第138話「十三人の崩壊」
三百年前。
魂導院、地下封印庫。
「……黒き守護者」
ヴァルドは、古い記録に書かれた文字を見つめていた。
その隣では、三人目のネクロマンサーが資料を調べている。
白い守護者は、二人から少し離れた場所に立っていた。
「……なあ、守護者」
ヴァルドが声をかける。
守護者が顔を上げた。
「お前以外にも、境界を守る存在がいるのか?」
守護者は答えなかった。
ただ、記録に書かれた文字を見つめている。
三人目の男が口を開いた。
「この記録によれば、白き守護者と黒き守護者は、互いに異なる役割を持っていたらしい」
「……役割?」
「ああ」
男は文章を指差した。
「白き守護者は、現世から境界へ近づく者を見守る」
「……黒き守護者は?」
「境界の向こう側から、現世へ近づくものを見張る」
ヴァルドは考え込んだ。
「……つまり、門の両側を守っていたのか」
「恐らくな」
「だったら、今はどうして白い守護者しかいない?」
三人目の男は首を振った。
「……分からない」
ヴァルドは守護者を見た。
「……何か知っているなら、教えてくれ」
守護者は静かに目を閉じた。
そして、両手を胸元へ重ねる。
淡い光が広がった。
ヴァルドの脳裏に、一つの光景が浮かぶ。
巨大な石の門。
その前に立つ、二つの人影。
一つは白。
もう一つは黒。
二人は向かい合い、互いに手を伸ばしていた。
しかし、次の瞬間。
黒い守護者の背後に、巨大な瞳が現れた。
黒い守護者が振り向く。
白い守護者が手を伸ばす。
だが、その手は届かなかった。
そこで光景は途切れた。
「……今のは」
ヴァルドが呟いた。
守護者は俯いていた。
三人目の男が尋ねる。
「……何が見えた?」
「黒い守護者がいた」
「……本当に?」
「ああ」
ヴァルドは守護者を見つめた。
「でも、何かが起きて……二人は離れ離れになった」
守護者の白い光が、わずかに揺れた。
ヴァルドはそれ以上、尋ねなかった。
魂導院、大広間。
翌朝。
残された十二人のネクロマンサーが集まっていた。
二人目の失踪から、まだ数日しか経っていない。
しかし、魂導院の空気は以前とは大きく変わっていた。
研究室の多くは封鎖され、廊下には教会の騎士たちが配置されている。
仲間同士の会話も減っていた。
ヴァルドが口を開く。
「……北方の門を閉じる方法が見つかった」
広間にいた者たちが顔を上げた。
「本当か?」
「どうやって?」
ヴァルドは白い守護者を示した。
「魂を導く者と、境界を守る者が協力する」
アシュレイが続ける。
「双方の意思で力を重ねれば、封印を完成させられる可能性がある」
一人のネクロマンサーが尋ねた。
「……確実なのか?」
ヴァルドは首を振った。
「まだ実証できていない」
その言葉に、別の男が眉をひそめた。
「……可能性だけか」
「そうだ」
「そんな方法に、世界の命運を賭けるのか?」
アシュレイが答える。
「生者の魂を犠牲にするよりは、ずっといい」
しかし、男は納得しなかった。
「……綺麗事だ」
広間が静まり返った。
「何?」
ヴァルドが尋ねる。
男は立ち上がった。
「俺たちは、もう仲間を失っている」
「……」
「北方では境界監視者が死んだ。二人目は行方不明だ」
男の声が強くなる。
「これ以上、何人失えば気が済むんだ!」
ヴァルドは黙って聞いていた。
「教会の方法が確実なら、そちらを選ぶべきじゃないのか?」
アシュレイが顔を上げる。
「……本気で言っているのか?」
「俺だって、人を犠牲にしたいわけじゃない!」
男は拳を握った。
「でも、全員を救おうとして全員死んだら、意味がないだろ!」
その言葉に、何人かが目を伏せた。
広間の中央。
最初に黒い石へ触れた男は、静かに立ち上がった。
「……だったら」
全員の視線が集まる。
