ラストエピソード
その後、藤と俺は無事に結婚した。
まず大学時代、離散していた家族は無事に元に戻り、家庭に余裕もできたため、俺は特に何も考えずに経済学部の大学に進学していた。
悲しいことは、学力差のために藤と違う大学である上、この辺りで色々学べて近くて安くて、という好条件の大学があるために、キヨや海棠と藤が同じ大学であるということだ。
なーにが悲しくて俺は海棠から藤の話されたり、藤からキヨの話されにゃならんのだ……と愚痴はやめよう。
大学卒業後に俺は特に考えもせず、アルバイトしていた本屋から社員にならないかと提案を受けて受諾、そのままゴール。
藤は学生時代の経験を生かしてイラストレーターと作家を兼業して、ネットで騒がれたり叩かれたりと忙しい日々だ。本人は素知らぬ顔で良いものにだけ目を向けているが、一般的な作品の方が多くて安心。
海棠は体育教師になった。ただ仕事は忙しいらしく、体力自慢の海棠にして珍しく弱音を吐いたり疲労感を露わにしたりとちょっと心配だ。教師ってのは大変らしいね、特に中学。
セットで牛山の話だが、何をどう間違ったかモデルをしている。引き締まった肉体と化粧気の薄い体はほどほど好評らしい。海棠は生徒に牛山と同級生だったというと驚かれる、なんて嘯いていたが、お前彼女だって言っていいんじゃねえの? と思う日々である。
くりとくろの栗林は、俺のとこより一段階は下の大学に行き、滅茶苦茶楽しそうに遊んでいた。勉強は言うまでもなくしてなさそうだった。どころか時折海棠のところに行っていたレベル。あいつがどうなったかは知らん。連絡とってない。
クロは俺と同じ大学で欧米なんとか学科、なんか英語とか勉強して彼独特の意見を世界に広めたいんだって。で現在はネットで文章を通じて訴えかけて、みたいな感じ。
キヨは大学で歴史学を学んでいるとか。だが話はそれくらいしか聞けなかった。元々俺が興味がないのは当然のこととして、彼女は大学でもかなり異端というか特別な存在らしい。何でも家の方が大学に相当関わってきたとか。藤は彼女と同じ部活で、しかも告白されたことが夢のようだった、と言うほどである。
ドブもそれについていったらしいが、別の女を見つけたとか。諸行無常……。
読書ちゃん、ことヒラちゃんは律儀に俺についてきて大学に入った。言い訳としてはクロの方を追って、と言っていたし、大学では俺とクロが一緒にいたから会いに来てもどっち目当てか分からない。うーん、俺の自意識過剰だろうか? でも、彼女ならもっといい大学に行けたろうに、とは思う。
あと、近所から火奈が今年受験で……。
面倒臭くなったのでここでネタバラシ。
長々と語ったが、結婚なんか大嘘だ。今俺は大学の二年生で一人寂しく電車に乗って大学に行くところである。全員、大学の話は事実だが、藤が小説家とか海棠が先生とかは大嘘である。二人がそれを目指しているという話は聞いたが。
一応俺も一所懸命勉強して、藤と同じ大学に行こうと努力したのだが、残念なことに現実は無情であった。やんぬるかな。
藤とかのところは本当にレベルが高いと思うが、俺の行っている大学は手軽とまでは言わないが、藤のところに行く人は滑り止めくらいにするらしい。
そいで西橋火奈も勉強してここに来ようとしているらしいが、本人の成績的には厳しめらしい。その点、姉貴が勉強を教えて頑張っているとか。
で、姉貴は誼にしているコンビニの店長さんから社員になったと。そう、俺の経歴は姉貴のをなぞらせていたのである。
姉貴はそのコンビニの店長さんにかなりよくしてもらっているらしく、しかもその店長さんがまた、姉貴のためでなく全く自分のためにそれをしているから、姉貴がその人を気に入ったとか。
で、光男がまたコンビニに赴いてうんたらかんたら。三人で話し合ったら店長と光男が意気投合してよくわからん状況らしい。まあ姉貴が社会的に普通くらいになったから安心だ。
