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死界のネクロマンサー  作者: のんびり小僧
第6章「過去のネクロマンサー」
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145/183

第145話「受け継がれる意思」

三百年前。

北方、旧境界域。

第七監視地点。

雪は、まだ降り続いていた。

巨大な石の門には、三つの紋様が刻まれている。

白き守護者の紋様。

黒き守護者の紋様。

そして、二つの力を繋いだネクロマンサー、ヴァルドの紋様。

門は閉じられた。

境界の崩壊も止まった。

しかし、その場所にヴァルドの姿はなかった。

「……ヴァルド」

アシュレイは、何度目かも分からない呼びかけを口にした。

返事はない。

白き守護者は門の前に座り込み、動こうとしなかった。

その手には、ヴァルドが最後に残した小さな光が宿っている。

アシュレイは彼女の隣に膝をついた。

「……もう、行こう」

守護者は首を振った。

「ここにいても、あいつは戻ってこない」

その言葉を口にした瞬間、アシュレイ自身の胸が苦しくなった。

自分が一番、認めたくないことだった。

守護者は門へ手を伸ばした。

白い光が石の表面を伝う。

だが、ヴァルドの紋様は静かなままだった。

「……俺だって」

アシュレイは俯いた。

「俺だって、置いていきたくない」

守護者が顔を上げる。

「でも、あいつが守ったものを、ここで終わらせるわけにはいかないんだ」

アシュレイは門を見上げた。

「……そうだろ、ヴァルド」

返事はなかった。

ただ、三つの紋様が淡い光を放っていた。


第七監視地点、外周。

三人目のネクロマンサーは、負傷した仲間たちの手当てを続けていた。

黒い紋様を刻まれた者もいる。

崩れた監視塔の下敷きになり、足を負傷した者もいた。

それでも、生き残った者たちは互いに支え合っていた。

「……門は、本当に閉じたのか?」

腕を負傷した男が尋ねた。

三人目の男は頷いた。

「ああ。今のところ、境界から異常な魔力は流れていない」

「……そうか」

男は安堵したように息を吐いた。

そして、辺りを見回した。

「……ヴァルドは?」

三人目の男は答えられなかった。

「……おい」

男が身体を起こそうとする。

「ヴァルドは、どこにいる?」

「……」

「まさか……」

三人目の男は目を伏せた。

その沈黙だけで、男には十分だった。

「……嘘だろ」

誰も否定しなかった。

やがて、男は顔を覆った。

「……あいつ、帰ったら全員で飯を食おうって……」

三人目の男は拳を握った。

魂導院を創設した十三人。

彼らは、死者の魂を正しく導くために集まった。

誰かを支配するためではない。

誰かを犠牲にするためでもない。

死者にも、生者にも、尊厳があると信じていたからだ。

だが今、その中心にいたヴァルドはいない。

「……俺たちは」

三人目の男が呟く。

「何を、間違えたんだろうな」

負傷した男は答えなかった。

三人目の男は、かつて自分が教会へ送った報告書を思い出していた。

恐怖から書いた報告。

仲間への疑いを生んだ言葉。

その結果、魂導院は引き裂かれた。

「……もう、同じことはしない」

男は静かに立ち上がった。

「今度こそ、真実を残す」


数日後。

魂導院。

北方から帰還した者たちは、重い沈黙の中にいた。

ヴァルドの研究室は、出発した時のままだった。

机の上には、書きかけの術式図。

棚には、古い魂導術の記録。

窓際には、十三人で撮った小さな肖像画が置かれていた。

アシュレイは、その肖像画を手に取った。

「……懐かしいな」

そこには、まだ誰も失われていなかった頃の仲間たちがいた。

ヴァルドは中央で笑っている。

アシュレイは、その隣に立っていた。

「……お前は、いつもそうだった」

アシュレイは椅子に腰掛けた。

「誰かが困っていたら、放っておけない」

肖像画を机へ戻す。

「……だから、みんなお前を頼ったんだ」

しばらく、部屋には沈黙が流れた。

やがて、扉が開いた。

三人目のネクロマンサーだった。

「……アシュレイ」

「どうした?」

「教会から使者が来た」

アシュレイの表情が変わった。

「……何の用だ」

「北方の封印について、正式な報告を求めている」

