第125話「教会への密告」
三百年前。
聖王教会・北方支部。
石造りの廊下を、一人のネクロマンサーが歩いていた。
魂導院に所属する十三人のうちの一人。
後に三人目の裏切り者と呼ばれる男だった。
「こちらへ」
教会の兵士に案内され、男は奥の部屋へ入る。
そこには三人の教会関係者が待っていた。
研究監督官。
聖騎士隊の指揮官。
そして、境界研究を担当する老司祭。
「報告書は読ませてもらった」
研究監督官が口を開く。
「黒い石に触れた者がいるそうだな」
「……はい」
「その者は今どこに?」
「魂導院にいます」
「拘束しているのか?」
男は首を振った。
「いいえ。実験は中止されました」
聖騎士隊の指揮官が眉をひそめる。
「危険な石に触れた者を自由にしているのか?」
「彼は犯罪者ではありません!」
思わず声が大きくなる。
「……失礼しました」
研究監督官が手を上げた。
「構わない。続けてくれ」
男は深く息を吸った。
「黒い石に触れてから、彼の腕に奇妙な紋章が現れました」
「さらに、石から声が聞こえるそうです」
老司祭が顔を上げる。
「声?」
「はい」
「死者の声か?」
「アシュレイは違うと言っています」
老司祭の表情が険しくなった。
「……死者ではない声」
男が頷く。
「それが何なのか分からないんです」
「だから、教会の力を借りたい」
研究監督官が問いかける。
「魂導院の責任者は、この報告を知っているのか?」
「……いいえ」
「なぜ知らせない?」
男は俯いた。
「仲間を疑っていると思われたくなかった」
沈黙が落ちる。
やがて老司祭が口を開いた。
「君は仲間を告発しに来たのではないのだな」
「違います!」
男は顔を上げた。
「誰も捕まえてほしくありません!」
「ただ、黒い石の影響を止めたいんです!」
老司祭は静かに頷いた。
「分かった。調査を提案しよう」
その言葉に男の表情が和らぐ。
「ありがとうございます」
しかし――。
聖騎士隊の指揮官が口を挟んだ。
「調査だけで済むとは限らん」
「……え?」
「境界に関わる異常が発生しているなら、周辺住民の安全を優先する必要がある」
「それは分かっています」
「場合によっては魂導院の封鎖も必要だ」
男の顔が強張った。
「封鎖……?」
研究監督官が答える。
「まだ決定ではない」
「まずは情報を確認する」
老司祭も続けた。
「我々は長年、魂導院と協力してきた」
「その関係を簡単に壊すつもりはない」
男は小さく頷いた。
「……お願いします」
数日後。
魂導院。
ヴァルドは研究室で古い資料を調べていた。
そこへアシュレイが入ってくる。
「黒い石の封印は?」
「異常なしだ」
「本当に?」
「少なくとも外側にはな」
ヴァルドが資料を閉じる。
「だが、気になることがある」
「何だ?」
「石に触れたあいつだ」
アシュレイの表情が変わる。
「また声を聞いたのか?」
「昨夜、部屋の外で一人で喋っていたらしい」
「……」
「本人は何も聞こえていないと言っている」
アシュレイが拳を握る。
「やはり腕の紋章を調べるべきだ」
「俺もそう思う」
ヴァルドは立ち上がった。
「今日、もう一度話してみる」
その頃。
魂導院の中庭。
最初の男と二人目が向かい合っていた。
「お前、最近眠れてないだろ」
「……別に」
「嘘をつくな」
二人目は男の腕を指差した。
「その痕、広がってるんじゃないのか?」
「関係ない」
「あるだろ!」
男が振り返る。
「お前までアシュレイみたいなことを言うのか?」
「心配してるだけだ!」
「だったら俺を信じろ!」
「信じてる!」
二人目が叫んだ。
「だからこそ、これ以上あの石に関わってほしくないんだ!」
最初の男は黙り込む。
やがて、小さく呟いた。
「……俺には聞こえるんだ」
「何が?」
「助けを求める声が」
二人目の表情が変わる。
「まだ聞こえてるのか?」
「ああ」
「だったらヴァルドたちに――」
「言うな!」
男は二人目の腕を掴んだ。
「頼む」
「……」
「もう少しだけ、俺を信じてくれ」
二人目は答えられなかった。
その腕にも、薄い黒線が残っている。
彼自身もまた、完全には石の影響から逃れられていなかった。
聖王教会・北方支部。
研究監督官の机に、新たな報告書が置かれた。
『黒い石により、境界への接触が発生した可能性あり』
『接触者二名に原因不明の紋章』
『死者以外の存在との交信が疑われる』
聖騎士隊の指揮官が報告書を読み終える。
「……危険すぎる」
老司祭が答えた。
「だからこそ慎重に調べる必要がある」
「調査員だけを送って、もし被害が広がったらどうする?」
「武装部隊を送れば魂導院を刺激する」
研究監督官が二人を見た。
「まず境界監視者にも知らせよう」
「彼らなら、この現象を知っているかもしれない」
老司祭が頷く。
「それがいい」
だが聖騎士隊の指揮官は納得していなかった。
「私は警備隊の待機を進言する」
「待機だけだな?」
「……現時点では」
研究監督官は報告書を閉じた。
「魂導院には、まだ知らせるな」
「事実関係が確認できるまで、混乱を避ける」
こうして――。
魂導院の知らないところで、聖王教会による調査が始まった。
現在。
魂導院の地下。
記憶を見終えたレオは、静かに口を開いた。
「……密告っていうより、助けを求めたんだな」
ミナが頷く。
「仲間を守ろうとしていたんですね」
カイは腕を組んだ。
「でも、本人に黙って教会へ行ったのはまずかったんじゃないか?」
「そうだな」
ガイアが答える。
「善意であっても、相手にどう伝わるかは別だ」
レオは死者の男を見る。
「この時、教会が来ることは誰も知らなかったのか?」
『ああ』
「じゃあ、どうして……」
『我々が気づいた時には、もう遅かった』
死者の男は目を伏せる。
『だが教会の調査より先に、別の事件が起きた』
レオの表情が変わる。
「別の事件?」
『黒い石に触れた二人が――』
『再び、禁じられた実験を行ったのだ』
次の記憶が広がる。
夜の魂導院。
封印庫の前に立つ二人。
最初の男が扉へ手を伸ばす。
「……今夜で終わらせる」
二人目が不安そうに尋ねた。
「本当に、声の正体を確かめるだけなんだな?」
「ああ」
だが、最初の男の腕では――。
黒い紋章が、まるで生き物のように動いていた。
――第125話・完――




