飯野伊津男の長い日曜日・午前
日曜の朝から気分はチェンジ・ザ・ニューワールドである。
なんてったって皆さん、知ってますか、昨日のこと?
藤にね、告白どころかプロポーズされたんですよ! これはチェンジ・ザ・ニューワールドどころじゃない!
チェチェチェンジ・ザ・ニューワールドだ! 傷の数だけ強くなれたよ……。
「らんたったーらんたったー、ステディ? 着実な? 今の俺の恋愛のことかな? なんつって!!」
英単語を捲りながらキャンユーフィーキャンユーフィーとテレビが流れる。
俺はリア充だったのか!? と猿だらけの惑星に来てスタチューオブリバティを見たような反応をしながら、俺は幸せに小唄を口ずさみながら英単語を書き取っていく。
「クオリファイ? 適任である? 俺が藤の夫に? なんつってなぁ!!」
グラスプ、掴む、幸せを。
だがそんな幸せな休日の午前七時。
ディストレス、苦しみ、苦難の、ベル、チャイムが鳴った。
こんな日曜の朝早くからチャイムを鳴らす輩なんて絶対に碌でもない人間だろ。
読書ちゃんがまたご飯を持ってきてくれたかもしれないし、もしかしたら藤が一緒に勉強しよう、とかかもしれない。ぐへへ。
リアルが充実してきた自身に自信を持ち始め、俺は気分よく扉を開けた。
そしてそれを見て閉めようとした。だが扉の隙間に足を入れられて閉まらない。
「ちょ! やめてください! 誰か!」
「いいじゃねえかよ、げへっ、げへへへへっ!」
こんなふざけたことをしてくる人が誰かは、もうお分かりだろうか。
「来んなレイプ魔! 変態! ストレンジャー!」
「ちょ! それは流石に傷つくから! 泣いちゃうから!」
そんな素敵なコミュニケーションを終えた後、俺は心底嫌だが、扉を開けてやることにした。
そこには裾のちょっと大きい黒いセーターを着た、暖かそうで無防備そうな姉貴がいた。
「で、何の用?」
「私だってもう少しここの近況が知りたいの、伊津男の口からね」
姉貴は平気で家の中に入ってくる。俺もアニメ見なくちゃならんし、もう無視。
…………しかし。
家族に犯罪者がいる時点でリア充なんて夢のまた夢なんだよなぁ……、誰がリア充じゃ! お前らはもっと幸せを噛みしめろ! くそっ!
俺と姉貴と、んで母さんも卓袱台に並ぶ。
「伊津男、私お昼からおばあちゃんのところに行くから」
「へーい」
「闘華ちゃんも久しぶりに戻ってきたけど、ごめんなさいね? 朝ごはんくらいは作るから」
珍しく普通に喋る母さんに、姉貴は心底ほっとしたらしく笑顔がこぼれる。
だが、たぶんここまでだ。
「母さん、俺も手伝うよ」
「あら、いいのに」
「もう高二だぜ? 最近の男ってのは料理くらい作れなきゃダメなんだよ」
「あらあら、伊津男もそういう年なのねぇ」
困ったように笑う母さんは、案の定冷蔵庫からプラスチックごとのプチトマトを包丁でぶった切った。
「危ない危ない」
「あら」
俺は母さんの肩を掴んで、卓袱台の横に座らせた。
「ちょっと母さんと喋っといて」
「……あ、あいよ」
姉貴もおっかなびっくりと返事した。
さて朝は……オムレツにでも挑戦するか。
「いやー、スクランブルエッグ、上手ね。具とか入ってるし」
姉貴は大層ご満悦だった。母さんも手を合わせてご馳走様と言っている。
そりゃね、玉葱とかミンチとか入って、バターで炒めたスクランブルエッグだもの。……俺の料理スキルは櫂斗とどっこいどっこいだな。
「それじゃそろそろ行こうかしら? でも、本当に大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。気をつけてね」
母は、実家までの道程だけは絶対に失敗しない。
まあ姉貴とか父さんのとかが嫌になって実家に逃げ帰ってる途中に色々あって今の状況になったってだけで、家への道程の記憶が鮮明ってだけである。何もかも痛々しい。
とにかくそんな感じで見送ると、家の中には俺と姉貴の二人きりになった。