「……そうか」

「それと……」

三人目の男は言いにくそうに目を伏せた。

「魂導院の今後についても、話し合いたいらしい」

アシュレイは静かに立ち上がった。

「……分かった」


魂導院、大広間。

聖王教会の指揮官が、数人の騎士と共に立っていた。

その隣には、老司祭もいる。

アシュレイが入室すると、指揮官は彼へ視線を向けた。

「……アシュレイ」

「何だ」

「北方の門が閉じられたことは確認した」

「……そうか」

「お前たちの封印術式が成功したことも認めよう」

アシュレイは黙っていた。

指揮官は続けた。

「だが、魂導院が危険な研究を行っていた事実は変わらない」

三人目の男が顔を上げた。

「……それは!」

アシュレイが手で制した。

「……最後まで聞こう」

指揮官は一枚の書類を取り出した。

「教会は、魂導院の研究活動を停止させる方針だ」

広間に動揺が広がった。

「……何だと?」

「研究を停止?」

「俺たちは世界を救ったんだぞ!」

指揮官は表情を変えなかった。

「だからこそ、これ以上の危険を防がねばならない」

アシュレイは一歩前へ出た。

「……教会は、あの青年をどうした?」

指揮官の眉が動く。

「……青年?」

「封印の核にしようとしていた男だ」

「……」

「門は閉じた。もう拘束する理由はない」

指揮官は少しの間、黙っていた。

そして答えた。

「……解放した」

アシュレイは老司祭を見た。

老司祭が静かに頷いた。

「彼は家族のもとへ帰った」

アシュレイは安堵したように息を吐いた。

「……そうか」

指揮官は続けた。

「だが、魂導院の処分は別問題だ」

アシュレイは顔を上げた。

「……分かっている」

「ならば、従うか?」

アシュレイは首を振った。

「……いや」

指揮官の表情が険しくなった。

「……何?」

「研究を止めるつもりはない」

「お前は、まだ危険な術を続けるつもりか!」

アシュレイは静かに答えた。

「……死者を導くことが、危険だと言うのか?」

「……」

「確かに、俺たちは間違えた」

アシュレイは続けた。

「黒い石を調べ、境界の向こう側へ触れてしまった」

「……」

「その結果、仲間を失った」

アシュレイの声が、わずかに震えた。

「……ヴァルドも失った」

広間が静まり返る。

「だが、だからといって、魂導術そのものを否定するつもりはない」

アシュレイは指揮官を見つめた。

「……俺たちの術は、誰かを支配するためのものじゃない」

「……」

「死者の声を聞き、その意思を尊重し、正しい場所へ導くためのものだ」

老司祭が静かに目を閉じた。

アシュレイは続けた。

「俺は、その考えを捨てない」

指揮官はしばらく沈黙した。

そして、書類を机へ置いた。

「……ならば、教会は魂導院を正式な研究機関として認めない」

「……構わない」

「今後、お前たちの活動は監視対象となる」

「……好きにしろ」

指揮官はアシュレイを睨んだ。

「……後悔するぞ」

アシュレイは静かに答えた。

「後悔なら、もう十分している」

指揮官は何も言わなかった。

やがて騎士たちを連れ、広間を出ていった。

老司祭だけが、その場に残った。

「……アシュレイ」

アシュレイが振り向く。

「……何ですか?」

老司祭は深く頭を下げた。

「……すまなかった」

アシュレイは目を見開いた。

「……」

「私たちは、守るべき命を見失いかけた」

老司祭は続けた。

「そして、その過ちを止められなかった」

アシュレイはしばらく老司祭を見つめていた。

そして、静かに答えた。

「……あなたは、あの青年を助けようとした」

「……」

「俺を地下牢から出してくれた」

老司祭が顔を上げる。

「……それだけは、忘れません」

老司祭の目に涙が浮かんだ。


その夜。

魂導院、地下封印庫。

アシュレイは、白き守護者と向き合っていた。

守護者は、以前よりも静かになっていた。

ヴァルドを失ってから、ほとんど誰とも目を合わせようとしない。

「……少し、話をしてもいいか?」

守護者は頷いた。

アシュレイは床に腰を下ろした。

「……ヴァルドのことだ」

守護者の表情が変わる。

「……あいつは、最後に何と言った?」

守護者は、ゆっくりと手を伸ばした。

白い光が、アシュレイの胸元へ触れる。

その瞬間。

