断罪教会 2
断罪教会についたシャルル。そこでマリアンナと同じ断罪人であるエリスから断罪人の驚くべき過去について知らされるのであった。
それから、私が部屋で待機していると、エリスがティーカップとポットを持って戻ってきた。
「お待たせしました。さぁ、ゆっくりお話しましょうか」
エリスは私の隣に腰を降ろす。
真っ赤な修道服。そして、白い髪。マリアンナと同様に、見た者を不安な気持ちにさせる不気味な容姿だ。
「その前に、お紅茶、いかがです?」
「え? ああ、いや。今はいい」
「そうですか。では、何をお聞きになりたいのです?」
エリスは、興味津々といった感じで私を見る。
「まず君に聞きたい。そもそも、断罪人とはなんなんだ?」
私は一番気になっていることを最初に訊ねた。
結局、私は、断罪人がどういったものであるのかを把握していないのだ。だとしたら、きちんとそれを確認することこそ、私には必要なことなはずだ。
しかし、私の質問に、エリスはあまり良い顔をしなかった。
「あらあら。てっきりワタクシに関しての質問を最初になさってくださると思っていましたのに。シャルル様は貴族なのでしょう? それなのに、ご婦人に対する扱いは心得ていなくて?」
「え? あ、ああ……すまん」
意外な反応に、私は思わず謝罪してしまった。
「ふふっ。いいですわよ。別にワタクシとしても、そんな質問をされても困りますわ。ワタクシには紹介するほどの経歴も人生もありませんもの」
「そ、そうなのか?」
「はい。断罪人『純白のエリス』。それがワタクシの名前であり、ワタクシの全てですわ」
「……なぁ、一つ聞いてもいいか? その……なぜ、純白なんだ? 君のその服は……どうみても赤い。どこが純白なんだ?」
私は、エリスと出会ってから今まで気になっていたことを訊ねてみた。
すると、エリスは薄気味悪くニンマリと微笑む。
私の背筋に冷たいものが走る。
「断罪した人間の血液を吸って、元は真っ白だった修道服が真っ赤になった、それだけのことですわ」
それを聞いて私はエリスの服を見る。
確かに、人間の血液のように暗い赤色だ。
「本当か?」
「ええ。ここで嘘をついてどうなりますの?」
私は思わず少しエリスから距離をとる。
この赤い修道服は、多くの人間の死の間際の断末魔の集合体……
そう思うと恐怖を感じざるを得なかった。
「き、君は……!」
「狂っている、ですか? だから申し上げたでしょう? ワタクシもシスターマリアンナと一緒だ、と」
私はなんとか冷静さを保とうとした。
確かに人間の血液を吸って紅くなった服は恐ろしい。
だが、ここで物怖じしていては何も進まないし、私は何も知ることが出来ないではないか。
「恐ろしいと思いましたか?」
「ああ。だが、私は知らなければいけない。マリアンナが、断罪人が一体どういう存在なのか。教えてくれ」
「ふふっ。そうですか。さすがはシスターマリアンナと三ヶ月も旅を共にしてきた方ですわね。よろしいですわ。断罪人についてのお話をいたしましょう」
エリスはコホンと席払いをしてから、ベッドに座りなおした。
「断罪人とは、人間であって人間ではない存在、即ち、武器である……それはジェラルド様が仰った通りですわ。ですから、断罪人には、武器としての製造過程がありますの」
「製造過程?」
「ええ。まず、ワタクシのような身寄りのない孤児を、ジェラルド様はたくさんこのお屋敷に、孤児院を開くという名目でお集めになりましたわ。無論、それはあくまで名目。本当の目的は断罪人の製造でした。そしてジェラルド様は、断罪人製造のために、集めた子供達をこのお屋敷に閉じ込めましたの」
「閉じ込めた? ちょっと待ってくれ。じゃあ、君は……いや。君達は、この屋敷に監禁されていたのか?」
エリスはゆっくりと頷いた。
「監禁された子供達には、一人一匹ずつ、友達が手渡されましたの」
「……友達?」
「ええ。ワタクシの場合は可愛らしい子ウサギでしたわ。マリアンナは子犬。その友達とこのお屋敷に監禁されましたの」
「水や食料はどうしたんだ?」
