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長安の悪党、乱世を喰らう  作者: ひまえび
第四章――「乱世を喰らう」

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第1話(前編)――「天下の将を集めろ」

 386年7月上旬。


 田朔(ティエン・シュオ)が漢中をほぼ手中に収めてから、1か月余りが過ぎていた。


 南鄭には田家の兵が駐屯し、褒中にも守備兵が置かれている。漢中各地から税や戸籍の報告が郡府へ集まり、田家が抱える常備兵は約2,000人に達していた。


 だが、田朔が朝から見ていたのは銭の帳面ではなかった。


 郡府の広間に漢中と周辺の地図を広げ、陸文昭(ルー・ウェンジャオ)、段烈(ドワン・リエ)、趙嶽(ジャオ・ユエ)、賀蘭真(ホーラン・ジェン)を集めていた。


「漢中の中はどうだ」


 田朔が尋ねると、段烈が答えた。


「大きな反乱はありません。南鄭と褒中を押さえていますから、今の2,000人で漢中を守るだけなら十分です」


「守るだけなら、だろ」


「はい」


 田朔は地図へ目を落とした。


 漢中を取るところまでは自分で兵を率いてきた。敵がいれば自分で出向き、段烈や趙嶽とともに戦えばよかった。


 だが、この先も同じやり方では進めない。


「5,000人に増やしたらどうする」


 田朔が尋ねた。


 段烈は少し考えた。


「俺1人では無理です」


「1万なら?」


「もっと無理です」


 田朔は笑った。


「はっきり言うな」


「兵は集められます。しかし1万の兵を1か所に固めておくわけではありません。南鄭、褒中、その先で取った城にも置くことになります。田様が全部の戦へ出ることもできません」


 陸文昭が地図の北側を指した。


「必要なのは兵だけではありません。将です」


「将か」


「1,000人、2,000人を預ければ、自分で考えて動かせる男です。田様が命令を1つ出せば、後は城を取り、敵を破り、土地を押さえて戻ってくる。そういう男が何人も必要になります」


