第141話「共同封印」
三百年前。
魂導院、中庭。
夜明け前の空には、厚い雲が広がっていた。
聖王教会の騎士たちが、北方遠征の準備を進めている。
荷馬車の中央には、巨大な封印装置が積まれていた。
銀色の枠に囲まれたその装置には、複雑な術式が刻まれている。
しかし、中央には不自然な空間が設けられていた。
人間一人が収まるほどの大きさ。
そこには、魂を固定するための拘束具が取り付けられていた。
「……お願いです」
装置の前に立たされた若い男性が、震える声で訴えた。
「俺は、何もしていません」
騎士の一人が答える。
「分かっている」
「だったら、どうして……」
「世界を守るためだ」
男は首を振った。
「……嫌です」
騎士は黙っていた。
「……死にたくない」
その言葉に、近くにいた若い騎士が目を伏せた。
しかし、隊列を整える命令が下されると、誰も男を解放しようとはしなかった。
魂導院、地下牢。
アシュレイは、老司祭に導かれて薄暗い廊下を進んでいた。
両手には、まだ魂導術を封じる拘束具が取り付けられている。
「……これを外せるか?」
アシュレイが尋ねた。
老司祭は首を振った。
「鍵は指揮官が管理している」
「……厄介だな」
「ただし、拘束具の術式を弱めることならできる」
老司祭はアシュレイの手首に触れた。
淡い光が拘束具を包む。
《聖印解除・第一節》
刻まれた文字の一部が消えた。
アシュレイは指を動かした。
「……完全ではないが、これなら」
「無理に術を使えば、拘束具が反応する」
「分かっている」
老司祭は足を止めた。
「……アシュレイ」
「何だ?」
「一つ、頼みがある」
アシュレイが振り向く。
老司祭は静かに告げた。
「封印装置に拘束された青年を助けてほしい」
アシュレイの表情が変わった。
「……もう選ばれたのか?」
「ああ」
「本人は承諾しているのか?」
老司祭は首を振った。
「……していない」
アシュレイは拳を握った。
「……やはりな」
「私は止めようとした。だが、指揮官は命令を撤回しなかった」
「……」
「どうか、あの青年を」
アシュレイは老司祭を見つめた。
「……分かった」
「……ありがとう」
「礼を言うのは、まだ早い」
アシュレイは廊下の先を見た。
「まずはヴァルドと合流する」
魂導院、地下封印庫。
ヴァルドは、白い守護者と向き合っていた。
床には三つの円が描かれている。
一つ目は、魂を導く者の術式。
二つ目は、境界を守る者の術式。
そして三つ目は、双方の力を重ねるための術式だった。
「……これが共同封印の基本構造か」
ヴァルドが呟く。
守護者は頷いた。
ヴァルドは術式を見つめた。
「問題は、俺たちの力だけで北方の門を閉じられるかどうかだ」
守護者は床に手を触れた。
白い光が広がる。
その光の中に、巨大な石の門が浮かび上がった。
門の亀裂は、以前よりも大きく広がっている。
黒い影が、内側から封印を侵食していた。
「……やっぱり、時間がないな」
ヴァルドは眉をひそめた。
その時、扉が開いた。
「……ヴァルド!」
アシュレイが駆け込んできた。
ヴァルドが振り向く。
「……アシュレイ!」
「待たせたな」
「どうやって出てきた?」
「老司祭が助けてくれた」
ヴァルドは安堵したように息を吐いた。
「……よかった」
しかし、アシュレイは真剣な表情を崩さなかった。
「喜んでいる場合じゃない」
「……何があった?」
「教会が、生者の魂を使う封印装置を完成させた」
ヴァルドの表情が変わった。
「……何?」
「しかも、既に人間を一人拘束している」
「……誰だ?」
「名前は分からない。若い男だ」
ヴァルドは拳を握った。
「……許せない」
アシュレイが頷く。
「だから、俺たちが先に門を閉じる」
ヴァルドは守護者を見た。
守護者も静かに頷いた。
「……共同封印を完成させよう」
魂導院、研究室。
ヴァルド、アシュレイ、三人目のネクロマンサー。
そして、白い守護者。
四人は共同封印の術式を囲んでいた。