「もちろん、最初の方はお屋敷に用意されている分で賄っていましたわ。ですが、子供の数が数ですもの。あっという間に食料はなくなりましたわ。すると、どうなるかわかります? 食べたんですのよ。友達を」
私は絶句した。
エリスは先を続ける。
「私達は例外なく、最初は友達を可愛がりました。ですが、一ヶ月も経つ頃には、空腹が頭を支配します。私たちはこぞって『友達』を殺し、食べました。時には、誰かの友達を奪って、それを切り刻んで食べました。だって、お腹が空いて仕方なかったんですもの」
エリスは当時を思い出すように語る。
かつて、この屋敷に閉じ込められた子供達は、自分が可愛がっていた動物を、あるいは、他の誰かが可愛がっていた動物を、殺し、自分で食べたというのか……
「でも、ついには食べることができる友達もいなくなって、私達は途方にくれました。お腹が空いて、喉が渇いたまま、何日も何日も、この古いお屋敷の中で、誰も身動きせずに過ごしていました……でも、ある日気付きましたの。ああ、なんだ。食べ物ならまだあるじゃないか、って」
「……え?」
「わかりますか? シャルル様。人間は空腹の限界がやってくると、理性や善悪の基準なんて吹き飛びますの。自分のお腹が満たされればなんでもいい、って。食べられるものがあれば……ね?」
一旦、エリスは言葉を切った。
そして、私の方に顔を向ける。
「ま、まさか……き、君達は……」
「ふふっ。さぁ? どうでしょうか? でも、考えてみてくださいませ。この屋敷に残っていたのは、数十人の子供達だけ。食料はありません。それならばどうやって彼らは生き残ろうと考えたのでしょうね?」
私は想像してしまった。
エリスが言わんとしていることの意味を。
そして、私がその光景を想像した時、私の胃の奥からは不快極まりない感覚が湧き上がってきて、そのまま私は、それを口から床一面にぶちまけてしまった。
「大丈夫ですか? シャルル様?」
エリスが心配そうにそう訊ねてくる。
「あ、ああ……」
「お紅茶をどうぞ。落ち着きますわよ」
「あ、ありがとう……」
私はエリスが手渡してくれた紅茶を飲み込んだ。
そして、大きく息を吐き出した。
「お話、続けても宜しいでしょうか?」
「あ、ああ……続けてくれ」
私が了承すると、エリスは頷いた。そして、再び口を開く。
「それからは、まさに地獄でしたわ。誰かに食べられないようにするのに必死でした。でも、それでいて誰かを食べなければ生き残れない、まるで獣ですわね。そんな中で、歳が近かったワタクシとマリアンナは、協力して食べ物を調達していましたの。協力していたのがよかったのですかしらね? 私達は順調に食べ物を調達することができましたわ。ですが、屋敷は日に日に血の匂いが濃くなっていきましたわ。辺り一面血だらけで、でも、ふふっ。お恥ずかしい話なのですが、その光景を見ていると、ワタクシ、急に笑ってしまいましたの」
「……え?」
エリスは思い出したように笑い出した。
「ええ。だって、ふふっ。あまりにも悲惨なんですもの。本当は悲しくて仕方ないはずなのに、なんだか可笑しくなってしまいまして。それ以来ワタクシ、どんなに悲しいことがあっても笑ってしまいますの」
エリスはニコニコと私に笑いかけていた。
「え、エリス……君は……」
「マリアンナもその光景を無表情で見ていましたわ。あの時から、ワタクシ達は壊れてしまったのかもしれませんわね」
「そ、そんな……そんなことが……」
「それから数日後のことですわ。ワタクシ達は、自分以外の食べられるものは全て食べ尽くしてしまいました。もう食べるものがないと絶望していた時に、ジェラルド様がお屋敷の扉を開いて現れましたの。ワタクシ達は、そんなジェラルド様を見てどう感じたかわかりますか? ああ、神様がやってきた、と思ったんですのよ」
「……神?」
「ええ。神です。それ以来ワタクシ達は、ジェラルド様に仕えるシスターなのです」
私は自然と拳を固く握りしめていた。
小さな子供達を監禁し、挙句殺し合わせたヤツが神?
