13. 黄金の鳥籠と甘い罠
柔らかな陽光と、嗅ぎ慣れない高価な香油の匂いに、リヴィエラはゆっくりと瞼を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた庵の木の天井ではなく、緻密な刺繍が施された巨大な天蓋と、水晶のシャンデリアだった。
「……っ、ここは……」
上体を起こそうとして、自分の体が驚くほど軽いことに気づく。
「お目覚めになられましたか、リヴィエラ様」
涼やかな声に顔を向けると、そこには一分の隙もなく着こなした制服に身を包む、一人のメイドが控えていた。彼女は優雅に膝を折り、深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。私はマリアと申します。ルシウス殿下より、リヴィエラ様のお世話を仰せつかりました。以後、よろしくお願いいたします」
「マリア……さん。……聞かなくても察しはつくけれど、ここは王宮なのよね?」
リヴィエラはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
(まさか、ルーシーがあんな強硬手段に出るなんて……。庵ごと転移させるなんて、一体どれだけの魔力を使ったのよ)
あどけなかった弟子の成長が、今はただ恐ろしかった。 同時に、彼をそこまで駆り立てた執念の深さに、背筋が寒くなる。
「ハッ! ホロウは!? 一緒に連れてこられたはずだけど、無事なの!?」
「ご安心ください。ホロウ様なら、隣のお部屋にいらっしゃいますわ」
マリアは淡々と答えたが、その後に続いた言葉にリヴィエラは息を呑んだ。
「ですが……殿下の許可が出るまでは、お会いすることはできないと申し付かっております」
「会えない!? ……そんな、あの子、一匹じゃ寂しがって暴れるわよ!」
「……それが、お隣からは先ほどから凄まじい破壊音と怒鳴り声が聞こえておりますが、頑丈な結界が張られておりますので、こちらに実害はございません。どうぞご安心を」
「全然安心できないわよ……!」
ホロウが隣で暴れている光景が容易に想像でき、リヴィエラは頭を抱えた。
「……で、その肝心のルーシ……ゴホン、ルシウス殿下は、今どこで何をしていらっしゃるのかしら」
「殿下は現在、緊急の政務に当たられております。リヴィエラ様には、しばらくこのお部屋でお寛ぎいただきたいとのことです。……それから、こちらを」
マリアが合図を送ると、数人のメイドが大きなワゴンを押し入れてきた。
そこに乗っていたのは、最高級のシルクで仕立てられたドレスの数々、目が眩むような宝石箱、そして見たこともないほど大粒の果実や菓子。
「殿下からの贈り物でございます。『足りないものがあれば、何なりと申し付けるように』とのことです」
「……」
部屋の一角を埋め尽くさんばかりの山のような至宝を前に、リヴィエラは引き攣った笑いを浮かべ、完全にドン引きしていた。
昨日の今日で、これだけのものを用意していたというのか。
「……はぁ。これ、本気で私が欲しがるとでも思ったのかしら」
リヴィエラは、窓の外に広がる高すぎる王宮の壁と、美しく整えられすぎた庭園を眺めた。
自由な森も、愛用の薬草園も、ここにはない。
「……まるで鳥籠ね」
黄金色に輝く豪奢な部屋の中で、リヴィエラはぽつりと呟いた。
――王宮に連れてこられてから、数日が経った。
(……暇すぎる!)
豪華な食事、ふかふかのベッド、望めば何でも出てくる贅沢な暮らし。けれど、そこには薬草を育てる土も、調合器具もない。
(強引に連れてきておいて、一度も様子を見に来ないなんてどういうつもりよ! 顔すら見せないなんて……!)
さらにリヴィエラを不安にさせるのは、壁一枚隔てた隣の部屋の静寂だった。初日こそ凄まじい音が響いていたホロウの部屋が、ここ数日は不気味なほど大人しくなっている。
(ホロウ……すっかり静かになっちゃって。あの子、無理やり従わされて弱ってなきゃいいけど……心配だわ)
窓の外を見つめながら悶々としていたその時、控えめなノックの音が響いた。
「リヴィエラ様。ルシウス殿下の執務室まで、お連れいたします」
現れたマリアの言葉に、リヴィエラは椅子から飛び上がった。だが、溜まっていた不満が先に口をつく。
「なによ。呼びつけるなんて失礼じゃない! 私はあっちの都合で連れてこられた客なのよ? 『用があるなら自分から来なさい』って、そうお伝えして!」
「えっ……」
マリアが、見たこともないほど目を見開いて硬直した。
「リヴィエラ様……帝国の王太子に対してそんなことが言えるのは、世界中で貴女様ぐらいですよ。もしお連れできなければ、私の立場が……いえ、命が……」
「ぐっ……。わ、分かったわよ。行けばいいんでしょう! まったく、あの子ったら……!」
マリアの必死な訴えに毒気を抜かれ、リヴィエラは渋々立ち上がった。
重厚な彫刻が施された扉の前で、マリアが声を落とす。
「殿下、リヴィエラ様をお連れいたしました」
「リヴィ以外は下がってくれ」
中から響いたのは、以前よりも低く、威厳に満ちた声だった。マリアが音もなく去り、廊下にはリヴィエラ一人が残される。
(ふ、二人きり……?)
