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死界のネクロマンサー  作者: のんびり小僧
第6章「過去のネクロマンサー」
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第132話「向こう側の手」

三百年前。

北方、旧境界域。

雪に覆われた谷の奥で、巨大な石の門が開き始めていた。

門の中央に生まれた亀裂は、既に人間一人が通れるほどの幅になっている。

その向こうには、底の見えない暗闇が広がっていた。

「……これ以上は危険だ!」

若い境界監視者が叫んだ。

もう一人の監視者は、地面に片膝をつきながら術式を維持していた。

「分かっている!」

「封印陣が消えかけています!」

「まだ全て失われたわけではない!」

監視者は両手を広げた。

《境界封鎖・三重陣》

地面に三つの白い円が浮かび上がる。

それぞれが重なり合い、門の周囲を囲んだ。

開きかけていた門が、わずかに動きを止める。

「……止まった!」

若い監視者が顔を上げた。

しかし、次の瞬間。

門の隙間から、細長い黒い腕が伸びてきた。

人間の腕に似ていた。

だが、指は異様に長く、関節の位置も不自然だった。

その手が、白い封印陣に触れる。

「……何だ、あれは」

若い監視者が呟いた。

黒い指が触れた部分から、封印陣の光が失われ始めた。

「離れろ!」

年配の監視者が叫ぶ。

「術式を通して、こちらの力を奪っている!」

「そんなことが……!」

「術式を切れ!」

若い監視者は慌てて手を下ろした。

しかし、白い光は消えなかった。

「……切れません!」

「何?」

「術式が、勝手に維持されています!」

黒い手は、光の流れを伝って若い監視者へ近づいていた。

年配の監視者が立ち上がる。

《境界切断》

白い刃が空間を走った。

若い監視者と封印陣を繋いでいた光が断ち切られる。

若い監視者は雪の上へ倒れ込んだ。

「……助かりました」

「立てるか?」

「はい……」

「ならば下がれ」

年配の監視者は門を見据えた。

「我々二人では、もう封じられん」

魂導院。

東棟の一室。

最初に黒い石へ触れた男は、寝台の上で意識を失っていた。

ヴァルドが男の腕を調べる。

「……紋様の進行は止まっている」

アシュレイが尋ねた。

「門との繋がりは?」

「完全には切れていない」

「やはりか」

ヴァルドは男の右腕を見つめた。

黒い紋様は薄くなっていたが、消えてはいなかった。

「俺たちが術式を使った瞬間、向こう側から何かが引き返してきた」

「魂の流れを逆に辿ったのか?」

「恐らくな」

アシュレイは考え込んだ。

「……つまり、魂導術そのものが通り道になる可能性がある」

「そうだ」

「厄介だな」

ヴァルドは頷いた。

「下手に術式を使えば、俺たちまで繋がる」

その時、扉が開いた。

入ってきたのは、二人目のネクロマンサーだった。

「……話がある」

ヴァルドが振り向く。

「どうした?」

「俺の紋様も、さっきから変化している」

二人目は右腕を見せた。

黒い線が、手首から肘へと伸びている。

「痛みはない。でも……」

「でも?」

「誰かの声が聞こえる」

アシュレイの表情が変わった。

「何と言っている?」

「……帰れ、と」

「帰れ?」

「ああ」

二人目は俯いた。

「まるで、俺が向こう側の住人であるかのように」

ヴァルドは男の肩に手を置いた。

「お前はここにいる」

「……分かってる」

「向こうの声に従う必要はない」

二人目は小さく頷いた。

しかし、その表情から不安は消えなかった。

魂導院、中庭。

聖王教会の指揮官は、境界監視者から報告を受けていた。

「……北方の封印が破られた?」

「はい」

「門が開いたというのか?」

「完全ではありません。しかし、向こう側から何かが侵入しようとしています」

指揮官は顔をしかめた。

「何が出てくる?」

「分かりません」

「魔族か?」

「違います」

監視者は首を振った。

「魔族とも、死者とも異なる存在です」

「……何だと?」

「少なくとも、我々の知る生命ではありません」

指揮官はしばらく黙っていた。

そして、騎士たちへ命じた。

「北方へ伝令を出せ。教会の支部に増援を要請する」

「承知しました!」

「それから、魂導院の封鎖を強化しろ」

監視者が顔を上げた。

「封鎖を強化?」

「黒い石に触れた者が門と繋がっている以上、ここも危険だ」

「ですが、彼らの協力が必要になるかもしれません」

「危険な者を自由にするわけにはいかん」

監視者は眉をひそめた。

「……彼らは敵ではありません」

「今は、な」

指揮官は冷たく答えた。

「だが、本人の意思とは無関係に門を開く力を持っている」

