第百五十二話 『袂を分かつ』
ドラゴンの乗り手は冷然とセラーナを見下ろし、口を開く。
「私はジオ帝国魔獣軍大将軍、レサーレである。貴殿がウインガルド王女セラーナか?」
その言葉を耳にしたセラーナはその場に留まることができず一歩、二歩と後退った。
「どういうこと? あなたの妹、セラーナよ!」
「妹?」
その言葉に、レサーレは首を傾げた。
「貴殿など知らぬ。私の使命は、貴殿を捜索・奪取し、ヴォルワーグ殿下の元へお届けすること。しかし……『生死は問わぬ』と言われているが、なぜか……貴殿を生かしたまま殿下の元に届けたくない気持ちになっている……それもフォラントゥーリ殿の助言を容れればよいだけか」
セラーナの脳内には、第五軍のトニーダ将軍が額冠に操られていた記憶が、情報としては存在していた。しかし、実際に我が姉が操られている様を目の当たりにして、完全に冷静な判断をすることはできなかった。
「あなたは私の姉様。間違いない!」
「知らぬと言っている」
レサーレ、と名乗るジオの将は、無感情に顎でセラーナを指し示すと、目の前のワイバーンがテラスを駆けて襲いかかってきた。
セラーナは噛み付こうとする頭を躱すと、体の回転も込めた渾身の力で小剣を振り抜く。切っ先は金切り声のような摩擦音を上げながら鱗を切り裂き、ワイバーンの横腹を薄く抉った。
ワイバーンはひと吠えするとセラーナの前では止まらず、一度羽ばたくと、後方の兵たちに飛び飛び付いた。
薙ぎ払われる兵たち。一瞬で十七人の兵は十七体の死体に変わった。
再び吠えるワイバーン。今度は雄叫びではなく苦痛の声だ。ひとりの兵が捨て身で振り回した矛槍が、ワイバーンの尾を切り落とすことに成功していた。
決死の反撃を確認したセラーナは、悲嘆する隙すら作らず、ワイバーンの翼に短剣を投げる。
小さな裂け目。しかし間合いを広げようと魔獣使いが強く羽ばたかせた翼は、風の力によって大きく裂けた。ワイバーンは体勢を崩し、主塔から落下していった。
「油断したな」
「いいえ。十七人の意志が、ワイバーンの尾を切り落としたのよ」
セラーナは再び小剣を構えた。
レサーレは相変わらず青竜の鞍上で無表情に見下ろしていた。
「……どちらでもよい。貴殿に十七人の肉の壁もなければ、私に油断もない」
レサーレの額の額冠が、黒く輝く。
中庭で騒ぎが起こった。
セラーナはレサーレから目を離さず、慎重に気配を探る。異変はすぐに分かった。視界の奥で、城塔からワイバーンが飛び立つ。
テラスの下からもワイバーンが飛翔してくる。五体のワイバーンは円を描くように上空を飛行すると、セラーナを囲むように着地した。
即座に噛み付かせようとする魔獣使いをレサーレが制する。
「生け捕れ。殺すことはまかりならん」
六体の魔獣に囲まれてなお、セラーナは小剣を構える。
「ひとりになってなお、立ち向かうか。勇敢なことだ」
「……邪魔ね。姉様と話ができないわ」
「しつこいお嬢さんだ。……お前達、慎重に捕らえろ。油断すると噛まれるぞ」
「……袂は……分かたれたのね……」
セラーナの口元に引き攣った笑みが漏れた。
(ロベルク……これでお別れかも……大好きよ)
共に戦ったロベルクは、ここにはいない。セラーナは心の中で遺言を済ませると、獲物を狙う豹のように体勢を低くする。
(ウインガルドを助けて……神様……どうか……)
「捕らえろ」
レサーレが無感情に命じた。
「ふっ」
動き始めたのはセラーナが先だった。上空を塞ぐためにワイバーンを飛翔させようとしていた魔獣使いが一瞬視線を外した隙を突き、低い姿勢からワイバーンの腹の下へ潜り込むと小剣を突き立てた。切っ先は内蔵までに至らなかったが、そのまま刃を引き抜き、腹の下から駆け出る。ワイバーンが手足の鉤爪を滅茶苦茶に振り回すのを避けつつ、関節が曲げられた瞬間にそれを足がかりにして跳び上がると、鞍上で驚く魔獣使いの額冠を弾き飛ばした。
(一体……)
未だテラスに三体、上空に一体のワイバーンに囲まれている。
最初こそ驚きで出遅れた魔獣使いも落ち着きを取り戻し、ワイバーン達はセラーナに向かって、柱のような足による蹴りや翼に生えた小剣のような鉤爪で追い詰めてくる。
セラーナも、まるで背後に目があるのではないかという身のこなしで攻撃を躱し、敵の攻撃の向きを誘導していく。豪雨のような攻撃をくぐり抜け、次の一体に狙いを定めた。空中の敵もちょうど尾を向けている。
