第3話(後編)――「梁家の8人」
384年3月下旬。
長安では暖かい日が増えていた。
城外の道から雪が消え、荷車の車輪が泥へ取られる日も少なくなった。
田朔の商売も少しずつ増えている。
朝に注文先を回る。
昼から農家を訪ねて品を集める。
翌朝には客へ届ける。
注文を受ければ札を作り、数量、値段、受け渡す日を書く。
金額の大きな取引なら、代金を受け取る日も確かめる。
兵舎で失敗したことは繰り返さなかった。
それでも、手元に残る銭は多くない。
父の荷車を使えば運賃を払う。
郭安から字を習えば銭がいる。
飯も食わなければならない。
杜三を避けるために、荷車で遠回りする日もある。
3月22日。
城内の宿屋から干し肉10斤を頼まれた。
田朔は城外で集め、翌朝届けた。
宿屋の主人が品を見る。
「8斤しかいらなくなった」
田朔は札を出した。
「10斤だ」
主人が嫌そうな顔をする。
「2斤くらいまけろ」
「嫌だ」
「今後も商売するんだろう」
「だから約束を守れ」
主人は札を見る。
自分の印がある。
しばらく田朔を睨んだあと、10斤全部を受け取った。
田朔は決めた代金を受け取った。
店を出てから少し笑った。
以前なら押し切られていただろう。
今度は違った。
大した商売ではない。
それでも、前より簡単には負けなくなっていた。
◇ ◇ ◇
3月24日。
田朔は梁家へ縄と炭を運んだ。
趙六が荷札を見る。
「炭20束、縄15巻」
「合っている」
「今日は文句を言わないのか」
「間違っていないからな」
「字も読めるようになったか」
「お前より間違えない程度には」
趙六が睨んだ。
田朔はすぐに炭を担いだ。
今は趙六と喧嘩をする必要はない。
裏庭近くまで荷を運ぶと、小玉が侍女と話していた。
田朔に気づく。
「田朔」
「棗を持ってきた」
小玉が笑った。
「本当に?」
田朔は紙包みを出した。
小玉が受け取る。
「前より多い」
「その代わり話せ」
「やっぱり何かあると思った」
「約束しただろう」
「何を?」
「ほかの妾の話だ」
小玉が笑った。
「覚えていたの?」
「俺は忘れない」
「そうだったわね」
小玉は周囲を見た。
「少しだけよ」
「全部でもいい」
「欲張り」
2人は邪魔にならない裏庭の端へ移った。
侍女も少し離れてついてくる。
田朔が言った。
「正妻は崔玉容。第1妾は蘇青蘭。第2妾は馮彩児。第7妾がお前」
「そこまでは合っているわ」
「第3妾から第6妾は」
小玉は指を折った。
「第3妾は陳月華姉さん。26歳」
「どんな女だ」
「旦那様の服や、屋敷で使う布を見ているわ。実家が布商人だったから」
「気は強いか」
「奥様ほどではないけれど、細かいわよ。使用人が布を1尺なくしても気づくって」
田朔は覚えた。
「第4妾」
「白香蓮姉さん。23歳」
「何をする」
「琴と歌が上手。お客様を招いた夜に呼ばれることがあるわ」
「青蘭と同じか」
「違う。青蘭姉さんはお客様と話すの。香蓮姉さんは人前ではあまり喋らない」
「梁景成は可愛がっているか」
小玉が田朔を見る。
「そこまで聞くの?」
「梁家を知りたい」
「本当にそれだけ?」
「ほかに何がある」
小玉は疑わしそうな目をしたが、話を続けた。
「嫌われてはいないと思うわ」
「第5妾」
「孫美娟姉さん。25歳。料理や薬膳に詳しいの。旦那様が疲れた時や体調を崩した時は、美娟姉さんが食事を見ることが多いわ」
田朔の目が変わった。
「梁景成はよく体を悪くするのか」
「そんなこと言っていないでしょう」
「どこが悪い」
「知らない」
「酒は飲むか」
「飲むわよ」
「多いのか」
小玉が眉をひそめた。
「棗1袋で聞きすぎ」
田朔が笑った。
「なら第6妾」
「劉翠翠姉さん。19歳」
「お前より若いな」
「そうよ」
「どんな女だ」
「明るくて、よく喋る。旦那様に甘えるのも上手」
「可愛がられているか」
「たぶんね」
「お前は?」
小玉が目を丸くした。
「私?」
「7番目だろう」
「そうだけど」
「梁景成に可愛がられているのか」
小玉は少し困ったように笑った。