……冗談も大概にしろ。
私は世間を知らないが、正義と悪はわかる。
ジェラルドは悪だ。完全に常軌を逸した悪人なのだ。
それなのに、今目の前にいるエリス、そして、マリアンナは、その悪人を神と崇めているというのか。
「ふざけるな!」
「え?」
「そんなの、許されるわけがないだろう! 君達はそれでいいのか? あんな悪魔のような男が神だって? 私は同意できない!」
すると、エリスは酷く自嘲気味に笑った。
「同意できまいができようが、ジェラルド様がワタクシ達にとっての神なのです。既にそれは断罪人という武器になったワタクシ達にとっては全ての事象の中心なのです。それを否定するということはワタクシ達自身を否定すること……そんな酷いことを、シャルル様はワタクシ達に強いるのですか?」
この子は既に自分を武器として認識している。
マリアンナもおそらくそうなのだろう。
だから、私がここで今どれだけその不条理さを説いても、きっと納得してくれない。
私は何も言えず、ただエリスを見ていた。
エリスもその瞳でじっと私を見ている。
「屋敷に来たジェラルド様は、ワタクシ達を見て酷くお喜びなさいました。ワタクシ達こそ神の使いだ、と。それから、生き残ったワタクシ達は断罪人としての訓練を受けましたわ。訓練といいましても、ただ依頼をこなすだけのことでしたが……ふふっ。ですからワタクシさっきの会話で可笑しくなってしまいましたのよ。ジェラルド様が戦争では千人を葬る能力がある、って仰っていて……確かにワタクシ達は千人の人を葬ってきました。死も怖くありません。ですが、ワタクシ達が果たして戦争でどれだけの戦火を挙げられるかと聞かれれば、可笑しくなってしまいますわね」
エリスはまた笑っている。
「シャルル様の質問は、断罪人とは何か、でしたわよね? そうですね。やはり、武器というのが丁度いいのでしょう。それも、剣や弓矢のような、使い捨ての武器ですわ」
私は涙が出てきた。
断罪人とは皆、こんなにも悲しいのか?
屋敷を追い出された時のことを思い出す。私はマリアンナと出会うまで辛い思いをしてきた。
だが、断罪人の苦しみは、それを遥かに上回っている。
というよりも、断罪人達はそれが苦しみだということさえ意識できていないのだ。
「シャルル様? どうして、目に涙を貯めていますの?」
「……悲しいからだ」
「そうですの? どうしましょう……ワタクシ、泣くことが出来ませんの。先程申し上げた通り、どんなに悲しいことがあっても笑ってしまいますから」
困った顔でエリスは私を見る。
私はそんなエリスを見ていて、そこにマリアンナを重ねて見てしまった。
断罪人は、皆壊れてしまっている。私にはどうしようもできないくらいに。
「シャルル様?」
私は、目の前にエリスがいるということも忘れて、ひたすらに泣き続けた。
エリスもそんな私に対してどうしたらよいのかわからないようで、ただ心配そうに私を見ているだけであった。
「大丈夫ですか? シャルル様?」
「……ああ。大丈夫だ」
しばらく泣き続けて気持ちが落ち着いた私は、エリスにそう返事をする。
「ふふっ。シャルル様は、悲しいと思ってくださるのですね」
「ああ。私は少なくともそう思った」
「そうですか。断罪人といえば、世間では不幸を運ぶ死神と忌み嫌われていますのよ。それでも、シャルル様は哀れんでくださるんですの?」
「それは、断罪人を……君たちを人間と思っていない奴らがそんな風に言っているんだ。私は、君たちが人間だということを知っている。どんなに壊れていても、君たちが人間だということを。私は、かつて恵まれた貴族だった。自己中心的で自分以外の人間などどうでもいいと思っていた。だが、マリアンナとの旅で私は変わった。この世界には苦しんでいる人間がたくさんいる。そんな人々を見た時、私は助けたいと思った。だから、私は断罪人のことを武器だとは思わない。人間だと、そう思いたい」
