第140話「裏切り者アシュレイ」
三百年前。
魂導院、東棟。
夜明け前の廊下には、聖王教会の騎士たちが配置されていた。
その数は、昨日までの倍以上に増えている。
最初に黒い石へ触れたネクロマンサーは、寝台の上で静かに眠っていた。
右腕には、依然として黒い紋様が残っている。
しかし、ヴァルドとアシュレイが施した《魂導結界・自律封印》によって、進行は一時的に止まっていた。
「……状態は?」
部屋へ入ってきたアシュレイが尋ねる。
ヴァルドは男の胸元から手を離した。
「魂の反応は安定している」
「……そうか」
「ただ、まだ向こう側との繋がりは残っている」
アシュレイは男の右腕を見た。
「完全に断ち切るには、黒い石そのものをどうにかする必要があるな」
「ああ」
ヴァルドは窓の外へ視線を向けた。
「……北方の門も、限界が近い」
アシュレイが頷く。
「だからこそ、早く出発しなければならない」
「教会の封鎖をどうする?」
「三人目が老司祭と交渉している」
「……うまくいくと思うか?」
アシュレイは少し考えた。
「分からない」
「……」
「だが、少なくとも話を聞いてくれる人間はいる」
ヴァルドは小さく頷いた。
その時、廊下から複数の足音が近づいてきた。
「……何だ?」
扉が開く。
入ってきたのは、聖王教会の騎士たちだった。
「アシュレイ」
先頭の騎士が告げる。
「指揮官殿がお呼びだ」
アシュレイは振り向いた。
「……俺に?」
「ああ」
「何の用だ?」
騎士は一枚の書類を差し出した。
「境界異変に関する事情聴取だ」
アシュレイは書類を受け取った。
その表情が、わずかに変わった。
「……事情聴取?」
騎士は答えた。
「お前には、魂導院の研究記録を不正に隠匿した疑いがある」
ヴァルドが立ち上がった。
「……何?」
騎士は続けた。
「さらに、境界封印に必要な情報を教会へ報告しなかった疑いもある」
アシュレイは書類を見つめた。
「……なるほど」
ヴァルドが騎士へ詰め寄る。
「ふざけるな! アシュレイはずっと封印の研究をしていた!」
「それを確認するための事情聴取だ」
「だったら、俺も行く」
騎士は首を振った。
「呼ばれているのはアシュレイだけだ」
ヴァルドの表情が険しくなる。
しかし、アシュレイが肩へ手を置いた。
「……大丈夫だ」
「アシュレイ」
「話を聞かれるだけだろう」
アシュレイは騎士へ向き直った。
「……案内してくれ」
そして、ヴァルドへ小さく笑いかけた。
「すぐ戻る」
その言葉を残し、アシュレイは部屋を出ていった。
魂導院、臨時審問室。
かつて魂導術の講義に使われていた部屋は、聖王教会の審問室へと変えられていた。
中央には一つの椅子。
その正面には、指揮官と二人の司祭が座っている。
アシュレイは椅子に腰掛けた。
「……それで?」
指揮官が口を開く。
「お前に確認したいことがある」
「聞こう」
「北方の門を閉じる方法を発見したそうだな」
「ああ」
「なぜ、教会へ報告しなかった?」
アシュレイは眉をひそめた。
「報告しようとしていた」
「だが、正式な報告書は提出されていない」
「研究が完成していなかったからだ」
指揮官は机の上に書類を置いた。
「……その間にも、北方では被害が広がっている」
「分かっている」
「ならば、なぜ協力を求めなかった?」
アシュレイは指揮官を見つめた。
「……協力?」
「そうだ」
「守護者を強制的に連れていこうとした教会にか?」
指揮官の表情が変わった。
「……言葉を慎め」
アシュレイは続けた。
「生者の魂を封印に使おうとする教会に、未完成の術式を渡せばどうなる?」
「……」
「俺たちが望まない方法に利用される可能性がある」
指揮官は腕を組んだ。
「つまり、意図的に情報を隠していたと?」
アシュレイは首を振った。
「違う」
「では、何だ?」
「正しい方法で使えるように、研究を続けていた」
指揮官はしばらく黙っていた。
そして、一枚の記録を取り出した。
「……これを見ろ」
アシュレイは記録へ目を向けた。
そこには、魂導院の地下封印庫に関する調査結果が書かれていた。
黒い石。