母さんと一緒に家を出るべきだったか、と後悔しているところで、姉貴が部屋でなにかガサゴソしていることに気が付く。
「なにしてんの?」
「これ、持ってきたんだけど」
と姉貴ががさついているのは、姉貴が持ってきた黒い鞄だ。
中から出てきたのは、○又葵先生イラスト付きメイド服! でしたとさ。
「カメラも新調したんだけど……」
「うんうん、葵先生のイラストは保存したいもんね。じゃあ俺ちょっと図書館で勉強してくるよ」
「待ちな」
見れば、姉貴は指でピストルを作っていた。
「約束、忘れたとは言わせないよ」
「あんた、俺に何をしたか忘れたわけじゃあるめえな?」
互いに、互いの過去を想起する。俺はちょっと前の黒い虫のことを思いだしすぐに忘れたが、姉貴は表情を詰まらせた。
「それとこれは話が別よ! あんたが約束したんじゃない!」
「それくらいして当然だろ! この家の住人だろ!?」
「逆に聞くけど、いいの? ここの住人で」
言われて俺は顔を反らした。それはそれで厳しいところがある。
「いや、うーん」
「そりゃね、私だって家族としてこの家をより綺麗にしようとは思うし、そう思っているあんたとも仲良くやりたいよ? でもね、離れた方があんたが喜ぶと思って、わざわざ近くにアパート借りてんだから」
まあ、やさしいことで。
「とにかくさ、俺はテスト勉強で忙しいんだ。話ならまた今度にしてくれ」
「いいえそうやって先延ばしにされちゃ困る。時は今! ナウ! 場所はここヒアー!」
「お前責任とか罪悪感はねえの?」
「だからそういうのはちょっと……縁切られるレベルだから」
俺だって縁切りたいレベルである。まああんなこと軽々しく口走った俺にも責任の一端はあるだろうが、一生かけて償ってもらうくらいの所業である。
ってなもんで、俺はとっとと卓袱台に勉強道具を広げ始めた。
「あ、あー、もう、全く容赦のない弟……ケンシロウね」
「あー、姉貴はラオウレベルだもんな」
姉貴も拳王のような顔で俺を睨む。この減らず口のたたき合いは藤くらいとしかできないものだと思っていた。
けど、それをのんびりまったりな日常として受け入れることはできない。
姉貴は部屋を出ようともせず、手持無沙汰に棒立ちしている。
集中はできない。けれどこれ以上こっちから何か言うことも、とてもできない。
怖いというよりも、方法が分からないのだ。
こんな人と、仲直りする方法も縁を切る方法も、分からない。
頭に入ってこない勉強をしている途中で、チャイムがなった。
いい加減チャイムも驚いている頃だろう。
『えー、また、えー? なにこの仕事量、やりがいはありますけど正直キツイっすよ』みたいなこと言ってそろそろ休憩したくなってきたと思う。
「姉貴ー、出てー」
「えー、しょうがにゃいにゃあ……」
と、頭をぼりぼり掻きながら姉貴は玄関に向かった。こいつ本当にムカツクなぁ。
時間はもう午後の四時、姉貴もごろごろしてたところで、俺もやっとこさ教科書一周できたくらいだ。
一体今度は誰ぞな? 昨日のメンバーじゃないとしたら、真っ先にクロ、次にけんとくんが思い浮かんだ。
けんとくん、名前だけはよく出るが説明が全くなされていないのでそろそろ説明しよう。
ちょっと長めの黒い髪がボブカットみたいになったおとなしい男の子。
たまたま彼が住んでいるマンションの前の公園の砂場で一人遊んでいるところを俺が目撃し、なんかシンパシーを感じたために声をかけた。
非常に静かで無口だけど、小学生によくある生意気さも兼ね備えていて、それでつつましやかな雰囲気もあり、黙々と一緒にすなの山を作っていると無我の境地に辿り着き俺は賢者になる
俺は彼と母にだけ伊津男と呼ばれたい。海棠には別の呼び方してほしい。そんな感じである。
思い出せば出すほど、こう黒く澱んだ感情とは別の純粋な清い愛が生まれる。子供は大切にすべきなのだ、栄えある未来の若者を大切にして何が悪い!? 俺は変態じゃない!!
