第134話「生者の魂」
三百年前。
魂導院、大広間。
聖王教会の指揮官が持ち込んだ古い書物を前に、十三人のネクロマンサーたちは沈黙していた。
書物に描かれているのは、巨大な封印術式。
その中心には、人間の魂を封印の核として固定するための紋様が刻まれていた。
ヴァルドは書物を閉じた。
「……この方法は認められない」
指揮官が腕を組む。
「理由は既に聞いた」
「ならば、なぜまだここにいる?」
「お前たちの協力が必要だからだ」
アシュレイが顔を上げた。
「生きている人間を犠牲にする術式に、俺たちが協力するとでも?」
「世界を守るためならば、必要な判断だ」
「必要な判断?」
アシュレイの声が低くなる。
「他人の命を勝手に使うことがか?」
指揮官は答えた。
「北方では、既に境界監視者が一人死亡している」
「だから何だ」
「今後、何百人、何千人と犠牲になる可能性がある」
「それを防ぐために、別の誰かを犠牲にするのか?」
「一人の命で、多くの命を救えるのならば」
その言葉に、広間の空気が変わった。
ヴァルドが静かに尋ねる。
「……その一人は、誰が決める?」
指揮官は沈黙した。
「教会か?」
「……」
「王国か?」
「……」
「それとも、俺たちか?」
ヴァルドは書物を机に置いた。
「誰にも、他人の命を勝手に使う権利なんてない」
広間の奥。
最初に黒い石へ触れた男は、仲間たちの議論を聞いていた。
右腕には、黒い紋様が広がっている。
その隣に座る二人目のネクロマンサーが、小さく呟いた。
「……一人で済むなら」
最初の男が振り向く。
「何?」
「……いや」
「今、何て言った?」
二人目は顔を伏せた。
「……もし、一人の犠牲で門を閉じられるなら」
「お前……」
「分かってる。間違ってることくらい」
二人目は拳を握った。
「でも、俺たちのせいで人が死んだ」
「……」
「これからも、死ぬかもしれない」
最初の男は何も言えなかった。
二人目は続けた。
「だったら、俺たちのどちらかが……」
「やめろ」
「……」
「そんなこと言うな」
最初の男は、震える声で答えた。
「お前までいなくなったら、俺はどうすればいい」
二人目は顔を上げた。
「……すまない」
最初の男は首を振った。
「俺たちは、生きて償わなきゃいけないんだ」
その言葉を聞いていた三人目のネクロマンサーが、静かに目を伏せた。
魂導院、研究室。
ヴァルドとアシュレイは、古い封印術式を調べていた。
「……おかしい」
アシュレイが呟いた。
ヴァルドが顔を上げる。
「何が?」
「この術式、魂を封印の核にしているだけじゃない」
「どういうことだ?」
アシュレイは書物の一部を指差した。
「ここだ」
そこには、複雑な文字が刻まれていた。
「魂を固定する術式の外側に、別の術式がある」
ヴァルドが覗き込む。
「……境界の維持か?」
「違う」
アシュレイは首を振った。
「これは、魂の意思を抑え込むためのものだ」
ヴァルドの表情が変わった。
「……意思を?」
「ああ」
「なぜそんなものが必要なんだ?」
「封印に使われる魂が、抵抗しないようにするためだろう」
ヴァルドは書物を見つめた。
「……つまり、最初から本人の意思を無視する術式なのか」
「そういうことだ」
アシュレイは書物を閉じた。
「この術式は、俺たちの魂導術とは根本的に違う」
「……ああ」
ヴァルドは頷いた。
「俺たちは、魂を導くために術を使う」
「だが、これは魂を縛りつけるための術だ」
二人は顔を見合わせた。
「……絶対に使わせない」
ヴァルドが告げた。
現在。
レオは記憶の中の書物を見つめていた。
「……魂の意思を抑え込む術式」
ガイアが頷く。
「お前の《死者の鎖》とは、正反対のものだ」
カイが尋ねる。
「でも、教会は何でそんな術式を持ってたんだ?」
ミナも顔を上げる。
「昔から使われていたんでしょうか?」
死者の男が答えた。
『……それについては、我々も知らなかった』
レオが振り向く。
「知らなかった?」
『ああ。あの書物がどこから持ち込まれたのか、誰が術式を作ったのか……』
死者は静かに続けた。
『教会は、最後まで明かさなかった』
ガイアが考え込む。
「……三百年前よりも古い術式ということか」
『可能性はある』
レオは眉をひそめた。
「……だったら、あの術式を作った人物も、何か知っていたのかもしれない」
守護者が静かに頷いた。
三百年前。
魂導院、中庭。
聖王教会の指揮官は、数人の司祭と話していた。
「……魂導院は協力を拒否しています」
若い司祭が報告する。
「分かっている」
「では、封印術式は中止に?」
「いや」
指揮官は首を振った。
