第135話「守護者の拒絶」
三百年前。
魂導院、地下封印庫。
重厚な扉の向こうには、聖王教会の騎士たちが集まっていた。
「ヴァルド! アシュレイ!」
騎士の声が響く。
「指揮官殿の命令だ! 白い守護者を引き渡してもらう!」
ヴァルドは扉の前に立っていた。
その隣にはアシュレイ。
二人の背後では、白い守護者が静かに佇んでいる。
「……断る」
ヴァルドが答えた。
扉の向こうから、別の声が聞こえた。
「理由を聞こう」
聖王教会の指揮官だった。
「境界を守る力を持つ存在を、教会が調査する。それだけのことだ」
アシュレイが答える。
「本人の意思は確認したのか?」
「……本人?」
「守護者のことだ」
「何を言っている?」
「守護者には意思がある。俺たちと同じようにな」
指揮官はしばらく黙っていた。
「……人間ではないだろう」
ヴァルドの表情が変わった。
「人間じゃなければ、意思を無視していいのか?」
「世界の危機だ。個々の事情を優先している場合ではない」
「世界を守るために、守護者を道具として扱うつもりか?」
「必要な協力を求めているだけだ」
「ならば、本人に聞け」
ヴァルドは扉を開けた。
封印庫の入口。
騎士たちは剣に手を添えながら、ヴァルドたちを見つめていた。
指揮官が一歩前へ出る。
「……ようやく話す気になったか」
ヴァルドは答えなかった。
代わりに、白い守護者へ視線を向ける。
「守護者」
守護者が顔を上げた。
「教会は、お前を連れていきたいそうだ」
指揮官が頷く。
「境界の異常を調べるためだ。お前の力が必要になる」
守護者は指揮官を見つめた。
「協力してもらえるか?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、守護者は静かに首を振った。
指揮官が眉をひそめる。
「……拒否するというのか?」
守護者は頷いた。
「理由は?」
守護者は自分の胸元に手を当てた。
そして、ヴァルドとアシュレイへ視線を向ける。
アシュレイが口を開いた。
「……ここに残るということだ」
指揮官は首を振った。
「理解できんな」
ヴァルドが答える。
「理解できなくても、尊重するべきだ」
「それでは調査が進まん」
「だからといって、無理やり連れていくのか?」
指揮官は守護者を見つめた。
「……お前たちが命令しているのではないのか?」
アシュレイの表情が険しくなる。
「何?」
「守護者の意思だと言いながら、実際にはお前たちが操っている可能性もある」
「ふざけるな」
「ネクロマンサーは死者を扱う。魂を操る術を持っていても不思議ではない」
ヴァルドが一歩前へ出た。
「俺たちは、魂を支配しない」
「それを証明できるのか?」
「……」
指揮官は続けた。
「教会には、守護者が自らの意思で行動しているという保証がない」
その時だった。
守護者がヴァルドの横を通り過ぎた。
そして、指揮官の前に立った。
「……何だ?」
指揮官が見下ろす。
守護者は両手を広げた。
白い光が、静かに周囲へ広がっていく。
騎士たちが身構えた。
「術式だ!」
「下がれ!」
しかし、守護者は攻撃しなかった。
白い光は騎士たちの足元を通り過ぎ、封印庫の床に円形の紋様を描いた。
指揮官が目を細める。
「……何をしている?」
守護者は自分の胸に手を当てた。
そして、もう一方の手を指揮官へ向ける。
その瞬間、指揮官の脳裏に、一つの光景が浮かんだ。
北方の巨大な門。
その前に立つネクロマンサーと守護者。
二人が互いに手を取り、力を重ねる。
門がゆっくりと閉じていく。
「……これは」
指揮官が呟いた。
次に映ったのは、別の光景だった。
巨大な封印陣。
その中央に、鎖で縛られた人間がいる。
周囲の司祭たちが術式を展開し、魂を引き抜こうとしていた。
人間は必死に抵抗している。
だが、その声は誰にも届かない。
指揮官の表情が変わった。
「……やめろ」
守護者は動かなかった。
光景はさらに続いた。
封印陣が完成する。
しかし、中央にいた人間の姿は消え、魂だけが術式に固定されていた。
その魂は、苦しむように揺れている。
指揮官が一歩後退した。
「……もういい!」
白い光が消えた。
封印庫に静けさが戻る。
指揮官は荒い呼吸を整えた。
ヴァルドが尋ねる。
「……見たか?」
指揮官は答えなかった。
アシュレイが続ける。
「守護者は、何が正しい封印なのか知っている」
「……」
「そして、生者の魂を犠牲にする方法を拒絶している」
指揮官は守護者を見つめた。
「……あの光景は、未来なのか?」
ヴァルドが首を振る。
「分からない」
「……分からない?」
「守護者が見せたのは、二つの方法だ」
