第142話「黒き守護者の正体」
三百年前。
北方、旧境界域。
雪に覆われた山々の奥。
かつて人々が境界を監視していた場所には、巨大な石の門が存在していた。
門の周囲には七つの監視地点が設けられていたが、そのほとんどは既に機能を失っている。
そして、最も奥に位置する第七監視地点。
そこでは、白い封印の光が黒い影に侵食され続けていた。
門の中央には、縦に伸びる巨大な亀裂がある。
その向こう側から、何者かがこちらを見つめていた。
『……来る』
暗闇の奥で、低い声が響く。
『……白き守護者が』
その隣には、人間の姿に似た黒い影が立っていた。
影は何も答えない。
ただ、門の向こう側を静かに見つめていた。
北方街道。
ヴァルドたちは、雪の積もった道を進んでいた。
先頭を歩くヴァルドの隣には、白い守護者がいる。
後方にはアシュレイ、三人目のネクロマンサー、そして協力を申し出た仲間たちが続いていた。
「……思ったより寒いな」
一人のネクロマンサーが呟いた。
アシュレイは周囲を見渡した。
「この先は、さらに気温が下がる」
「……まだ下がるのか?」
「ああ。境界の異変によって、周辺の魔力循環も乱れている」
ヴァルドが振り向く。
「全員、無理をするな」
仲間たちが頷いた。
その時、白い守護者が足を止めた。
「……どうした?」
ヴァルドが尋ねる。
守護者は北方の山々を見つめていた。
その白い光が、わずかに揺れている。
アシュレイが近づいた。
「……何か感じるのか?」
守護者は頷いた。
そして、胸元へ手を当てた。
ヴァルドの脳裏に、一つの光景が浮かぶ。
白い空間。
その中央に立つ、二つの人影。
白い守護者。
そして、黒い守護者。
二人は互いに向き合っていた。
しかし、次の瞬間。
黒い守護者の背後に、巨大な瞳が現れる。
白い守護者が手を伸ばす。
だが、黒い守護者は振り向かなかった。
そこで光景は途切れた。
ヴァルドは目を開けた。
「……また、あの光景か」
アシュレイが尋ねる。
「何が見えた?」
「黒い守護者だ」
三人目のネクロマンサーが顔を上げた。
「……地下封印庫の記録にあった存在か?」
「ああ」
ヴァルドは守護者を見た。
「……お前は、あいつに会いたいのか?」
守護者は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
第六監視地点。
ヴァルドたちは、崩れかけた監視塔へ到着した。
塔の内部には、古い術式が刻まれている。
アシュレイが壁に触れた。
「……まだ使える部分がある」
ヴァルドが尋ねる。
「門の状態を調べられるか?」
「試してみる」
アシュレイは術式を展開した。
《魂導探査・境界観測》
壁に刻まれた文字が淡く光り始める。
空中に、巨大な石の門の姿が浮かび上がった。
「……これが、現在の門か」
三人目のネクロマンサーが呟く。
映し出された門には、大きな亀裂が走っていた。
白い封印は、既に半分以上が失われている。
「……まずいな」
アシュレイが眉をひそめる。
ヴァルドは門の周囲を見た。
「……何かいる」
映像の奥。
門の前に、一人の人影が立っていた。
全身を黒い光に包まれた存在。
その姿は、人間に似ていた。
しかし、顔は見えない。
三人目のネクロマンサーが息を呑んだ。
「……まさか」
アシュレイが呟く。
「……黒き守護者か」
その瞬間、映像の中の影が顔を上げた。
まるで、こちらを見ているかのように。
そして、静かに口を開いた。
『……来るな』
ヴァルドの表情が変わった。
「……何?」
『……ここへ、来てはならない』
映像が乱れ始める。
アシュレイが術式を維持しようとした。
「……待て!」
しかし、黒い影は続けた。
『……白き守護者を、連れてくるな』
その言葉を最後に、映像は消えた。
監視塔。
しばらくの沈黙が流れた。