私は力強く、エリスにそう言った。それはまるで、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。
この世界に誰か一人でも断罪人のことを武器ではなく、人間だと思っている者がいれば、彼らは人間でいられるのではないか。
どんなに壊れてしまっていても、彼らを人間だと思うこと。それが断罪人と旅をした私の義務なのではないか……
脳裏にはクロエの笑顔が浮んだ。
あんな悲しい思いはもう二度としたくない。
そのためには、断罪人のことを人間ではないと考えてはいけないのだ。
「そうですか。ふふっ。幼い頃、マリアンナがワタクシに話してくれたフランツさんに貴方様がそっくりという意味が、わかりましたわ」
「え? どういうことだ?」
「屋敷に監禁された当初、マリアンナがお話してくれましたの。きっと、フランツが助けに来てくれる、って。フランツは優しい人で、いつも苦しんでいる人を助けているんだ、って。きっと、マリアンナには、貴方様がフランツさんの生まれ変わりに思えたのでしょうね」
エリスは目を細めて私を見た。私はどう反応すればいいか困ってしまった。
「……う、うぅっ……?」
だが、そんな折に、それは、いきなり襲ってきた。
それは、最初のうちは、フワフワとした感覚だった。しかし、少しずつそれは現実味を帯びてきて、私に耐え難い眠気を与える。
「え……エリス……こ、これは……?」
「ですから、本当に残念ですわ……シャルル様」
エリスのその言葉を最後に、私の意識はいきなり途切れた。
「……うぅ。ん?」
「お目覚めですかな? シャルル殿?」
ジーンと柔らかな痛みが伴う頭をゆっくりと上げながら、私は、声がする方向に顔を向けた。
「……な、なんだ?」
「私ですよ。ジェラルドです」
「……ジェラルド? わ、私は……」
目をゆっくりと開ける。目の前には鉄格子があった。
「……な、なんだ、これは?」
「断罪教会の地下室です。貴殿を閉じ込めさせていただきました」
「閉じ込め……なんだって?」
私は急に覚醒した。
周囲を見ると、先程の部屋ではなかった。
「これは……おい! ジェラルド、貴様……!」
「おおっと、おそらく貴殿の力では開きませんよ。ボロボロに見えますが、一応強度は残っている鉄格子ですから」
私は鉄格子を無理矢理押し広げようとしたが、無理だった。
「私をどうするつもりだ」
「そりゃあ、簡単です。憐れな捕虜に待ち受ける運命はただ一つ……死、ですよ」
「私を殺すのか」
「殺す? 人聞きの悪い言い方はよしていただきたい。断罪するのです」
ジェラルドは私の話を聞いているのかいないのか、夢見心地な様子でそう言った。
「断罪? 何を馬鹿なことを。お前は神を気取っているだけだ! 未だに過去から逃れられないただの憐れな男だ!」
「ええ、なんとでも仰いなさい。旧時代の憐れな人間がなんと言おうと、これから真の神になる私の耳には届きません。革命の日は近いのです。貴殿のような自分のことしか考えてこなかった貴族達はこの世から滅びます!」
「な、なんだって?」
「ええ。申し上げたでしょう? ある筋からも断罪を依頼されているのだと。革命組織ですよ。既にこの国には革命組織が存在しているのです」
「革命組織? 馬鹿な。そんなものあるはずがない」
