第百五十九話 『決戦』
ヴォルワーグの身体が小刻みに震え出す。衣の腰の辺りが裂け、リアノイ・エセナで見せた八本の蟷螂の鎌が再び姿を現す。
「はぁぁん妖精! 三万の帝国兵の命と俺の矜持が受けた傷、俺が失ったモノをセラーナ姫の身体ひとつで収めてやろうと言ってるんだァ!」
「僕が失った全て……その全てよりセラーナが尊い! 僕は彼女を必ず守る!」
ロベルクが吼えたのを合図に、ヴォルワーグが奇声を上げて飛び掛かった。
「斬り! 刻んで! やるっ!」
長剣を振り下ろされ、蟷螂の鎌が振り上げられる。
ロベルクはその前後左右を流れるように立ち回り、霊剣で受け流す。
「どうした半妖精! 受け流すだけで精一杯か?」
「一振りの剣のみで受け流せるということだ!」
ヴォルワーグが舌打ちと共に間合いを取る。
「ぐるるるるぉっ!」
ヴォルワーグの呻きが響いた。
ロベルクの斬り上げが、ヴォルワーグの右腕を捉えていた。
ヴォルワーグの右腕は剣を握ったまま、放物線を描いて彼の背後に落ちた。
「強くなったのは、お前だけじゃない」
ロベルクが剣を払い、凍結した血液を振り落とすと、再び『月の剣』の構えを取った。
「るるるるぁっ!」
ヴォルワーグがひときわ大きく吠えた。
「こ……こここの程度で、かかかか勝ったと思っちゃあいまいな!」
ヴォルワーグが切断された右腕を構え、力を込めた。すると凍結していた傷口が割れ、虫の外骨格を思わせる黒い針が生えた。
「こ……ここここの身体で、いくらでも相手をしてやるぞ。穢れた混血め!」
ヴォルワーグの顔が歪む。人間が己の顔筋を自力でここまで歪められるのかというほどに、禍々しい憎しみが刻まれた。
「……醜い野郎だ」
「醜い野郎、だとぉ!」
人間離れした身体を得たヴォルワーグに対し、ロベルクは未知の攻撃を警戒して慎重に構えざるを得なかった。
(だけど、相手に寄り添うのは『月の剣』の真骨頂。完全に合わせてみせる!)
ロベルクは逸る心を押さえつけ、呼吸を整えた。
ヴォルワーグの戦いを邪魔しないようにと距離を取ったレサーレの額に、投げ矢が飛ぶ。レサーレは首を軽く捻ってそれを回避すると、一足飛びに間合いを詰め、セラーナに閃光のような突きを打ち込んだ。
足、手首、膝、肩――
動きを封じ、いたぶる動きだ。
セラーナはそれを軽快な足捌きで回避し、時折斬り払ってレサーレの攻撃の均衡を崩そうとする。
(速さはあたし、重さは姉様に分がありそうね……)
レサーレが突き出した細剣を引く動きに合わせて、セラーナが懐に飛び込んだ。
「ふんっ!」
レサーレが体勢をずらし、柄で小剣の打ち込みを弾く。
元々牽制のつもりだったセラーナは素早く体重移動して跳び退る。
「邪魔な小娘だ」
「邪魔な額冠ね」
ふたりの声が寸分違わず重なった。
一方で、最も湖側に陣取った二柱の御使いは、それぞれの武器を打ち合わせたまま、動きが取れずにいた。鍔迫り合いを演じる武器と武器との間からは、合唱とも悲鳴ともつかない不協和音が鳴り響いている。
二柱の足元もまた異様を呈していた。フィスィアーダの足元は河原の石が弾けて水晶のような氷が生えている。一方でフォラントゥーリの足元は昼だというのに新月の夜のような暗い影が広がっていた。そしてそれは湖面まで広がっているにも関わらず、湖水は柔らかに光り、ふたつの精霊を拒絶していた。
「ふっ、お互い契約者に力を与えながら戦うというのも難儀だな」
「ちょっと気が散る程度」
「違いない」
雑談のような言葉の応酬の中でも、二柱は身動きが取れずにいた。押し切るほどの差がなく、引くのも危険なほどの強大な力を、二柱はぶつけ合っていたのだ。
「皇子か大将軍を切り捨てないと、汝を消すよ」
「言ってくれる。汝のような若神など、この程度の手加減があってようやく腕慣らしだ」
フォラントゥーリの闇が、ずくん、と脈動し、暗さを増した影が徐々に氷原を侵食する。
「……っ」
フィスィアーダは精霊力を引き出し続け、押し返す。余裕を見せるフォラントゥーリに対して、フィスィアーダは全力で立ち向かわねば相手に取り込まれかねない力の差を感じていた。
フォラントゥーリの精霊力に反応して、レサーレの額冠が闇を放つ。
「闇が……生命の精霊に干渉して……思考が、肉体が、鮮やかになっていく……」
レサーレが呟く。
「姉さ……」
「呼ぶな」
レサーレの突きは先程の比ではない速さでセラーナを捉える。
「ま……」
切っ先は全力で回避するセラーナの脇腹を掠め、皮の短衣を裂く。
「速いっ!?」
重い攻撃に速さが加わる。先程までは小剣で弾くことで相手の攻撃の流れを乱し、反撃の隙をこじ開けていたが、速さが加わったことで防戦一方にならざるを得なかった。
「しゃっ!」
セラーナは懐から暗器を投げつける。投げ矢、短剣、油袋――
