第126話「黒石実験」
三百年前。
深夜の魂導院。
地下封印庫の前に、二人のネクロマンサーが立っていた。
「……まだ引き返せるぞ」
二人目の男が呟く。
「分かってる」
「だったら、明日ヴァルドたちと話そう」
「明日じゃ遅いんだ」
最初の男は右腕を見せた。
黒い紋章が肘の近くまで広がっている。
「今夜になってから、急に広がり始めた」
「……何だよ、それ」
「俺にも分からない」
男は拳を握る。
「だから調べるんだ」
「調べるって……」
「この石が何をしたいのか。それが分かれば、俺の腕も元に戻せるかもしれない」
二人目は唇を噛んだ。
「……一度だけだぞ」
「ああ」
「危険だと思ったら、すぐに止める」
「約束する」
二人は封印庫の扉へ向き直った。
最初の男が腕を伸ばす。
すると――。
ドクン。
黒い紋章が脈打った。
封印庫の術式が、一つずつ暗くなっていく。
「……おい」
二人目が目を見開く。
「まだ何もしてないぞ」
「俺だって……」
ガコン。
重い扉が開いた。
二人は顔を見合わせる。
「……まるで、向こうから開けたみたいだ」
その言葉に、最初の男は答えなかった。
封印庫の中央。
黒い石は、幾重もの鎖に囲まれていた。
「封印は壊すなよ」
「ああ」
最初の男は石の前に膝をつく。
「聞こえるか?」
返事はない。
「お前は何者だ?」
静寂。
二人目が首を振る。
「やっぱり何も――」
『……待っていた』
声が響いた。
二人の身体が固まる。
黒い石の表面に、ゆっくりと目が開く。
『……ようやく来た』
最初の男が問いかける。
「お前は死者なのか?」
『……違う』
「なら、何だ?」
『……境界の向こうにいるもの』
二人目が一歩後退した。
「……答えた」
『……知りたいのだろう』
黒い目が最初の男を見つめる。
『……死者がどこへ行くのか』
「……ああ」
『……ならば見せよう』
黒い石から細い光が伸びた。
床に、円形の術式が浮かび上がる。
二人目が叫ぶ。
「待て! 俺たちは術式を組んでない!」
「……俺もだ」
術式は勝手に広がっていく。
『……力を貸せ』
最初の男の腕が持ち上がる。
「ぐっ……!」
「離れろ!」
二人目が男を引っ張る。
だが黒い紋章から鎖のような影が伸び、床へ突き刺さった。
ドクン!
空気が震える。
壁の一部に、小さな亀裂が生まれた。
「……境界が」
亀裂の向こうには暗闇。
そして無数の声。
『帰りたい……』
『助けて……』
『寒い……』
最初の男が目を見開いた。
「聞こえる……!」
「聞くな!」
「本当に死者がいるんだ!」
男が亀裂へ近づこうとする。
その瞬間。
『……こちらへ』
別の声が響いた。
死者たちの声とは明らかに違う。
低く、冷たい声。
二人目が叫ぶ。
「そいつは死者じゃない!」
だが黒い目が大きく開いた。
『……見つけた』
亀裂の奥から、黒い指が一本伸びる。
「……っ!」
二人目が死者の鎖を放った。
「《魂縛鎖》!」
鎖が黒い指に絡みつく。
しかし――。
ジュッ!
鎖が黒く染まった。
「何だ!?」
力が吸い取られていく。
最初の男も異変に気づいた。
「……違う」
「何が!」
「この声……!」
男の顔が青ざめる。
「助けを求めてたんじゃない!」
黒い目が細くなる。
『……気づいたか』
「俺たちを……呼んでたのか」
『……そうだ』
亀裂がさらに広がる。
バキッ!
「閉じろ!」
二人目が叫ぶ。
「もう無理だ!」
「無理でもやれ!」
最初の男は震える腕を押さえた。
「……分かった!」
二人が同時に鎖を放つ。
亀裂の両端へ絡ませ、力を込めた。
「閉じろぉぉ!」
ゴゴゴ……!
亀裂が少しずつ縮んでいく。
しかし黒い指が抵抗する。
『……まだだ』
「黙れ!」
二人目が叫ぶ。
「俺たちはお前を呼んでない!」
『……呼んだ』
黒い目が二人を見つめる。
『……お前たちが、こちらを見た』
『……だから、こちらも見つけた』
最初の男が歯を食いしばる。
「ふざけるな……!」
二人の鎖が強く輝いた。
バキン!
黒い指が弾かれる。
亀裂が閉じた。
封印庫に静寂が戻る。
二人は床へ倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
「……閉じたのか?」
「多分……」
二人目は自分の腕を見た。
消えていたはずの黒い線が、はっきりと浮かんでいる。
「……くそ」
最初の男は黒い石を見つめた。
目は閉じている。
だが、石の表面には――。
北を指すような細い亀裂が刻まれていた。
現在。
魂導院の地下。
記憶を見ていたレオが口を開いた。
「……あの時点では、まだ本当の門は開いてなかったんだな」
死者の男が頷く。
『ああ。あれは小さな裂け目にすぎない』
ミナが眉をひそめる。
「でも、黒い目は二人を見つけた……」
「それだけじゃない」
ガイアが腕を組む。
「石の力で、こちら側の境界に触れる方法を覚えた可能性がある」
カイが顔をしかめる。
「だったら、あいつらが閉じても意味なかったんじゃないか?」
レオは首を振る。
「意味はあったはずだ」
「少なくとも、あの黒い腕をこちらへ出させなかった」
守護者が静かに頷いた。
その時、死者の男が口を開く。
『だが、実験の影響は残った』
「影響?」
『境界監視者が異常を感知したのだ』
再び記憶が広がる。
魂導院から離れた山中。
古い石柱の前に、数人の境界監視者が立っていた。
石柱には三つの円と一本の縦線。
境界監視者の紋章。
その中央に――。
黒い亀裂が走っていた。
「……まさか」
一人が呟く。
「向こう側から、こちらを探している」
別の監視者が振り返る。
「魂導院へ知らせろ!」
「黒い石の研究を、今すぐ完全に止めさせるんだ!」
そして石柱の奥。
誰もいない暗闇で。
黒い目が、ゆっくりと開いた。
――第126話・完――