(二体目……)
ワイバーンの足の上を駆け上がる。
高く跳び上がり、魔獣使いのさらに上から額冠を狙って襲いかかる。
そのとき、セラーナは見た。
最高点で落下に転じる瞬間を狙い、空中で待ち続けていた青い竜の姿を――
竜が口を開き、稲妻の息を吐く。
青白い閃光がセラーナの身を貫き、電撃が全身を駆け巡る。
全身が突っ張る。
筋肉を刺すような激痛。
痙攣。
「きひいぃぃぃぃっ!」
喉が勝手に悲鳴を絞り出す。
(やられたっ! あたし……死……)
しかし、死はやってこなかった。
レサーレは、セラーナを生け捕るために雷の息の電力を絞っていたのだ。
それでも滞空していたセラーナの体勢を崩すのには十分だった。殆ど本能だけで小剣を手放さずに落下するセラーナ。首と頭だけは守ったが、石畳に全身をしたたかに打ち付ける。
間髪入れずにその身を踏みつけるワイバーン。
「かはっ……」
息が強制的に吐き出される。
ワイバーンもやはり、足に体重を掛けてはいなかった。骨が折れる寸前の絶妙な力で、セラーナを押さえつけていた。なんとか小剣を持った腕を動かそうとすると、二体目のワイバーンがセラーナの腕を踏みつけてきた。容赦のない踏みつけ。激痛と共に、ぼぎりという音が体内に響く。
「いぎぃっ!」
歯を食いしばって悲鳴を飲み込むセラーナ。
視界の先で、青い竜が着地した。鞍上でレサーレがこちらを見下ろしている。
「なんて跳ねっ返りな娘だ。慎重に捕縛しろ。暴れたら骨の一本や二本は折っても構わん」
セラーナの五体を踏みつけるワイバーン。何本かの爪が革製の短衣を貫き、肌に突き刺さる。全身の骨が軋みを上げた。
魔獣使いが革紐を手に、鞍から下りてくる。その姿は、じきに涙でぼやけていった。
(神様、王国を助け……ううん、あたしを助けて! どうかあたしをたすけてくださいかみさま!)
頬を伝う涙は落ちるほどに冷えていき――
そして凍結した――
「呼んだ?」
身を切る冷気を伴った暴風。
空気を割る爆発音。
悲鳴と咆吼。直後に降りかかる赤い氷の粒。
四肢を押さえていたワイバーンの足が、急に軽くなった。
次いで、親しい声に似た、暴風雪の叫び。石畳に倒れ伏していてなお、頬をひりつかせる超低温。
音はすぐに静まり、再び城壁外の遠い戦の響きだけになった。
セラーナは激痛に耐えて身を起こす。
セラーナを踏みつけていたワイバーンの足は、全て切断されて周囲に転がっていた。見回せばテラスの南西方向に、両足を切断されたワイバーンと魔獣使いが秩序なく寄せ集められ、うち捨てられていた。
そして自分とレサーレがいた場所との間には、藍色と白金色の衣に身を包んだ少女が。
「優秀で、忠実なドラゴンだ」
少女はレサーレがいた場所を見据え、真冬のようにに澄んだ声を発した。
「……フィスィアーダ……」
セラーナが声を絞り出すと、少女は――フィスィアーダはちらと振り返った。
「神は、信じてくれる者を見捨てない」
「ありがと……」
座り込んだ姿勢のまま、先程までレサーレがいた場所に視線を向ける。
青い塊があった。
「姉様……」
セラーナが呟くと同時に、青い塊が蠢く。
ドラゴンだ。青いドラゴンは、体を丸め、主であるレサーレを内側に匿ったのだ。
「生きていたか。素晴らしい魔法防御と、そして生命力だ」
ドラゴンはレサーレを咥えると、全身のこりをほぐすように翼を広げた。口から呻きが漏れる。
「手加減はしたが、全身凍傷だろう? 飛ぶ気か?」
ドラゴンは呼びかけるフィスィアーダに背を向けると、テラスを駆ける。もはやその場で飛翔する力は残っていないのだろう。
「実に忠実。だが、陣地まで飛べるだろうか……」
どうにか離陸して飛び去るドラゴンをひとしきり眺めると、フィスィアーダはセラーナへ向き直った。
座り込んだセラーナは、痛みを堪えて無理矢理笑顔を作った。
「よく……気付いたわね」
「神はね、自分を信じてくれる『命ある者』の声が聞こえるんだよ。でもね……」
フィスィアーダは意味ありげな微笑みを作った。
「我より先に、主が気付いた。『セラーナが危ない気がするから助けに行ってくれすぐ行ってくれ』って」
セラーナは頬が赤くなるのを感じた。同時に、忘れていた痛みを思い出して意識を失った。




