第108話「二つの紋章」
黒い霧が村を覆っていた。
最後の監視者の胸に刻まれた黒い亀裂。
そこから溢れ出す力は、まるで意思を持っているかのように周囲へ広がっていく。
レオは死者の鎖を構えた。
「……あの黒い亀裂を消す」
カイが剣を握り直す。
「どうやってだ?」
「中に入る」
「は?」
ミナが目を丸くした。
「中って……あの監視者の中に?」
「そうだ」
ガイアがため息をつく。
「やっぱりそうなるか」
「何か方法があるのか?」
「ある」
ガイアが監視者の胸を見る。
「ただし、普通に入ればお前まで境界に取り込まれる」
「なら、守護者の力を借りる」
レオの隣に守護者が立つ。
白い光が静かに揺れている。
老人が口を開いた。
「……その方法を使うなら、二つの紋章が必要になる」
レオが振り返る。
「二つ?」
老人は自分の胸元を指した。
境界監視者の紋章。
そして、監視者の胸に刻まれた黒い紋章。
「白き紋章と黒き紋章」
「この二つは、もともと一つだった」
カイが眉をひそめる。
「一つ?」
「三百年前、境界監視者は一つの組織だった」
老人はゆっくりと語り始める。
「境界を閉じる者」
「境界を観測する者」
「二つの役目を、一つの紋章に刻んでいた」
ミナが尋ねる。
「じゃあ、どうして分かれたの?」
老人は目を伏せた。
「三百年前の事件だ」
その言葉と同時に、監視者の身体が大きく震えた。
「……来るぞ!」
カイが叫ぶ。
黒い霧が地面を這う。
「《裂空斬》!」
斬撃が霧を切り裂く。
しかし、切られた霧は二つに分かれただけだった。
「くそっ!」
「攻撃するほど増える!」
ミナが叫ぶ。
「じゃあ、俺が止める!」
レオが鎖を伸ばした。
「《死者の鎖・群縛》!」
無数の鎖が黒い霧を絡め取る。
しかし――。
ズズズズズ……。
鎖が黒く染まっていく。
「レオ!」
ガイアが叫ぶ。
「その力は吸収される!」
「分かってる!」
レオは鎖を切り離した。
「だから、死者の力だけで押さえ込まない」
レオは守護者を見る。
守護者が頷いた。
白い光が広がる。
「今だ!」
レオが鎖を再び伸ばす。
《死者の鎖・境界連結》
白い光と死者の鎖が重なる。
黒い霧が押し返された。
「よし!」
カイが走る。
「道ができた!」
ミナも続く。
「私も行く!」
「カイ、ミナ!」
レオが振り返る。
「外を頼む!」
「分かった!」
カイが剣を振る。
「任せろ!」
ミナも杖を構える。
「絶対に戻ってきてよ!」
レオは頷いた。
「必ず戻る」
そして守護者とともに、最後の監視者の胸へ飛び込んだ。
白い光が二人を包む。
視界が暗転する。
次の瞬間――。
そこには、巨大な空間が広がっていた。
地面もない。
空もない。
ただ、無数の鎖が浮かんでいる。
そして、その中央に巨大な黒い球体があった。
「……ここが」
レオが辺りを見る。
「監視者の中?」
ガイアの声が遠くから響く。
『正確には、境界に触れた部分だ』
レオは黒い球体を見る。
「……あれか」
球体の表面には、一つの紋章が刻まれていた。
黒い円。
その中央に、縦線。
「黒き紋章……」
守護者が一歩前へ出る。
白い紋章が光る。
すると黒い球体も反応した。
ドクン。
ドクン。
まるで心臓のように脈打つ。
「二つが反応してる」
レオが呟く。
その瞬間。
無数の鎖が動き始めた。
ガシャン!
