↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/3

第二話「期限切れ」


父の台所には、期限の切れたものが多かった。


冷蔵庫ではなく、その上の棚だ。


「二〇二四年」


叔母が小瓶を持ち上げた。


「それ、何」


「山椒」


「捨てて」


「まだ匂いするよ」


「期限切れてるだろ」


「賞味期限」


「同じ」


「違うよ」


叔母は蓋を開けて鼻を近づけた。私はゴミ袋の口を広げたまま待った。


「ほら」


「嗅がない」


「お兄ちゃんもそうだった。日付だけ見て捨てるの」


「じゃあなんで残ってるんだよ」


叔母は瓶の底を見た。


「ほんとだね」


結局、山椒は捨てた。


昨日、車から運び込んだものを片づけるために来たはずだった。


軍手と金具は玄関脇の箱へ。車の説明書は書類の箱へ。懐中電灯は電池を抜いてから工具棚へ。そこで終わる予定だった。


ところが叔母が「ついでに台所も少し」と言い出した。


ついで、は信用していない。


台所だけで四十五リットルの袋が二つ出た。


乾麺。粉末スープ。開封した胡麻。いつ買ったのか分からない缶詰。個包装の割り箸。スーパーでもらった小さな醤油。


父は一人暮らしだったのに、割り箸だけで三十膳近くあった。


「これ全部いらないよな」


「箸は使える」


「家に箸あるだろ」


「私が持って帰ろうかな」


「そんなに?」


「来客用」


「三十人来るの」


「来ないけど」


叔母は十膳だけ抜いた。


私は残りを袋へ入れた。


父の生活は、片づけ始めると数字になった。


ゴミ袋二つ。 保留箱三つ。 書類箱一つ。 割り箸十膳。


そうして数えられるものは楽だった。


食器棚の奥から、青いマグカップが出てきた。


叔母が「あ」と言った。


欠けてもいない。高そうでもない。白い線で魚が一匹描かれているだけだった。


「それも捨てていい?」


私は聞いた。


叔母はすぐに答えなかった。


「昔、会社で使ってたやつだと思う」


「じゃあ古いな」


「たぶんね。家じゃあんまり使ってなかったけど」


底に茶色い染みが残っている。


私はゴミ袋へ入れようとした。


「ちょっと待って」


叔母が言った。


「欲しい?」


「欲しいっていうか」


手に取って、魚の絵を親指でこすった。


「これでコーヒー飲むとまずいって、ずっと言ってたんだよ」


「なんで使ってたんだよ」


「知らない」


叔母が笑った。


「そういう人だったから」


私はその言い方が嫌だった。


「そういう人って何」


叔母の笑いが止まった。


「別に。気に入らないものでも、壊れてなければ使う人」


「それだけ?」


「それだけ」


私は袋の口から手を離した。


父を一文にされるのが嫌だったのかもしれない。


けれど私も昨日から、父のものを「いる」「いらない」「保留」の三つに分けている。


似たようなものだった。


「持って帰る?」


私が聞くと、叔母は首を振った。


「いらない」


「じゃあ捨てる」


「うん」


今度は止めなかった。


マグカップをそのまま袋へ入れると割れそうなので、新聞紙を二枚巻いた。


それから洗面所へ移った。


未開封の歯ブラシが四本。使いかけの整髪料。古い絆創膏。旅行用の小さな石鹸。


「これ、期限ある?」


叔母が絆創膏の箱を渡した。


箱の横に小さく日付があった。


切れていた。


「捨てる」


「はい」


今度は叔母も何も言わなかった。


棚の一番下に、ポイントカードを束ねた輪ゴムがあった。


クリーニング店。 ドラッグストア。 ホームセンター。 近所のパン屋。


一枚ずつ有効期限を確認する。


ほとんど使えない。


パン屋のカードだけ、あと一個でいっぱいだった。


「惜しい」


叔母が言った。


「本人しか使えないだろ」


「そういう意味じゃなくて」


私は裏を見る。


スタンプが九個並んでいた。


十個で百円引き。


最後の一個が空いている。


「捨てるよ」


「うん」


叔母は今度こそ止めなかった。


カードを折ろうとして、私はやめた。


折る必要はない。


そのままゴミ袋へ入れた。


夕方、袋を玄関へ運んだ。


叔母は割り箸十膳と、未開封の石鹸を二個持って帰ることにした。


「石鹸いるの?」


「使えるから」


「期限は」


「石鹸に聞いて」


靴を履きながら言うので、私は少し笑った。


叔母も笑った。


昨日捨てた傘のことを思い出した。


父が何本も忘れたらしい傘。 まずいと言いながら使っていたらしいマグカップ。 あと一個だったパン屋のカード。


どれも、父について知らなければ困ることではない。


「次いつ来る?」


叔母が聞いた。


「査定、明日」


「じゃあ私は来なくていい?」


「たぶん」


「また、たぶん」


「必要なら今日中に連絡する」


「よし」


叔母は割り箸の入った袋を提げて帰った。


私は玄関に残ったゴミ袋の口を縛った。


二袋。


今日捨てたものの数は覚えていない。


覚えておく必要もなかった。


ただ、青いマグカップを新聞紙で包んだ感触だけが、手に少し残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。