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元弟子(♀)が王太子(♂)になって帰ってきたので逃げたいのに逃げられません  作者: 栗原りんご


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12. 魔女は逃げられない

祈るように、リヴィエラは上質な薬草をすり潰し続けた。

額に滲む汗を拭う暇もない。魔女の力に頼らないと決めた以上、今の自分にあるのは、母から受け継いだ確かな知識と、この「手」だけだ。


「よし……! これを、全員に飲ませて!」


リヴィエラの指示で、ジークやホロウ、グレタたちが手分けして、苦悶する患者たちの口へと薬を運んでいく。

やがて、浅く荒かった彼らの呼吸が、少しずつ、穏やかなものへと変わっていった。肌の黒い斑点の広がりも、ピタリと止まっている。


(よかった……! 症状の進行は食い止められた……!)


張り詰めていた糸が切れ、リヴィエラがホッと胸を撫で下ろした、その時だった。



――パチ、パチ、パチ、パチ。



静まり返った診療所内に、場違いなほど乾いた拍手の音が鳴り響いた。


「さすが、リヴィエラ様。素晴らしい手腕です。まさか既存の薬草の組み合わせだけで、あの毒の進行を抑え込んでしまうとは」


「……え?」


声のした方を振り向くと、診療所の入り口に、純白の長衣をまとった見慣れない男が立っていた。

男の顔には三日月のような笑みが浮かんでおり、その蛇のように冷ややかな視線は、まっすぐにリヴィエラだけを射抜いている。


「セルジオ。俺の許可なく、目の前に出てくるなと言っただろう」


地を這うような低い声が、ルシウスの口から漏れた。その碧い瞳には、先ほどまでの甘さは微塵もなく、絶対的な強者の、冷徹な殺気が宿っている。


「あぁ、すみません殿下。興奮してしまって、つい……。彼女があまりにも見事なものですから」

「あなたは……? 私の、名前をどうして……」


リヴィエラが警戒を露わにして一歩下がると、セルジオと呼ばれた男は、優雅に一礼してみせた。


「はじめましてリヴィエラ様。セルジオと申します。以後、お見知り置きを」


「師匠」


ルシウスが、リヴィエラを背にかばうようにして前に出る。


「この男は、王妃に仕えている男です」

「……は? 王妃の……って、あの、王宮の……!?」


頭の整理が追いつかないリヴィエラに、ルシウスは静かに告げた。だが、それを遮るようにセルジオが肩をすくめる。


「おや、冷たいですね殿下。つい最近あなたの手下になったというのに」

「無駄話はいい、この毒は今どの段階だ」

「ふむ、第一段階…といったところでしょうか」

「……第一、段階……?」


リヴィエラがオウム返しに呟く。


「ええ。本来なら、もう少し綺麗に“咲く”はずだったのですが……あなたのおかげで、少し遅れてしまいました」


ぞくり、とした。

あの黒い斑点が、"咲く"。

その言葉の意味を、理解したくなかった。


「ひとまず、リヴィエラ様は私達と共に来てもらいましょうか。そうすればこの『解毒剤』をお渡しします」


セルジオは懐から、怪しく光る小瓶を取り出して見せた。ルシウスが、悔しそうにリヴィエラを振り返る。


「これで分かったでしょう? あなたが、この街にいることの危険性が。やはり僕と一緒に城へ――」


「……ふふ」


張り詰めた空気の中、不意に、リヴィエラが小さく笑った。その声は、どこか諦めにも似ていた。


「師匠?」


「三年も一緒にいて、ちっとも私の事分かっていないのねルーシー」


リヴィエラはポケットから一粒の種を取り出し、手のひらの上にのせた。

その瞬間、彼女の紅い瞳が――この世のものではない光を帯びて輝いた。


その場の温度が、一瞬で変わった。

空気が重く沈み、誰もが息を呑む。


リヴィエラの掌から、ぶわりと膨大な魔力が溢れ出す。体の奥から、何か大切なものが削られていく感覚と引き換えに――土も水もないその手の上で、種があり得ない速度で芽吹き、まるで時間だけが歪んだかのように瞬く間に立派な薬草へと成長した。緑のツタが、彼女の白く細い腕に絡みつく。


「なっ……!!!!」


ジークの驚愕の声と共に、ルシウスの瞳が、大きく見開かれる。


「あり得ない……いや、素晴らしい……!!ああ、やはり"本物"だ……!」


セルジオの三日月の笑みが、初めて驚愕に引き攣る。


「グレタさん! この薬草を使って薬を作ってみんなに飲ませて!」


グレタは呆気にとられながらも、リヴィエラの気迫に押され、「わ、分かったよ!」と薬草をひったくるように受け取って患者たちの元へ走った。


次の瞬間―――窓の外で、何かが蠢いた。まるで合図を待っていたかのように、診療所の窓ガラスを割って、王妃が放った不気味な黒装束の刺客たちが次々と乱入してくる。


「ホロウ!」

「まかせて!!!」


ホロウは鋭い爪を剥き出しにして、一瞬で刺客の前に躍り出た。次の瞬間、ホロウの背から巨大な黒い翼がバサリと広がり、その羽が銃弾のような速度と威力で、躊躇なく、正確に刺客の急所を貫いた。