「普通じゃない?」
「普通とは」
「そこまで教えない」
田朔は小玉を見る。
小玉も見返した。
「何よ」
「何でもない」
「今、変なことを考えたでしょう」
「考えていない」
「嘘」
小玉が棗の包みで田朔の腕を叩いた。
田朔は笑った。
◇ ◇ ◇
小玉は包みから棗を1つ出して食べた。
「甘い」
「高かった」
「嘘。市場でそんなに高くないでしょう」
「俺には高い」
「では大事に食べる」
田朔は少し間を置いた。
「梁景成は、誰の部屋へ一番よく行く」
小玉が棗を喉につかえさせそうになった。
「何を聞くのよ」
「気になる」
「男って、どうしてそういうことばかり気にするの」
「梁景成も男だ」
「知らないわよ」
「同じ屋敷に住んでいるだろう」
「いちいち数えていないもの」
「今度から数えろ」
「嫌よ」
「役に立たないな」
「棗返す?」
「それは食え」
小玉が笑った。
「奥様のところへはよく行くわよ」
「崔玉容か」
「正妻だもの」
「青蘭は」
「青蘭姉さんも多いと思う」
「彩児は」
「馬市へ一緒に出た日は、そのまま食事をすることも多いわ」
「翠翠は」
「最近はよく呼ばれているみたい」
田朔は黙った。
小玉が顔を覗き込む。
「何でそんな顔をしているの」
「別に」
「悔しいの?」
「何が」
「旦那様が羨ましいんでしょう」
田朔は小玉を見る。
「羨ましくないと言えば嘘になる」
小玉が笑った。
「正直ね」
「金がある。店がある。倉がある。荷車がある。馬もある」
「まだあるわよ」
「何だ」
「大きな屋敷」
「それもだ」
「妻と妾が8人」
田朔は黙った。
小玉が笑う。
「やっぱりそこが一番でしょう」
「全部だ」
「全部?」
「どれか1つだけ欲しがっても仕方がない」
「欲張りね」
「知っている」
小玉は笑った。
田朔も笑った。
奥から小玉を呼ぶ声がする。
「行かなきゃ」
「また話せ」
「今度はもっといい物を持ってきて」
「何がいい」
小玉は少し考えた。
「甘い菓子」
「高い」
「では話さない」
「分かった」
小玉は楽しそうに屋敷へ戻った。
田朔はその姿を見送った。
今のところ、小玉は田朔を警戒していない。
田朔はそれでよかった。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
梁家での仕事を終えた田朔は、門前を出入りする荷車を眺めた。
この日は53台あった。
以前より少ない。
それでも、西の倉には穀物が大量に積まれている。
梁景成は相変わらず遠い。
崔玉容からは商売について指摘される。
蘇青蘭とは、まだまともに話したことさえない。
馮彩児にとっては、荷を運びに来る若者の1人でしかない。
陳月華、白香蓮、孫美娟、劉翠翠については、ようやく名前と人となりを少し知っただけだ。
まともに話せるのは何小玉だけだった。
帰り道、田順が言った。
「今日は何を数えていた」
「梁家の荷車」
「まだ数えているのか」
「今日は53台だった」
「お前の荷車は何台だ」
「0だ」
「なら梁旦那に追いつくまで、あと53台だな」
「違う」
「何が」
「見えているだけで53台だ」
田順が笑った。
「もっと持っているのか」
「あるだろう」
「大変だな」
「何が」
「追いつくのが」
田朔は父を見る。
「誰が追いつくと言った」
「毎回数えている奴が言うことか」
田朔は黙った。
田順は笑いながら荷車を引いた。
3月が終わろうとしていた。
田朔には、まだ自分の荷車1台すらない。
それでも1月とは違う。
字を覚え、注文を紙へ残すようになった。役所の支払いは遅れることがあり、紙に書いていない銭を取られることも知った。父から借りた信用は、使えば返さなければならない。
杜三の後ろに曹五がおり、その先にも人がいるらしいことが分かった。
梁家では、正妻と7人の妾がそれぞれ違う役割を持っていることも見えてきた。
まだ何も手に入れてはいない。
知っていることだけが、3か月前より増えている。
田朔は父の古い荷車を後ろから押した。
384年3月が終わった。