ヴァルドの最後の言葉が、アシュレイの脳裏に浮かんだ。

『……いつか、俺たちの意思を継ぐ者が現れる』

『……その時は、力を貸してやってくれ』

アシュレイは目を閉じた。

「……そうか」

守護者は俯いた。

アシュレイは、静かに続けた。

「……ならば、俺にもできることがある」

守護者が顔を上げる。

「ヴァルドが残した術式を、記録に残す」

「……」

「共同封印の仕組みも、黒い石の危険性も、全部だ」

アシュレイは小さく笑った。

「……いつか、同じ危機が訪れた時のために」

守護者は、静かに頷いた。


数日後。

魂導院、地下記録室。

アシュレイは、一冊の分厚い書物を開いていた。

表紙には、古い文字で題名が刻まれている。

『魂導秘録』

そこには、ヴァルドたちが経験した出来事が記されていた。

黒い石の発見。

最初の研究者の侵食。

二人目の研究者の失踪。

三人目の研究者が犯した過ち。

白き守護者と黒き守護者の存在。

そして、北方の門で行われた共同封印。

アシュレイは、最後の頁へ筆を走らせた。

我々は、境界の向こう側に存在するものの正体を知らない。

だが、確かなことが一つある。

それは、魂の繋がりを利用し、人の意思を奪おうとする存在だということ。

魂導術は、使い方を誤れば恐ろしい力となる。

しかし、本来の魂導術は、死者を支配するためのものではない。

死者の意思を尊重し、魂を導くためのものだ。

アシュレイは筆を止めた。

そして、最後の一文を書き加えた。

『死者を従わせるな。死者と共に歩め。』

その言葉を書き終えると、アシュレイは静かに書物を閉じた。

「……これでいいか、ヴァルド」

返事はない。

しかし、部屋の隅に置かれた白い石が、淡く光った。


現在。

地下遺跡、記憶の間。

長い記憶が終わった。

周囲に広がっていた三百年前の光景が、ゆっくりと消えていく。

レオたちは、元の地下遺跡へ戻っていた。

目の前には、古い石台。

その上には、一冊の書物が置かれていた。

アシュレイが残した『魂導秘録』だった。

「……これが」

レオが呟く。

死者の男が頷いた。

『ああ』

「……本物なのか?」

『そうだ』

レオは、ゆっくりと書物へ手を伸ばした。

表紙は古びていたが、文字ははっきりと残っていた。

カイが隣から覗き込む。

「……ずいぶん古い本だな」

ミナが答える。

「三百年前のものですからね」

ガイアは書物を見つめていた。

「……しかし、よく残っていたものだ」

死者の男が静かに答えた。

『アシュレイが、特殊な魂導術で保護していた』

レオは書物を開いた。

最初の頁には、十三人のネクロマンサーの名前が記されていた。

そして、その下には一つの文章。

我々は、死者を恐れない。

死者を道具として扱わない。

生者と死者が、互いの意思を尊重できる世界を目指す。

レオは、しばらくその文章を見つめていた。

「……俺と、同じだ」

ガイアが頷く。

「……ああ」

レオは続けた。

「俺も、死者を無理やり従わせたくない」

「……」

「一緒に戦ってくれるなら、その意思を尊重したい」

カイが小さく笑った。

「……お前らしいな」

ミナも頷いた。

「だから、私たちはレオについてきたんですよ」

レオは少し照れたように笑った。

「……そうか」

その時、白き守護者がレオの隣へ近づいた。

守護者は、書物の最後の頁を指差した。

レオは頁をめくった。

そこには、アシュレイが残した最後の言葉があった。

『死者を従わせるな。死者と共に歩め。』

レオは、静かに読み上げた。

「……死者と共に歩め」

守護者は頷いた。

レオは書物を閉じた。

「……分かった」

守護者が顔を上げる。

「俺が、受け継ぐ」

カイが隣へ立った。

「……俺たちが、だろ?」

レオは振り向いた。

カイは笑った。

「一人で背負うなよ」

ミナも頷く。

「そうですよ」

ガイアが静かに答えた。

「我々は、冥夜の旅団だ」

レオは仲間たちを見つめた。

そして、小さく笑った。

「……そうだったな」

白き守護者の表情が、少しだけ和らいだ。


地下遺跡、最深部。

死者の男は、レオたちを一つの石扉の前へ案内した。

「……ここが、最後だ」

レオが尋ねる。

「……何がある?」

死者の男は答えた。

『アシュレイが、未来のネクロマンサーへ残したものだ』