 田朔は段烈を見た。


「お前みたいな奴を増やせということか」


「俺と同じでなくても構いません」


 段烈が答えた。


「野戦が得意な者、城攻めが得意な者、守城が得意な者、騎兵を扱える者。それぞれ使い道があります」


 賀蘭真も頷いた。


「騎兵だけでも、俺1人では足りなくなる。馬が増えれば部隊を分ける必要がある」


 田朔は地図から顔を上げた。


「どこにいる?」


「何がです?」


「その将だ。使える奴が必要なのは分かった。どこへ行けば手に入る」


 陸文昭が笑った。


「乱世ですから、いくらでもいますよ」


「本当か?」


「主を失った将、戦に負けて逃げた将、今の主人に使われていない者、家柄がないため兵を預けてもらえない者、山に入って賊になっている者までいます」


「賊も入れるのか」


 趙嶽が尋ねた。


「使えるなら構わん」


 田朔はすぐに答えた。


「俺のところへ来てから盗みをやめればいい」


「昔の敵でもですか」


「それも構わん。俺と戦ったことがあるから使わないなんて言ってたら、人が減るだけだろ」


 段烈が笑った。


「田様らしいですね」


「ただし、俺の兵を預けた後で裏切ったら殺す」


「それも田様らしい」


 田朔は陸文昭へ向き直った。


「家柄はいらん。どこの出でもいい。戦に負けた奴でも、賊でも、異民族でも構わん。兵を預けて勝てる奴を探せ」


「文官はどうします?」


「いる。城を取った後に治める奴も必要だ。兵糧を運べる奴もいるし、敵を騙せる奴も欲しい」


「随分欲張りますね」


「漢中の外へ出るんだ。足りないより余った方がいい」


 田朔は趙嶽を見た。


「お前は前秦の軍にいた奴を探せ。昔の知り合いでも何でもいい」


「分かりました」


「賀蘭真は騎兵を使える奴だ。馬に乗れるだけじゃ駄目だぞ。何十騎、何百騎をまとめられる奴を探せ」


「ああ」


「段烈は今いる兵を組み直せ。新しい将が来た時に、すぐ100人でも300人でも預けられるようにしておいてくれ」


「承知しました」


 最後に陸文昭を見ると、軍師はすでに何人か心当たりがあるらしく、口元に笑みを浮かべていた。


「俺は広く探せばいいのですね」


「そうだ。天下の使える男を探せ。俺はそいつらを使って、漢中の外へ出る」


 田朔がそう言うと、4人はそれぞれ動き始めた。


 ◇ ◇ ◇


 郡府での話を終えて屋敷へ戻ると、田朔は真っ先に崔玉容(ツイ・ユーロン)の部屋へ向かった。


 玉容は6月に男児を産んだばかりである。


 産後の身体はまだ完全には戻っていなかったが、顔色はかなり良くなっていた。寝台のそばには乳母がおり、田朔の息子が眠っている。


「起きてるか?」


「今、寝たところよ」


 玉容は小声で答えた。


 田朔は息子の顔を覗き込んだ。


「毎日見てるのに、まだ小さいな」


「1か月も経っていないもの。急に大きくなったら怖いわよ」


「早く歩かないかな」


「気が早すぎるわ」


 玉容は呆れたように笑った。


 田朔にとって初めての子であり、田家にとっては嫡子である。生まれた時には家臣だけでなく兵にも酒と肉を出し、南鄭の屋敷は数日間祝いが続いた。


 だが田朔自身にとっては、跡継ぎという言葉だけでは片づけられなかった。


 眠っている息子の手へ指を近づけると、小さな手が指先を握った。


「力があるぞ」


「赤子はみんな握るのよ」


「こいつは強い」


「はいはい」


 玉容が笑った。


 田朔はしばらく息子を見た後、玉容の隣へ座った。


「身体はどうだ?」


「だいぶ楽になったわ。まだ前と同じには動けないけれど」


「無理するなよ」


「分かってるわ」


 玉容は田朔の顔を見た。


「それより、また何か始めるのでしょう?」


「どうして分かった」


「朝から段烈たちを集めていたもの。あなたが何もしないわけがないでしょう」


「将を集めることにした」


「将?」


「俺の代わりに兵を率いて勝てる奴だ。漢中の外へ出るなら何人もいる」


 玉容は息子へ目を向けた。


「この子が生まれたばかりなのに、もう次の戦を考えているのね」


「すぐ俺が戦に行くとは言ってないぞ」


「それなら少しは安心できるわ」


「俺が行かなくても勝てるようにするために将を集めるんだ」


「本当にできるの?」


「できる奴を探す」


 玉容は少し笑った。


「あなた、商人だった頃から変わらないわね。自分でできないことがあれば、できる人間を買ってくるのだから」


「将は買うとは言わんだろ」


「給金を払うのでしょう?」


「払う」


「同じじゃない」


 田朔も笑った。


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕食には、玉容のほか、田朔の女たちも顔を揃えた。


 許玉蓮(シュイ・ユーリエン)、蘇青蘭(スー・チンラン)、何小玉(ホー・シャオユー)、李麗華(リー・リーホワ)、拓跋阿若(トゥオバー・アルオ)、蘇瑶(スー・ヤオ)、杜蘭英(ドゥー・ランイン)、杜月華(ドゥー・ユエホワ)、周春華(ジョウ・チュンホワ)、韓淑蘭(ハン・シュウラン)である。


 これまで事情の違いから扱いに差があった女たちも、田朔はこの機会にすべて正式な側室として迎えていた。


 正妻は玉容である。


 その下に10人の側室がいる。


 玉容が嫡男を産み、田家が漢中を支配する家となった以上、奥の立場も曖昧なままにはしておけなかった。


「本当に私たち全員を側室にするとは思わなかったわ」


 春華が酒を注ぎながら言った。


「嫌なのか?」


「まさか。嬉しいから言っているのよ」


 淑蘭も頷いた。


「これで人に聞かれても、田様の女だとはっきり言えます」


「今までだって俺の女だっただろ」


「田様がそう思っているのと、家の中で立場が決まるのは違います」


 玉蓮が横から口を挟んだ。


「そこは女にしか分からないわよ」


「そういうものか」


「そういうものよ」


 玉容は上座から女たちを見回した。


「側室になったからといって、好き勝手をしていいわけではないわよ。田家の奥は私が預かります」


「分かっています」


 阿若が答えた。


「私は最初から玉容様を正妻として立てると言っています」


「私も異存はありません」


 蘭英も続いた。


 ほかの女たちも頷いた。


 田朔は酒を飲みながら、その様子を眺めていた。


「随分まとまってるな」


「あなたが余計なことをしなければね」


 玉容が言った。


「俺が何をするんだ」


「女を増やすとか」


 広間のあちこちから笑い声が上がった。


「もう増やさないとは言わんぞ」


「そこは否定しないのね」


「嘘を言っても仕方ないだろ」


 玉容は呆れた顔をしたが、本気で怒ってはいなかった。


 月華が田朔の杯へ酒を注いだ。


「それなら、今いる私たちのことも忘れないでくださいね」


「忘れるわけないだろ」


「玉容様には若様が生まれました。私も田様の子が欲しいです」


 月華がそう言うと、小玉がすぐに頷いた。


「私も欲しい」


「私だって欲しいわよ」


 青蘭も笑った。


「ちょっと待て」


 田朔は女たちを見回した。


「全員一度に言うな」


 玉蓮が楽しそうに笑った。


「玉容様が男の子を産んだでしょう。次は自分も、と思うのは当然よ」


「10人いるんだぞ」


「田様なら頑張ればいいじゃない」


 麗華が平然と言った。


「他人事だと思ってるだろ」


「私もその10人の中に入っています」


 田朔が言葉に詰まると、女たちの笑い声がまた広がった。


 玉容まで笑っている。


「俺は昼は将を集めて、夜はお前たちの相手か」


「忙しくて結構じゃない」


 玉容が答えた。


「漢中の主なのでしょう?」


「主も楽じゃないな」


 そう言いながらも、田朔は嫌ではなかった。


 漢中を取るために戦い続けていた頃には、屋敷へ戻っても翌日の兵や兵糧を考えていた。今も戦は終わっていないが、家へ戻れば妻と側室たちがおり、隣の部屋には息子が眠っている。


 その夜、田朔は玉蓮の部屋で過ごした。


 玉容はまだ身体を休める必要がある。だからといって、ほかの女たちまで遠ざける理由はなかった。


 翌朝、玉蓮の部屋から出てきた田朔を青蘭が見つけた。


「昨夜は玉蓮だったのね」


「そうだ」


「今夜は?」


「もう決めるのか?」


「早い者勝ちでしょう」


「勝手に決めるな」


 青蘭は笑いながら去っていった。


 田朔はその背中を見送り、自分の家が随分賑やかになったと思った。


 昼になれば、陸文昭から最初の知らせが届いた。


 将になりそうな男が、すでに3人見つかったという。

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