10. 可愛い弟子の仮面の下
その日の夕方。
静かな森の庵に、不釣り合いなほど遠慮のないノックが響いた。
ホロウがうんざりした顔でドアを開ける。
「……またでた、執着王子」
「おい、鳥。口の利き方には気をつけろ。師匠はどこだ」
そこに立っていたのは、案の定、美貌の第一王子――ルシウスだった。
ホロウはドアに寄りかかり、鼻で笑う。
「は、そっちこそ口の利き方に気をつけろよ? こっちは今日"も"リヴィと同じベッドで寝るんだからな」
「殺す……今すぐその不潔な羽を毟り取って、丸焼きにしてやる……!」
「殿下ぁぁぁ!!! ストップ! ストップです! 抜刀しないでください!!」
後ろからジークが必死になってルシウスの腕を掴み、文字通り羽交い締めにして止める。
ルシウスの碧い瞳からは、冗談抜きで本気の殺気が漏れ出していた。
その時、森の奥から声が響く。
「ルーシー! 何してんのよ、もう!!!」
カゴいっぱいに薬草を詰めたリヴィエラが、眉を吊り上げて戻ってきた。
その姿を見た瞬間――。
「師匠!」
さっきまで世界を滅ぼしそうだった冷徹な覇気はどこへやら、ルシウスの顔はパァッと明るくなり、とろけるような笑顔に早変わりした。
「何度来ようと、私は絶対に王城には行きませんからね!」
「師匠は相変わらず強情ですね……ですが」
くい、とルシウスがリヴィエラの服の袖を掴んだ、その時。
――グゥゥゥゥ……。
静かな夕暮れの森に、ルシウスの立派なお腹の虫の音が鳴り響いた。
ルシウスは、大きな碧い瞳を潤ませ、すがるような、これ以上ないほど庇護欲をそそる視線でリヴィエラを見つめる。
「……」
(う……っ。そんな捨てられた子犬みたいな顔して……。昔の可愛い面影がチラつくから、本気で追い返しにくいじゃない……!)
リヴィエラは深くため息をつき、こめかみを押さえた。
「はぁ……。ご飯、食べていく……? その、後ろのジークさんも」
「やった……! さすが師匠、大好きです!」
「すぐ抱きつくなー! 離れなさーい!!」
リヴィエラの胸に全力で飛びつくルシウスをジークが引き剥がしながら、申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。
「ほんとすみません……うちの王子が……」
「い、いえ、ジークさんも大変ね……。さあ、中へどうぞ」
リヴィエラは苦笑いを浮かべながら、二人を庵へと招き入れた。
* * *
「美味しい……!! 美味しすぎますリヴィエラ様……! 泣きそうです……!」
ジークが、温かいスープを口にして本気で涙を浮かべている。連日の徹夜と心労で擦り減った胃袋に、薬師であるリヴィエラの手料理は五臓六腑に染み渡るようだった。
「そうでしょう。師匠の手料理が食べられるなんて、有り難く思いなさい」
「なんですかその手は」
「金貨1枚」
「お金とるんですか!? しかも金貨!?」
「その価値はあるでしょう?」
ルシウスは悪びれもせず、手を差し出している。ジークは引き攣った笑顔で、懐から渋々財布を取り出そうとした。
「いらないですよ!まったく…ルーシー、ジークさんにいじわるしないの!」
リヴィエラにピシャリと叱られ、ルシウスはつまらなそうに唇を尖らせた。
「私は毎日食べてるけどな」
ホロウが、スープに浸したパンを齧りながら、けだるげにマウントをとる。
ルシウスの眉間がピクりと跳ねた。
「たかだか一年やそこらでしょう。僕は三年間、ずっとこれを食べて育ったんだ」
「誤差だろ」
「一年と三年の違いを誤差だなどと、これだから獣人は……。いいですか、一千日以上の重みをですね――」
「二人とも、ご飯の時くらい静かに食べなさい!」
リヴィエラの雷が落ち、二人は一瞬だけ大人しくなる。
だが、食事を終えてリヴィエラがお茶を淹れた頃、彼女は現実的な問題に切り込んだ。
「さて、ご飯も食べたことだし。また夜道に気をつけて城に戻りなさいね?」
「もうこんなに暗くなっているのに、僕たちを追い出すんですか……?」
ルシウスが、これでもかとばかりに悲しげな表情を作り、潤んだ碧い瞳でリヴィエラを見つめる。
「……ぐっ…言うと思った。でもね、ルーシーとジークが寝る場所なんて、この狭い庵のどこにもないわよ?」
「大丈夫です。用意はありますから」
ルシウスが、ニヤリと不敵に笑って指をパチンと鳴らした。
すると、どこからともなく、全身黒いフードを深く被った怪しい男たちが、音もなく窓やドアから侵入してきた。彼らの手には、最高級のふかふかな布団が抱えられている。
(……王属特務の『影』を、ただの布団の荷物運びに使うなんて……。この主君、本当にやりたい放題だ……)
ジークはこめかみを押さえながら深いため息をつく。
影たちがテキパキと布団を敷き終え、再び闇へと消えていく。
ルシウスは、敷かれた最高級の布団を指差して言った。
「これで解決です。ホロウとジークは、そこの布団で一緒に寝てください」
