第131話「開門」
三百年前。
魂導院、東棟。
廊下には聖王教会の騎士たちが並んでいた。
その先にある一室では、黒い石に触れた二人のネクロマンサーが、教会への移送を待たされていた。
「……本当に連れていかれるのか」
最初の男が窓の外を見つめる。
二人目は椅子に座り、腕を組んでいた。
「ヴァルドたちが交渉している」
「昨日も同じことを言ってた」
「まだ決まったわけじゃない」
「扉の外を見ろよ」
最初の男が振り返る。
「騎士が四人もいる。逃がすつもりがないのは明らかだろ」
二人目は答えなかった。
自分の右腕にも、黒い紋様が広がり始めていた。
「……お前は怖くないのか?」
最初の男が尋ねる。
「怖いさ」
「だったら、どうして落ち着いていられる?」
「落ち着いてなんかいない」
二人目は袖を下ろした。
「ただ、これ以上間違えたくないだけだ」
その言葉に、最初の男は目を伏せた。
「……俺が石に触れなければ」
「今さら言っても仕方ない」
「みんなを巻き込んだ」
「だからこそ、ここで止めるんだ」
二人目が立ち上がる。
「ヴァルドたちを信じよう」
最初の男は、しばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……ああ」
その時だった。
男の視界が、突然暗くなった。
北方、旧境界域。
雪に覆われた山々の間に、深い谷が広がっていた。
崩れた石柱。
地面に刻まれた巨大な円形術式。
そして、その中心には古い石の門が立っている。
門の表面には、三つの円と一本の縦線が刻まれていた。
そこへ、二人の境界監視者が到着した。
「……ここが旧境界域か」
若い監視者が周囲を見渡す。
「記録よりも損傷が激しい」
もう一人が石柱へ手を伸ばした。
「待て。術式を確認する」
白い光が地面に広がる。
すると、雪の下に隠れていた古い封印陣が浮かび上がった。
「……まだ生きている」
「封印は維持されているのか?」
「一部だけだ」
監視者は門を見つめた。
「中央の術式が失われている」
「誰かが破壊した?」
「いや……」
地面に膝をつき、刻まれた文字を確認する。
「内側から削られている」
若い監視者が顔を上げた。
「内側?」
「ああ」
二人は門を見た。
石の表面には、細い黒い線が浮かんでいた。
それは、ゆっくりと広がっていた。
魂導院。
「……北だ」
最初の男が呟いた。
二人目が顔を上げる。
「どうした?」
「門が……見える」
「またか?」
「違う。今度は、もっとはっきりしている」
最初の男は額を押さえた。
「雪山に、監視者が二人いる」
二人目の表情が変わった。
「監視者?」
「門を調べてる……」
「おい、しっかりしろ!」
最初の男は椅子から立ち上がった。
その右腕に刻まれた紋様が、首筋へと伸びていく。
「……呼んでる」
「誰が?」
「門の向こうにいる何かが……」
二人目は男の肩を掴んだ。
「聞くな!」
「でも……」
「俺を見ろ!」
最初の男が顔を上げる。
「お前はここにいる。魂導院にいるんだ!」
「……分かってる」
「だったら、向こうを見るな!」
男は必死に目を閉じた。
しかし、頭の中に声が響く。
『……門は見つかった』
「……やめろ」
『……次は、開くだけだ』
最初の男の瞳が黒く染まり始めた。
魂導院、中庭。
ヴァルドとアシュレイは、教会の指揮官と向き合っていた。
「移送は認められない」
ヴァルドが告げる。
「二人の身体には、境界からの干渉が続いている。今ここを離れれば、何が起こるか分からない」
指揮官は腕を組んだ。
「だからこそ、教会の施設へ移す」
「移動中に異変が起きたらどうする?」
「騎士が対応する」
アシュレイが首を振る。
「剣でどうにかできるものじゃない」
「では、ここに閉じ込めておけば安全なのか?」
「少なくとも、境界監視者の術式がある」
「その術式でも異変は止まっていないだろう」
ヴァルドは言葉を失った。
その時、東棟から一人の騎士が駆け込んできた。
「指揮官殿!」
「何事だ?」
「隔離対象の一人に異常が!」
アシュレイが顔を上げる。
「……まさか!」
三人は東棟へ向かった。
東棟の一室。
最初の男は床に膝をついていた。
右腕の紋様から、黒い霧が溢れている。
二人目のネクロマンサーが、必死に術式を維持していた。