「そうでしょうか? 貴殿だってマリアンナと共に見てきたのではないですか? この国の不条理さを。この国を変えるにはもはや革命しかありません。断罪教会は既に何件も革命組織から要人の断罪を依頼されているのです。そして、既に実行しています」
「だからといって、お前は、これ以上断罪人に断罪をさせるつもりか?」
私の質問にジェラルドはキョトンとした顔をした。
「いいか? お前がやっていることは、悪だ。世間知らずの私にも分かる。確かにこの世には裁きを受ける人間は大勢いる。だが、お前がしている断罪は、裁きを受けるべきではない人間を、マリアンナやエリスのようなか弱い少女を利用して行っている……こんなのは、間違っている!」
すると、ジェラルドは、困ったように大きく溜息をついた。
そして、私に思いっきり顔を近付けてきた。
「ええ。よーく、存じておりますよ。私は、自分が間違っていることを」
「え? 何を言って……」
私の慌てた反応を楽しむように、ジェラルドは嬉しそうに微笑んだ。
「革命が起きれば、この国が変わり、私の悲願も達成される? ほほほ。そんなわけないでしょう。私はただ、大勢の人間に、私が味わったような苦痛を味わってほしいだけなのです。自分の大切な人が、わけもわからない存在によって失われる。私が目指す真の革命とは、これです。人は痛みを知ってこそ、変わることができる……私のように、ね」
「お、お前……!」
ジェラルドは、そもそも自分のことしか考えていないのだ。
そのために、マリアンナやエリスが壊れてしまったことも、なんとも思っていない……
そう思うと、自然に私はジェラルドに対し、憎しみの視線をぶつけていた。
「……ふんっ。貴殿は本当によく似ていますね。フランツに。彼も貴殿と同じようなことを言っていましたよ。まったく、何が間違っているのです? 世界を断罪するにはそれ相応の武器が必要なのに、それを作った私を、なぜ彼は批判したのですか?」
「……それは、お前が狂っているからだ、ジェラルド」
私は、自分でも恐ろしくなるような声を、腹の底から出していた。
すると、ジェラルドは脅えた表情を一瞬だけ見せる。
「う、うるさい……うるさい、フランツ! お前に何が分かる! 民を失い、愛する人を失った私の悲しみが……お前なんかに分かるのか!?」
「ああ。わからないさ。だがな、私にも一つだけ言えることがある。お前の悲しみをぶつけるべき存在はマリアンナやエリスじゃない。もうこんなことはやめるんだ」
「だ……黙れ! な、なんでお前が……死ね! お前など、もう一度死んでしまえ! 私の作った武器でもう二度と生き返らないように殺してやる!」
ジェラルドは酷く狼狽した様子で、そのまま背を向けて地下室の階段を上がっていってしまった。
大方、錯乱して私とフランツの区別が付かなくなったのだろう。
私は一人残された薄暗い牢獄でただ呆然とすることしかできなかった。
それにしても……これからどうすればいいのだろうか。
ジェラルドの言葉によれば、私は明日にでも断罪されるのだろう。
いつかこの日が来るとは思ってはいたが、まさか、こんなにも早く来るとは思わなかった。
「結局、私は何もできないのか……」
私自身はあまりにも非力だ。それは今までの旅でもそうだった。
この旅は私自身の非力さを、私自身に見せ付けるような旅であった。
マリアンナと出会い、私はただマリアンナが人を殺めて行く光景を見ていることしかできなかった。
何が、誇り高い貴族か。私は無力だ。
ただ無気力に、私は、目の前に立ちはだかる鉄格子を見つめていた。
そして、それからしばらく経った頃であった。
ほとんど何も見えない地下室に、一筋の明かりが差し込んだ。私は目を細めてそちらを見る。
「おい」
「……その声、マリアンナか?」
「そうだ。お前、生きているか?」
