最終話 『ひとつの未来』
生月一日。生命の精霊の名を冠する五番目の月。
リアノイ・エセナが再び正統な王家を迎えて約半月が経った。
バルコニーに繋がる一室では、セラーナがドレスに身を包んでいた。布使いは豊かだが、宝石の類は殆ど使われていない。戦後復興の最中、過度な贅沢を排することを意識付ける意匠だ。色は白。光神ローディフを象徴する色だが、他にも象徴するものがある――婚礼の色だ。
髪はいつも通りの後頭部でひとつに結んだ髪型ではなく、編み込んである。編み込まれた髪紐はいつもの赤色。ただしよく見ると美しく刺繍された紐であることがわかる。
「セラーナ……今日は一段と、綺麗だ」
背後から声が掛かる。
振り返らずとも、セラーナにはわかった。
この二年、自分を常に支え、思いやり、愛してくれた者――
「ロベルク……」
セラーナは声の主に駆け寄る。
ロベルクもまた白い衣を身に着けており、ふたつの白がふわりと重なった。
「ロベルクも、似合ってるよ」
セラーナの漆黒の瞳は星を溶かした夜空のように煌めき、これから共に歩む伴侶を映していた。
「遂に、ここまで来たね」
「うん。やっと、戻ってきた」
セラーナの瞳が一瞬、潤む。
「セラーナ、緊張してる?」
「平気。ロベルクがいるから」
ロベルクはその泉のような透明さの中に、自分と彼女とが同じ時を歩んできたのを感じた。
心が壊れ、大神殿の門前に倒れ伏したときも――
御使いの恐怖に抗ったときも――
強いだけではない彼女を知ったときも――
そして今日、ふたりはひとつとなり、名実ともに同じ時を手を携えて歩む伴侶となる。
婚礼に先立ってセラーナから恩赦が発せられ、捕虜の多くが国外退去となった。また、元ジオ帝国大将軍レイスリッド・プラーナスについて、征服時に抵抗しなかった民間人には手を出していないことやセラーナ亡命時に度々助力していたこと、なにより王都奪還戦争において陰で多大な支援をしていたことなどから、特赦として全ての罪状を抹消した。
また、苦難を耐えて待ち続けたウインガルドの民衆には、ひと月分の税の減免が発表された。セラーナの中では、艱難辛苦の三年間を過ごした民衆にはもっと報いたい思いがあったが、復興の財源も必要であるため、小さな恩賞となってしまった。もっとも民衆の大多数は、王都奪還と、国民の花であるセラーナの帰還こそが最高の褒美と感じており、不満の声は聞かれなかった。
バルコニーが眺められる宿の屋根に、ふたつの人影があった。
「せっかくの結婚式なのに、顔出さなくていいの?」
「いいんだよ。特赦が出たところで、納得できる奴ばかりじゃねえんだ」
ミーアとレイスリッドである。
レイスリッドは相変わらず髪を赤く染め、農夫の扮装をしていた。
「それに、あいつらは絶対この屋根を見る。あいつらにとってここは『再会の屋根』だからな」
レイスリッドは薄く笑うと、どこからくすねてきたのか、デカンタから葡萄酒を呷る。
ミーアもそれを受け取ると、同じくデカンタから葡萄酒を口に含んだ。
「ここが、最高の客席になりそうね」
ふたりは、屋根の上でゆったりと足を伸ばしながら花婿と花嫁が出てくる予定のバルコニーを眺めていた。
室内の端には、アルフリスとリーシが控えている。護衛として詰めているのであるが、ふたりは王朝復活の折に昇格しており、今や、
王軍統帥ならびにイルグナッシュ侯爵アルフリス・カルフヤルカ
宰相ならびにイルグナッシュ侯爵リーシ・ヒルヴィ
である。
「まさか、あなたたちに先を越されるとはね」
セラーナの言葉に、先だって婚儀を挙げたアルフリスとリーシは示し合わせたように照れる。
「いや……昼夜問わず義勇軍の運営を相談していたら、いつの間にか……」
「あなたがたらしい」
からかうロベルク。
アルフリスはもはやロベルクの言動に苛立つこともなくなっていた。
主君が無事に故郷に帰還し、すっかり丸くなったアルフリス。リーシはそれを涼やかな微笑みとともに見上げていた。
バルコニーの向こうから民衆の歓声が漏れ聞こえてくる。祝意を伝える声に、ロベルクとセラーナは顔を見合わせた。
セラーナは幸せを満面に浮かべ、とろけるような目で、ロベルクを見あげていた。
「愛してるよ、セラーナ」
「あたしも愛してる、ロベルク」
一瞬見つめ合い、軽い接吻。
「……初めて気持ちを伝え合ったときの状況は、最悪だったわね」
「違いない」
笑い合うふたり。
バルコニーへ出る扉が開かれる。
歓声が一際大きい波になる。
「行こう」
「はい……」
奇しくもロベルクは、リグレフ王国を旅立つときと同じ言葉を発し、セラーナもまた、全く同じ返答をした。
「主、行ってらっしゃい」
