11. 忍び寄る病魔と、揺れる心
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リヴィエラが重い瞼を擦りながらリビングに降りると、そこには昨夜の緊迫感など嘘のように、ソファで優雅にお茶を飲むルシウスの姿があった。
まるで、あの出来事すべてが夢だったかのような――穏やかな朝。
「ルーシー、いつ頃戻ってきたの? ちゃんと眠れた?」
「おはようございます、師匠。少し仕事が残っていただけですよ。しっかり睡眠もとれました」
何食わぬ顔で微笑むルシウスは、ティーカップを置き、楽しげに碧い瞳を輝かせた。
「久しぶりにゆっくり眠れた気がします」
その言葉に合わせるように、ソファの端でジークが心底幸せそうに呟く。
「いつも寝かせてないみたいな言い方をするな、ジーク」
「え」
「ん?」
ルシウスとジークが同時に首をかしげる。その様子を横目で見ていたホロウが、呆れたように肩をすくめた。
「お前、いつか後ろから刺されるぞ」
「はっこの僕が? 後ろを?」
「ホロウさん、殿下は後ろにも目があるんですよ」
「うわ、気持ち悪」
相変わらずの不毛なやり取りに、リヴィエラは小さく吹き出した。
4人で賑やかな朝食をとった後、ルシウスが本題を切り出した。
「これからの話をする前に、せっかくこうして戻ってこれたのですから、久しぶりに街へ行きたいです。"二人"で一緒に行きましょう」
「行かせねぇよ?」
すかさずホロウが低い声で割り込む。
「はぁ…またお前か」
ルシウスはあからさまに大きなため息をついた。
リヴィエラはスープを飲み干すと、困ったように笑う。
「しょうがないわね。薬の納品もしたいところだし、みんなで行きましょうか!」
そんな訳で、リヴィエラ、ルシウス、ホロウ、そして護衛(という名の荷物持ち)のジークという奇妙な四人組で街へ繰り出すことになった。
リヴィエラが自室で準備をしている間――。
「おい鳥、これを見ろ」
ルシウスは懐から、小さな包みを取り出した。
「それは……! 幻のホワイトフロッグの燻製!!! お前、どうやってそれを……!」
「俺と師匠の邪魔をしないと誓えるなら、やらんこともない。王城に来れば好きなだけやるぞ」
「好きなだけ!? いや、でも……」
悩みながらもその視線はもう燻製に釘付けになっている。
「いいのか? この燻製は年に数本しか市場に出回らない、獣人族にとって至高の絶品だぞ?」
目の前でわざとらしくその魅惑的な匂いを嗅がせるように、ルシウスは包みを手のひらの上で転がす。
喉から手が出るほど欲しいものを前にしても、リヴィの事が誰よりも何よりも大切だからこそ易々と懐柔されるわけにはいかない。
「ぐっ……。リヴィを閉じ込めたり、痛いこととか酷いことをしない、リヴィを命をかけて守ると誓えるか」
その言葉を待っていたとばかりに、ルシウスの口元が三日月型に歪んだ。
(かかった…)
「おい……お前、俺を何だと思っている。まあいい、俺の命と一生をかけて守ると誓う」
「よし、一時休戦だ」
「ほら」
ルシウスから無造作に放られた包みを、ホロウが頬擦りするところを見ながら、ジークは呆れたように息を吐く。
「またそうやって……」
こうして、ホロウがこっそりと胃袋で懐柔されているとは、リヴィエラは露ほども思わなかったのである。
* * *
活気あふれる街の市場に向かいながら、ルシウスはかつてルーシーだった頃のように、リヴィエラに手を差し出す。
「繋がないよ!?」
「え!?」
断られると思わなかったと言わんばかりの表情で、ルシウスが固まる。
「いい? あなたは今や『男の人』で『帝国の王太子』なわけよ。騒ぎになったらどうするの!」