マリアンナは相変わらず抑揚の無い声で、私に訊ねてきた。
「ああ……まぁ、な」
「ジェラルドがもう言ったかもしれないが、お前は明日、私に断罪される」
その言葉は、鋭いナイフのように、形を伴って私の耳に入ってきた。
動揺は、なかった。
いつか来てしまうかもしれない日が、ついに明日、やってくるというだけの話だったのだから。
「……そうか」
「なんだ。驚かないんだな」
「ああ。いずれやってくるかもしれないと、覚悟はしていた。お前と旅に出てから、ずっとな」
闇の中ではマリアンナがどこにいるのかもよくわからない。
ただ、蠢いているように見える何かが、鉄格子を隔てた先にいるということしかわからなかった。
「死ぬんだぞ。怖くないのか?」
「お前だって、死ぬのは怖くないと言っていたじゃないか」
「私は断罪人だ。お前とは違う」
「違わない!」
私は、つい大きな声で叫んでしまった。
マリアンナは特に反応も見せていないようだった。私はそのまま立ち上がって鉄格子に近付いた。
「マリアンナ。お前と私は違うなんてことはない! 私もお前も同じ人間なんだ! 私は人間であるお前が、これ以上人殺しをするのを、私は見ていたくない」
鉄格子を強く握り締めながら私はそう言った。
段々と暗闇に慣れてきた視界の先に、蒼い炎のような瞳が浮かび上がった。
マリアンナのその瞳は、私のことをただ真っ直ぐに見つめていた。
「では、どうすればいい?」
「……え?」
「人殺しの武器として生きてきた私に、どうしろっていうんだ。人を殺して生きてきた私に、それ以外、何をして生きていけっていうんだ?」
感情のないはずのマリアンナが、その質問には、酷く感情を込めて、私に聞いてきた気がした。
今まで人を殺めて生きてきたマリアンナは、それを辞めた時、一体どのように生きて行けばいいのか。
「……わからない」
「は?」
「私には、どう答えればよいのかわからない……だけど! 見つける! 必ず、私はお前に見つけてやる! お前が、人を殺さないで生きていける生き方を!」
私はその時、必死だった。それは、明日にでもマリアンナに処刑されることを宣告された焦燥感からではない。
マリアンナに対し、何もできないままに死んでいくことに抗っていたのだ。
私は、このまま死ぬわけにいかない。
私自身のことはどうでもいい。だけど、私は今目の前で、無感動な蒼い瞳を私に向けている少女を残したまま、死ぬわけにはいかない。
私はその時、生涯で始めて、誰かのために命を永らえたいと心から思った。
「そうか」
しかし、マリアンナの答えは素っ気無かった。
蒼い瞳を私に向けたまま、一言だけそう言った。
「だから、マリアンナ。ここを出たら私と一緒に、また旅を続けてくれるか?」
マリアンナは私の問いには応えず、そのまま地下室を出て行った。
残された私はただ立ち尽くすだけだった。
果たしてマリアンナに私の気持ちは通じただろうか。
私はこれまでの旅で幾度と無くマリアンナに裏切られてきたのだ。
それでも、私は信じたかった。これまでの旅が無駄ではなかったということを。
私とマリアンナが過ごした日々が、決して無為に終わってしまうことはないということを。
私はそのまま座り込み、目を瞑った。
明日、自分の短い人生が終わる。不思議とそのことに対して恐怖はなかった。
ただ、やはり、悲しかった。
これで本当に終わってしまうのか。この先はないのか。
私は自分でも驚いていた。私はもっと続けたいと思っていたのだ。
あの不気味な漆黒の修道服に身を包んだ少女との、奇妙な旅を。
「……マリアンナ」
私はその名を小さく呟き、そのまま身体を丸めて眠りについた。
そして、眠りについた私は、夢を見た。
