楽しみですね」
レオが振り向く。
「ミナはエルフに会ったことがあるのか?」
「ありません」
「そうなのか?」
「はい。でも、昔から話は聞いていました」
ミナは遠くの森を見つめた。
「エルフは人間よりも長く生きて、自然の魔力を扱うのが得意なんだそうです」
カイが尋ねる。
「……強いのか?」
「もちろんです。特に弓術と精霊魔法に優れていると言われています」
「へえ」
カイは少し興味を示した。
「弓使いか。一度、戦ってみたいな」
レオが苦笑する。
「会っていきなり戦うなよ」
「分かってるって」
「本当か?」
「……たぶん」
「たぶんじゃ駄目だろ」
ミナが再び笑った。
そんな仲間たちのやり取りを聞きながら、白き守護者は静かに歩いていた。
その視線は、遠くに見える森へ向けられている。
レオは守護者へ近づいた。
「……なあ」
守護者が顔を上げる。
「この森に、何かあるんだよな?」
守護者は頷いた。
「ヴァルドたちに関係するものか?」
少しの沈黙。
そして、再び頷いた。
レオは考え込んだ。
「……三百年前の境界術か」
守護者は胸元へ手を当てた。
淡い白い光が、指先に集まる。
その光は、森の方角へ向かって細く伸びた。
ガイアが足を止めた。
「……何かを感じ取っているのか?」
守護者は頷いた。
「なるほど」
ガイアは地図を閉じた。
「この森には、古代の境界術に関する記録が残っているという伝承がある」
レオが顔を上げる。
「……本当か?」
「ああ。ただし、確かな証拠はない」
「……それでも、行く価値はあるな」
レオは守護者を見た。
「黒き守護者のことも、何か分かるかもしれない」
守護者の表情が、わずかに変わった。
そして、静かに頷いた。
夕方。
エルフェリア大森林の入口。
レオたちは、ついに森の前へ到着した。
目の前には、巨大な樹木が立ち並んでいる。
幹の太さは、大人が何人も手を繋がなければ囲めないほどだった。
枝葉は高い位置で重なり合い、森の内部へ差し込む光を遮っている。
しかし、暗いわけではなかった。
木々の間には、淡い緑色の光が漂っている。
小さな光の粒が、風に乗ってゆっくりと移動していた。
「……すげえな」
カイが呟いた。
ミナも目を輝かせた。
「綺麗……」
レオは周囲を見渡した。
「こんな森、初めて見た」
ガイアが答える。
「この森には、自然の魔力が非常に濃く流れている」
「自然の魔力?」
「ああ。木々や大地に宿る魔力だ」
ミナが手を伸ばした。
小さな光が、その指先へ近づく。
「……温かい」
レオも手を伸ばしてみた。
しかし、光は彼の指先へ近づく直前に離れていった。
「……あれ?」
カイが笑った。
「嫌われたんじゃねえか?」
「……何でだよ」
ガイアは、光の動きを見つめた。
「……恐らく、レオの魔力に反応したのだろう」
レオが振り向く。
「俺の?」
「ああ。ネクロマンサーの魔力は、死者の魂と深く結びついている」
「……」
「自然の精霊にとっては、あまり馴染みのないものなのかもしれない」
レオは少し残念そうに光を見た。
「……そうなのか」
ミナが笑った。
「大丈夫ですよ。きっと慣れてくれます」
「……だといいな」
その時だった。
白き守護者が、突然足を止めた。
レオが振り向く。
「……どうした?」
守護者は森の奥を見つめていた。
その表情には、警戒が浮かんでいる。
ガイアも顔を上げた。
「……誰かいる」
カイは腰の剣へ手を添えた。
「……敵か?」
「分からない」
ガイアは周囲を確認した。
「だが、こちらを見ている者がいる」
レオは森の奥へ声をかけた。
「……誰かいるのか?」
返事はなかった。
風が木々の葉を揺らしている。
しばらくして、レオは再び口を開いた。
「俺たちは、森に用があって来た!」
「……」
「争うつもりはない!」
しかし、返事はない。
カイが小声で呟いた。
「……無視されてるな」
ミナが周囲を見渡す。
「……本当に誰かいるんでしょうか?」
その時。
レオの足元に、一枚の葉が落ちた。
葉には、細い切れ目が入っている。
ガイアがそれを拾い上げた。
「……これは」
カイが覗き込む。
「何だ?」
ガイアは葉を見つめた。
「……警告だ」
レオが眉をひそめる。
「警告?」
「ああ。森の住人が、外部の者へ立ち入りを拒否する時に使う印だ」
カイは森の奥を見た。
「……つまり、入るなってことか」
「恐らくな」
レオは考え込んだ。
そして、静かに頷いた。
「……分かった」
カイが振り向く。
「……どうする?」
「今日は、ここで野営しよう」
