第110話「冥夜の旅団、北へ」
黒い線が激しく震える。
最後の監視者と黒い霧を繋いでいる、たった一本の線。
それさえ切れれば――。
三百年間続いた侵食を終わらせることができる。
『……選べ』
黒い目がレオを見つめる。
『……生者か』
『……死者か』
レオは死者の鎖を握った。
「何度言わせるんだ」
守護者がレオの隣に立つ。
「俺は――どっちも見捨てない」
『……不可能だ』
「それを決めるのは、お前じゃない!」
レオが鎖を放った。
「《死者の鎖・魂連結》!」
無数の鎖が黒い線へ絡みつく。
『……無駄だ』
黒い線から力が流れ込む。
レオの鎖が黒く染まり始めた。
「ぐっ……!」
『……死者の力を使えば』
『……死者が失われる』
レオの周囲にいた魂たちが揺らぐ。
だが――。
一人の魂が前へ出た。
『違う』
黒い目が動く。
『……何?』
『俺たちは奪われていない』
別の魂も続く。
『自分で決めた』
『レオに力を貸すって』
『俺たちの意思だ』
次々と死者たちがレオの周囲へ集まる。
レオは小さく笑った。
「聞こえただろ」
鎖が再び白く輝く。
「俺が死者を使ってるんじゃない」
「一緒に戦ってるんだ!」
守護者が両手を広げる。
白い光が爆発した。
《死者の鎖・境界連結》
二つの力が重なる。
黒い線に亀裂が入った。
バキッ!
『……やめろ』
「まだだ!」
レオは鎖を引く。
「ガイア!」
『分かっている!』
ガイアの力がレオへ流れ込む。
黒い線がさらに細くなる。
外では――。
カイとミナが最後の監視者を守っていた。
黒い霧から次々と腕が伸びてくる。
「させるか!」
カイが飛び込む。
「《裂空斬・弐》!」
斬撃が黒い腕を切り裂く。
「右!」
ミナの声。
カイが身体を沈める。
その頭上を炎の槍が通過した。
「《フレイム・ランス》!」
ドォン!
別の黒い腕が炎に包まれる。
「いい援護!」
「そっちこそ!」
二人の背後では、最後の監視者が膝をついていた。
胸の黒い亀裂は、ほとんど消えている。
老人がその姿を見つめる。
「あと少しだ……」
だが。
最後の監視者が突然、顔を上げた。
「……下がれ」
カイが振り返る。
「何?」
「……来る」
地面が揺れた。
ズズズズズ……。
黒い霧が一点へ集まり始める。
巨大な目。
その周囲に、無数の腕が形成される。
ミナが息を呑む。
「まだこんな力が……!」
老人が叫ぶ。
「監視者から切り離される前に、すべての力を使うつもりだ!」
黒い目が開く。
『……鍵を渡せ』
「誰が渡すか!」
カイが剣を構えた。
『……お前たちではない』
黒い目はカイもミナも見ていなかった。
その視線は――。
最後の監視者の内部にいるレオへ向けられている。
『……魂を導く者』
『……お前はいずれ来る』
『……自ら門を越えて』
黒い空間。
レオにもその声が届く。
「行かない」
『……来る』
「行かないって言ってるだろ」
『……境界の真実を知れば』
『……お前自身が望む』
レオの表情が変わる。
「境界の真実……?」
ガイアが叫ぶ。
『聞くな! 今は切り離すことだけ考えろ!』
レオは一瞬だけ黒い目を見る。
そして――。
「……そうだな」
鎖を強く握った。
「知りたきゃ、自分で調べる」
『……』
「お前に教えてもらう必要はない!」
レオと守護者が同時に力を放つ。
「《死者の鎖・境界解放》!」
白い光が黒い線を包む。
バキィィィン!
