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一章 一

 

 どこかで夏の終わりを告げる蝉が鳴いている。

 空には筋のように細い雲が浮かび、浜辺に打ち寄せる波のような模様を描く。

 肌に触れる空気には蒸し暑さが残っているものの、秋の訪れを感じる。

 そんな穏やかな午後。


「私は、稲花(とうか)女学院には参りません」


 清々しい空気をかき消すように、結城ゆうきの屋敷の一室に声が響いた。

 声の主である結城百夜(ゆうきももよ)は、強い意志を持つ瞳で目の前の人物をにらみつけている。

 彼女が先代当主の忘れ形見であり、ただ一人の結城屋の正統なる後継者であった。


 屋敷の奥に位置する八畳間。

 その上座に座る、現当主であり百夜の祖父でもある正隆(まさたか)は、ぴくりと眉を動かした。


 結城屋は、古くから続く織物商家だ。


 四季に恵まれた島国、瑞穂大国(みずほのおおくに)

 ここ、常盤国(ときわのくに)は、東の中心地である高砂国(たかさごのくに)の北東に位置する。

 古くから綿栽培が盛んな土地で、もともと綿糸業を営んてでいた結城家は、次第に綿織物の買い付けや販売に手を広げ、今では呉服店の経営も行っている。


 正隆は、多民族特有の図柄の織物や北の国々で広く扱われている毛織物を輸入し、生地そのものや瑞穂国民向けに仕立てた衣服や小物を販売し、事業を拡大した。


 十年前、当主の座を息子に譲っていたが、五年前に息子が事故で亡くなると、再び当主の座に就いた。

 六十四と高齢ながらも、若い頃より築きあげた人脈と商売の腕で切り盛りしている。


「百夜様」


 少女の後ろから窘める厳しい声がかかる。

 百夜は障子戸の外で控えている初老の女性を振り返った。

 

 初老の女性、上尾世津(かみおせつ)は、百夜が生まれた頃から世話係と教育係を務めている。

 彼女は正隆が当主になった頃から結城本家で働いており、周囲からの信頼も厚く、百夜の教育だけでなく主人不在の間の屋敷の管理も一任されていた。


 生まれたころには祖母は他界しており、商売柄から両親が家にいないことが多かった百夜にとっては親のような存在であり、「ばあや」と呼んで慕っていた。


 日頃から厳しいばあやであるが、その表情は一段と険しさを増している。

 そんな世津を不満げに一瞥すると、百夜は言葉を重ねる。


「百夜は女学院に行かずとも、立派な大人になってみせます」


 女学院は、十四歳から十八歳までの貴族の子女が通う学校である。

 話題に挙がっている稲花(とうか)女学院を含め、基本的に全寮制となっており、年に二回の長期休暇と、教員の許しを得た時にしか敷地の外に出ることが出来ない。


 少女たちは学院生活を通じ、同級生はもとより上級生や下級生と競うことによって己を磨く。同時に、礼儀作法を学んだり、交流を通じて人脈を作る。

 卒業後は女学院で得た知識や人脈を生かし、宮中や貴族の邸宅で世話係や教育係として働き、いずれは権力や財力のある家に嫁ぐ者が多かった。


 昔は貴族のみが入学できる女学院であったが、近年では結城のような名のある商家の娘も多く入学していた。

 女学院で学んだということは一流の教育を受けたということを示す。いわば"お墨付き"がもらえるのだ。

 箔をつけ、より力をもつ家に娘を売り込むため、商家や武家、名主の娘が女学院に入学することもあった。


「お前は結城の名を継ぐ人間だ。結城の名を、先祖が代々築き上げてきたものを、お前が守らねばならん。そのために、結城の人間として、周りの人間と渡りあえる知識や教養を身につけねばならんのだぞ」

「でも! 百夜はきちんと勉強もお稽古もしております。それに、お母さまもお婆さまも女学院に行かなかったではないですか。私だって大丈夫です」

「お前の場合は事情が――」

「正隆様、次のご予定が…」


 いつの間にか廊下に控えていた侍従の声が、二人の会話を遮る。


「わかった」


 正隆は侍従に声をかけると、百夜に向き直り、


「とにかく…これは決定事項だ。冬が来る前に一度挨拶に伺うから、そのつもりでいなさい」


 そう言い残して席を立った。


「お祖父様!」


 百夜は去りゆく背に声をかけたが、正隆は振り返らず、侍従の男と何かを話しながら廊下を進んでいく。

 百夜は泣きそうに顔を歪めるも、弱気を振り払うように顔を横に大きく振り、立ち上がった。

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