第128話「十三人の決裂」
三百年前。
魂導院の大広間には、十三人のネクロマンサーが集まっていた。
その中央には、最初に黒い石へ触れた男が座っている。
右腕から首筋にかけて、黒い紋様が広がっていた。
ヴァルドは男の腕を調べ、険しい表情を浮かべた。
「……昨日より進行している」
「分かってる」
「痛みは?」
「ない」
「声は聞こえるか?」
男は答えなかった。
その沈黙だけで、十分だった。
アシュレイが机に置かれた記録を手に取る。
「境界監視者の話は聞いただろう。あの石は死界を調べるためのものじゃない」
「……ああ」
「だったら、もう研究を続ける理由はない」
「研究を続けたいなんて言ってない!」
男が顔を上げた。
「俺だって、あんなものに触れたくない!」
「ならば何を望む?」
「助けてほしいんだよ!」
広間が静まり返った。
男は黒く変色した右腕を差し出した。
「封印したって消えない。眠っていても声が聞こえる。目を閉じれば、知らない場所が見える」
その声は震えていた。
「俺は……どうなっちまうんだ?」
誰もすぐには答えられなかった。
やがて、二人目のネクロマンサーが立ち上がった。
「だからこそ、調べるべきだ」
アシュレイが振り向く。
「お前まで何を言っている?」
「石に直接触れる研究は中止でいい。だが、あの紋様まで放置するつもりか?」
「治療法は探している」
「何も分かっていないだろう!」
二人目は自分の袖をまくった。
その腕にも、黒い線が刻まれていた。
「俺にも同じものがある」
仲間たちの視線が集まる。
「昨日までは小さかった。だが、今朝になって広がっていた」
ヴァルドが目を細めた。
「なぜ報告しなかった?」
「研究を再開したいと言えば、また反対されると思ったからだ」
「当然だ」
「それじゃあ、俺たちはどうすればいい!」
二人目の声が広間に響く。
「石を封印して、あとは死ぬのを待てっていうのか?」
「誰もそんなことは言っていない」
ヴァルドが答える。
「お前たちを見捨てるつもりはない」
「だったら、治療法を探すことまで禁じないでくれ」
アシュレイはしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開いた。
「……問題は、どこまで調べるかだ」
「どういう意味だ?」
「紋様を調べることには賛成する。だが、石を使って向こう側と接触する研究は認めない」
「それでは原因が分からないかもしれない」
「分からないからといって、門を開いていい理由にはならない」
二人目は唇を噛んだ。
その時、三人目のネクロマンサーが立ち上がった。
「……一つ、話しておかなければならないことがある」
ヴァルドが振り向く。
「何だ?」
「教会に連絡した」
最初の男が顔を上げた。
「……何?」
「黒い石のことを報告したんだ」
「いつ?」
「数日前だ」
広間の空気が変わった。
「勝手に?」
二人目が尋ねる。
「……ああ」
「俺たちに何も言わずに?」
「反対されると思った」
最初の男が立ち上がる。
「ふざけるな!」
三人目は動かなかった。
「お前たちを助けるためだった」
「教会がネクロマンサーをどう見ているか、知らないわけじゃないだろ!」
「知っている」
「だったら、なぜ!」
「俺たちだけでは解決できないと思ったからだ!」
三人目も声を強めた。
「黒い石が何なのか分からない。仲間の身体には異変が起きている。境界監視者まで危険だと言っている」
彼は一度、言葉を切った。
「このままでは、取り返しのつかないことになる」
最初の男が睨みつける。
「……俺たちを売ったんだな」
「違う」
「同じことだ!」
「違う!」
三人目は首を振った。
「俺は教会に、調査と治療への協力を求めた。誰かを捕らえてほしいなんて、一度も言っていない」