「森には入らないのか?」
「ああ」
レオは森を見つめた。
「向こうが嫌がっているなら、無理に入るべきじゃない」
ガイアが頷いた。
「賢明な判断だ」
ミナも笑った。
「そうですね」
カイは少し不満そうだったが、剣から手を離した。
「……仕方ねえな」
レオは、もう一度森の奥へ声をかけた。
「今日は、ここで休ませてもらう!」
「……」
「勝手に森へ入ったりしないから、安心してくれ!」
返事はなかった。
しかし。
木々の奥で、一つの影が静かに動いた。
エルフェリア大森林、外縁監視区。
巨大な樹木の枝の上に、一人の少女が立っていた。
長い銀色の髪。
尖った耳。
澄んだ緑色の瞳。
少女の名は、リュシア・エルフェリス。
エルフ族の若き弓使いだった。
彼女は、森の入口にいる五人を見つめていた。
「……本当に止まった」
リュシアは小さく呟いた。
先ほど、警告の印を送ったのは彼女だった。
通常、人間の旅人は警告を無視して森へ入ろうとする。
そのため、外縁の監視者たちは、侵入者を追い返すことに慣れていた。
しかし、目の前の五人は違った。
警告を受け取ると、森へ入るのをやめた。
「……変な人間たち」
リュシアは首を傾げた。
その時、背後から声が聞こえた。
「……リュシア」
彼女が振り向く。
そこには、同じエルフ族の青年が立っていた。
深緑色の外套を纏い、腰には短剣を携えている。
「……フェルン」
リュシアが答えた。
青年は森の入口を見下ろした。
「……例の人間たちか?」
「うん」
「追い返したのか?」
「警告は送った」
「……それで?」
リュシアは肩をすくめた。
「森の外で野営するみたい」
フェルンは眉をひそめた。
「……妙だな」
「何が?」
「普通の人間なら、警告を無視して入ってくるか、すぐに立ち去る」
「……そうだね」
「だが、あいつらは待つことを選んだ」
リュシアは、再び森の入口を見た。
「……悪い人たちには見えなかったけど」
フェルンは首を振った。
「見た目で判断するな」
「分かってる」
「それに、あの中には危険な者がいる」
リュシアの表情が変わった。
「……危険な者?」
フェルンは、一人の少年を指差した。
黒い髪の少年。
レオだった。
「……あいつだ」
リュシアは目を細めた。
「……何か変なの?」
「魔力が違う」
「……」
「生者の魔力だけじゃない」
フェルンは低い声で続けた。
「……死者の気配がする」
リュシアの表情が変わった。
「……まさか」
フェルンは頷いた。
「ネクロマンサーだ」
リュシアは、レオを見つめた。
「……ネクロマンサー」
その言葉には、警戒と好奇心が入り混じっていた。
森の入口。
レオたちは、小さな焚き火を囲んでいた。
ミナが鍋を火にかけている。
「もう少しでできますよ」
カイが嬉しそうに顔を上げた。
「待ってました!」
レオが笑った。
「さっきから、そればっかりだな」
「腹が減ってるんだから仕方ねえだろ」
ガイアは地図を広げていた。
「……明日、森の住人と話ができればいいのだが」
レオが頷く。
「そうだな」
ミナが尋ねる。
「でも、どうやって話しかけるんですか?」
「……うーん」
レオは少し考えた。
「向こうから来てくれるのを待つしかないかな」
カイが笑った。
「随分、気長だな」
「勝手に入るよりいいだろ」
「まあな」
その時、白き守護者がレオの袖を引いた。
「……どうした?」
守護者は森の奥を指差した。
レオが振り向く。
「……何かいるのか?」
守護者は頷いた。
カイが剣へ手を伸ばした。
しかし、レオは首を振った。
「……待て」
「何だよ?」
「敵意は感じない」
ガイアが静かに頷いた。
「……確かに、こちらを観察しているだけのようだ」
レオは森の奥へ向き直った。
そして、静かに声をかけた。
「……そこにいるんだろ?」
返事はない。
「俺たちは、森を荒らしに来たわけじゃない」
「……」
「少しだけ、話を聞いてほしいんだ」
その時。
木々の奥から、一つの声が聞こえた。
「……何の話?」
レオの表情が変わった。
「……え?」
暗がりから、一人の少女が姿を現した。
銀色の髪。
尖った耳。
緑色の瞳。
背中には弓を背負っている。
リュシアだった。
彼女は一定の距離を保ったまま、レオたちを見つめていた。
「……森に入りたいんでしょ?」
レオは頷いた。
「ああ」
「……どうして?」
レオは少し考えた。
そして、正直に答えた。
「古い境界術について、調べたいんだ」
リュシアの表情が変わった。
「……境界術?」