石扉が、ゆっくりと開いた。

その奥には、小さな部屋があった。

中央には、白い台座。

そして、その上には、一つの結晶が浮かんでいた。

淡い青色の結晶。

内部には、複雑な魂導術の紋様が刻まれている。

「……これは?」

レオが尋ねた。

死者の男が答える。

『魂導の記憶を封じた結晶だ』

ガイアが顔を上げる。

「……記憶?」

『ああ』

死者の男は続けた。

『アシュレイは、自分たちの術式を後世へ残そうとした』

「……」

『だが、文字だけでは伝えきれないものがあった』

レオは結晶を見つめた。

「……何を?」

死者の男は静かに答えた。

『魂導術を使う者の意思だ』

レオは、ゆっくりと結晶へ手を伸ばした。

その瞬間。

淡い光が広がった。

レオの脳裏に、一人の男の姿が浮かぶ。

アシュレイだった。

三百年前の姿のまま、静かに立っている。

『……これを見ている者へ』

アシュレイの声が響いた。

『お前が、どんな時代に生きているのか、俺には分からない』

レオは息を呑んだ。

『だが、もしお前がネクロマンサーなら』

アシュレイは続けた。

『一つだけ、覚えていてほしい』

「……」

『魂には、意思がある』

『死者にも、願いがある』

『そして、その願いを踏みにじる者に、魂を導く資格はない』

レオは、静かに頷いた。

アシュレイの姿が、少しずつ薄くなっていく。

『……どうか』

最後に、アシュレイは微笑んだ。

『俺たちが守ろうとしたものを、忘れないでくれ』

そして、光は消えた。


地下遺跡、出口。

レオたちは、長い階段を上っていた。

地上へ続く道の先には、朝日が差し込んでいる。

「……長かったな」

カイが呟いた。

ミナが頷く。

「でも、来てよかったですね」

ガイアは静かに答えた。

「……多くのことを知ることができた」

レオは、胸元に収めた『魂導秘録』へ手を当てた。

「……ああ」

白き守護者が、レオの隣を歩いている。

以前よりも、その足取りは軽く見えた。

レオは守護者を見た。

「……なあ」

守護者が顔を上げる。

「次は、どこへ行きたい?」

守護者は少し考えた。

そして、遠くの森が広がる方角を指差した。

レオが首を傾げる。

「……森?」

ガイアが答えた。

「……エルフの森かもしれない」

ミナが顔を上げる。

「エルフの森?」

「ああ。古い文献には、境界に関する知識を持つエルフたちがいると記されている」

カイが笑った。

「……面白そうじゃねえか」

レオは守護者を見た。

「……そこに、何かあるのか?」

守護者は頷いた。

そして、胸元へ手を当てた。

白い光が、遠くの森へ向かって伸びる。

レオは小さく笑った。

「……分かった」

仲間たちを振り向く。

「次の目的地は、エルフの森だ!」

カイが頷いた。

「……おう!」

ミナが笑う。

「楽しみですね!」

ガイアも静かに頷いた。

「……新たな旅の始まりだな」

五人は、朝日の差し込む道へ歩き出した。


その頃。

遠く離れた森の奥。

巨大な樹木に囲まれた集落で、一人の少女が弓を構えていた。

長い銀色の髪。

尖った耳。

澄んだ緑色の瞳。

少女は、遠くの木に吊るされた小さな標的を見つめていた。

そして、静かに矢を放つ。

矢は、標的の中央を正確に射抜いた。

「……よし」

少女は小さく笑った。

その時。

森の奥から、年老いたエルフが近づいてきた。

「……リュシア」

少女が振り向く。

「……おじいちゃん?」

老人は、真剣な表情をしていた。

「……森の結界に、異変が起きている」

リュシアの表情が変わった。

「……異変?」

老人は頷いた。

「……外の世界から、何者かが近づいている」

リュシアは弓を握り直した。

「……敵?」

老人は首を振った。

「……まだ分からない」

そして、静かに続けた。

「だが、その者たちの中に……」

老人は森の奥を見つめた。

「……死者の気配を纏う者がいる」

リュシアは目を見開いた。

「……死者?」

老人は頷いた。

「……ネクロマンサーだ」

リュシアは、遠くの空を見上げた。

「……ネクロマンサー」

その言葉を、静かに繰り返した。

そして、まだ見ぬ旅人たちの姿を想像していた。

――第145話・完――

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