世界は進み続ける。万物は流転する。時間が経てば経つほど状況は変わって、人とは別れて出会ってを繰り返す。
けれど俺の知っている奴らは、なんかまるで変わらない。会えば普段通りの会話と様子、男子三日会わざれば括目せよ、とは言うが信用ならないもんだ。
息が白くなるほどの寒さで、手袋を外しながら俺は電車に乗り込む。
二時間目の授業からということで、電車の時間も少し遅め、満員電車じゃないことに至上の喜びを覚えるのも社会人というやつなのかもしれない。俺、会社で働けんのかなぁ。
のんびり腰を落ち着けて、やっぱり読書する読書ちゃんからオススメされた『金色夜叉』でも開いてみる。こういう教科書で名前だけ見る一般文学ってのも、この年になると乙なものだ。
「珍しいの読んでるね」
彼女と目が合うと、すぐに隣に座ってきた。
「ま、まあほら、ヒラちゃんに薦められて」
「あー。確かにひーちゃんこういうの好きそう」
「こういうのって?」
「人に裏切られて悪鬼に堕ちる人の姿……とでも言いましょうかね?」
「は、はぁ」
まだ全然読めてないのでノーコメント。でも教科書に名前だけ載るやつって結構社会を痛烈に批判してたり、革新的過ぎる気がしないでもない。
俺はパタンと本を閉じると、何か話題がないかと考えた。
「あれ、読まないの?」
「そりゃ、久しぶりに会ったから、積もる話でもしたいじゃない」
言うと、藤は軽く微笑んだ。
間近で揺れる髪の毛から、そっと風がそよいだ気がした。
緊張する。
顔を反らして前を向き、適当に頭に浮かんだことを話した。
「そいやさ! 姉貴が変なこと言ってたんだ!」
別に神輿担いでいるわけではなく、そういえばさ、と言おうとしただけである。
「変なこと?」
「うん。人間が完璧だったらつまらないね、みたいなこと」
「あー、私も聞いた」
姉貴は俺達家族が不完全だから壊滅の危機にあったけど、不完全だからこそいろんな経験を積んで戻ってこれたのだ、と言う。
でも完全なら最初からバラバラにならずに済んだから、その方がいいじゃないか、と俺は思うのだ。
「別につまらなくてもいいから、俺は安心したいんだよ」
「あはは、つまらない人間だね」
藤が心底楽しそうに笑うと、俺もホッとする。罵倒されて喜ぶ構図だ。もう俺って……。
「なんかよく言うじゃん、普通が幸せとか、幸せは離れて初めて気付くとかってさ。俺はそれに凄く納得しているわけだよ」
ガタンガタンと電車が揺れる中で、藤は少し黙っていた。
けれど駅について人が入ってきて、でまた扉が閉まった後ぐらいに口を開いた。
「幸せの形は人それぞれだからね。そんなもんなんじゃないの?」
「そんなもんて。なんか投槍だね」
「私の意見聴く? だって水掛け論だしねー」
「是非お願いします。ほら、人と意見を戦わせて深い理解をするわけだよ」
いや、二、三年前の俺なら皮肉でしか言わなかったことだが、今は心底そう思える。
まあ、藤が相手だからっていうのもあるけど。
藤は少し俯いた。ちょっと考えるみたいだ。
けどすぐに、まっすぐその瞳を俺に向けた。
「例えるなら征服欲かな。家を支配して、町を支配して、国を支配して、大陸を支配して、世界を、そしたら他の星を、そしたら別の世界まで、際限なく伸びる欲望の先が幸福。いわば、永遠に手に入らないものかな」
「なんか悲観的だ」
「うん。出店とかにある紐で引っ張るおみくじみたいなのあるじゃん? めちゃくちゃに紐が用意されてて、景品に繋がっているの。あれの一番豪華な景品が幸せってやつだよ。絶対手に入らないの!」
子供みたいに楽しそうに彼女はそう言う。言っている間に二つ目の駅を通り過ぎた。
「あれって、本当に絶対に手に入らないのか?」
「知らない。でも、幸せに似たものはどんどん手に入るってのも、また同じなんだよね」
「それは幸せなんじゃないの?」
「違うよ。本当に望んでいるものはもっともっと先にあるんだよ、人間ってきっと」
深い瞳を讃えて、藤は前を向いた。