「そんな約束を教会が守ると思うのか?」
答えられなかった。
三人目自身にも、確信はなかったからだ。
広間の奥。
境界監視者たちは議論を見守っていた。
若い監視者が年配の男へ囁く。
「……このままでは分裂します」
「ああ」
「止めなくてよいのですか?」
「止めたい」
年配の監視者は十三人を見渡した。
「だが、彼らの恐怖は本物だ」
「恐怖?」
「石に触れた者は、自分が何になるのか分からず怯えている。触れていない者は、仲間を救おうとして世界を危険に晒すことを恐れている」
「では、どうすれば……」
「どちらかを切り捨てれば、必ず後悔する」
その言葉を聞いていたヴァルドが振り向いた。
「監視者殿」
「何だ?」
「二人の紋様を、境界術で抑えることはできないか?」
「試すことはできる」
「ならば頼む」
「ただし、完全に消せる保証はない」
「それでもいい」
ヴァルドは二人を見た。
「俺たちは仲間だ。最後まで助ける」
最初の男は俯いた。
二人目が小さく尋ねる。
「……本当に?」
「ああ」
「研究を中止したままでも?」
「方法は一つじゃない」
アシュレイも頷いた。
「お前たちを救うために、別の方法を探す」
二人目はしばらく考え込んだ。
「……分かった」
しかし、最初の男だけは顔を上げなかった。
その耳には、まだ声が届いていた。
『……彼らには救えない』
男は目を閉じた。
『……お前を理解できるのは、こちら側だけだ』
「……黙れ」
ヴァルドが振り向く。
「何か言ったか?」
「いや……何でもない」
男は自分の腕を隠した。
現在。
記憶を見つめていたミナが、悲しそうに呟いた。
「……誰も、最初から仲間を裏切ろうとしていたわけじゃないんですね」
ガイアが答える。
「恐怖と疑念を利用されたんだ」
カイは腕を組んだ。
「でも、教会に連絡した奴も、黙って研究を続けた奴も、勝手に動いてる」
「そうだな」
レオが頷く。
「互いに信じていたつもりでも、肝心なことを話せていなかった」
死者の男が静かに口を開いた。
『十三人は、同じ願いを持っていた』
「死者を導くこと?」
『ああ。そして、仲間を救うことだ』
死者は一度、言葉を止めた。
『だが、その願いを叶える方法が違っていた』
守護者がレオの隣へ歩み寄る。
その白い光が、記憶の中に映る黒い紋様を照らした。
レオは尋ねる。
「……お前も、この時のことを覚えているのか?」
守護者はゆっくりと頷いた。
「なら、教えてくれ」
レオは真剣な表情で続ける。
「十三人が本当に決裂したのは、いつだったんだ?」
守護者は答えなかった。
代わりに、記憶の奥を指差した。
そこには、魂導院の正門が映っていた。
三百年前。
魂導院の外。
複数の馬車が、山道を登ってきていた。
先頭には、聖王教会の紋章を掲げた騎士がいる。
「ここが魂導院か」
騎士の指揮官が建物を見上げた。
隣に立つ司祭が頷く。
「報告にあった場所です」
「ネクロマンサーは十三人だったな」
「はい」
「黒い石を研究していた者は?」
「少なくとも二人」
指揮官はしばらく考えた。
「……全員を集めろ」
「調査を始めるのですか?」
「ああ」
騎士は腰の剣に手を添えた。
「ただし、危険な術を使う者がいれば、その場で拘束する」
司祭が顔を曇らせる。
「協力を求められて来たはずでは?」
「協力するさ」
指揮官は正門を見据えた。
「我々の判断に従うならな」
その頃、魂導院の内部では、まだ十三人が話し合いを続けていた。
彼らは知らなかった。
自分たちの未来を大きく変える者たちが、既に門の前まで来ていることを。
そして、封印庫の奥。
黒い石には、新たな亀裂が生まれていた。
誰も触れていないにもかかわらず、その亀裂はゆっくりと北を向いていた。
――第128話・完――