三人目の男が尋ねる。
「……本当に、魂を犠牲にせず封印できるのか?」
ヴァルドは頷いた。
「守護者が示した条件では、可能なはずだ」
アシュレイが続ける。
「ただし、成功には三つの条件がある」
「……三つ?」
「ああ」
アシュレイは術式図を指差した。
「第一に、魂を導く者が境界の流れを整えること」
「……」
「第二に、境界を守る者が門の封印を支えること」
「……」
「そして第三に、双方が自分の意思で力を重ねること」
三人目の男は考え込んだ。
「……つまり、強制的に魂を使っても完成しない?」
「そうだ」
アシュレイは頷いた。
「教会の術式は、魂を固定して封印の材料にする」
「……」
「だが、本来の封印は違う」
ヴァルドが続けた。
「魂を奪うのではなく、互いの力を重ねる」
三人目の男は静かに頷いた。
「……なるほど」
アシュレイは術式図の中央を指差した。
「問題はここだ」
ヴァルドが顔を上げる。
「……何だ?」
「境界の向こう側から、封印を破壊する力が働いている」
「……黒い瞳か」
「ああ」
アシュレイは続けた。
「俺たちが封印を完成させようとしても、向こう側から妨害される可能性が高い」
三人目の男が尋ねる。
「……どうすれば?」
アシュレイは少し考えた。
「誰かが、外側から術式を守る必要がある」
ヴァルドが頷く。
「……ならば、俺たち以外のネクロマンサーにも協力してもらおう」
三人目の男は表情を曇らせた。
「……全員が協力してくれるだろうか」
ヴァルドは静かに答えた。
「……頼んでみる」
魂導院、大広間。
残された十二人のネクロマンサーが集まっていた。
ヴァルドは中央に立ち、共同封印の術式について説明していた。
「……俺たちは、北方の門を閉じる」
一人のネクロマンサーが尋ねる。
「……本当に成功するのか?」
「保証はない」
ヴァルドは正直に答えた。
「だが、守護者が示した本来の封印方法だ」
別の男が口を開いた。
「……教会の術式は?」
アシュレイが答える。
「生者の魂を強制的に固定する方法だ」
「……」
「それでは、封印できたとしても犠牲者は戻らない」
広間に沈黙が流れた。
ヴァルドは続けた。
「俺は、誰かの命を犠牲にする方法を選びたくない」
「……」
「だから、力を貸してほしい」
一人のネクロマンサーが立ち上がった。
「……俺は協力する」
ヴァルドが顔を上げる。
「……本当か?」
「ああ」
男は頷いた。
「二人目が消えた時、俺は何もできなかった」
「……」
「だから、今度は逃げたくない」
別のネクロマンサーも立ち上がった。
「……俺もだ」
さらに一人。
そして、もう一人。
しかし、全員が立ち上がったわけではなかった。
数人は、席に座ったままだった。
ヴァルドは彼らを見た。
「……無理にとは言わない」
一人が顔を上げる。
「……すまない」
ヴァルドは首を振った。
「謝る必要はない」
「……」
「これは、俺たち自身が選ぶことだから」
その言葉に、男は目を伏せた。
魂導院、中庭。
聖王教会の遠征隊が、出発しようとしていた。
巨大な封印装置を積んだ荷馬車。
その隣には、両手を拘束された若い男性が立っている。
「……お願いします」
男は騎士へ訴えた。
「家に帰してください」
騎士は答えなかった。
「……母が待っているんです」
若い騎士の表情が変わった。
しかし、隊長格の騎士が命じた。
「乗せろ」
二人の騎士が男を荷馬車へ連れていこうとする。
その時だった。
「……待て!」
声が響いた。
騎士たちが振り向く。
中庭の入口に、ヴァルドとアシュレイが立っていた。
その後ろには、数人のネクロマンサー。
そして、白い守護者がいた。
指揮官が顔を上げた。
「……何のつもりだ?」
ヴァルドは一歩前へ出た。
「その人を解放してくれ」
指揮官は眉をひそめた。
「……何?」
「封印の核にするつもりなんだろう」
「……」
「本人は望んでいない」
指揮官は冷たく答えた。
