第百五十三話 『傷だらけの王女、傷だらけの大将軍』
全身傷だらけのセラーナは、フィスィアーダに抱えられて即座にアルマッハ・ティーヒエ神殿に陣取るメイハースレアルの元へ搬送された。右腕の骨折が最も重く、他はワイバーンの爪による刺傷と全身の擦過傷である。むしろ彼女にとって最も重かったのは過労と、姉が生存していて、さらに敵将だったという強い精神的動揺である。
治療を受け、傷一つない体に回復したセラーナは、即座にメイハースレアルと次々運び込まれる将兵に深々と頭を下げた。
「みんな、ごめんなさい。あたしの指揮がまずくて、主塔の兵士を数多く失ってしまった……」
負傷兵達は恐縮して様々な臣下の礼を取ろうとし、痛みで呻いた。
「殿下、頭を上げてくだせえ」
「殿下はよくやってくださってますぜ」
「魔獣軍のワイバーンなんて、普通は五百人で迎え撃つ相手ですぜ」
「と言うか、俺、王女様の御声を生で聞けて、嬉しくて死にそう」
「死ぬのはだめよ」
セラーナに直接返事をされた兵は、痛みとは別の感覚で身もだえた。
ひとしきり笑いが起こる。
メイハースレアルはセラーナの肩に手を置いた。
「なりたての兵隊さん百人でワイバーンを二体も倒したんだから、殊勲だよ! あと、安心して。半分くらいは生きたままここに運ばれてくるようだから」
「うん……苦労かけちゃってごめんね」
「いいんだよ。セラーナ達には千年の恩があるんだから」
メイハースレアルは屈託のない笑顔で答えた。
イルグナッシュ城襲撃の報せは、吹き抜ける風の如く街中に伝わった。またセラーナ王女健在の情報も素早く流れ、一瞬絶望の淵に叩き込まれたウインガルドの民の士気は烈火の如く燃え上がった。殊にアルフリスの怒りは凄まじく、打って出るというのを屈強な部下が八人がかりで抑え込むという有様だった。
北門への攻撃は日暮れとともに止んだ。
ロベルクは引き上げていくオーク軍を眺めて、ようやく命が繋がったことを実感さた。
「夜行性のゴブリン軍とかじゃなくてよかった」
ロベルクの言葉に、横に立つ副官が頷いた。
「全くです。ゴブリン軍が第一皇子に付いてくれてよかった」
「あるのかゴブリン軍!?」
「ありますよ。しかも妖魔軍の第一軍は山妖精軍です」
「なんと……」
絶句するロベルク。当然彼は、妖魔軍の大将軍が父イオテニフの盟友であることも知らない。
戦闘が終了すると、ロベルク隊とリーシ隊は壊れかけた市門の補強に取り掛かった。扉自体は既に壊れる寸前で、視線を遮る役割しか為していなかった。将兵はあるだけの材木を立て掛け、荷車、石材などを遮断物や重石として積み上げた。
北門の補強作業が終わるやいなや、ロベルクは指揮官と連絡兵にだけ支給されている馬に飛び乗り、城へ急いだ。
屋敷の謁見室でロベルクを出迎えたセラーナはがばと立ち上がり、壇をひと跳びしてロベルクの胸に顔を埋めた。
リーシは、周囲を見渡して部外者がいないことを確認すると、肩を竦めた。
「無事で……本当に、無事でよかった……」
ロベルクがセラーナをきつく抱きしめる。
ふたりはそのまま、暫し抱き合った。
どちらかともなく身を離すと、セラーナがロベルクを見上げた。
「姉様が……生きてた……」
「それは……」
よかったじゃないか、と言いかけたロベルクはセラーナの表情の陰りに気付いた。
「なにかまずいことがあったのかい?」
「姉様は……レサリア姉様は、レサーレと名を変えてジオ魔獣軍の大将軍になっていた」
「な⁉ なんだって……」
思わず叫びそうになるのを堪えて、小さく驚くロベルク。
「どういうこと……いや、魔獣軍ということは、やはりセラーナの姉君も『操魔の額冠』に操られている可能性がある、ということか」
「ええ。でも……」
セラーナは暫し言い淀み、決心したように再び口を開いた。
「でも……もう救えないのかも知れない」
レサーレを咥えたエムロットは、ふらつく翼で城を脱出すると、自陣へと戻った。
魔獣軍の陣では、必ずやセラーナの身柄を強奪したであろうと祝いの言葉を準備していた将兵達が、異変に気付いて慌てて着陸と、負傷者収容の準備に切り替え始めた。
エムロットは着陸場にうまく停止することができず、首をもたげてレサーレを守りつつ片方の翼を地面に擦り付けて減速した。レサーレを安全な場所に下ろすと、エムロットの身は役割を終えたかの様に弛緩した。
「閣下!」
側近が生命神アルマッハ・ティーヒエの聖職者と衛生兵を連れて、レサーレに駆け寄る。
治療が始まるか始まらないかの内に、レサーレは呻き声を漏らしながら身を起こした。
「エム……ロット……は?」
レサーレが手を伸ばすと、エムロットはそれに気付き、ゆっくりと首を伸ばした。再び力なく落ちるエムロットの口元を、レサーレは優しく撫でる。
「エムロット……ありがとう……」
レサーレの愛竜エムロットは満足げに喉を鳴らすと、静かに生命活動を終えた。
レサーレの目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「閣下、まずはお休みください!」
回復魔法と応急処置を終えたのを見た側近が、レサーレの横に担架を置く。レサーレはそれを断ると、自力で立ち上がった。側近に肩を借り、寝所へと歩を進める。目眩と、曖昧な皮膚感覚の中、悲しみだけが感情の封印を超えて微かに溢れていた。
「私は……酷い……乗り手だったな。セラーナ……王女、貴殿も……そう……思うだろう……」
「そんなことはございません、閣下」
「……姉……様……か……」
側近に支えられて歩く中、レサーレの意識は徐々に混濁していった。




