故障中の公衆トイレで――清掃員のおじさんに後始末をしてもらいました
公園の女子トイレにいました。
小さくて、古いトイレです。
奥の個室に入ってから、もうしばらく経っていました。
壁の向こうからは、男性用トイレを掃除する音が聞こえています。
金属のワゴンが動く音。
ブラシが床に当たる音。
あの人がこちらへ移ってくるまで、あと十分ほどです。
この時間に清掃員さんが来ることも、最初に男性用トイレを掃除して、そのあと女性用へ移ることも、前もって調べてありました。
二つある個室のうち、奥の扉には「故障中」と書かれた紙が貼られていました。
私は迷わず、そちらへ入りました。
鍵を掛けます。
スカートを上げて、下着を膝まで下ろします。
便座に腰を下ろしました。
迷いはありませんでした。
身体の力を抜き、一気に用を足します。
そのまま便座に座っています。
便器の中に目を落とすと、私の身体から出たものが、水面に浮いていました。
紙がないことも、前もって調べてありました。
壁の向こうの掃除の音が止まるのを、じっと待ちました。
しばらくすると、音が止まりました。
ワゴンの車輪が、こちらへ近づいてきます。
そして、女性用トイレの入口で声がしました。
「清掃に入ります。どなたかいらっしゃいますか」
私は、すぐには返事をしませんでした。
少し間があって、入口の方でワゴンが動く音がしました。
清掃員さんは、誰もいないと思ったようでした。
床を確かめるような足音が、少しずつ奥へ近づいてきます。
故障中の個室の前で、足音が止まりました。
そのとき、ようやく声を出しました。
「……すみません。います」
扉の向こうで、少し間がありました。
「そこ、使用禁止ですよ」
私は便座に座ったまま答えます。
「我慢ができなくて、すみません。……それと、紙がなくて」
清掃員さんは、しばらく黙っていました。
「紙ですか?」
「……はい。すみません」
「ちょっと待ってください」
足音が離れていきます。
私は便座に座ったまま、扉を見つめていました。
やがて、また足音が戻ってきます。
「持ってきましたよ」
私は鍵を外しました。
そして、扉を少し開けます。
紙を受け取るだけなら、ほんの少しの隙間で足りたと思います。
でも私は、もう少しだけ大きく開けました。
「……ありがとうございます」
低い姿勢のまま、片手を扉の外へ伸ばしました。
清掃員さんの手から、ロールを受け取りました。
指先が触れそうなくらいの距離でした。
扉は、紙を受け取るだけなら必要のないところまで開いています。
清掃員さんの視線が、一瞬だけ、私の膝のあたりへ落ちました。
でも、何も言いません。
私も、扉を閉めようとはしませんでした。
「本当にすみません……」
もう一度そう言ってから、ようやくロールを手元へ引き寄せました。
清掃員さんは少し困ったような顔をして、
「終わったら、声をかけてください」
と言いました。
「……はい」
扉を閉めた瞬間、顔が一気に熱くなりました。
(ひーん……)
(今、絶対見られた)
(会社ではちゃんとしている、26歳の女の子が)
(下着を下ろして便座に座って)
(しかも、便器の中には、私が身体の中からたった今出したものが残ったままなのに……)
少しして、私は紙を使い終えました。
念のため、洗浄レバーを動かしてみます。
でも、水は流れません。
分かっていたことなのに、その瞬間だけ、本当に困ってしまったような気持ちになりました。
下着を戻して、スカートを整えます。
それから、扉を少し開けました。
「すみません……」
清掃員さんがこちらを見ます。
「どうしました?」
私は一度、個室の中へ目を戻しました。
言いたくありませんでした。
さっきまで自分が座っていた便器の中を、この人に見られることになる。
そう考えるだけで、顔が熱くなります。
「……流れないんです」
声が、自分でも分かるくらい小さくなりました。
「え?」
「水が……流れなくて」
清掃員さんは、故障中の貼り紙を見てから、少し困ったように息を吐きました。
「だから使用禁止なんですよ」
「……すみません」
私は一度、便器の中へ目を向けました。
「その……中、まだ……」
言い切れませんでした。
清掃員さんは、特に気にした様子もありません。
「大丈夫です。こういうのは仕事ですから」
そう言って、すぐに個室の中へ入っていきました。
私は脇へよけました。
自分だけが、ひどく恥ずかしがっているみたいでした。
清掃員さんは、便器の前にしゃがみ込みました。
私は少し離れたところに立ったまま、その背中を見ています。