「世界を守るために必要な措置だ」
ヴァルドは首を振った。
「必要ない」
指揮官の表情が変わった。
「……何?」
ヴァルドは続けた。
「俺たちは、犠牲を出さずに門を閉じる方法を見つけた」
「……また、その話か」
「今回は術式も完成している」
アシュレイが書類を差し出した。
「これを見てくれ」
指揮官は書類を受け取らなかった。
「……信用できん」
アシュレイが眉をひそめる。
「なぜだ?」
「お前は、教会の拘束から逃亡した身だ」
「……」
「そんな者の研究を信用できると思うか?」
ヴァルドが一歩前へ出た。
「だったら、俺を信用してくれ」
指揮官はヴァルドを見た。
「……お前を?」
「ああ」
「なぜだ?」
ヴァルドは静かに答えた。
「俺は、誰かを犠牲にするためにネクロマンサーになったわけじゃない」
「……」
「死者を導き、生者を守るために、この道を選んだ」
指揮官は黙っていた。
ヴァルドは続けた。
「俺たちに、一度だけ機会をくれ」
中庭。
長い沈黙が流れた。
やがて、指揮官が口を開いた。
「……条件がある」
ヴァルドが顔を上げる。
「……何だ?」
「お前たちが先に門へ向かうことは認める」
アシュレイの表情が変わった。
「……本当か?」
「ただし、封印に失敗した場合は、教会の術式を使用する」
ヴァルドは眉をひそめた。
「……その人を犠牲にするつもりか」
「世界を守るためだ」
「……」
「それが条件だ」
ヴァルドは青年を見た。
青年は怯えた表情で、こちらを見つめている。
「……助けてください」
その声に、ヴァルドは拳を握った。
そして、指揮官へ向き直った。
「……分かった」
アシュレイが振り向く。
「ヴァルド!」
しかし、ヴァルドは続けた。
「ただし、俺たちは絶対に失敗しない」
指揮官は冷たく答えた。
「……その言葉を忘れるな」
ヴァルドは頷いた。
「……ああ」
白い守護者が、ヴァルドの隣へ立った。
二人は互いに顔を見合わせた。
そして、静かに頷き合った。
現在。
レオは記憶の中のヴァルドを見つめていた。
「……失敗できない封印か」
ガイアが頷く。
「教会は、彼らの失敗を理由に犠牲を正当化するつもりだったのだろう」
カイが拳を握った。
「……ひでえ話だな」
ミナが静かに答えた。
「でも、ヴァルドさんたちは諦めなかったんですね」
レオは守護者を見た。
「……お前も、一緒に門へ向かったんだな」
守護者は頷いた。
レオは小さく笑った。
「……きっと、怖かっただろうな」
守護者は少しだけ目を伏せた。
そして、静かに頷いた。
ガイアが口を開いた。
「恐怖がなかったわけではない」
「……ああ」
レオは答えた。
「それでも、誰かを守るために進んだんだ」
三百年前。
北方へ向かう街道。
ヴァルドたちの一行は、魂導院を出発していた。
先頭を歩くのはヴァルド。
その隣には、白い守護者。
後方にはアシュレイと、協力を決めたネクロマンサーたちが続いている。
三人目のネクロマンサーも、その中にいた。
「……なあ、ヴァルド」
アシュレイが声をかけた。
「何だ?」
「本当に、できると思うか?」
ヴァルドは少し考えた。
「……分からない」
アシュレイは小さく笑った。
「正直だな」
「でも」
ヴァルドは前を見た。
「できると信じなきゃ、始まらない」
アシュレイは頷いた。
「……そうだな」
白い守護者が、ヴァルドの隣を歩いている。
その手には、淡い光が宿っていた。
遠くの空には、黒い雲が広がっている。
北方の山々。
その奥にある、旧境界域。
そこでは、巨大な石の門が開こうとしていた。
そして、門の向こう側。
暗闇の中で、二つの瞳が開いた。
一つは、巨大な黒い瞳。
もう一つは、人間に似た小さな瞳だった。
『……来る』
低い声が響く。
『……魂を導く者が』
その隣から、別の声が聞こえた。
『……白き守護者も』
巨大な瞳が動いた。
『……ならば』
暗闇の奥から、長い腕が伸びる。
『……迎えよう』
――第141話・完――