「準備は進める」
若い司祭が驚いた。
「しかし、ネクロマンサーたちの協力がなければ……」
「代わりの術者を用意する」
「……そんな簡単に?」
「教会には、封印術を扱える司祭がいる」
若い司祭は俯いた。
「……生者の魂を使うことについては?」
指揮官は答えた。
「候補者を探している」
「候補者……」
「罪人でも、志願者でも構わん」
若い司祭が顔を上げる。
「……志願者がいなければ?」
指揮官はしばらく黙っていた。
そして、低い声で答えた。
「……その時は、別の方法を考える」
若い司祭は、それ以上尋ねられなかった。
魂導院、東棟。
最初の男は、寝台に腰掛けていた。
右腕の黒い紋様を見つめながら、静かに呟く。
「……俺がいなくなれば」
その言葉を聞いた二人目のネクロマンサーが振り向いた。
「何を言ってる?」
「……俺が石に触れたせいで、門が開いた」
「違う。向こう側に利用されたんだ」
「でも、俺の力が使われた」
二人目は近づいた。
「だからって、お前が死ぬ必要はない」
最初の男は顔を上げた。
「……さっき、お前も同じことを考えてただろ」
「……」
「俺たち、似た者同士だな」
二人目は苦笑した。
「……笑えない冗談だ」
最初の男も小さく笑った。
しかし、その笑顔はすぐに消えた。
「……なあ」
「何だ?」
「もし、俺が俺じゃなくなったら……」
二人目の表情が変わった。
「……何を言ってる?」
「最近、声が聞こえるだけじゃないんだ」
最初の男は自分の右手を見つめた。
「自分の身体が、自分のものじゃないような時がある」
「……」
「さっきも、気づいたら北を向いてた」
二人目は男の肩を掴んだ。
「……ヴァルドに話そう」
「……ああ」
「一人で抱え込むな」
最初の男は頷いた。
「……分かった」
だが、その夜。
彼の夢には、再び巨大な門が現れた。
門の向こうから、黒い手が伸びてくる。
『……お前は、こちら側に近い』
男は首を振った。
「……違う」
『……なぜ拒む』
「俺は……人間だ」
『……ならば』
黒い手が、男の胸元へ伸びた。
『……その意思を、確かめよう』
男は目を見開いた。
魂導院、地下封印庫。
白い守護者は、黒い石の前に立っていた。
ヴァルドとアシュレイは、封印術式の調整を続けている。
「……守護者」
ヴァルドが声をかけた。
守護者が振り向く。
「お前は、どう思う?」
守護者は首を傾げた。
「教会の封印術式だ」
ヴァルドは続けた。
「一人の魂を犠牲にして、多くの命を守る方法」
守護者は、しばらくヴァルドを見つめていた。
そして、静かに首を振った。
アシュレイが小さく笑う。
「……そうだよな」
ヴァルドも頷いた。
「俺も同じ考えだ」
守護者は二人へ歩み寄った。
白い手を差し出す。
ヴァルドがその手を取った。
「……何だ?」
守護者の光が、ヴァルドの手へ流れ込む。
その瞬間、ヴァルドの脳裏に、一つの光景が浮かんだ。
巨大な門。
その前に立つ、一人のネクロマンサー。
そして、その隣にいる白い守護者。
二人の力が重なり、門を閉じていく。
ヴァルドは目を見開いた。
「……これは!」
アシュレイが振り向く。
「どうした?」
ヴァルドは守護者を見た。
「……お前、知っているのか?」
守護者は静かに頷いた。
「生者の魂を犠牲にしなくても、門を閉じる方法を……」
守護者は、もう一度頷いた。
アシュレイが立ち上がる。
「……本当か!」
ヴァルドは守護者の手を握り直した。
「だったら、教えてくれ」
白い光が、三人を包み込んだ。
その光の中に、古い文字が浮かび上がる。
『第一、魂を導く者』
『第二、境界を守る者』
『第三、双方が自らの意思で力を重ねること』
ヴァルドは、その文字を見つめた。
「……これが、本当の封印条件」
アシュレイが頷いた。
「……教会の術式とは違う」
「誰かを犠牲にする必要はない」
ヴァルドは守護者を見た。
「……ありがとう」
守護者は静かに微笑んだ。
しかし、その時。
封印庫の外から、複数の足音が近づいてきた。
「……誰だ?」
アシュレイが振り向く。
扉の向こうから、聖王教会の騎士の声が聞こえた。
「ヴァルド、アシュレイ!」
「……何の用だ?」
「指揮官殿からの命令だ!」
騎士は告げた。
「白い守護者を、教会の管理下へ移す!」
ヴァルドの表情が変わった。
「……何?」
「境界を守る力を持つ存在として、調査が必要だ!」
アシュレイは守護者の前へ立った。
「……断る」
扉の向こうが静まり返る。
ヴァルドも一歩前へ出た。
「守護者は、物じゃない」
二人は扉を見据えた。
「……誰にも渡さない」
――第134話・完――