なんて風に思い出すと、リアル変態だと思われるから隠していたのだが、本当にけんとくんは可愛いのだ。リメンバー・ラブオブ藤、あくまでけんとくんは友人、そんな関係だ。
でもけんとくんが来たらどうしよう!? 姉貴に襲われるじゃないか!? ヤバい止めなきゃ!!
と俺は大急ぎで玄関に向かったが、そこで見たのは予想外のものだった。
「お、うわ……」
オヤジと、西橋かな?
姉貴も絶句して突っ立っている。あとから来た俺もそうするくらいだ、仕方ないだろう。
「伊津男、闘華……」
オヤジの低い声が、静かに響いた。
「あのさ、伊津男、やっぱり話し合わなきゃ駄目だと、思ったんだ」
そう、カタコトと西橋は言った。緊張しているようだが、はっきりと決意の色が目に見えた。
なんて面倒臭いことを、やってくれたんだ、お前はよ。
「母さんが帰ってくる前に帰れ」
世の中は簡単じゃない。物語でもない、物語よりも複雑怪奇な代物、どうでもいいことばっかり気にしたりするの、そんな感じ。どんな感じだよ。
ふざけるのはやめて、と。
この家族の問題は一朝一夕の対話だけで解決できる問題じゃない。姉貴の罪、俺のふざけ、父の無責任、母の病、複数の機関と強い個性のせいでまとまる話もまとまらなくなる。
もっと弁護士とか通じて母さんとこいつが話し合って色々決めてから、子供である俺と姉貴をどうにかしてほしいところだ。
「どうしてそんなこと言うの? いつかは解決しなくちゃいけないことなら……」
「別にいつか解決しなきゃならないことじゃないだろ。お前らはお前らで勝手にやっとけ、俺はもう、今のままでいい」
どうして父がいて母がいて子がいる、そんな家族がベストだと思うのか。
昔は戦争とかでお父さんがいないのは当然だったんだぞ? 平和ボケとまでは言わない。だが甲斐性なしのろくでなし一人いようがいまいが、どうでもいいだろ。
俺はじっと二人を睨んだ。二人とも自分が悪いと分かっているからか、反論しづらそうだ。
ただ、姉貴も俺を見ていた。普段見せないような、本気で責めるような目に怯えている様子だ。
だが姉貴よ、俺があんたに怯えていたのは、それの比じゃないぜ。
俺は二人を無視して、部屋に戻った。
勉強なんだよ、今は! 勉強しなきゃヤバいんだよ!
ってわけで三人揃ってどこかへ消えてくれると助かる。
誰も来ないように祈りながら、なんとかノートを開く。
だが程なくして、三人は部屋に入ってきた。
「……なに?」
「大事な話があるの。……母さんにも話さなきゃならないこと」
姉貴はそう言った。真剣な顔で。
「それって絶対?」
「うん、命懸けるレベル」
姉貴は静かにおどけてみせた。
冗談ではなさそうだった。
「……それって、なんのこと?」
「できれば、母さんがいる時に纏めて話したいかな」
言って、姉貴は座った。
俺は並々ならぬ雰囲気と、家族関係の変動の予感を、そしてテスト点数の変動の予感に心を震わしながら、その時を待った。