「……俺を使えばいい」
ヴァルドの表情が変わった。
「……何を言っている?」
男は自分の右腕を見せた。
黒い紋様は、既に肩の近くまで広がっていた。
「俺は、向こう側と繋がっている」
「……」
「俺の魂を使えば、封印できるかもしれない」
アシュレイが首を振った。
「駄目だ」
「でも!」
「駄目だと言っている!」
男は唇を噛んだ。
「……俺は、もう誰かが消えるのを見たくない」
ヴァルドが近づく。
「だからって、お前が犠牲になる必要はない」
「……二人目は、俺を助けようとして消えたんだ」
「……」
「だったら、俺にも何かさせてくれよ!」
男の声が震えた。
ヴァルドは男の肩を掴んだ。
「……生きろ」
「……何?」
「お前が今やるべきことは、死ぬことじゃない」
男は顔を上げた。
「……ヴァルド」
「俺たちは、まだ諦めていない」
その言葉に、男は何も答えられなかった。
魂導院、南棟。
広間での会議が終わった後、数人のネクロマンサーが集まっていた。
「……本当に、あの方法でいいのか?」
一人が尋ねた。
別の男が答える。
「ヴァルドのことは信じている」
「でも、守護者の力に頼りすぎじゃないか?」
「……そうだな」
三人目のネクロマンサーが、その会話を聞いていた。
「……何を話している?」
男たちが振り向く。
「……お前か」
「ヴァルドの方法に反対なのか?」
一人が答えた。
「反対というより、不安なんだ」
「……不安?」
「ああ」
男は窓の外を見た。
「もし失敗したら、どうなる?」
三人目は答えられなかった。
「守護者が消えるかもしれない。ヴァルドも死ぬかもしれない」
「……」
「そうなったら、誰が門を閉じる?」
三人目は拳を握った。
「……だからといって、教会の術式を使うのか?」
「それしかないならな」
「……」
男は続けた。
「俺たちは、もう昔の魂導院には戻れないのかもしれない」
その言葉に、三人目は何も言えなかった。
魂導院、中庭。
聖王教会の指揮官は、騎士たちへ命令を出していた。
「北方遠征隊の準備を進めろ」
「承知しました!」
「封印術式の準備は?」
老司祭が答える。
「……進んでいます」
「核となる魂の確保は?」
老司祭は表情を曇らせた。
「……指揮官殿」
「何だ?」
「本当に、この方法を使うおつもりですか?」
指揮官は答えた。
「他に確実な方法がない」
「ですが、守護者が示した方法もあります」
「成功する保証がない」
「教会の術式にも、保証はありません」
指揮官は老司祭を見た。
「……何が言いたい?」
老司祭は静かに答えた。
「我々は、世界を守るために動いているはずです」
「当然だ」
「ならば、守るべき人々を犠牲にする方法を、最後まで疑うべきではありませんか?」
指揮官は黙り込んだ。
しばらくして、低い声で答える。
「……準備だけは進めろ」
「……承知しました」
老司祭は頭を下げた。
しかし、その表情には迷いが残っていた。
魂導院、地下封印庫。
アシュレイは、ヴァルドと二人で話していた。
「……十三人だったな」
ヴァルドが呟く。
アシュレイは顔を上げた。
「何が?」
「最初に魂導院へ集まった時だ」
「……ああ」
「全員が、同じ夢を持っていた」
ヴァルドは壁に掛けられた古い絵を見た。
そこには、十三人のネクロマンサーが描かれていた。
まだ誰も、黒い石の存在を知らなかった頃。
皆が笑っている。
「死者を恐れる世界を変えたい」
ヴァルドが続けた。
「魂を支配するのではなく、導く存在になりたい」
アシュレイは静かに頷いた。
「……覚えている」
「でも、今は……」
ヴァルドは言葉を止めた。
アシュレイが答える。
「……全員が同じ方向を向いているわけじゃない」
「……ああ」
「それでも、まだ仲間だ」
ヴァルドが振り向く。