緊張で喉が鳴る。意を決して扉を開けると、そこには書類の山を片付け、こちらを見てくすりと余裕の笑みを浮かべるルシウスがいた。
「どうしたんですか師匠、そんなに遠くに立って。こちらへどうぞ」
「……ここでいいわ。用件があるなら手短に話して。あとここから出して」
「強情ですねぇ。まだ怒っているんですか?」
ルシウスは椅子から立ち上がると、しなやかな足取りでリヴィエラのいる扉の前まで歩み寄ってきた。見上げるほどの長身。その圧迫感に、リヴィエラは思わず背後の扉に身を寄せる。
「逆に、この状況でなんで怒ってないと思うのよ! 拉致同然に連れてきて、ホロウとも会わせないなんて……!」
「守るために決まっているでしょう」
ドンッ、と耳元で扉が鳴る。逃げ場を完全に塞がれ、ルシウスの放つ濃密な魔力が肌を焼くように伝わってきた。
「私は、守られなくても――」
言い切る前に、唇が奪われた。
「っ……!?」
息が、止まる。
深く、強引に。逃げ場なんて最初からなかったみたいに。彼の舌が熱く入り込んでくる。
(なに、これ……)
押し返そうとしても、びくともしない。
むしろ触れた瞬間、身体の奥が勝手に熱を持つ。
「……こんなに無防備で?」
ようやく離れた唇。
でも次の瞬間、手を絡めるように簡単に押さえ込まれる。
「こんなに簡単に捕まるのに?」
耳元で囁かれ、ぞくりと背筋が震えた。
ルシウスの空いた手が、リヴィエラの頬から首筋へと、熱を帯びたまま這っていく。
「……っ」
さらにルシウスは、自由な方の手でリヴィエラの細い手を包み込むと、それを自分の首筋から、厚い胸板にかけてゆっくりと這わせるように触れさせていく。
手のひらから伝わる、彼の力強い鼓動と筋肉の熱。それと同期するように、リヴィエラ自身の心臓も、壊れた時計のように速まっていく。
「いい加減、俺が『男』だと理解したか?」
耳元で、蕩けるように甘く囁かれる。かつての幼かった面影はどこにもない。そこには、獲物を追い詰めた一人の『雄』が立っていた。
それだけで腰が砕けそうになり、リヴィエラは必死に扉に背を預けて自分を支えた。
「ちなみに、あの鳥はもうこちらで手懐けてありますからご心配なく」
その碧い瞳は、かつての純粋な弟子のものではない。
「くっ………」
リヴィエラは必死に厚い胸板を押し返したが、彼はびくともしない。
「……殿っ下……」
「ルーシーでいいのに、師匠」
掴まれていた手をパッと離され、髪にキスを落とされる。
「もう、あなたは私の知ってる『ルーシー』じゃない。だからもう呼ばないわ」
「そう」
「でも」
「……わたしは、私は、絶対にあなたの妃になんてならないから。何があっても、絶対に屈しない」
リヴィエラの凛とした拒絶に、ルシウスは一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがて底知れない狂気を含んだ愛しげな表情でリヴィエラを見つめ、愉快そうに肩を揺らした。
「はは! いいでしょう、勝負しましょう師匠」
ルシウスは拘束を解き、至近距離で彼女の瞳を覗き込む。
「これから一年。あなたが僕に惚れたら、あなたの負け。俺の妃になってもらいます。もし惚れさせることができなければ、あなたの勝ち。……自由にしてさしあげましょう」
「……望むところよ」
リヴィエラは乱れた息を整え、真っ直ぐに彼を見据え返した。
帝国の王宮という巨大な檻の中で、師匠と弟子の、奇妙で危険な「賭け」が幕を開けた。