リヴィエラは周囲の視線を気にしながら、あらかじめ用意していたフード付きのコートを渡す。
「ではこうしましょう」
ルシウスはそのコートを受け取るとフードを被る。リヴィエラの細い腕をすっと取り、自分の腕に絡めるようにエスコートの形を取った。
「これで万が一騒ぎになっても、あなたを客人という事にしたら大丈夫ですよね。僕がエスコートします。だから堂々としていてくださいね」
「ま、まぁそれならいい……のかな?」
触れられた箇所から、じわりと熱が広がる。
普段と変わらないはずなのに――どこか、違う。
リヴィエラは無意識に胸元を押さえた。
小さく、早い鼓動が、うるさいほどに響いている。
うまく誘導されたような気持ちになりつつも、いつもと違う空気感に違和感を覚え、チラッとホロウを見た。
(あれ、なんだかホロウが大人しいな……いつもなら「私が手を繋ぐんだから!」って割り込んできそうなのに)
彼女は一心不乱に懐の包みを気にしており、あからさまに視線を泳がせていた。
* * *
街に着くと、ルシウスは早くも露店に並ぶ宝飾品に目を留めていた。
「師匠、こっちの碧い宝石がついた髪飾りなんてどうでしょう。……白銀のリボンも似合いますね。ジーク、これと、あそこのブレスレットも」
「かしこまりました…」
白目を剥いたジークの腕には、あっという間にリヴィエラへの贈り物の包みが積み上がっていく。
「ちょっと待って!高そうなものばっかり…つけていく場所なんてないわよ!」
「ありますよ?これから沢山…ね」
ルシウスは意味深に微笑む。
ホロウが「自分の髪の色や瞳の色ばっかりじゃないか」と横から呆れた声で言うが、ルシウスはそれを涼しい顔で受け流した。
ふと、リヴィエラが別の露店に気を取られて少し離れようとした瞬間、引き戻されるようにグイッと強い力で腰を抱き寄せられた。
ルシウスはリヴィエラの耳元にすっと顔を寄せ、他人に聞こえない低い声で囁いた。
「今日はこれくらいにしておきますが……いつか、邪魔者のいない二人きりのデートをしましょうね。師匠」
「っ……!?」
耳朶をかすめる熱い吐息に、リヴィエラは顔を真っ赤にして飛び退いた。
(もう!昨日からこのうるさい鼓動はいったいなんなのよ!)
そんな彼女を見て、ルシウスは満足げに目を細める。
気を取り直して、贔屓にしている街の薬屋さんに向かおうとしたその時、通りすがりの街の人々の話し声によって一瞬で凍りついた。
「……おい、聞いたか? 隣の通りで、また人がバタバタ倒れたらしいぞ」
「ああ、高熱を出して、肌に黒い斑点が出る奇妙な病気だってな……」
「診療所もパンク状態で、原因も治療法もさっぱり分からないらしい。毒じゃないかって噂だ」
「……!」
リヴィエラは息を呑んだ。薬師としての本能が、ただ事ではないと告げている。
「……黒い斑点、ですか」
一瞬だけ――ルシウスの瞳が、すっと細められた。
その声はいつもと同じはずなのに、どこか温度がなかった。
嫌な予感がして薬屋まで早足で向かうと、店の中から騒がしい声が聞こえてくる。すると突然、女主人のグレタが大量の荷物を抱え、血相を変えて店のドアを叩きつけるように開いた。
「グレタさん!?」
「その顔は…リヴィエラ!!?久しぶりじゃないか!戻ってきてたのかい!?ちょうど良かった!!」
いつもは豪快で肝の据わった彼女の顔が、今は見たこともないほど蒼白に引き攣っている。
「お久しぶりです。 また薬を納品しようと思っていたんですけど…どうしたんですか? そんなに慌てて」
「大変なんだよ! 街で……街で急に、原因不明の病が広がっちまって! 高熱を出してバタバタと人が倒れてるんだ! 一刻も早く良質な薬が必要なんだよ、あんたの腕を見込んで頼む、手伝っておくれ!!」