「なんでだよ! お前がこれに寝ろよ! お前が持ってきたんだろうが!!」
「僕は当然、師匠のベッドで一緒に寝ますが?」
「寝かせるか、このデカ物王子ーー!!!」
またしても庵が揺れるほどの大声で言い争いが始まり、再びリヴィエラの激しい雷が落ちるのだった。
なんとかルシウスを説得し、ジークとホロウを並べて寝かせ、ルシウスにはソファを使わせることで決着がついた。
その日の夜。皆が寝静まった後――。
「……ふぅ。なんだか、目が冴えて眠れなくなっちゃった」
ベッドの中でゴロゴロとしていたリヴィエラは、温かいものでも飲もうと静かに階段を降りた。
すると、月明かりだけが差し込む薄暗いリビングで、闇夜にぼんやりと光る、まだ見慣れない白銀の髪を見つけた。
「ルーシー……? 眠れないの?」
「師匠……」
ソファから上半身を起こしたルシウスに、リヴィエラは手早く淹れた温かいハーブティーのカップを差し出す。
だが、それを受け取る瞬間――。
ルシウスの、昔よりもずっと大きくなった掌が、リヴィエラの指先に触れた。
トクン、と心臓が跳ねる。思わず反射的に手を引いてしまい、カップが傾いてお茶がルシウスの膝へとこぼれてしまった。
「あ、ご、ごめん……!火傷しちゃう!」
リヴィエラは慌てて布を取り、ソファに膝をついて、ルシウスの逞しくなった脚を拭う。
(な、なんで……なんでこんなに、自分の鼓動がうるさいの……!?)
至近距離にある彼の体温と、男らしい体格に、嫌でも意識が引っ張られてしまう。
「師匠」
真上から、低く心地のいい声が降ってきた。
リヴィエラがハッとして顔を上げると、すぐ目の前にルシウスの端正な顔があった。
(だ、だめだめだめ! この子はルーシー! 私の可愛い弟子なのよ……!)
自分に言い聞かせるようにぎゅっと目を瞑った瞬間、
ふわりと――熱い吐息が触れた。
そのままルシウスはリヴィエラの耳元に唇を寄せ、チュ…、とわざとらしく甘い音を立てた。
「……っ!!!」
弾かれたように飛び起き、真っ赤になった頬を両手で押さえるリヴィエラ。そんな彼女を見て、ルシウスはイタズラが成功した子供のように、ふっと妖艶に微笑んだ。
「あれ、口づけだと期待してました?」
「~~~~~~っ!!!!」
恥ずかしさのあまり声も出ないリヴィエラを見て、ルシウスは満足げに目を細める。
「ふふ、少しは僕のことを、男として意識してくれているみたいですね」
(あ……この顔、知ってる……)
からかうような口調とは裏腹に、その表情は、かつてルーシーだった頃、本当に嬉しい時に見せてくれた「はにかんだような笑顔」そのものだった。
リヴィエラは胸の奥がキュッと締め付けられるのを感じながら、俯いて呟いた。
「……ルーシーは、なんで私なんかと、一緒にいたいなんて言うの……?」
「私なんか……?」
一瞬にして、室内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥る。
「たとえ師匠でも、自分を貶めるような言葉は許しませんよ」
「だ、だって……! 私はただのしがない薬師よ? あなたには王宮での生活や、もっと相応しい相手が……」
「僕は、あなたに初めて会った時から――」
「それは恋や愛じゃないわ! 死にかけていた自分を救ってくれたから、恩を返したいと思い込んでるだけよ!」
言い募るリヴィエラの言葉を、ルシウスの低い声がピシャリと撥ね退けた。
「僕の気持ちを、あなたが勝手に決めつけないでください」
ドン、と背中にソファの背もたれの感触。
逃げようとした腕は、あっさりと絡め取られる。
ルシウスに両手首を掴まれ、ソファに押し倒される形になっていた。
見下ろしてくる碧い瞳には、燃えるような情熱と、今にも零れ落ちそうなほど切ない光が宿っている。
「僕は、あなたがいるから生きていける。あなたがいなければ、とっくに壊れていた。この一年、僕がどんな思いであなたを探したと……!」
泣きそうな、今にも崩れ落ちてしまいそうな声だった。この顔も…知ってる。
その時、トントン、と窓を叩く微かな音が響いた。ガラス一枚を隔てた夜の静寂が、一瞬で緊迫感に塗り替えられ、ルシウスの表情が冷徹な王子のものへと戻る。
闇の中から、黒いフードを被った『影』の一人が姿を現した。
「ルシウス様。王妃側で、不穏な動きがあったようです」
「……わかった。すぐに行く」
ルシウスはリヴィエラからゆっくりと離れ、深く息を吐いた。
リヴィエラは上半身を起こし、困惑しながら尋ねる。
「え、なに……? どうしたの?」
「こっちの話です。とりあえず、今日はゆっくり寝てください。これからの事は、明日の朝、ちゃんとお話ししますから」
「え、えぇ……」
ルシウスはそのまま、影と共に静かに夜の闇へと消えていった。
リヴィエラはベッドに戻っても、彼のあの顔が頭から離れず、結局朝まで一睡もできないのだった。