黒い線が――。
切れた。
『――――!』
声にならない叫び。
黒い目が大きく歪む。
外の黒い霧も一斉に崩れ始めた。
「今だ!」
カイが走る。
ミナも杖を掲げる。
「一気に押し返す!」
「《裂空斬》!」
「《フレイム・ランス》!」
斬撃と炎。
二つの攻撃が黒い霧を貫いた。
最後の監視者もゆっくりと手を上げる。
胸に残っていた紋章が光る。
「……境界より離れよ」
光が広がった。
黒い目が押し潰されていく。
『……レオ……』
初めて。
その存在がレオの名前を呼んだ。
レオの目が見開かれる。
『……また……会おう』
黒い目が消える。
同時に、村を覆っていた黒い霧も完全に消滅した。
静寂。
風が吹く。
黒く染まっていた地面が、少しずつ元の色へ戻っていく。
「……終わった?」
ミナが呟く。
カイは剣を下ろした。
「たぶんな」
白い光が広がる。
その中からレオと守護者が現れた。
「レオ!」
ミナが駆け寄る。
「大丈夫!?」
「ああ」
レオは肩で息をしながら笑った。
「なんとか」
カイが肩を叩く。
「無茶しすぎだ」
「お前に言われたくない」
「何だと?」
「まあまあ」
ミナが苦笑する。
ガイアの声も響いた。
「全員生きている。それで十分だ」
レオは頷く。
「そうだな」
その時。
最後の監視者が立ち上がった。
巨体を覆っていた石が崩れ落ちていく。
中から現れたのは――。
一人の老人だった。
先ほどまでの巨大な姿ではない。
古びた服を着た、普通の人間ほどの大きさ。
胸には境界監視者の紋章。
黒い亀裂は消えていた。
「……三百年」
老人は自分の手を見る。
「ようやく……終わった」
記録者の老人が近づく。
二人はしばらく無言で見つめ合った。
「長かったな」
「……ああ」
それだけだった。
だが、その言葉には三百年分の重みがあった。
最後の監視者はレオを見る。
「魂を導く者」
「レオでいい」
「……そうか」
老人は僅かに笑った。
「レオ」
そして井戸を指差した。
「約束の記録を渡そう」
井戸の底から、小さな石板が浮かび上がる。
レオが受け取る。
そこには文字が刻まれていた。
『境界を閉じるための条件』
レオたちは石板を見る。
『第一』
『魂を導く者』
『第二』
『境界を守る者』
『第三』
『双方が自らの意思で力を重ねること』
そして最後。
『生者、死者』
『いずれかを犠牲とする必要はない』
レオは目を見開いた。
「やっぱり……」
三百年前には見つけられなかった方法。
犠牲を必要としない方法。
最後の監視者が頷く。
「三百年前、我々は間に合わなかった」
「だが、お前たちは違う」
守護者を見る。
「白き守護者よ」
守護者が静かに頷く。
「お前が待ち続けた意味はあった」
守護者はレオを見る。
レオも守護者を見る。
「……まだ終わってないけどな」
最後の監視者は北を指した。
「ならば進め」
「北へ」
カイが眉を上げる。
「まだ北なのか?」
「この先に何がある?」
最後の監視者は答える。
「三百年前のネクロマンサーたちが残した場所だ」
レオの表情が変わった。
「ネクロマンサー……」
「ヴァルドとアシュレイだけではない」
風が吹く。
「三百年前」
「死界の門を巡り、多くのネクロマンサーが動いていた」
「その過去を知らなければ、お前は先へ進めない」
レオは石板を握る。
第零封印。
黒き境界派。
二人の守護者。
黒い石。
境界を喰らおうとする存在。
そして――。
三百年前のネクロマンサーたち。
「行こう」
レオが歩き出す。
カイが続く。
「やっと旅団らしくなってきたな」
ミナが笑う。
「最初から旅団でしょ?」
ガイアも続く。
「五人揃っているならな」
守護者がレオの隣へ並ぶ。
レオ。
カイ。
ミナ。
ガイア。
守護者。
五人の冥夜の旅団。
彼らは北へ向かう。
三百年前に何が起きたのか。
なぜネクロマンサーたちは死界の門に関わったのか。
そして――。
なぜレオが「鍵」と呼ばれるのか。
その答えを求めて。
冥夜の旅団の最初の旅は終わった。
そして、新たな旅が始まる。
――第110話・完――