さっきまで私が座っていた場所です。
その中を、今、おじさんが覗き込んでいます。
(ひーん……)
顔が熱くなりました。
会社では、ちゃんとしているつもりです。
普通に働いて、普通に話して、
誰にもこんなところは見せません。
なのに今は、
知らないおじさんが、私のすぐ近くで、
私がたった今残したものを見ています。
おじさんは、何も気にしていないようでした。
ただ、故障した便器を確認しているだけです。
そのことが、余計に恥ずかしくなりました。
「それ……私が片づけます」
気づいたら、そう言っていました。
おじさんが振り返ります。
「触らないでください。衛生上、お客さんにはさせられません」
「でも……私がしたことなので」
「大丈夫です。こっちでやりますから」
そう言って、おじさんはまた便器へ向き直りました。
私は、それ以上何も言えませんでした。
便器の処理と詰まりの確認は、思っていたより早く終わりました。
男性は使った道具をワゴンへ戻していきます。
私が残したものは、もう見えません。
でも、この人がそれを片づけたことは消えませんでした。
「何か、ほかにお手伝いできませんか」
「じゃあ、私は洗面台をやるから、床の目地をお願いできますか」
「はい」
たわしを受け取り、床にしゃがみます。
汚れたタイルに膝はつけたくありませんでした。
両足を開いて腰を落とし、両手でたわしを床へ押しつけます。
腕を前へ伸ばすたびに腰が高くなり、短いスカートが太ももの上までずり上がりました。
白い下着の後ろ側には、身体を隠すほどの布がありません。
細い紐がお尻の割れ目に沿っているだけで、お尻の穴も隠しきれていませんでした。
深く腰を折ったせいで、前はあそこへきつく食い込んでいます。
(会社では真面目に働いている)
(26歳の、普通の女の子なのに)
そんな私が公衆トイレの床にしゃがみ、知らない男性へ、こんな姿を向けています。
それでも姿勢は直しませんでした。
見られているか確かめる鏡はありません。
振り返ることもできません。
洗面台を拭く音が止まりました。
「若いのに、えらいね」
耳のすぐ後ろから声がしました。
「ひゃっ」
肩が跳ねて、たわしを動かす手が止まります。
思わず振り返ると、おじさんは私の仕事ぶりを確かめるように、すぐ後ろへしゃがんでいました。
(近い……)
私のお尻とおじさんの顔。その距離は、三十センチもありません。
お尻の穴を取り囲む細かな皺まで、ひとつずつ見分けられてしまいそうな近さでした。
(近すぎる)
(こんなの、見られているというより)
(観察されてる)
そこまで近くに来るとは思っていませんでした。
腰を引けば、すぐに逃げられます。
でも、動けませんでした。
(見えてるよね)
(おじさん)
胸の奥が熱くなりました。
ついさっき、おじさんは私が便器に残したものを片づけています。
そのお詫びに、今度は私が見せてあげる番でした。
(ごめんね、おじさん)
(ちゃんと見ていいよ)
驚いて止まっていた手を、ゆっくり動かし始めます。
逃げる代わりに、たわしをさらに遠くへ押し出しました。
腰が、もう一段高くなります。
(26歳の女の子の、あそこも)
(隠しきれていない、お尻の穴も)
(さっき片づけてもらったものは)
(ここから出したんだよ)
おじさんには、真面目に掃除を手伝っている女の子にしか見えていないはずでした。
私はその顔のすぐ前へお尻を残したまま、一生懸命なふりをして目地を擦り続けました。
「もう、そのくらいで大丈夫ですよ」
今度は、聞こえなかったふりができませんでした。
「はい」
私はようやくたわしを止めました。
ゆっくり腰を上げると、めくれ上がっていたスカートが太ももを滑り落ちます。
何事もなかったように裾を整えました。
「きれいになりましたね。助かりました」
おじさんは、私が擦った目地を見ながら言いました。
「いえ……こちらこそ、すみませんでした」
深く頭を下げます。
おじさんに見えていたのは、迷惑をかけたことを反省して、一生懸命に掃除を手伝った若い女の子だけです。
その女の子が、どんな気持ちでお尻を向けていたのか。
それを知っているのは、私だけでした。
公園を離れてからも、顔の火照りは消えません。
(ちゃんと見てくれたかな)
(おじさん)
一度だけ振り返りました。
でも、おじさんはもう、こちらを見ていませんでした。
PS
おじさんには、本当に迷惑をかけてしまいました。
それでも、
「若いのに、えらいね」
あの言葉と、おじさんの顔まで三十センチもなかったことを思い出すと、今でも少しだけ身体が熱くなります。