そこまで言う藤は一体何を求めているのだろうか、彼女自身の幸せって何なんだろうか。
「俺は今で幸せだけどな。藤と一緒に並んで、座って」
「でも大学が一緒だったらその方がいいし……それ以上も、求めてるでしょ?」
そう、藤が悪戯っぽく手を触ってきた。けど、冷たくてヒヤっとなる。
でも甘んじてそれを受け入れた。一瞬心臓が高鳴ったのも束の間、すべすべの肌が俺の手の上で踊ると胸は静かに鼓動を速める。
「……幸せが常時上昇しているんだよ。だって、今のこの気持ちは幸せ以外に表現できない」
「興奮だよ。無学だなぁ、伊津男くんは」
ふと、藤の手がぎゅっと俺の手を握った。
「暖かいね、伊津男くんの手」
三つ目の駅。
「ところで最近海棠はどんな感じか知ってる?」
話題に困って、また身近な奴の話をしたのは間違いだった。というか海棠の名前を出した瞬間にそれに気付いた。
彼女は豹変するのだよ、それで。
「それを知ってどうしたいの!? オフの日とかはちゃんと教えてもらっているけど、次の日もオフっていう時じゃないと駄目かな!? やっぱ金曜と土曜なら朝までずっぽり……」
「待って、待ってください」
なるほど、幸せはどこまでも求めたいものだ。これさえなければ、なんて思うものだから。
でも藤の個性を消してまで求めるものじゃない。それはきっとそうだ。
「藤は相変わらずだよな。例えば俺のことが好きだとしても、俺と海棠がそうなって欲しいとか思うの?」
「前に言わなかったかな? 伊津男くんのことは男性としても、受けとしてもだーい好きだよ?」
手放しに喜べないけど、今はそれでもいいだろう。
いつか男性として、私以外に伊津男くんの裸は見せないんだから! くらい言ってくれれば……はっ! また求めてしまった!
言われて気付く人の愚かさ、求め続けてしまうのだろうか。
「ま、それはともかく。やっと月宇ちゃんが涙ながらに金曜日に、海棠くんの家に行くって、約束を取り付けたみたいな話をしてくれたよ」
「……それはそれは、大人の階段を昇るということですか?」
「まあ、悲惨な結果になりそうだけど」
「バ海棠バ櫂斗に空気を読めってのが無理なんだ。まあゲッツーさんなら無理矢理襲ってでもするでしょ」
「いや、でも意外と乙女だから……」
「あの朴念仁がそう簡単に変わるもんか」
そんな風に笑い合って、いつの間にか五つ目の駅だ。四つ目はいつ過ぎたんだろう?
自然と大人な会話が終わったと思いきや、藤はぽつりと呟いた。
「私たちは、どうかな?」
「え、藤も乙女だよ! 虫とか苦手じゃん!」
こんなことを素で言っちゃうから、俺はダメなんだろう。
「違う違う、大人の階段を昇る話だよ」
ビッキーン、と俺の体が硬直するのである。あ、下品な意味じゃないです。
別にそれは恥ずかしいとかだけじゃない。
そもそも俺にとって女性というのは畏敬に近い存在で、姉貴に襲われたとかの話があって、ショタコンになったかもしれなかったり、女は可愛いとは言うけどそういうあれになったら、色々キツイって言うのがある。
なんで今になってこんな説明をせねばならんのか、なんて思うほどに、俺は藤とそういう話をしなかった。まあでも、大学生になったら、こんな話になるのかもしれない。
「え……と」
「冗談だよ、まだまだ少年を好きでいてもらわないと!」
言っている間に、藤が降りる駅に来てしまった。
「それじゃ伊津男くん、まあそういうのは気が向いたらね。向けばの話だけど」
彼女はいつも優しい笑顔のままだ。
もしかしたら、男の子が好きな状態の俺にとって、それを許容する彼女は最高の彼女なのかもしれない。
でも求められていないのかもしれない、と思ってしまうのなら、もう俺は……普通の男なんじゃないだろうか。
けど結局彼女に話しかけることはできなかった。
結局結局変わらないのかもしれない。それを認めていたけれど、やっぱり俺はそれが残念なような気がする。
電車は動き出す。