ヴァルドは白い守護者を見た。
守護者は、映像が消えた場所を見つめていた。
「……知り合いなんだな」
守護者は頷いた。
「……あいつは、何者なんだ?」
守護者は目を閉じた。
そして、ヴァルドの額へ手を伸ばした。
白い光が広がる。
遥か昔。
境界が、まだ安定していた時代。
巨大な石の門の前には、二つの存在が立っていた。
一つは白。
もう一つは黒。
二人は、人間とは異なる存在だった。
しかし、その姿は人間に近かった。
白い守護者が、門の外側に立つ。
黒い守護者は、門の内側に立っていた。
二人の間には、巨大な石の門がある。
『……今日も異常はない』
黒い守護者が告げた。
白い守護者は頷いた。
『……そう』
『現世の様子は?』
白い守護者は、遠くの世界を見つめた。
『……穏やか』
黒い守護者は小さく笑った。
『それなら、いい』
二人は、互いに手を伸ばした。
石の門を挟んで、白い光と黒い光が重なる。
その瞬間、門に刻まれた術式が輝いた。
境界は安定していた。
しかし。
ある日。
黒い守護者は、境界のさらに奥で異変を感じた。
『……何だ?』
暗闇の向こう。
本来、何も存在しないはずの場所に、小さな瞳が浮かんでいた。
『……誰だ』
黒い守護者が問いかける。
瞳は答えなかった。
ただ、静かにこちらを見つめている。
『……ここは、通してはならない場所だ』
黒い守護者は手を伸ばした。
《境界守護・黒環》
黒い光が広がり、瞳を囲む。
しかし、瞳は消えなかった。
『……見つけた』
低い声が響いた。
黒い守護者の表情が変わる。
『……何を?』
『……門を』
瞳が大きく開いた。
『……そして、お前を』
黒い守護者は後退した。
『……近づくな』
しかし、暗闇から細い線が伸びてきた。
その線は、黒い守護者の腕へ絡みついた。
『……何だ、これは!』
黒い守護者は術式を展開した。
《境界断絶》
黒い線が断ち切られる。
だが、次の瞬間には再び伸びてきた。
『……無駄だ』
瞳が告げる。
『……お前は、境界そのものと繋がっている』
黒い守護者は目を見開いた。
『……まさか』
『……お前を通れば、門へ届く』
その瞬間。
黒い守護者の胸元に、巨大な紋様が浮かび上がった。
黒い光が、異質な影へと変わり始める。
『……やめろ!』
黒い守護者は必死に抵抗した。
しかし、向こう側の存在は、彼の力を利用しようとしていた。
その時。
石の門の向こうから、白い光が伸びてきた。
『……待って!』
白い守護者だった。
彼女は門の外側から手を伸ばした。
『……今、助ける!』
黒い守護者は首を振った。
『……来るな!』
『……どうして!』
『……俺に繋がれば、お前まで奪われる!』
白い守護者は手を止めなかった。
『……それでも!』
黒い守護者は、彼女を見つめた。
そして、静かに告げた。
『……お前は、現世を守れ』
『……嫌!』
『……俺は、こちら側を守る』
黒い守護者は両手を広げた。
《境界守護・黒環封鎖》
巨大な黒い光が、門の内側へ広がった。
黒い守護者は、自らの力で境界の奥を封じ込めた。
しかし、その代償として、白い守護者との繋がりが断たれた。
『……待って!』
白い守護者が叫ぶ。
黒い守護者は、最後に小さく笑った。
『……いつか、また』
そして、門の奥へ姿を消した。
現在の記憶。
ヴァルドは目を開けた。
「……そういうことだったのか」
白い守護者は俯いていた。
その目には、涙が浮かんでいる。
アシュレイが尋ねる。
「……何が分かった?」
ヴァルドは静かに答えた。
「黒い守護者は、敵じゃない」
三人目のネクロマンサーが顔を上げる。
「……何?」
「むしろ、ずっと境界を守っていた」
アシュレイは考え込んだ。
「……だが、今は門の向こう側にいる」
「ああ」
ヴァルドは続けた。
「そして、向こう側の存在に利用されかけている」