重さの違う武器が、異なった速度と軌道でレサーレに襲いかかる。
「小癪っ!」
レサーレが飛来する武器を叩き落とす。
その隙を狙ってセラーナは細剣を持つ腕の反対側へ回り込み、跳び上がりざまに頭上からの一撃を見舞う。
「甘いっ!」
レサーレは左手で腰の鞭を引き抜くと、無造作に振り上げる。咄嗟の防御だったために絡み付きはしなかったが、鞭の先端はセラーナの左足を捉えた。
「くぅっ!」
セラーナは鞭の衝撃に体重移動を加えて、弾かれる様に跳ぶ。
皮を薄く鞣した脚衣が裂ける。
白い肌に赤い痣が走り、血が滲む。
着地の体勢が崩れ、地面を転がって落下の衝撃をいなす。
そこに容赦なく細剣を突きこむレサーレ。雨のように突き下ろされる切っ先を、セラーナは転がり続けることで回避する。
「すばしっこい」
レサーレが、狙いを定めて必殺の突きを放つ。心臓を狙った切っ先は僅かの差で回避され、セラーナの袖を切り裂いてひときわ深く地を刺した。次の瞬間、レサーレは顔を庇って飛び退る。
刹那の隙をセラーナは見逃さず、レサーレに砂を投げつけたのだ。
セラーナは足の回転と体のばねだけで飛び起き、レサーレに飛びかかる。多頭蛇のごとく襲いかかる鞭を、小剣と、いつの間にか左手に持った短剣で払い、急所への攻撃ではないものは当たるに任せ、レサーレに肉薄した。
「ふっっっ!」
電光のような斬り上げ。
ふたりの顔が迫る。
斬撃は正確に『操魔の額冠』だけを斬れる角度。
金属音――
「……う……くっ」
レサーレの鼻先――小剣が額冠に触れる寸前に、細剣の刃が割り込んでいた。
小剣と細剣を挟んで互いを凝視するふたり。
鬼の形相で小剣を押し込もうとするセラーナ。しかし得物はびくともしなかった。
「……姉様を……返して……っ!」
目尻に涙をためて吠えるセラーナに対して、レサーレは涼しげに細剣を構えていた。彫像のような冷たい表情の中に微かな愛情を滲ませ、その口を開く。
「貴公は……いえ、あなたは勘違いをしている」
「なんですって……」
「私は……レサリアは、初めから額冠に奪われてなどいなかった」
「!」
セラーナは間合いの三倍ほども飛び退く。目は見開かれ、その身は得体の知れぬ怪異を見たかのように細かく震えていた。
「なに……を……」
「私の額冠の力は、能力を増幅と、魔獣との感応。あと……とある理由があって、感情が消えるようにお願いして作ってもらったの。フォラントゥーリ様に」
「さ……ま……?」
「そう。フォラントゥーリ様は命の恩人」
レサーレは顔色ひとつ変えずに、セラーナの心をえぐった。
「私とあなた、そしてまだ赤子だった弟――ルオヴが城からの脱出を試みたあの日、私とルオヴはジオ軍に発見され、捕まった。王家の者だから即座に処刑されるはずだった。ルオヴは男子だというだけで殺されたけど、私はヴォルワーグ殿下の伽をさせる目的で生かされた。いよいよ殿下の相手をさせられるというとき、フォラントゥーリ様が魔獣軍の一員として運用する目的で救い出してくれたの。『操魔の額冠』との親和性が極めて高いっていう理由だったそうだけど、そんなのどうでもよかった。そして私は、助けてくれたフォラントゥーリ様を……愛してしまったの」
レサーレは相変わらず、愛を語っているとは思えない事務的な抑揚で言葉を紡ぎ続けた。
「愛……?」
セラーナが、歪んだ木霊のようにその言葉を反芻する。
「……それで、フォラントゥーリに唆されて、あたしを殺そうと……」
「違うわ」
即答するレサーレ。
「違う。あなたのことは、家名を捨させる条件で内々に逃がす予定だった。でも、ゼネモダスⅢ世陛下がルーノ殿下に弑逆されたことで風向きが変わったの。ヴォルワーグ殿下はウインガルド王位継承の正統性を得るために、あなたを探す策を講じた」
「『美女狩り』……」
「そう。今や私はジオの中枢に近い人間。殿下のなさりようもよく見ていた……女性たちが受けた、死よりも苦しく、屈辱的な仕打ちを。それゆえ、私は考えを変えたの。『妹にこの仕打ちを受けさせるくらいなら、名誉のために殺してあげないといけない』って」
セラーナは言葉を失っていた。武器を取り落とさんばかりの動揺が、全身に広がっている。
レサーレはその様子を見て、細剣の切っ先を妹の心臓に定めた。
「可愛いセラーナ。私があなたの地獄の未来を終わらせてあげる……」
レサーレがゆっくりと、妹へ近づいていく。一歩、二歩――
そのつま先の前に氷の銛が突き立つ。氷の銛は直線状に振り注ぎ、姉妹の間に氷の柵を築いた。
「セラーナ、下がれ!」
ロベルクから鋭い声が飛ぶ。
その声色に、セラーナの瞳は一瞬で光を取り戻した。両手に構えた小剣と短剣の角度が僅かずつ修整される。それだけで綻び始めた隙が全て閉じ合わされた。
「下がらない。なぜならば……あたしにも愛する人がいるから!」