アシュレイが答えた。
「どちらを選ぶかは、俺たち次第だ」
魂導院、中庭。
指揮官は、同行していた老司祭と話していた。
「……守護者は引き渡しを拒否しました」
老司祭が報告する。
「見れば分かる」
「では、どうなさいますか?」
指揮官は考え込んだ。
「……あの存在は、我々の術式とは異なる封印方法を知っている」
「それならば、協力を求めるべきでは?」
「既に拒否された」
「強制的に連れていこうとしたからではありませんか?」
指揮官が振り向く。
「……何?」
老司祭は静かに続けた。
「守護者に意思があるのならば、まず信頼を得る必要があります」
「時間がない」
「だからこそ、争っている場合ではありません」
指揮官は黙り込んだ。
老司祭が尋ねる。
「……指揮官殿は、何を見たのですか?」
「……」
「守護者が見せた光景です」
指揮官はしばらく沈黙した。
そして、低い声で答えた。
「……生者の魂を使う封印だ」
老司祭の表情が変わった。
「……それは」
「苦しんでいた」
指揮官は拳を握った。
「封印の核にされた人間が、苦しんでいた」
老司祭は目を伏せた。
「……やはり、危険な術式なのですね」
指揮官は答えなかった。
しかし、その目には迷いが浮かんでいた。
魂導院、東棟。
最初に黒い石へ触れた男は、窓の外を見つめていた。
二人目のネクロマンサーが隣に立つ。
「……教会と揉めているらしい」
「守護者のことか?」
「ああ」
最初の男は俯いた。
「……俺たちのせいだ」
「またそれか」
「だって、そうだろ」
「何でも自分のせいにするな」
二人目は椅子に腰掛けた。
「ヴァルドもアシュレイも、俺たちを助けようとしてくれている」
「……ああ」
「だったら、俺たちも諦めるな」
最初の男は小さく頷いた。
その時、右腕の紋様がわずかに動いた。
「……またか」
二人目が顔を上げる。
「どうした?」
「声が聞こえる」
「何て?」
最初の男は目を閉じた。
『……選べ』
「……選べ?」
『……救われるか』
黒い紋様が、指先へ広がっていく。
『……奪われるか』
男は拳を握った。
「……どっちも嫌だ」
二人目が立ち上がる。
「おい!」
「俺は……俺のままでいたい」
その言葉と同時に、紋様の動きが止まった。
二人目は男の肩を支えた。
「……大丈夫か?」
「……ああ」
最初の男は、自分の右腕を見つめた。
「……少しだけ、声が遠くなった」
二人目は驚いた。
「本当か?」
「ああ」
「……なら、まだ方法はある」
二人は顔を見合わせた。
その小さな変化が、後に大きな意味を持つことを、まだ誰も知らなかった。
現在。
レオは記憶の中の二人を見つめていた。
「……自分の意思で拒絶したら、紋様が止まった」
ガイアが頷く。
「向こう側の存在は、意思に干渉する」
ミナが尋ねる。
「でも、意思が強ければ抵抗できるんですか?」
「少なくとも、一時的にはな」
カイが腕を組んだ。
「だったら、完全に追い出す方法もあるんじゃねえか?」
死者の男が静かに答えた。
『……我々も、そう考えた』
レオが振り向く。
「……でも、できなかった?」
『ああ』
「なぜ?」
死者はしばらく黙っていた。
『……二人目が、ある決断をしたからだ』
ミナが顔を上げる。
「決断?」
『仲間を救うために、彼は一人で動いた』
レオは記憶の奥を見つめた。
そこには、二人目のネクロマンサーが研究室へ向かう姿が映っていた。
三百年前。
深夜。
魂導院、研究室。
二人目のネクロマンサーは、机に広げられた記録を調べていた。
「……意思が干渉を弱める」
彼は小さく呟いた。
「ならば、逆に……」
古い術式の記録を取り出す。
そこには、魂と境界の繋がりを一時的に切り離す方法が記されていた。
「……これなら」
彼は紙に新たな術式を書き始めた。
黒い石に触れた者の魂を、境界から切り離す。
そのためには、境界の向こう側との繋がりを正確に把握する必要があった。
「……門を調べなければ」
男は筆を止めた。
ヴァルドたちは、北方への移動を禁じられている。
教会は魂導院を封鎖している。
そして、最初の男の身体は、少しずつ変化していた。
「……時間がない」
男は立ち上がった。
机の引き出しから、小さな封印石を取り出す。
それは、黒い石の研究中に作られた試作品だった。
「……一度だけなら」
彼は封印石を握りしめた。
「……必ず戻る」
しかし、その背後で、黒い紋様がゆっくりと広がり始めていた。
そして、誰にも聞こえない声が囁いた。
『……待っていた』
男は振り向いた。
研究室には、誰もいなかった。
ただ、机の上の封印石に、小さな黒い瞳が浮かんでいた。
――第135話・完――




