くりとくろ
みんなでお食事楽しいな、らんらん♪
なんて幼稚園児でも今時言わなさそうなことを、表情だけで表現できるのがクロこと、野川黒雄という人間だ。
俺が丹精込めて作ってもらったお弁当を広げていると、三年の劣等コースであるクリとクロが集まってくる。仲良し絵本シリーズか、お前らは。
だが実際二人はかなり仲良くなった。クロは面倒見のいい人間で、アホの栗林にも優しく執念深く勉強を教えるし、俺を通じて二人は距離をずいずいと縮めたのだ。正直、二人とも厄介払いできてラッキーと思ってる。
「さっきの授業も眠かったな」
「俺はもう寝てたぜ!」
クロとクリの会話はマジでその辺の高校生みたいで、聞いていて呆れるし、むしろ俺がその中にいることを恐怖する。
色々なことに慣れたように、いずれこんな馬鹿にも慣れてしまうのかもしれない。そして社会に飼いならされ、当然のように企業のために尽力するだの、いろんな人とふれあって経験を積むだのということを、大真面目顔で語るようになるのだろうか。
「おいどうしたんだよ伊津男?」
「いや、何も」
「お前また変な隠し事してんのか? 陸也からもなんか言ってやれ」
「考えすぎたら眠くなるぞー?」
「アホのお前とは違うんだよ、俺は」
「っおま! 失礼ってレベルじゃねーぞ!」
うるっせえなぁ、食事中くらい黙れねえのかよ。
なんだかんだでこんな感じが数か月続いている。慣れないね、これは。
そんなところで、机に更に二つの弁当箱が乗ってきた。
「よお」
「よ」
海棠と牛山だ。で、この無骨な挨拶は当然海棠と俺のものだ。
「相変わらずいっつんはぶすぅっとつまらなさそうな顔しているわね」
怒っている風に牛山の方がぶすぅっと頬を膨らませている。愛らしき娘かな。
「いや、今思ったんだがこいつらと三人組みたいに思われんのって滅茶苦茶恥ずかしくて辛い。俺も上のコース行けばよかった……」
「ちょいちょい! お前それ凄く酷いこと言ってるだろ!」
「あーマジ傷つくわー、マジいっつんに傷つけられたわー」
うっぜえええええええええええええ! お前ら俺を殺そうとしているだろ!
と心の中で突っ込んでいるが、表情には物憂げな苦しみしか出ていないだろう。
「本当に辛そうだな。まぁ分からんでもないが」
「だよな」
理解を示してくれたのは、口に出した海棠だけではなく、牛山も困った風に笑っていた。
「まぁ、でも野川くんは合わせてるだけだし、ね?」
「俺に合わせろよ」
「それは無理だ、お前は暗すぎるんだよ」
「そーだそーだ! お前も明るくなれ!」
栗林の無茶振りは軽く無視して、俺は食事を続ける。
誰かが悪いとかそういう話じゃないが、何もかも解決した今となっては、日々が空虚に感じる。
一年前は良かったというか何というか。魔王を倒した勇者もこんな感じなんだと思う。充実した日々を終えてから、この安らかな虚しさを勇者はどのように過ごしたのだろうか?
「あー、みんないるね」
その声は突然、教室の外から聞こえて、俺はその声を聞き逃しようもなかった。
「藤!?」
ガタンと立ち上がってみれば、廊下側の開いた窓から藤が顔を覗かせている。わんわん!