アシュレイは続けた。
「考えが違っても、恐れていても、十三人で始めたことは変わらない」
「……そうだな」
「だから、最後まで諦めるな」
ヴァルドは小さく笑った。
「……お前には、いつも助けられるな」
アシュレイも笑った。
「今さら何を言っている」
しかし、その時。
封印庫の奥から、低い声が響いた。
『……十三』
二人の表情が変わった。
黒い石の表面に、小さな瞳が浮かんでいた。
『……十二』
ヴァルドが一歩前へ出る。
「……何を数えている?」
瞳は、ゆっくりと動いた。
『……十一』
アシュレイが術式を展開する。
《魂導封鎖》
黒い石を包む結界が強まった。
しかし、声は止まらなかった。
『……十』
ヴァルドが眉をひそめる。
「……何のつもりだ」
『……お前たちは』
瞳が、ヴァルドを見つめた。
『……いくつ残る』
その言葉に、ヴァルドの表情が険しくなった。
「……ふざけるな」
『……選べ』
「……何?」
『……誰を残す』
ヴァルドは拳を握った。
「……全員だ」
瞳が動きを止めた。
『……不可能』
「お前が決めることじゃない!」
ヴァルドは黒い石を睨んだ。
「俺たちは、誰も見捨てない!」
その瞬間、黒い石の瞳が閉じた。
しかし、最後に一言だけ残した。
『……ならば、見せてみろ』
現在。
レオは、記憶の中のヴァルドを見つめていた。
「……全員を救おうとしていたんだな」
ガイアが頷く。
「だが、状況はそれを許さなかった」
カイが腕を組んだ。
「……十三人もいたのに、こんなにバラバラになるなんてな」
ミナが静かに答える。
「みんな、怖かったんだと思います」
レオが振り向く。
「……怖かった?」
「はい」
ミナは続けた。
「仲間が消えて、世界が危なくなって……何が正しいのか分からなくなっていたんじゃないでしょうか」
ガイアが頷いた。
「恐怖は、人の判断を変える」
レオは守護者を見た。
「……お前は、あの時もヴァルドの隣にいたんだな」
守護者は静かに頷いた。
レオは小さく笑った。
「……俺たちも、同じだ」
カイが顔を上げる。
「何が?」
「何があっても、仲間を見捨てたくない」
カイは少しだけ笑った。
「……当たり前だろ」
ミナも頷いた。
「私もです」
ガイアが静かに答えた。
「……俺もな」
守護者の白い光が、穏やかに揺れた。
三百年前。
魂導院、東棟。
深夜。
最初に黒い石へ触れた男は、一人で窓の外を見つめていた。
二人目のネクロマンサーが消えてから、彼はほとんど眠れていなかった。
「……なあ」
誰もいない部屋で、男が呟く。
「……お前、どこにいるんだよ」
返事はない。
男は右腕の紋様を見つめた。
「……俺が、助けに行けたら」
その時。
黒い紋様が、ゆっくりと動き始めた。
『……行ける』
男の表情が変わった。
「……何?」
『……会いたいのだろう』
「……お前」
『……ならば、門を開け』
男は首を振った。
「……断る」
『……仲間を取り戻せる』
「……嘘だ」
『……確かめればいい』
男は拳を握った。
「……もう、お前の言葉は信じない」
黒い紋様が、肩から首元へ伸び始めた。
男は苦痛に顔を歪めた。
「……っ!」
『……ならば』
声が低くなる。
『……お前の意思など、必要ない』
男は膝をついた。
右腕が、自分の意思とは無関係に持ち上がる。
「……やめろ!」
黒い紋様が、胸元へ広がっていく。
男は必死に左手で右腕を押さえた。
「……俺は……!」
しかし、黒い力は止まらなかった。
そして、遠く離れた北方の旧境界域。
一度は狭まった巨大な門の亀裂が、再び広がり始めていた。
門の向こうから、黒い手が伸びる。
その指先には、かすかな白い光が絡みついていた。
まるで、誰かの魂を掴んでいるかのように。
――第138話・完――