レオの腕に絡みつく。
「くっ!」
守護者が白い光を放つ。
しかし鎖は消えない。
黒い球体から声が響く。
『……二つの紋章』
レオは顔を上げた。
「お前は……」
『……白き守護者』
『……魂を導く者』
『……三百年前と同じだ』
レオの表情が変わる。
「三百年前……?」
『……あの時も』
『……二つの力がここへ来た』
「誰だ?」
沈黙。
そして――。
黒い球体の表面に映像が浮かび上がった。
三百年前の村。
若い監視者たち。
その中に、まだ人間だった最後の監視者がいる。
隣には――。
もう一人。
黒い紋章を持った人物。
二人は向かい合っていた。
『境界を閉じるべきだ』
『まだ早い』
『裂け目は広がっている』
『だからこそ、向こうを調べる必要がある』
二人の意見は食い違っていた。
そして、その中央に黒い石が置かれる。
映像の中の黒い石から、声が響いた。
『……開ければいい』
レオが息を呑む。
「……あの声」
ガイアが低く呟く。
『同じだ』
映像の中の二人が振り返る。
黒い石の奥に、巨大な黒い目が浮かんでいた。
『……境界など必要ない』
『……すべてを一つにすればいい』
映像が途切れる。
レオは拳を握る。
「こいつが……三百年前から」
黒い球体が脈打つ。
『……違う』
「何?」
『……我々が呼んだのではない』
『……向こうから……見つけられた』
レオは黙った。
これまでの出来事が繋がり始める。
黒い石。
裂け目。
黒き紋章。
そして、こちら側を見つめる存在。
「じゃあ……黒き紋章を持った奴が呼んだわけじゃないのか」
『……黒き紋章は……境界を監視するために生まれた』
「監視するため?」
『……だが……力に触れた』
『……そして、黒く染まった』
守護者が黒い紋章を見つめる。
レオは気づいた。
「この紋章……黒き境界派が使っていたものとは違う」
ガイアが答える。
『ああ』
『似ているが、根本が違う』
黒い球体の周囲に、無数の文字が浮かぶ。
『白き紋章――境界を閉じる』
『黒き紋章――境界を観測する』
『二つが揃えば――』
文字が途中で途切れた。
「続きは?」
レオが問いかける。
黒い球体は答えない。
その代わり――。
巨大な黒い目が開いた。
『……お前には……まだ早い』
「またそれか!」
レオが鎖を構える。
「俺はもう逃げない!」
『……ならば……来い』
黒い腕が球体から伸びてきた。
守護者が前へ出る。
白い光と黒い腕が衝突する。
バァン!
守護者が押し返される。
「守護者!」
レオは鎖を伸ばした。
《死者の鎖・魂連結》
無数の死者の声が響く。
『レオ……』
『力を貸す……』
『一緒に戦う……』
鎖が白く輝く。
黒い腕を拘束する。
「これが……俺の力だ!」
レオが鎖を引く。
「死者は誰かの道具じゃない!」
黒い腕が砕ける。
だが、その奥からさらに黒い腕が伸びる。
一本。
二本。
三本。
「まだ来るのかよ!」
ガイアが叫ぶ。
『レオ、長くは持たない!』
「分かってる!」
レオは守護者を見る。
白い光。
そして黒い紋章。
「二つの力が揃えば、境界を閉じられる」
レオは呟く。
「だったら……」
守護者が白い光を強める。
レオも鎖を握り直した。
「この力で、お前を監視者から引き剥がす!」
二つの力が重なる。
白と黒。
相反する二つの紋章が、同時に輝き始めた。
そして――。
黒い球体の奥で、何かが叫んだ。
『……まだ……その力を使うな!』
レオは目を見開いた。
初めて聞いた。
あの存在が、明確に動揺した声を。
「……やっぱり」
レオは笑う。
「この力は、お前にとって都合が悪いんだな」
黒い目が大きく開く。
『……やめろ』
レオは鎖を引いた。
「断る!」
白い光が爆発する。
その瞬間、黒い球体に大きな亀裂が走った。
外では――。
最後の監視者の胸にも、同じ亀裂が走っていた。
カイが叫ぶ。
「おい! 何か変わったぞ!」
ミナが監視者を見る。
「黒い部分が……!」
最後の監視者が膝をつく。
そして、胸の黒い紋章がゆっくりと浮かび上がった。
三百年間、隠されていた二つの紋章。
その本当の役割が、ついに明らかになろうとしていた。
――第108話・完――