「ああ」
「……何で、そんなものを?」
レオは白き守護者を見た。
守護者は静かに頷いた。
レオは、再びリュシアへ向き直った。
「……大切な仲間のためなんだ」
リュシアは首を傾げた。
「……仲間?」
「ああ」
レオは続けた。
「三百年前に起きた出来事について、もっと知りたい」
その言葉に、リュシアの表情が変わった。
「……三百年前?」
レオが頷く。
「北方の境界で、大きな事件があったんだ」
リュシアは、しばらく黙っていた。
そして、小さく呟いた。
「……そんな話」
レオが顔を上げる。
「……知ってるのか?」
リュシアは、ゆっくりと首を振った。
「……私は詳しく知らない」
「……そうか」
「でも」
リュシアは森の奥を見た。
「……おじいちゃんなら、知ってるかもしれない」
レオの表情が明るくなった。
「……本当か!」
しかし、リュシアはすぐに首を振った。
「……勘違いしないで」
「……え?」
「森に入れてあげるって、決めたわけじゃないから」
レオは少し驚いた。
リュシアは続けた。
「それに、あなた……」
彼女はレオを見つめた。
「……ネクロマンサーでしょ?」
レオは静かに頷いた。
「……ああ」
リュシアの表情が険しくなる。
「……やっぱり」
カイが口を開いた。
「だから何だってんだ?」
リュシアはカイを見た。
「……エルフの森では、死者の魂を操る魔法は禁止されてるの」
レオの表情が変わった。
「……そうなのか?」
「うん」
「……どうして?」
リュシアは少し迷った。
そして、静かに答えた。
「……昔、森で大きな事件があったから」
レオは真剣な表情になった。
「……どんな事件?」
リュシアは首を振った。
「……それは、私からは話せない」
「……」
「でも、ネクロマンサーが関係していたって聞いてる」
レオは、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……分かった」
リュシアが顔を上げる。
「……何が?」
「警戒される理由があるんだなって」
「……」
「だったら、無理に信用してくれとは言わない」
リュシアは少し驚いた。
レオは続けた。
「でも、俺は死者を無理やり従わせたりしない」
「……」
「死者にも意思があるから」
その言葉に、リュシアの表情が変わった。
「……意思?」
「ああ」
レオは胸元の『魂導秘録』へ手を当てた。
「死者だって、自分で選ぶ権利がある」
リュシアは、しばらくレオを見つめていた。
そして、小さく呟いた。
「……変なネクロマンサー」
レオが苦笑する。
「……よく言われる」
カイが横から口を挟んだ。
「いや、言われてねえだろ」
「……今、言われた」
「一回だけだろ」
ミナが笑いを堪えた。
リュシアも、思わず小さく笑った。
しかし、すぐに真剣な表情へ戻った。
「……明日」
レオが顔を上げる。
「……え?」
「明日、もう一度ここへ来る」
「……本当か?」
「うん」
リュシアは頷いた。
「おじいちゃんに話してみる」
レオは嬉しそうに笑った。
「……ありがとう!」
リュシアは少しだけ顔を背けた。
「……まだ何も決まってないから」
「それでも、ありがとう」
リュシアは、レオを一度だけ見た。
そして、森の奥へ戻っていった。
エルフェリア大森林、深部。
巨大な樹木の内部に造られた集落。
その中心にある長老の住居で、年老いたエルフが一人、古い書物を読んでいた。
その時、扉が開いた。
「……おじいちゃん」
リュシアだった。
老人が顔を上げる。
「……戻ったか」
「うん」
「人間たちは?」
「森の外で野営してる」
老人は頷いた。
「……そうか」
リュシアは少し迷った。
そして、口を開いた。
「……ねえ、おじいちゃん」
「何だ?」
「三百年前の境界術って、知ってる?」
その瞬間。
老人の手が止まった。
「……何?」
リュシアは続けた。
「森の外にいる人間たちが、調べてるんだって」
老人は、ゆっくりと書物を閉じた。
「……誰が、そんなことを言った?」
「黒い髪の男の子」
「……」
「ネクロマンサーらしいんだけど」
老人の表情が変わった。
「……ネクロマンサー?」
リュシアは頷いた。
「うん」
老人は立ち上がった。
そして、窓の外に広がる森を見つめた。
「……まさか」
リュシアが首を傾げる。
「……どうしたの?」
老人は答えなかった。
ただ、静かに呟いた。
「……あの時の約束が」
その声は、わずかに震えていた。
「……ようやく、動き始めたのか」
――第146話・完――