三人目の男が尋ねる。
「……だったら、どうする?」
ヴァルドは白い守護者を見た。
「……助けよう」
守護者の表情が変わった。
「門を閉じるだけじゃない」
ヴァルドは続けた。
「黒い守護者も、連れ戻す」
白い守護者は、しばらくヴァルドを見つめていた。
そして、静かに頷いた。
第七監視地点。
門の前。
黒い守護者は、一人で立っていた。
その右腕には、黒い紋様が広がっている。
しかし、それは本来の守護者の力ではなかった。
向こう側の存在によって刻まれた、異質な紋様だった。
『……来るなと言ったはずだ』
黒い守護者が呟く。
暗闇の奥から、巨大な瞳が現れた。
『……なぜ、拒む』
黒い守護者は答えた。
『……あいつを、巻き込みたくない』
『……白き守護者か』
『……』
『……お前たちは、互いを必要としている』
黒い守護者は拳を握った。
『……だからこそ、近づけない』
巨大な瞳が細くなる。
『……ならば』
暗闇から、複数の黒い手が伸びた。
『……お前の意思を奪えばいい』
黒い守護者の身体が、ゆっくりと持ち上がる。
『……やめろ!』
彼は必死に抵抗した。
しかし、黒い紋様は首元まで広がり始めた。
巨大な瞳が告げる。
『……お前が門を開けば』
黒い守護者は歯を食いしばった。
『……現世は、我々のものになる』
現在。
レオは、記憶の中の黒い守護者を見つめていた。
「……敵じゃなかったんだ」
ガイアが頷いた。
「境界の向こう側で、長い間戦い続けていたのだろう」
カイが腕を組んだ。
「……それなのに、利用されようとしてるのか」
ミナは白い守護者を見た。
「……ずっと、会いたかったんですね」
守護者は静かに頷いた。
レオは少し考えた。
「……お前は、今も黒い守護者のことを覚えているんだな」
守護者は頷いた。
そして、レオへ手を伸ばした。
白い光が、レオの胸元に触れる。
そこには、悲しみと後悔。
そして、長い時間を経ても消えない願いが込められていた。
レオは守護者の手を握った。
「……分かった」
守護者が顔を上げる。
「いつか、必ず探そう」
その言葉に、守護者の目が揺れた。
レオは続けた。
「三百年前に何が起きたのか、全部知ってから」
「……」
「その上で、俺たちにできることを考えよう」
守護者は静かに頷いた。
三百年前。
北方、旧境界域。
ヴァルドたちは、ついに第七監視地点へ到着した。
雪の向こうに、巨大な石の門が見える。
門の中央には、大きな亀裂が走っていた。
そして、その前には、一人の黒い人影が立っている。
「……あれが」
ヴァルドが呟く。
アシュレイが頷いた。
「……黒き守護者」
白い守護者が、一歩前へ出た。
黒い人影が、ゆっくりと顔を上げる。
二人の視線が重なった。
長い時間を経て、再び向き合う二つの守護者。
しかし、黒い守護者の口から発せられたのは、再会を喜ぶ言葉ではなかった。
『……逃げろ』
ヴァルドの表情が変わった。
「……何?」
黒い守護者は、苦しそうに顔を歪めた。
『……今すぐ……ここから……!』
その瞬間。
黒い守護者の背後に、巨大な瞳が開いた。
そして、門の亀裂から無数の黒い腕が伸び始めた。
ヴァルドは術式を展開する。
《魂導鎖》
白い鎖が、仲間たちの前に広がった。
「……全員、構えろ!」
アシュレイも両手を広げた。
《魂導結界》
白い光が、仲間たちを包み込む。
黒い守護者は、最後の力を振り絞るように叫んだ。
『……俺を……止めろ!』
ヴァルドは、黒い守護者を見つめた。
そして、静かに答えた。
「……分かった」
白い守護者が、ヴァルドの隣へ立つ。
「……でも、殺さない」
ヴァルドは続けた。
「必ず、助ける」
黒い守護者の目が、わずかに揺れた。
その直後。
門の向こう側から、巨大な黒い手が伸びてきた。
――第142話・完――