「だからこそ、守らなければならないのです」

「守るために隔離する」

二人の意見は、最後まで交わらなかった。

現在。

レオは記憶の中の黒い手を見つめていた。

「……術式から力を奪っていた」

ガイアが頷く。

「それも、単純に壊しているわけではない」

カイが尋ねる。

「どういうことだ?」

「術式の繋がりを利用して、力を吸収していた」

ミナが顔を曇らせる。

「じゃあ、強い術式を使うほど危険になるんですか?」

「場合によってはな」

レオは自分の手を見つめた。

「……俺の《死者の鎖》も、魂を繋ぐ力だ」

守護者がレオの前へ歩み寄った。

白い手を伸ばし、レオの手に触れる。

すると、淡い光が二人の間に流れた。

「……守護者?」

守護者は静かに首を振った。

死者の男が口を開く。

『恐れる必要はない』

レオが振り向く。

『魂を繋ぐこと自体が危険なのではない』

「じゃあ、何が違う?」

『意思だ』

「意思……」

『あの黒い手は、相手の意思を無視して繋がりを奪う』

死者は続けた。

『だが、お前と守護者は違う。互いに望んで繋がっている』

ガイアが頷いた。

「……三百年前の封印条件に通じるな」

レオは守護者を見た。

「魂を導く者と、境界を守る者」

守護者が頷く。

「そして、双方の意思……」

レオは拳を握った。

「……やっぱり、そこが重要なんだな」

三百年前。

北方、旧境界域。

二人の境界監視者は、門から距離を取っていた。

「……増援は?」

若い監視者が尋ねる。

「通信術式が使えない」

「ならば、直接知らせに戻りましょう!」

「一人はここに残らなければならん」

「そんな!」

年配の監視者は門を見た。

黒い手は、封印陣の残された光を奪い続けている。

「誰かが監視していなければ、何が出てきたのかも分からなくなる」

「ですが、このままでは……」

「お前が戻れ」

若い監視者は首を振った。

「一人で残すわけにはいきません!」

「命令だ」

「……!」

「魂導院へ知らせろ。門は既に開き始めている。通常の封印術では止められない、と」

若い監視者は唇を噛んだ。

「……必ず戻ります」

「ああ」

「それまで、持ちこたえてください」

年配の監視者は静かに頷いた。

若い監視者は雪道を走り出した。

その背中を見送った後、年配の監視者は門へ向き直った。

「……さて」

彼は両手を広げた。

「これ以上、好きにはさせん」

《境界固定・白環》

白い光が地面を覆う。

崩れかけた封印陣が、再び形を取り戻し始めた。

しかし、黒い手はその光を見つめるように動きを止めた。

そして、ゆっくりと指を伸ばした。

監視者の術式へ。

「……来るか」

黒い指が白い光に触れる。

監視者は歯を食いしばった。

「……渡すものか!」

術式の光が強まる。

だが、黒い手は消えなかった。

むしろ、指先から新たな黒い線が伸び始めた。

それは、監視者の足元へと迫っていた。

魂導院、地下封印庫。

黒い石の前には、アシュレイが立っていた。

隣にはヴァルドと、白い守護者がいる。

「……この石を破壊できないのか?」

ヴァルドが尋ねる。

アシュレイは首を振った。

「試したが、表面に傷一つつかなかった」

「封印は?」

「今のところ維持できている」

「……今のところ、か」

アシュレイは黒い石を見つめた。

「門が開いた以上、石をここに置いておくのは危険だ」

「ならば、どうする?」

「境界監視者の施設へ移す」

ヴァルドが眉をひそめる。

「教会が認めると思うか?」

「認めさせるしかない」

その時、守護者が突然顔を上げた。

白い光が、強く揺らめく。

「……どうした?」

ヴァルドが尋ねる。

守護者は黒い石を指差した。

石の表面に、新たな亀裂が生まれていた。

アシュレイが目を見開く。

「……まさか!」

黒い石の奥に、小さな瞳が浮かんだ。

その瞳は、三人を見つめていた。

『……見つけた』

ヴァルドが一歩前へ出る。

「……誰だ!」

『……境界を守る者』

瞳は守護者へ向けられた。

『……お前も、ここにいたのか』

守護者の白い光が強まる。

アシュレイが術式を展開した。

《魂導封印》

黒い石を包む結界が、さらに厚くなる。

しかし、瞳は消えなかった。

『……いいだろう』

低い声が、封印庫に響いた。

『……ならば、先にそちらを奪う』

次の瞬間。

黒い石から、細い影が伸びた。

それは結界の内側を這い、守護者の足元へ向かっていく。

ヴァルドが叫んだ。

「守護者! 下がれ!」

守護者は動かなかった。

ただ、静かに両手を広げた。

白い光が、黒い影を迎え撃つように広がっていった。

――第132話・完――

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