白い守護者。
そして、境界の向こう側との接触記録。
アシュレイの表情が変わった。
「……この記録は」
指揮官が答える。
「お前の研究室から発見された」
「……勝手に調べたのか?」
「教会の管理下にある施設だ」
アシュレイは拳を握った。
指揮官は続けた。
「この記録には、黒い石と境界の繋がりについて詳細に記されている」
「……ああ」
「つまり、お前は危険性を理解していた」
「当然だ」
「それなのに、研究を続けた」
アシュレイは顔を上げた。
「……何が言いたい?」
指揮官は静かに告げた。
「お前には、境界異変を意図的に利用した疑いがある」
アシュレイは目を見開いた。
「……何?」
「黒い石の力を研究し、教会へ情報を隠し、独自の封印術式を完成させようとしていた」
「……」
「その目的は何だ?」
アシュレイは椅子から立ち上がった。
「仲間を救うためだ!」
指揮官は表情を変えなかった。
「証明できるのか?」
「……ふざけるな」
アシュレイは机を睨んだ。
「俺が何のために研究してきたと思っている!」
「それを確認している」
「だったら、研究記録を最後まで読め!」
指揮官は沈黙した。
アシュレイは続けた。
「俺たちは、誰かを犠牲にしない方法を探していた!」
「……」
「それを、裏切りだと言うのか!」
魂導院、中庭。
ヴァルドは、三人目のネクロマンサーから話を聞いていた。
「……アシュレイが拘束された?」
「正式には、事情聴取という扱いらしい」
三人目が答える。
「だが、審問室の周囲には騎士が配置されている」
ヴァルドの表情が険しくなった。
「……最初から戻す気がないのか」
「分からない」
「……くそ」
ヴァルドは拳を握った。
その時、老司祭が近づいてきた。
「……ヴァルド」
ヴァルドが振り向く。
「……あなたは」
老司祭は周囲を確認した。
そして、声を落とした。
「……アシュレイの件について、話がある」
ヴァルドは一歩近づいた。
「何が起きているんですか?」
老司祭は静かに答えた。
「教会の内部で、魂導院の責任者を一人決めようとする動きがある」
「……責任者?」
「境界異変の原因を作った者として、処罰するためだ」
ヴァルドの表情が変わった。
「……何?」
三人目のネクロマンサーも顔を上げた。
「そんな……!」
老司祭は続けた。
「十三人全員を敵に回せば、封印への協力が得られなくなる」
「……」
「だから、一人を罪人として扱い、残りの者たちを教会の管理下へ置こうとしている」
ヴァルドは歯を食いしばった。
「……その一人が、アシュレイなのか」
老司祭は頷いた。
「……可能性が高い」
ヴァルドは審問室のある建物を見た。
「……絶対に、そんなことはさせない」
魂導院、臨時審問室。
アシュレイは、指揮官から新たな書類を示されていた。
「……これに署名しろ」
アシュレイが書類を受け取る。
そこには、魂導院の研究活動に関する責任を認める文章が書かれていた。
さらに、教会への全面的な協力を誓う内容も含まれている。
アシュレイは書類を机へ戻した。
「……断る」
指揮官が眉をひそめる。
「理由は?」
「事実と違う」
「お前が責任を認めれば、他のネクロマンサーへの処分は軽くなる」
アシュレイの表情が変わった。
「……何?」
「ヴァルドたちを守りたいのだろう?」
「……」
「ならば、お前一人が責任を負えばいい」
アシュレイは指揮官を見つめた。
「……それが、教会の考えか」
「世界の秩序を守るためだ」
「違う」
アシュレイは静かに首を振った。
「……責任を押しつける相手が欲しいだけだ」
指揮官は答えなかった。
アシュレイは続けた。
「俺が署名すれば、教会は魂導院を自由に扱える」
「……」
「そして、次は守護者を連れていくつもりだろう」
指揮官の表情が険しくなった。
「……そこまで分かっているなら、話は早い」
アシュレイは小さく笑った。
「……残念だったな」
「何?」
「俺は、仲間を売らない」
指揮官は立ち上がった。
「……ならば、正式に拘束する」
騎士たちがアシュレイを囲んだ。
しかし、アシュレイは抵抗しなかった。