「私がこの一年、何も対策してないとでも思ったの? 私は、ぜっったいに王宮になんて行かないわ」


リヴィエラは、凛とした声でセルジオを真っ向から見据えた。


「師匠……やはりあなたは、誰にも渡さない」


背後で、ルシウスが狂気を孕んだ声で呟いたのを、リヴィエラは聞き逃さなかった。


「いくよホロウ!」


リヴィエラの声に応じるように、ホロウの姿が瞬く間に巨大なフクロウへと変化した。リヴィエラはその漆黒の羽毛の背へと、慣れた動作で飛び乗る。


「じゃあね、ルーシー! 」


ルシウスへ向けて不敵に言い放つと、ホロウは力強く羽ばたき、開いた窓から一気に夜の闇へと飛び立った。

診療所の中に残されたルシウスは、遠ざかっていく愛しい人のかすかな残像を、碧い瞳で静かに見つめ続けていた。


「……この程度の距離なら、すぐにでも」


まるで、すぐにでもまた彼女に会えることが分かっているかのような、あまりにも余裕に満ちた呟きは、もうリヴィエラには聞こえなかった。


夜空を滑空して森の庵まで戻った。

バタバタとトランクを整理し、必要なものだけを詰め込んでいく。


「ホロウ! 慌ただしいけどまたあっちに戻るよ!」

「は!?」

「私が魔女だと知られてしまったからには、もうこの国にはいられないわ!王妃が狙っているのは私だから、ほとぼりが冷めるまであっちに戻れば…!」


「ホロウ?」


返事がないことに気づき、リヴィエラが振り返ると、ホロウは虚空を見つめて絶望の表情を浮かべていた。


「あ、いや……」


玄関のドアを開ける。――だが、そこに広がっていたのは、見慣れた森の夜景ではなかった。そこは、いつの間にか夜空をも覆い尽くすような、巨大な魔法陣の光に包まれていた。


「遅いですよ、師匠」


その足元には、すでに展開された転移陣が淡く光っていた。


「え、ルーシー!? なん……」


そこに立っていたルシウスの、怜悧な碧い瞳と視線がカチリと合った。次の瞬間、リヴィエラの視界がぐにゃりと歪む。

そのまま崩れ落ちるように気を失うリヴィエラを、ルシウスは愛おしそうにその太い腕で抱きとめた。


「……逃がすと思いましたか?」


「お、おい! リヴィ!」


トランクを持ったホロウが慌てて身構えるが、その首筋にはすでにジークの剣が突きつけられていた。ルシウスは眠るリヴィエラの頬をそっとなぞり、冷酷な笑みを浮かべる。


「大丈夫だ。『痛いことや酷いこと』はしていない。軽く睡眠魔法を使っただけだ。……ただ、飛ばれると困るからな…しばらく呪縛をかけさせてもらう」


ジークが静かに呪文を唱えた次の瞬間、ホロウの足元に淡く光る魔法陣が展開された。


「……!」


ホロウが歯を食いしばるが、その身体は見えない力に縫い止められたまま動かない。


「安心しろ」


ルシウスは一瞥だけくれる。


「お前も一緒に連れていく。リヴィの悲しむ顔は見たくないからな」


その声音はあまりにも冷たく、感情が抜け落ちていた。ふっと、ルシウスの視線が腕の中のリヴィエラへと落ちる。


眠るその顔を見つめて――ゆっくりと、息を吐いた。


「本当は“自分の意思”で、僕の元に来てもらいたかったところですが……仕方ありませんね。これ以上あなたを鳥や、何よりあの男に晒しておくわけにはいきませんから」


王妃の魔の手が伸びている以上、もう彼女を自由にしておくことはできない。


「自分の身は自分で守れるとでも言いたげだったが」


ルシウスの碧い瞳に、暗く濁った独占欲の炎がゆらりと灯る。

自分を偽り続けた地獄のような一年間。この瞬間のために、すべてを耐え抜いてきたのだ。


「……やっと、手に入れた」


狂おしいほどの歓喜を噛み締めるように呟くと、ルシウスは冷徹な王太子の顔に戻り、パチン、と指を鳴らすと同時に、庵全体を覆っていた光が弾ける。


ホロウの視界が白に染まる


「リヴィ!!」


叫びと共に、その身体もまた光に呑み込まれた。


――その場には、誰一人として残らなかった。


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