第1話(中編)「俺の前で兵を動かせ」
386年7月中旬。
陸文昭が持ってきた木簡には、3人の男について書かれていた。
1人目は前秦の軍で300人ほどを率いたことがある男だった。戦に敗れて軍を離れたが、今も昔の部下が数十人ついている。
2人目は騎兵を扱える男である。山中に数十騎を抱え、今では賊に近い暮らしをしているという。
3人目は城の守備を任されていた男だった。主人の家が滅びたため仕える相手を失い、今は親類を頼って漢中近くにいる。
「3人とも呼べ」
田朔は木簡を置いた。
「全員ですか?」
「会わなきゃ分からんだろ」
「2人目はほとんど賊ですよ」
「俺のところへ来てから賊をやめればいい」
陸文昭は笑った。
「本当に気にしませんね」
「強いかどうかと、兵を率いられるかどうかだけ見ろ。昔何をしていたかは、その後でいい」
段烈が木簡を手に取った。
「兵を率いたことがあるというだけなら、いくらでも嘘をつけます」
「だから実際に兵を預ける」
「いきなりですか」
「100人くらいならいいだろ。南鄭の外で動かしてみれば分かる」
段烈は少し考えてから頷いた。
「それなら俺も見ます」
「頼む」
「田様も来るのでしょう?」
「当然だ」
田朔は自分の目で見て決めるつもりだった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、屋敷へ戻った田朔を待っていたのは、将候補ではなく料理だった。
鶏肉と山芋を煮たものが卓へ置かれ、その隣には卵と野菜を使った汁物が並んでいる。
「何だ、今日は随分多いな」
「月華が作らせたのよ」
玉蓮が答えた。
月華は嬉しそうに田朔の隣へ座った。
「田様は昼も夜もお忙しいでしょう。身体を丈夫にするものを食べていただこうと思って」
「昼は分かる。夜もって何だ」
「分かっているでしょう?」
月華が笑った。
向かい側で青蘭まで笑っている。
「最近、みんな考えることが同じなのよ」
「何を考えてるんだ」
「田様を元気にすること」
小玉が答えた。
「私は肉がいいと思う」
「肉ばかりでは駄目よ」
蘭英が口を挟んだ。
「野菜も食べないと身体が持たないわ」
阿若は卓の料理を見て首を傾げた。
「馬に乗る男なら、もっと身体を動かした方がいい。食べるだけでは鈍るぞ」
「俺は毎日動いてる」
「最近は郡府に座っている時間が長いだろう」
「お前まで何を言い出すんだ」
田朔が呆れていると、玉容が笑った。
「諦めなさい。あなたが側室を10人も正式に迎えたからこうなったのよ」
「俺のせいか?」
「当然でしょう」
玉容の身体は少しずつ回復していた。
まだ田朔と夜をともにするところまでは戻っていないが、食事には毎日出るようになり、奥のことも再び自分で見るようになっている。
玉容が嫡男を産んだことで、側室たちの間に妙な遠慮がなくなった。
嫡男はすでにいる。
ならば自分も田朔の子を産みたいと、女たちは隠さなくなっていた。
「今夜は誰なの?」
玉容が尋ねた。
「俺に聞くな」
「あなた以外の誰に聞くのよ」
玉蓮が笑った。
「昨日は青蘭だったでしょう」
「何で知ってる」
「同じ屋敷に住んでいるのよ。分かるわ」
田朔は女たちを見回した。
「順番を決めるか?」
「それは嫌」
麗華がすぐに答えた。
「どうしてだ」
「順番になったから来るのと、田様が私のところへ来たいと思って来るのは違うでしょう」
「面倒だな」
「女が10人もいれば面倒に決まっています」
蘇瑶が笑った。
結局、その夜は月華の部屋へ行くことになった。
食事を終えると、月華は湯殿までついてきた。
「背中を流します」
「そこまでしなくていいぞ」
「私がしたいんです」
湯気の中で月華に肩を揉まれると、思っていた以上に気持ちがよかった。
「上手いな」
「本当ですか?」
「ああ」
「母上に教わりました」
「蘭英に?」
「田様は肩が張っているから、揉んであげたら喜ぶだろうって」
「親子で何を相談してるんだ」
月華は楽しそうに笑った。
湯から上がった後も、月華は田朔の肩や腕を揉んだ。田朔が十分だと言っても、もう少しだけと言ってやめようとしない。
その夜、田朔は月華の部屋で過ごした。
翌朝、廊下へ出ると蘭英が待っていた。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「お前、月華に何を教えた」
「身体を揉むやり方です」
「随分上手かったぞ」
「それならよかったです」
蘭英は満足そうに笑った。
「今度は私が鍼をして差し上げます。肩と腰が楽になりますよ」
「鍼までやるのか」
「嫌ですか?」
「痛くないならな」
そこへ阿若が通りかかった。
「鍼より身体を動かした方がいい。明日の朝、私と馬に乗れ」
「朝からか?」
「身体が鈍っている」
「俺はいつからお前たちに身体を管理されるようになったんだ」
阿若は平然と答えた。
「私たち全員の夫になった時からだ」
田朔は言い返せなかった。
◇ ◇ ◇
数日後、最初の3人が南鄭へ到着した。
田朔は郡府で段烈、趙嶽、賀蘭真とともに男たちを迎えた。