「芳乃ちゃん? 珍しい、どうしたの?」
「うん、月宇ちゃんに用があって。こっちに来てくれる?」
瞬間、牛山は俺に自慢げな笑顔を見せて、見せびらかすようにケツ振って歩いていった。
素直な気持ちを言おう。泣きたい。
「えー、どうしたんだよ、おい。愛しの彼女はよ?」
悪ぶるような栗林の言葉に、静かに言葉を返した。
「……どうしたんだろうな」
「大丈夫か。死にそうな顔しているぞ」
「大丈夫ではない」
食事が喉を通らなくなったので、箸をおいて俺は俯いた。
長き人生に渡り、食事もとれなくなるのは姉貴に犯された時くらいである。今、そんなに気分が落ちることがあっただろうか? 藤と会えないのはよくあることじゃないか。
三年になってクラスが変わって、俺も藤も出不精だから会わなくなる、それは普通のこと。
ようやく交換したメールアドレスも活用していないだけで、会おうと思えばいつでも会えるのだ。
なんて慢心のせいだ。今彼女を目にして、その目的が俺ではないと知って、過剰に苦しんでしまっている。
やっぱ駄目だ、俺が彼女との繋がりをもっと作らないと駄目なのだ。
とか考えていたら、パシャパシャと携帯のカメラの音が聞こえた。
藤が熱心に撮っているようだった。
「……何していらっしゃるので?」
「月宇ちゃんがいなくなって、男に囲まれる伊津男くんの図ができたわけですよ」
瞬間、海棠、栗林、野川の三人が俺から離れる。まるでここが爆発するよと言われたかのようだ。
「うんうん、いい資料が取れたよ」
と、ご満悦な藤に、牛山が呆れながら尋ねた。
「で、用がそれだけなわけないよね? 教室で冷泉くん待たせてるんでしょ?」
「うん、だから伊津男くんにも紹介しようと思って」
「えなに冷泉くんて。天皇の系譜?」
「んなわけないでしょ。クラスで人気で、最近芳乃ちゃんと二人きりでご飯食べたりしている人」
さも当然のように牛山が語る。
が、俺の心はざわざわと音を立てて胃の中を刺激している。
食事が喉を通らないと言ったな、あれは嘘だ。今下から喉を通ろうとしている。
「か、櫂斗、それどんな奴だ? 体重百キロ超えで身長百五十センチくらいの眼鏡に鉢巻つけて仇名がオタク君とかで人気なだけだったりしないか?」
「背はお前より少し高く、体重はお前くらいかな。見た目は知らんが、男女ともに黄色い声をかけられるような奴だ」
海棠は変わらず無表情で言うので俺は思わず呻く。
「っへー!? はぐ! へぐ!」
「おい大丈夫か?」
「藤はどういう関係なんだよ、そいつと!?」
「最初は不埒な奴め、って感じで非難されたんだけどね、ちょっと話し合ってわだかまりを解決した仲かな。友達とかそういう風に言うと分からないもんね」
藤は変わらず緩い笑顔で言うので俺は思わずこみ上げる、吐き気が。
「……俺は吐いていいの?」
「駄目でしょ」
俺は、すぅーっと吸って、う、げヴぉと吐いた。
「ぎゃー! 三馬鹿の一人が吐いたぞ!」
ああ、こんなことをしているから俺はそんな風に言われているんだろうなぁ、って死ぬほどどうでもいいことを考えた。
言っておくが、俺は劣等コースで一番の成績で、優秀コースの最下位よりも頭がいいのだ、コース選択の結果ここにいるだけなのだ。
でもそんなことはどうでもよかったりする。くるくると回る世界の中で静かに意識が闇に落ちた。
つんと、消毒剤に匂いが鼻につく。
俺はこの匂いが嫌いではない。病院のリノリウムとか独特な匂いを嫌う人も多いけどプールの塩素とか、その時にしか味わえない匂いだからこそ少しでも長く匂いたくなる。
病院だろうがプールだろうが、その時だけのイベントなのだ。少しでも長く、深く、関わりたいと思うのは当然じゃないだろうか?