なぜそれが夢だとわかったか。
それは、私の目の前にいたのが、死んだ母上、ナナリー・フロベールだったからだ。
「……母上?」
「あらあら、シャルル。どうしたの? そんなにやつれて」
母上の声は、私の記憶にあるままだった。優しく、何もかもを包み込んでくれるような声。
その声を聞くと、自然と私の両目から涙が溢れた。
「あらあら。シャルルったら、そんなに大きくなったのに、泣き虫なのね」
「あ、ああ……す、すみません。母上」
「ふふっ。『フロベール家の男子たるもの、強く、誇り高くあらねばならない』……父上はいつもそう言っていたでしょう?」
母上は優しく微笑んだ。
しかし、今の私はもうフロベール家の人間ではない……家訓も何も関係ないのだ。今の私は何もできないただの情けない男……
「……母上。私は、もう母上が思っているような男ではありません。フロベール家の人間ですらない……私は……」
「何もできない男……そう思っているの?」
私はハッとする。
母上は優しそうな瞳で私を見ていた。
「シャルル。幼い貴方とジョージを遺して死んでしまった私は、いつも思っていることがあるの。もっと一緒にシャルルとジョージと一緒にいたかった、シャルルとジョージがどんな人間に育ってもいいから、ずっと側にいたかった……」
その言葉を聞いて私の涙腺は崩壊した。とめどなく涙が両目の端から流れて行く。
「だからね。シャルルにはそんな思いをしてほしくないの。大事な人を遺して、そのまま死んで後悔するようなことは、貴方には経験してほしくないのよ」
「し、しかし、母上。私は……」
「大丈夫よ。シャルル。貴方なら、きっとあの子を救えるわ。ふふっ。覚えている? シャルル、貴方、小さい頃はとっても人見知りで、社交パーティの時は苦労したわ。でも、そんな貴方が三ヶ月も一緒に、長く険しい旅をしたあの子は、貴方にとって特別な存在なのでしょう? 大丈夫よ」
母上は優しく私の頭を撫でてくれた。私はただ、嗚咽を漏らしながら、頷くことしかできなかった。
「大丈夫よ。シャルル……貴方なら、きっと……」
母上の声が遠ざかって行く。私は顔を上げた。
母上の姿は既になかった。
そのまま膝をついて、私は大いに泣いた。
涙が全部枯れるまで、いつまでも泣いていた。
「おやおや。あまりの恐怖で泣いていらっしゃったのですかな? シャルル殿」
ねっとりと絡みつくような声で、私は目を覚ました。
ゆっくりと顔を上げ、目の前を見る。
そこにいたのは母上……ではなく、嬉しそうにニンマリと目を細めたジェラルドと、黒と赤の修道服に身を包んだ二人の修道女だった。
「ふふっ。よかったですねぇ。今日は絶好の快晴。貴殿が死ぬには丁度いい日ですよ」
ジェラルドは狂気に満ちた瞳でそう言った。
私はチラとマリアンナを見る。
マリアンナは興味なさそうに私を見ていた。
「さぁ、この罪人を牢から連れ出しなさい。断罪を始めますよ」
ジェラルドの命令で、エリスが牢の中に入ってきた。
「シャルル様。どうぞ、こちらへ」
「……今から殺す相手に敬意など払わなくて結構だ」
「あら。これから死ぬ相手にこそ、最大限の敬意を払う……断罪人の最低限の流儀ですわ」
私は、エリスのそんな言葉を聞き流しながら立ち上がった。
マリアンナは巨大な斧を肩に背負っている。
これまで幾度となく、あの斧が人間の血を吸い上げる所を見てきた。
そして、次にあの斧に血を吸われるのは私ということだ。
「さぁ、行きますよ。貴殿の処刑地に」
ジェラルドのその言葉とともに、マリアンナもそれについて行き、エリスも私を追いたてながらそれに続いた。
私の人生は、いよいよ終わろうとしていた。