最初に入ってきたのは40歳前後の男だった。日に焼けた顔には古い傷があり、右の眉から頬へ細い傷跡が伸びている。
「馮岳と申します」
男は田朔の前で頭を下げた。
「前秦では300人を率いていたそうだな」
「はい」
「負けたのか」
「負けました」
「どうして負けた?」
「敵が退いたのを崩れたと思い、追撃しました。偽りの退却でした。左右から挟まれ、80人余りを失いました」
「お前の判断か」
「はい」
馮岳は言い訳をしなかった。
段烈が尋ねた。
「それなのに、昔の部下がまだ数十人ついているそうだな」
「負傷した者を置いて逃げなかったからだと思います」
「そのせいで逃げるのが遅れただろう」
「遅れました」
「また同じことをするか?」
馮岳は少し考えた。
「負傷者を捨てれば残りを救えるなら捨てます。しかし、捨てても勝てず、逃げ切れる人数が少し増えるだけなら連れて帰ります」
田朔は段烈を見た。
「どうだ」
「話だけなら悪くありません」
「なら兵を動かさせよう」
田朔は馮岳へ向き直った。
「100人預ける。俺の前で動かしてみろ」
「私にですか」
「そのために呼んだんだ」
次に入ってきた男は、30歳を少し過ぎたくらいだった。
「姚虎だ」
男は田朔を見た。
「お前が田朔か。思ったより若いな」
段烈の眉が動いたが、田朔は笑った。
「お前より若いが、お前より兵を持ってるぞ」
姚虎は一瞬黙り、それから大声で笑った。
「違いない」
「俺に仕える気はあるのか」
「条件による。俺は歩兵に混じって槍を持つ気はない。馬と兵をくれるなら働く」
賀蘭真が姚虎を見た。
「馬に乗れるだけなら、いくらでもいる」
「試すか?」
「お前1人が強いかどうかはどうでもいい。騎兵をまとめられるかを見る」
田朔は2人を見比べた。
「賀蘭真、お前が見ろ。使えるなら100騎預ける」
「分かった」
姚虎は嬉しそうに笑った。
「本当に100騎くれるのか」
「貸すんだ。勝手に自分のものにするな」
「同じようなものだろ」
「裏切ったら取り返すぞ。首ごとな」
「分かりやすい主人だな」
「その方がいいだろ」
3人目の鄭達は、前の2人より地味な男だった。
以前の主人が滅びるまで城を守っていたという。
「何人で守った?」
「400人ほどです」
「何日だ」
「20日余りです」
「一番困ったのは?」
「水です」
田朔は少し意外に思った。
「兵糧じゃないのか」
「兵糧は残りを数えられます。水は井戸が減り始めると、どこまで持つか簡単には分かりません。城内に住民もいれば、なおさらです」
段烈がいくつか守城について尋ねた。
夜襲を受けた時の兵の休ませ方、城門の管理、内応への備え、兵糧の配給まで聞いた後、段烈は田朔へ顔を向けた。
「城を任せる方がよさそうです」
「俺もそう思う」
田朔は鄭達へ尋ねた。
「野戦は得意か?」
「得意ではありません」
「できないのか」
「兵を率いて外へ出たことはあります。しかし、私より上手い者がいるなら、その者に任せるべきでしょう」
「正直だな」
「できないことをできると言って兵を死なせれば、最後には私も死にます」
田朔は笑った。
「気に入った。お前にも100人預ける。3人まとめて試すぞ」
◇ ◇ ◇
翌朝、南鄭郊外へ300人が集められた。
馮岳、姚虎、鄭達へ100人ずつ預け、初めて扱う兵をどのようにまとめるかを見る。
「勝った奴を取るんですか?」
趙嶽が尋ねた。
「それだけじゃない」
田朔は答えた。
「勝っても兵を半分死なせるような奴はいらん。負けても兵を無駄にせず戻せるなら使い道はある。俺が欲しいのは、自分が強い奴じゃなくて、兵を預けられる奴だ」
演習が始まった。
馮岳は最初に10人ずつのまとめ役を決め、命令を伝える順番を確認してから動き始めた。出足は遅いが、一度動き始めると崩れにくい。
姚虎は兵を大きく左右へ広げ、相手の横へ回ろうとした。動きは速いが、騎兵と同じ感覚で歩兵まで動かそうとして後ろが遅れる。
鄭達は丘を取ると、そこからほとんど動かなかった。攻めて勝とうとはせず、兵をまとめて相手が来るのを待っている。
「見事に違うな」
田朔が言った。
「だから将は何人も必要なのです」
陸文昭が答えた。
半日かけて相手と兵を入れ替え、何度も動かした。
終わった後、田朔は3人を呼んだ。
「馮岳には300人預ける」
馮岳が顔を上げた。
「300人ですか」
「昔と同じだ。今度は負けるな」
「必ず働きます」
「姚虎は賀蘭真の下で100騎だ。歩兵はまだやらん」
「俺も馬の方がいい」
「賀蘭真の命令は聞けよ」
「分かってる」
「鄭達は南鄭の守りだ。段烈と城門、井戸、倉、夜番を全部見ろ。終わったら褒中も見てもらう」
「承知しました」
3人が去ると、陸文昭が尋ねた。
「全員使うのですか」
「使えるところが違うだけだ。何でもできる奴だけ探してたら、いつまで経っても集まらん」
田朔は城外から戻ってくる兵を見た。
「だが、演習だけじゃ本当に使えるか分からんな」
その言葉から数日も経たないうちに、実戦で試す機会がやってきた。