そんなことを思って体を起こした。
白いパイプベッドの周りには簡易カーテンが閉め切られていて、景色も何もないけれど、保健室だってことは分かる。
ただ、保険のおばさん先生の声と、二人の女子の声が聞こえる。
「藤?」
一人の声に検討つけてすぐに言うと、シャッとカーテンが開いた。
「正解! さてもう一人は誰でしょう?」
藤は変わらぬ姿であるが、もう一人なんて、もうどうでもいい気分だ。
吐いて、失神して、今ここにいる。そんな惨めったらしい事実がこの上なく苦しい。
男が廃るなんてもんじゃない。人として尊厳がない、浅はかで愚か、見苦しく惨め。
「藤がいなきゃ、生きていく自信がないよ……」
「え、なに突然」
戸惑う藤の腕を掴んで、ぐっと引き寄せた。
パイプベッドの柵を越えて藤の体が布団の上に倒れてくる。
「きゃ、ちょ、あー!」
すぐ近くにまで迫った顔を見て、一段と胸が高鳴る。
「い、伊津男くん落ち着いて」
すぐそこで動く唇を見て、俺はこんなことを聞いた。
「藤は、その冷泉ってやつと何をしたの、何までしたの?」
「な、何までって……」
「互いに譲れないことを競ったまで、だ」
もう一つの声が、姿を現した。
首元くらいまで伸びた黒い髪とキヨを思い出させる鋭い瞳が俺を睨んでいた。
「乱暴なことをしている割に泣きそうな顔だ。恥ずかしくないのか、男として」
「……うん?」
「この子が冷泉一進くんちゃんです。女の子だけど王子とか言われちゃう人、漫画とかにもいるでしょ?」
「いやいや……いやいや……」
そんな馬鹿馬鹿しい話、これ以上あってたまるか。そもそも俺はそんな奴聞いたことないし。
「藤、それはないわ。それだったら冷泉くんなんてエア友で存在しない妄想でしたって言われた方がまだ納得できる」
納得というかその方が現実味がある。王子なんて言われる女の子は漫画にしかいません!
「事実は小説よりも奇なるものだよ。まあ、カプの話を争うくらいの仲だから安心して。少なくとも、伊津男くんほどのことはしてないよ」
はぁー、と藤が溜息を吐くと、その冷泉とやらも溜息を吐いた。
「海棠から聞いた時は、尊敬できそうな人と思ったが、なんとも頼りない……」
妙に演技がかった武士のような喋り方に、やっぱりキヨを思い出す。
「藤、あの喋り方にはどういう理由が?」
「割と重い家庭の事情だけど、聞く?」
「え、いや……」
「藤、勝手に我が家の事情を話そうとするな」
と、冷泉は怒った風に口を聞いた。
そして、何故か俺と冷泉は少し目が合って、その目が離せなかった。
睨みあうように見ている、冷泉は訝しがるように胡散臭いものを見るように、俺は不思議なものを見るように見ていたのだろう。
カプの話、と言っていたからには、こやつも腐女子なのだろう。それで藤と仲良くなった、と。
「冷泉王子ねぇ。天皇の系譜?」
「冷泉一進だ! お前……ふざけているのか?」
「ま、まあまあ二人とも。私は別に喧嘩させるつもりで会わせたわけじゃないから」
と藤が仲裁するので、まあ俺はじっとしておくことにした。
俺も喧嘩するつもりでこの人と対面しているわけじゃなかったんだけど、どうも俺の態度が気に食わないらしい。
「ふん、藤の恋人と言うからどんな奴か期待してみれば、こんな情緒の安定しない、危険な男だったとは」
「誰かデンジャラスマンだ。俺が爺さんになったらどうするつもりだよ」
「でんじゃらすのおきなと呼んでやろう」
そりゃ、さん付けはないか。うーん、冷泉とはそりが合わなさそうだ。
「じゃ、なんで会わせたんですかね?」
冷泉の微妙な返答は無視して藤に尋ねる、と藤は答える。
「そりゃ伊津男くんが勘違いしたまま寝込んでたら気の毒だから、本人を連れてきたわけだよ。これで伊津男くんも安心でしょ」
「全く、貴重な授業時間をお前のせいで……」
言って冷泉は藤の手を引っ張っていく。
冷静に考えて藤なら冷泉でも好きになってしまうかもしれない。なんと言ったって彼女は性に自由な人間だ、いやらしい意味ではなく、俺を好きなこと自体男性だからとかじゃなく何かしらの性別を超越した性質によるものだから、その何かしらの性質があれば女性でも愛せるだろうから。
「ちょっと待って」
「なに?」
引っ張られながら言う藤に、俺は言う。
「あのさ、なんつうか……俺は藤が一番だから」
「自分も一番って言って欲しいの? それは努力してよ」
それは、その通りかもしれないけど、厳しい言葉だ。
冷泉はつまらなそうにこっちを一瞥して、保健室から出て行った。
俺もゆっくりとベッドから降りるとおばさんが忙しない動きでこっちに来た。
「待ちなさい、食中毒の可能性があるから……」
この後凄く面倒なことになった、のは言うまでもない。