《魂縛鎖》
淡い光の鎖が男の身体を包み込む。
「……早く来てくれ!」
扉が開いた。
ヴァルドが駆け込む。
「何があった!」
「急に紋様が広がった!」
アシュレイが男の前に膝をつく。
「聞こえるか!」
「……アシュレイ……」
「大丈夫だ。俺たちがいる」
男は震える手を伸ばした。
「……門が……」
「門?」
「開こうとしてる……!」
ヴァルドが振り向く。
「監視者を呼べ!」
騎士が廊下へ走る。
その瞬間、男の身体から黒い光が広がった。
部屋の壁に、巨大な円形の紋様が浮かび上がる。
アシュレイが目を見開いた。
「……これは!」
「どうした!」
「境界術式だ!」
ヴァルドが壁を見た。
「誰が描いた?」
「誰も描いていない!」
黒い紋様は、床から天井へと広がっていく。
男は必死に首を振った。
「……違う……!」
ヴァルドが肩を支える。
「何が違う!」
「俺じゃない……!」
その瞳から涙が流れた。
「俺は……開けたくない……!」
しかし、男の右腕が勝手に持ち上がった。
指先が、北の方角を示す。
そして、口から低い声が漏れた。
『……繋がった』
北方、旧境界域。
石の門を調べていた監視者たちが、突然顔を上げた。
「……何だ?」
門の表面に刻まれた紋様が、黒く染まっていく。
地面の封印陣から、白い光が失われ始めた。
「まずい!」
一人が叫ぶ。
「魂導院へ連絡を!」
もう一人が通信術式を展開する。
しかし、術式の中央に黒い線が走った。
「……繋がらない!」
門の中央に、細い亀裂が生まれた。
その隙間から、冷たい空気が流れ出す。
若い監視者が後退した。
「……向こうに、何かいる」
亀裂の奥。
暗闇の中で、巨大な瞳が開いた。
『……ようやく』
監視者は両手をかざした。
《境界封鎖》
白い光が門を包む。
しかし、亀裂は閉じなかった。
「……力が足りない!」
もう一人も術式を重ねる。
「持ちこたえろ!」
二人の力が重なり、亀裂の広がりが一時的に止まった。
だが、門の向こうから黒い指が伸びた。
それは封印陣に触れ、白い光を奪っていく。
若い監視者が叫んだ。
「……封印が!」
地面に刻まれた円形術式が、一つずつ黒く染まっていった。
現在。
レオは記憶の中の門を見つめていた。
「……最初の男は、開けたくなかったんだな」
死者の男が頷く。
『ああ』
「でも、身体を利用された」
『そうだ』
カイが拳を握る。
「……ひでえ話だな」
ミナは静かに尋ねた。
「じゃあ、最初の男が門を開いたっていう記録は……」
『完全な嘘ではない』
死者は答える。
『彼の力が門を開くために使われた。それは事実だ』
「でも、本人の意思じゃなかった」
『少なくとも、この瞬間はな』
ガイアが口を開いた。
「問題は、この後だ」
レオが振り向く。
「どういうことだ?」
「一度繋がった境界を、向こう側の存在が手放すとは思えない」
守護者が静かに頷いた。
そして、記憶の奥へ手を伸ばした。
三百年前。
魂導院、東棟。
ヴァルドとアシュレイは、最初の男を支え続けていた。
「……まだ間に合う!」
ヴァルドが叫ぶ。
「魂の繋がりを断つんだ!」
アシュレイが術式を展開する。
《魂導断絶》
白い光が男の右腕を包み込んだ。
黒い紋様の一部が、ゆっくりと薄れていく。
「……効いてる!」
二人目のネクロマンサーが声を上げた。
しかし、男の口から再び声が漏れた。
『……遅い』
ヴァルドが顔を上げる。
「……誰だ!」
『……門は開いた』
その言葉と同時に、壁の黒い紋様が消えた。
最初の男は意識を失い、ヴァルドの腕の中へ倒れ込む。
アシュレイが呼吸を確かめた。
「……生きている」
ヴァルドは安堵しかけた。
だが、部屋の外から境界監視者が駆け込んできた。
「ヴァルド!」
「どうした!」
「北方の監視術式が消えた!」
「……何?」
監視者は青ざめていた。
「旧境界域の封印が破られた!」
ヴァルドは言葉を失った。
その頃。
北方の雪山では、巨大な石の門がゆっくりと開き始めていた。
門の向こうに広がる暗闇から、無数の黒い影が姿を現す。
そして、その奥にいる何者かが、現世を見つめていた。
『……見つけた』
その視線は、魂導院だけではなく、遥か未来に存在する一人のネクロマンサーへも向けられていた。
――第131話・完――