フィスィアーダが薄く微笑みながら見送る。
「いってきます……」
歩きながら言いかけて、ロベルクは歩みを止める。彼は気持ちを正してフィスィアーダに向き直った。
「……今までありがとう。そして、これからもよろしく」
「ん……」
頷くフィスィアーダ。
次いでセラーナが、抱きついた。
「フィスィアーダ、今までロベルクを守ってくれてありがとう。大好きだよ」
「ん……」
「ロベルクは、あたしたちのロベルクだよ。じゃ、行ってきます!」
「ん……」
フィスィアーダが再び微笑んだ。それは先刻よりも明るい感情が乗せられていた。
指を絡ませて手を繋ぎ、バルコニーに出る。
城の前は群衆で埋め尽くされていた。皆、赤いものを身に着けている。セラーナ王女を象徴する色である。それだけではない。同じような数だけ、藍色のものを身に着けていた。藍色は氷神メタレス――氷の精霊を象徴する色だ。民衆はセラーナを敬慕するだけでなく、ロベルクへの親愛を表していた。
ふたりは繋がれた手を挙げる。
民衆の歓声が爆発した。
手を下ろすと、民衆が静まり返る。
ロベルクが風の精霊に依頼し、拡声魔法を掛けた。
「皆さん……長らくお待たせしました。ウインガルド王国は我々の手に戻ってきました。これは全て、絶望的な状況の中で耐え忍び、また戦ってくださった王国臣民の尽力の賜物です。わたくしと手を携えてくださった皆さんのおかげです」
民衆はじっと耳をそばだてている。静寂の中に、微かに啜り泣きの声が混じっていた。
セラーナは言葉を続ける。
「多くの犠牲を払い、わたくしはついにこのリアノイ・エセナに帰ることができました。再びウインガルド王国を豊かな国にすべく、わたくしは邁進します……この方と!」
セラーナが隣に立つロベルクを示す。
「ご存知の方も多いでしょう。ウインガルド義勇軍で目覚ましい功績を挙げた、今や救国の英雄とも呼ばれる方です。しかし、彼の献身はそれだけではありません。亡命中から常にわたくしを励まし、労ってくれました。ウインガルドへと帰る道中でも、わたくしを守り続けてくれました。もはや彼は、わたくしの半身と言っても過言ではありません。彼の名は……ロベルク!」
セラーナの凛とした声が広場に響き渡る。
民衆の中に「ロベルク」という名が刻まれていく。そして徐々に、ロベルクを称える歓声が広場に満ちていった。
セラーナは嬉しそうに広場を見渡すと、再び口を開いた。
「わたくしはロベルクを生涯の伴侶に選び、彼もまた、わたくしを伴侶として選んでくれました。わたくしは、愛するロベルクとともに、祖国ウインガルドを守っていきます!」
再び歓声が沸き起こる。
ロベルクはセラーナに促され、一歩前へ進み出た。
セラーナの宣言は、ロベルクが彼女と共にウインガルドを統治すると言うことを意味している。
民衆の視線が集中するのを感じた。
気負いはない。
そこにあるのは、やりきったという思いだけだ。
歓声が収まるのを待って口を開く。
「僕は、愛するセラーナが愛して止まないこの国を、不当に占拠した者たちから取り戻すことができ、心から嬉しく、また誇らしく思う。また、僕に新しい故郷を与えてくれたこと、臣民の皆さんに感謝する」
透明な氷のように混じり気のない声色と純粋な思いに、民衆は聞き耳を立てた。
数万の視線を一身に浴びながら、ロベルクは改めて口を開いた。
「僕はここに誓う……生涯を掛けて、セラーナを愛し、臣民の皆さんを慈しみ、ウインガルド王国を守り育て続けることを!」
歓声の爆発が最高潮に達した。
ついにウインガルド王国は奪還された。
ついにロベルクは愛する人を守り抜き、彼女のために故郷を取り戻した。
純血の森妖精の両親から産まれた半妖精。
同族には「呪いの産物」と疎まれ、人間からは「汚い血」と蔑まれた少年が、生きる力を手に入れ、いつしか「救国の英雄」とまで呼ばれるようになり、遂には国を治めることとなった。
だが、ロベルクにとっては、セラーナという愛する人と出会い、彼女が常に共に歩んでくれたこと、そしてこれからも共に歩んでくれることこそが、至上の喜びであった。
ロベルクは感触を確かめるように、セラーナと絡み合わせた己の指に力を込めた。
大陸暦625年生月一日。女王に即位したセラーナは夫ロベルクを王に迎え、『セラーナのシルフィーネ王朝』は同権の夫婦による共同統治体制を敷いた。臣民は敬慕の意を込めて、ロベルクを『妖精王』、セラーナを『帰還女王』と呼んだ。
これよりのち、ウインガルド王国は目覚ましい復興を遂げ、数百年の平和と繁栄を享受することとなる。
『半妖精戦記 〜不吉の子と亡命の姫と女神の剣〜』 完