そこで、グレタはリヴィエラの隣に立つ美しい青年へ視線を向け、息を詰まらせた。
「……あんた、その顔……どこかで……いや、まさか……」
リヴィエラがゴクリと息を呑んだ。
長年自分たちと面識のあったグレタなら、さすがにルーシーの面影に気づくだろうか、と。
「……ルシウス殿下!?」
リヴィエラは拍子抜けした。
(そうか。三年の付き合いでも、ルーシーの面影もほとんどないし、髪色も違う。何より性別が違うから気付くわけないよね)
ルーシーが本名の「ルシウス」として表舞台に現れ、この国の王太子となってからすでに一年。
この国全土にその美貌と名は轟いている 。さすがにこんな端の街の商人でも、お忍びの「王子」の方に気づくのは当然だった。
「はっ! そんなことよりも、殿下までいらっしゃるなら話が早い! 診療所へ来てください!」
リヴィエラは一瞬戸惑ったものの、グレタのただならぬ様子に、覚悟を決めて診療所へと走り出した。
「感染予防のため、こちらを身につけてください!」
グレタに渡された特製の薬布マスクとエプロンを全員が固く口元に結び、診療所の重い扉を押し開ける。
鼻を突く消毒液と、濃厚な血の匂い――。
診療所に入ったリヴィエラを待っていたのは、想像を絶する地獄絵図だった。
ひしめき合うように倒れ伏す患者たち。彼らの肌には、どす黒い斑点が浮かび上がり、苦しげな呻き声が充満している。
「……っ、これは……」
リヴィエラは一人の患者の脈を取り、その顔を覗き込んで愕然とした。
「この症状、ただの風邪や既存の疫病じゃない……」
視線を落とした先で、黒い斑点がまるで生きているかのように、じわりと広がる。
否、広がるだけではない。
脈打つように――いや、気のせいだろうか。
ほんのわずかに、蠢いたように見えた。
「……見たことも聞いたこともない……!」
焦燥感がリヴィエラの胸を焼き尽くしていく。
これだけの規模の未知の病。一刻の猶予もない。
床にも椅子にも、人が溢れている。
その中で――
「……おかあ、さん……」
か細い声に、リヴィエラは振り返った。
小さな子供が、母親にしがみつきながら震えている。
その腕にも黒い斑点がじわじわと広がっていた。
「お願いします!この子を、助けてください!お願いします!!!」
母親の血を吐くような悲鳴が、リヴィエラの胸をえぐる。
(……普通の方法じゃ、ダメだ。私の、あの『魔女の力』を使うしかないのかも……!でも…!)
リヴィエラが、いつもポケットに忍ばせている
種を握りしめる。
すっと、冷たくて細い、けれど確かな力強さを持った手が、リヴィエラの右手に重ねられた。
「……!」
ハッとして隣を見ると、ホロウがアンバー色の瞳で、静かにリヴィエラを見つめていた。
ホロウは何も言わず、ただ、ゆっくりと首を横に振る。
(だめだよ、リヴィ。ここで力を使ったら、あんたが『魔女』だってバレて、今度こそ戻れなくなる)
その無言のメッセージが、痛いほどに伝わってきた。
(そう、今ここで力を使えばきっと普通の生活には戻れない。でも、私なら救えるのに!この人達を見殺しにするの…?)
――迷いが、胸を締め付けた。
『リヴィ、あなたは魔女の末裔の前に一人の薬師なのよ』
弾かれたように母に言われた言葉を思い出す。
リヴィエラは深く息を吐き、握りしめていた種をそっと離す。
「……ありがとう、ホロウ。そうだね。まずは魔女の力に頼らず、今の自分が出来ることを精一杯やらなきゃ」
リヴィエラは唇を噛み締め、再び目の前の患者の治療へと向き直った。
「……セルジオ」
その名を呼んだ声は、あまりにも静かだった。
彼の瞳には、一片の動揺もない。
ルシウスは――薄く笑っていた。