ただ、静かに告げた。
「……一つだけ覚えておけ」
指揮官が振り向く。
「何だ?」
「お前たちが敵にしているのは、ネクロマンサーじゃない」
「……」
「本当に恐れるべきものは、北方の門の向こうにいる」
指揮官は何も答えなかった。
魂導院、地下封印庫。
ヴァルドは、白い守護者と向き合っていた。
「……アシュレイが拘束された」
守護者の表情が変わった。
「教会は、あいつを裏切り者に仕立て上げようとしている」
守護者は静かに首を振った。
ヴァルドは頷いた。
「……俺も、認めない」
守護者はヴァルドへ手を伸ばした。
白い光が、二人の間に流れる。
その瞬間、ヴァルドの脳裏に北方の門が浮かんだ。
門の亀裂は、以前よりも大きく広がっている。
黒い手が、封印陣の残された光を奪い続けていた。
「……時間がない」
ヴァルドが呟いた。
守護者が頷く。
「アシュレイを助けたい」
ヴァルドは続けた。
「でも、門も閉じなければならない」
守護者は静かにヴァルドを見つめた。
「……どちらかを選べってことか」
ヴァルドは目を閉じた。
しばらくして、静かに首を振った。
「……違う」
守護者が首を傾げる。
ヴァルドは顔を上げた。
「どちらも諦めない」
「……」
「アシュレイを助けて、門も閉じる」
守護者の白い光が強まった。
ヴァルドは小さく笑った。
「……無茶だと思うか?」
守護者は首を振った。
そして、ヴァルドへ手を差し出した。
ヴァルドはその手を握った。
「……ありがとう」
現在。
レオは記憶の中のアシュレイを見つめていた。
「……裏切り者なんかじゃなかった」
ガイアが頷く。
「教会が、責任を押しつけようとしていたんだ」
カイが拳を握った。
「……ふざけた話だな」
ミナが静かに答える。
「でも、アシュレイさんは仲間を守ろうとしていたんですね」
死者の男が頷いた。
『ああ』
レオは守護者を見た。
「……お前も、分かっていたんだな」
守護者は静かに頷いた。
レオは拳を握った。
「……だったら、俺たちも忘れない」
死者の男が顔を上げる。
「何を?」
レオは答えた。
「本当のことを」
「……」
「誰が何をしたのか。誰が誰を守ろうとしたのか」
レオは記憶の奥を見つめた。
「……勝手に書き換えられた歴史なんて、信じない」
守護者の白い光が、穏やかに揺れた。
三百年前。
魂導院、地下牢。
アシュレイは、冷たい石壁に囲まれた部屋へ閉じ込められていた。
両手には、魂導術を封じるための拘束具が取り付けられている。
「……まったく」
アシュレイは小さく息を吐いた。
「……厄介なことになったな」
その時、廊下の奥から足音が近づいてきた。
「……誰だ?」
鉄格子の向こうに、一人の人物が現れた。
聖王教会の老司祭だった。
「……アシュレイ」
アシュレイが顔を上げる。
「……あなたか」
老司祭は周囲を確認した。
そして、小さな鍵を取り出した。
「……ここから出なさい」
アシュレイの表情が変わった。
「……何?」
「北方の門が、もう限界に近い」
「……」
「今、必要なのは罪人を作ることではない」
老司祭は鍵を差し込んだ。
「……世界を守ることだ」
鉄格子の鍵が外れる。
アシュレイは立ち上がった。
「……なぜ、俺を助ける?」
老司祭は静かに答えた。
「私も、守るべきものを間違えたくないからだ」
アシュレイはしばらく老司祭を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「……恩に着る」
老司祭は扉を開けた。
「急ぎなさい」
アシュレイは廊下へ出た。
その頃。
魂導院の中庭では、聖王教会の遠征隊が出発の準備を整えていた。
彼らが運ぼうとしていたのは、巨大な封印装置。
その中央には、人間の魂を固定するための空間が設けられていた。
そして、その装置の前には、一人の若い男性が立たされていた。
両手を拘束され、騎士たちに囲まれている。
男は震える声で尋ねた。
「……俺は、どうなるんですか?」
騎士は答えなかった。
ただ、指揮官の命令を待っていた。
――第140話・完――




